「愛されるよりも、愛したい真剣(マジ)で」待ってるだけじゃ愛されない
愛されたい?それとも愛したい?
「愛されるよりも、愛したい真剣(マジ)で」と歌っていたのはKinKi Kidsだけど、この歌を耳にする度に思っていた。
え?????そんなことある??愛するよりも愛されたくない??真剣(マジ)で。
幸せな恋愛や幸せな結婚って、めちゃめちゃ想われて、とんでもないくらいに愛され尽くされ、それこそ世間一般で言う「お姫様」みたいにチヤホヤされて死ぬまで生きていくやつじゃないの?
それが1番最高じゃない?
こんなことを思っていたわたしは愚かなんですかね?
みんなそんな風に思ったことないんですかね?
そんな理想を描いていた学生時代があった。
愛されたい、愛されたい、愛されたい、といつも思っていて、恋人ができれば必要以上に愛を求め(いや、ほぼ強要)、愛を証明させようと無理難題を突如突き付けたり、少しでも自分への愛を疑うようなことがあればムスッとしたりと、情緒は完全に不安定。
どんな流れだったかは1ミリたりとも覚えていないのだけど「明日誕生日だから目が覚めたときお花が欲しい。起きるまでに買ってきて」って言ったことがあるんですけどね、その時に戻って頭をボコボコに叩きたいし、いにしえの恋人にはいまさらながら金一封でもお送りしたい。
恋愛で必要以上に愛を求める人は自己肯定感が低い……なんて言われることもあるけれど、わたしの場合、完全にそれに当てはまっていた。
ありがたいことに恋人から愛されまくった経験もあるし、何を選んでも否定せず、自分の存在と生き方を見守って肯定されてきた実感もある。
それなのにどうしてこんなことに悩んでしまう悲しい愛の亡者みたいになってしまったのだろうか?
分からないが、みっちりたっぷりどっしり無条件に愛されまくる時期が終わり、はじめての環境の中に放り込まれたとき、自分は大事にされるべき人間だという実感が急激に薄れてしまったんだろうと思う。
わたしって大事にされるべき人間だよね??
あなたも大事にしてくれるよね??
なんであなたは大事にしてくれないの???ほかの人に気持ちを向けないでわたしを愛してよ!!!!!ってな感じで。
本来、自分を愛するということは決して悪いものではないけど、まだまだ未熟なわたしは「自分を愛することと同時に、目の前にいる人も大事にされるべき人」という当たり前のことが頭からすっぽりと抜け落ち、愛して愛してと喚き散らかすくせに自分は愛そうとしなかった。欲しがるばかりで与えない。
完全に未熟だ。
それで今は「愛されてしかるべき人間だ」という謎に自信たっぷりの自己愛から一転、「自分なんか大した人じゃない」という逆振りを経て、少しずつ安定してきたが…
いま、大好きな彼に出会い、付き合い、動物を愛し、自然を愛していると、ちょっとずつ愛の正体が分かってきたような気がした。
KinKi Kidsは正しかったってことだ。
これか。
「愛されるよりも、愛したい真剣(マジ)で」
おそらく「愛されるよりも愛している方が満たされる」ということなのだろう。
不思議だ。
愛は与えれば与えるほど心にあたたかさが溜まり、物理の世界からはほど遠い性質を持っているんじゃないか、とわたしは思う。