ちょっと思い出しただけ

映画「ちょっと思い出しただけ」の感想です。まだ見ていない・見ようと思っている方にはこのnoteをおすすめしません。よろしくお願いいたします。




忘れるってなんだろう、 変わるってなんだろう、終わるってなんだろう。
この要素が入った物語が好きだ。なぜなら人間は忘れ、変わり、終わるからだ。私は苦しい物語が好きだ。なぜなら人生は苦しいことだからだ。私は忘れること、変わること、終わることにどうしようもなく惹かれてしまう。なぜならそれが私にとって苦しいことだからだ。

忘れることが苦しみなら、思い出すことはなんなんだろう。思い出すことが苦しみなら、忘れることはなんなんだろう。ちょっと思い出した「だけ」。だけで扱われる思い出は、紛れもなく自分の今であり、自分そのものだって言うのに。

人間であることをやめたくなりました。自分は人間で、相手も人間で、別物であるくせにわかり合えるような顔をして、僕らはおんなじ人間なんだってひとつになれるだなんて誰が言ったんだ。同じ言葉を使ったってなにもわからないよ。言葉を使わなくたってわかるよ。言葉じゃないとわからないよ。わかるってなんだよ。

上映中、ほとんどのシーンで泣いていた。泣く以外の感情表現が欠落しているかのように泣いた。終わることが変わることが幸せが美しくて最悪で苦しくて泣いた。泣いていた、泣いていたのに劇中の時間が遡るにつれ、私は笑った。映画の中の「今」が幸せなシーンだったからだ。つい10分前まで苦しくて泣いていたのに、だよ。私には目の前のことしか見えない。結局はすべて忘れて笑っている自分が許せなかった。

私はバカだから、こうやって何度も終わることを忘れて今を生きている。何度だって繰り返す。ああ幸せだなって、この時間が続けば良いのになって、ここで死ねば終わらないよなって、そんなことを思いながらも、結局はすべてを終わらせずに、今を終わらせることを選ぶ。

思い出すことがある。思い出せないことがある。今私は映画を思い出してこのnoteを書いている。なぜなら映画は「終わった」からだ。何かが終わった後が今であり、終わらなければ今は存在しない。苦しい。私はずっと終わった後の世界を生きなきゃいけないのかな。時々思い出して、忘れていることに嘆いて、嘆いたことすら忘れて生きていかなきゃいけないのかな。

きっとこの感想を書いている間もひとつひとつ抜け落ちていて、どれだけ急いで書いても思い出になんか追い付けなくて、焦って焦ってこのぐちゃぐちゃに組み立てられた文章も、2022年3月6日を思い出すちっぽけな手がかりにしかならないよ。思い出が私を形作るなら、都合よく形作られた私を私は愛せないかもしれない。きっとそんなことも忘れて愛すんだろうけれど。私はやっぱりバカだから。

いつかまたこの映画をどこかで見たとき、私はどんな顔をするのかな。泣けないことを嘆かないでほしい。心が動かなくても泣かないでほしい。それでもずっと不器用なままでいてほしいと思うのは、忘れないでほしい、変わらないでほしい、終わらないでほしいと思う私のエゴなんだろうな。






あまりにも自分事として捉えた感想を書いてしまっておさまりが悪いので、作品の感想も少しだけ書こうと思う。

偉そうな言い方しかできないのが悔しいが、ここまで映画を通して自分を見ることができたのは、ストーリーと演技に何一つ違和感がなかったからだと思う。「どこかにある誰かの物語を切り取るべきやり方で切り取った」という映画だと思った。特徴のある構成で「思い出す」がよりわかりやすく描かれていて、結果的に見る側も「忘れる」を体感できることが本当にすごい。環境も人も感情もすべてが連動していること、変化していくことをこんなふうに伝えられるようなお話を、私も書けるようになりたいと思った。

さっきから、私だったらどんなラストにするだろうか、なんて多方面に失礼なことを考えている。映画の楽しみ方はたくさんあっていいはずなので、こんなふうに考えさせてもらえることもありがたいななんて思う。人の作品に触れることがあまりないので、これを機にいろんな作品を見てみたいなと思った。

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