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シン・エヴァンゲリオンを見た後の自分語り
エヴァみてきました。
いやー泣いた泣いた。わっははっは!
よくこの作品を作りました。すごいです。庵野さんと、ご関係者の皆さん。
庵野監督は言うまでもなく素晴らしいクリエイター。自分なんか比較しようとすることすらおこがましいというか、比較をしようにも庵野さんが立ってたらクリエイターとして存在していないのも同然な自分が語れることとか、本来は何もないと思うのですが。
庵野秀明「エヴァQ叩かれすぎて鬱病になった。アニメ制作やめようかと思った」
こんな記事のような状態になるくらい苦しいなら、無理に新劇は作んなくてよかったんじゃない?とすら、思うんですよ(感情移入しちゃって)
業界のいろんな方のお話をうかがったりするので、エヴァというコンテンツは庵野監督の一人のお話ではない、単純な構造ではないのでしょうけれど。
エンターテインメントとして作品を出すのが苦しいなら、いっそセミリタイア、アーリーリタイアができてしまうほどの実績は、とうの昔に庵野監督にはあったと思うんです(監督個人に偏って見てます)
なんなら、リタイアしたうえで、もう余計な人たちの声や目を気にしないで、自主制作として好き勝手に作品を作ることもできたかもしれない。
なのにそうしなくて、まず「商業として作ってくれた事」自体が、我々にとっては尊いし、ありがたいなぁって、視聴者としては思うんです。
なので、本作以降も色々あると思うのですが。個人的には地上波版を作ってくれただけでよかった。エヴァという作品が今まで自分に根付いてくれて、完結までしてくれて。もうそれで五体投地したい気持ちでいっぱいです。
そう思うのもありまして、自分はあんまし今回の内容には触れません。私とってはこのうえなく素晴らしい作品でしたし、自分がもんもんと抱えていたものには、ちゃんとケリがついたと思います。
あぁ、感極まって枕が長くなってしまった。なんかその気になったし、久しぶりに以下は駄文を書いていきます。
本当は、まだまだ最終章を見に行くつもりはありませんでした。鬼滅も見に行ってません。いまだに。
あれを気にしてです。コロナですね。
考え方は人それぞれだと思うし(というか人間の考えをまとめるのなんて無理だったというのがよくわかった)
観客がいかないと制作会社や劇場もやばいので、あくまで個人的な見解なのですが。自分個人は、人がいなくなるまでは映画館は我慢したほうがいいかなーと思ってました。
個人的な思い入れからすると、スタジオカラーに10万わたして「単独で一回だけ見せて」って言えるような精鋭たちでもまわせるんじゃないのと思うけれども、そんな倒錯した考えはさておき。
見に行くつもりはなかったんですが。ほら、なんだかんだで見かけるじゃないですか。
視界の片隅をよぎるどっかの誰かのネタバレツイートとか、なんか考察系のYoutuberのネタバレサムネとか。
こりゃもう、だめだな。これ以上、見に行くのを遅らせるとヤラれると思ったので、一人で行ってきました。
二回言うけど、鬼滅もいまだみてないんすよ。鬼滅、2巻から読んでるのに。何人か一緒に行こうと誘ってくれたのですが、全員お断りしてます。
感染リスクに関しては人それぞれの信仰のようなものがあると思うし、なによりも自分が他人の行動に影響してしまった場合、いざというときに人の責任はとってあげられないので、止めも推奨もしたくないのだけれども。自分はいろんなものが脳裏によぎって、行かないという選択を選んでただけです。
でもエヴァには行っちゃった。自己責任☆
いやー。今回ので、エヴァに関しては全部完結できた気がする。
「よく、あれを作ったな!!!????」って気持ちでいっぱいです。
やりたいことはなんとかやりつつ、ちゃんと突き放す姿勢も相変わらずで。まるであの頃に戻ったようです。
そう、あの頃に…
ぼくはゲンドウとシンジが混じったような子供でした。希少な存在ではなく、わりといると思う。
小学校では、2年生〜6年生の間は完全に孤立してまして。あの多感な時期にひどい目にあってたなーと思います。
孤立した原因としては、いまから見ると、やっぱなんか周囲と違ったんだと思います。良くも悪くも。
自分を構成するものを知識として知っていくたび、あの時期はなるべくしてなってたんだなとも思います。
なんですけど、地獄は小学校で終わってくれて、幸運にも中学デビューを果たすことができまして。そこでダチと言えるダチもできました。末蔵とか、あと特許をとったやばいアイツとか。
そこから結構うまいこと波にのれまして。人付き合いのコツを掴んだんだと思います。
友達n人作るっていう実績解除で人付き合いのギアがポップして、他の自分の「良かった部分」のギアもそれと噛み合ってようやく回るようになったんじゃないかと。
シンジくんと同じ年齢になる頃には、ゲイツとか、クールM原とか、ハマとか、クワジマンとか、そういう、本来なら自分より二段階はスクールカーストが上である人種のグループにも、なんか色々だまくらかして、下駄はいて、へばりつくことができていました。
もろもろが結構いい感じではあった中学生生活でしたが。そこで地上波エヴァですよ。
言うまでもなく社会現象でしたよね。さらに、ぼくらはシンジくんたちと同年代という裏ドラアンコってて、あの頃はひどかったですね。
なにがひどいかって、あの頃のぼくら、中でも「ぼく」って、とってもキモいんですよね。
そもそもが、あの年代って幻の自尊心と、架空の万能感に手足を装着して歩かせてるような頃じゃないですか。
もう何もかもがエヴァ。あの頃、たしかにぼくらの小さな世界はエヴァを中心に回っていました。
いま思い出して発狂しそうなんですが、ぼくは自習中に紙をまわして、綾波派か、アスカ派か、という人気投票をしてしまいましてね。
ぼくは当時としては、やや不利な勢力だったアスカ派でした。いや、綾波も当然好きなんですが。
あれですよ。旧劇のアスカで変な感情が目覚めてしまいましてね。
本当に罪深いキャラです…
そういうやばい時期の話です。
恥ずかしさを希釈するために、わざと公言してたんですが。
中学生の頃にF本さんという人が好きだったんですね。っていうか初恋でした。
以降、20歳の成人式で彼女と再会するまで、好きが継続していました(自分はそういうやつ)
なんで成人式で恋愛感情が終わってるかというと、これまたあれなのですが。
うーん、なんていうか、再会したら、「違うな」って思ってしまって。一瞬で勝手に冷めてしまいました。
どう違ったかはあんまり言わないでおきますが。まぁ妄想力に極振りをしてた当時の自分が勝手に思い描いていた初恋の相手と、しばらく会わない間に大人の女性になっていた現実の人とだったら、そりゃー違うわなというお話です。
今でも思いますが、当時の自分は勝手すぎですね。子供だったからね。
そのあたりなんですよ。本作のエヴァをやばいなって思った点は。
「あれ、やっていいの!!??」
「それ、ゆるされるの!!???」
って思いました。
バリバリ動き回って戦う、もうそれが何号機なのか分からなくなってしまったエヴァより、ずっと衝撃的でした。
もうここ見てる人だったら、ネタバレしちゃってもいいだろうから言いますが。
完全にキャラへの感情移入的な恋愛から、ぼくらを突き放しましたよね。
そりゃ、あれだけヒロインが歳を重ねて、苦しい想いをし続けてきて、主人公としか恋愛をしない人生をあゆんでろって、無理言うなって感じですよね。
綾波もああでしたしね。
あまつさえ、アスカのセリフで、しれっと二番目の綾波の件にも、リアルをつきつけているという死体蹴りまで。
それで、最終的にシンジのよこに立つのは、あえてぽっと出にさせて、そこまで出番も少なくさせてきたマリ。
あのシーンで、恥ずかしながら、ばーーーっと、ちょうど彼らと同じ年代だったころからの自分の過去があふれかえってきて、エンディングの駅のシーンからぼろぼろ、ぼろぼろ、と涙がこぼれて止まらなくなってきました。
この涙は、この作品が直接どうだから、という涙ではありません。
あくまで、この作品から日が照った結果、自分の人生が照り返されて、大人になったのだ(ゲンドウが言ってたように)という実感による喪失感とかで出てきた涙なのです。
きもちの上では変わってないはずが、変わってしまっている自分を突きつけられた感じもあります。
初恋や、好きだった、気になっていた相手には、たとえお互いに気持が通じる瞬間が過去にあったとしても、いつかは自分ではなく特定の誰かができるものです。
同じように、過去に自分の横に立ったのは、F本さんではなく、別の女性でしたしね。
また、自分の生き方の根源の部分はゲンドウに似ており、性格はシンジでもありました。
逃げなかったことを続けて、だからこそ、ありえないようなひどいめにあって、苦しい思いをしつづけた結果、今の自分にもなれました。そのことも強く、思い起こしました。
そういう追体験を掘り起こせるのって、本当にすごい作品だなと思ったんです。おそらく、似たような思いをした人は多いハズ。
ゲンドウの気持ちがわかるようになったのも「あー」と思えましたね。マダオはまぁ相変わらずマダオなんだけど、今では結構理解できる部分もあります。
ということをニチャァ…と誰にも聞かれていないのに喋ってきたのですが。結論として何がいいたいかっていうと。
エヴァって14歳の頃にはじめて見た作品なんですよ。
で、それからの期間と今までの時間があるからこそ、より理解できて、共感できる。
ぼくという「少年だったものが、けっこうな年齢の大人になるまでの期間さえも利用して楽しませる」エヴァンゲリオンっていう作品が存在してるの、やばくないですか?????
逆に、そこまで面倒くさく考えなかったり、作品に共感できない部分があっても、それはそれだと思うんです。
見る人見る人の人生経験や、その時の立ち位置、年齢によって、作品によってこちらが参照される部分がちがうというか。
それぞれの人がそれぞれの楽しみかたができる、そのうえ完結までしちゃった、やばい作品だということが、ぼくが得た、最終的な感想です。
「CLANNADは人生」っていう言葉があるので、非常に言いづらいのだけど、まさに「エヴァ…、人生かな?」と斜めに俯いて言っちゃいたいくらい。
いきなり最強&ニコポが流行りの世の中で、あれだけ引っ張ってきたヒロインと主人公の関係を断ち切って、視聴者を突き放しちゃうという、とんでもない手法を使っているのもやばい。
さらに、庵野さんのイズムもちゃんと込めてしまう。
一つの作品だけど、それぞれの人のそれぞれの楽しみ方や解釈があるでしょ?、も相変わらずちゃんとやらせちゃう。
はー、すごいわ。
もっかい見に行くには、ちょっと刺激的すぎてMPがもたないと思うので、時間を空けて円盤を買うことにします。
最後にもう一度いうけれども、庵野監督、ご関係者のみなさん!すごかったです!素晴らしい完結をありがとうございました!
へばな!エヴァンゲリオン!