書くことの意義 #11
普通に食事の約束をしたあとにその日はクリスマスだと発覚し、若干きまづい思いをしている私、ちゃんまうです。
ち、違うんだよ、これは誤解なんだよお〜!
とまあ、弁解する相手もいないんですけど。。。
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「なんか書きたくない」はじわじわくる。
ライターが仕事ではないし、誰かの為に書いているわけではなく、自分の思考の言語化の為に書いていたはずなのに
「お前のnoteなんやねん」的な言葉をもらうとその場は
「ええねん。評価をもらうために書いてるわけちゃうねん自分のためやねん」
って思うけど、アウトプットするのなんかめんどくさい。書きたくない。
がじわじわ来る。
自分が書かない(書きたくない)もんだから、誰かのも見たくない。
そんな気分がしばらく続いた。
自分のためだったものが誰かのためになってきているのが嫌だった。
なら書かないほうがマシだ、と意固地になっていたんだと思う。
しかし年の瀬でなんとなくこの1年を振り返ってみたときに、書くことは精神衛生上、私にとっては良かったんじゃないかという結論になった。
というのも、わたしは自負しているくらい短気of短気なんだけども、先日同僚に
「あれ怒るかと思ったけど怒らなかったからエラいと思ったわ」
と言われることがあった。
過去にアンガーマネジメントについて書いたのですが、
そのときに勉強したことをコツコツと地味に続けているおかげか
「ん?」と思うことはあるけど、カッとなることはなくなった
(人はこれを加齢と呼ぶ)
「じゃあ書いてみるか」と思いはじめて、追いかけるように人のnoteを読み漁っている。
その中でもやっぱり古賀さん。
サムネイルのレモンビーグルのペダルくんに釣られて読み始めたんだけども
さすがライターなのか、安心する文章なのである。
いいなあ。心を掴まれている。
わたしも来年はもう少し応援できる人になりたい。
信じるよ、応援するよ、を言える人に。
あとはもうちょっとアウトプットの量が多くなるようにインプットを増やしていきたいな。
その場の感情のアウトプットならTwitterのほうが圧倒的に気楽だけど、
noteをやらないと自分の感情の整理が追いつかないことがわかって、ちゃんと自分の為になっててちょっと安心した。これが私が書くことの意義なんだろうな。
まあこんだけ言語化したいとか言ってるのに、昨日「日吉駅」が出て来なかったから言語化以前の問題ということもありつつ、来年も頑張ろうかなあ。と思うのであった。