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BAR HamCup
第7話 「仮面の告白」
いつものように、三人がカウンターに並んでいた。
「まさに今日の円安でね」スーツ姿の中年男性が、グラスを傾けながら話を続ける。「株式市場も大荒れでさ」
「へぇ」作業着姿の男性が相槌を打つ。「俺なんか給料日まで、このグラスのストレートが精一杯だよ」
「まあまあ」パーカー姿の青年が笑う。「今夜は僕がおごりますよ。ボーナスが出たんで」
俺は黙って彼らの会話を聞きながら、それぞれのグラスを満たしていく。毎週金曜、この三人が揃うのはもう半年になる。
「でもさ」作業着の男性が言う。「最近の若者は本当に賢いよな。うちの現場の子たちなんか、効率化の提案ばっかり」
「そうそう」スーツの男性が頷く。「変化を恐れない姿勢は見習わないとね」
「お二人とも優しいですね」青年が微笑む。「僕の上司はそうは言ってくれないですよ」
グラスが重なり、氷がやわらかな音を立てる。彼らは名前も、職業も、年齢も互いに詳しくは知らない。ただ、この場所では誰もが等しく、一人の客として過ごしていた。
夜が更けていく。
「さて」スーツの男性が立ち上がる。「私は失礼します」
扉が開く瞬間、彼の背中が一瞬だけ揺れた。中小企業の社長として、明日も早朝から取引先回りだ。
しばらくして作業着の男性も席を立つ。「じゃあな」
扉の向こうで、彼は小さなため息をつく。大手建設会社の現場監督として、部下たちの待遇改善を経営陣に訴え続けている日々。
最後に青年が会計を済ませる。「また来週」
彼が出て行く背中に、市役所の若手職員としての疲れが見えた。机上の改革案が、現場の実情と噛み合わない日々。
三人の仮面は、それぞれの場所で明日も受け継がれていく。でも、この場所での言葉は、きっと本物だった。
カウンターに残された三つのグラスが、夜の静けさの中で、それぞれの物語を静かに映していた。