みな、求めすぎではないか?普通の幸せを求めて何が悪い?
先日、妻と話していた時の話。
妻「最近、『自己肯定感の向上=承認欲求の向上』って感じに捉えてる人が多い気がするんだけど、どう思う?」
私「たしかに。そう捉えようとしないようにしてるけど、いろんなところでそういう考え方の人が増えてる気がする。」
妻「そういうのってどうかなぁと思うんだよね〜。」
私「最近はSNSとかYoutubeとかの登録者数で、そういうのを擬似的に視覚化できるじゃない?」
妻「そうね。」
私「人気Youtuberとか、twitterとかで影響力のある人とかに憧れて、意識高い系になってる人は多いよね、きっと。」
妻「だけどさ、ほとんどの人、まぁ少なく見積もっても90%くらいの人は、普通に生きて普通に死んでいくんだよ。だからそんなに多くの人にフォローしてもらえないだろうなぁって考えると、自己肯定感を他人からの承認の量で埋めることは止めた方がいいと思うんだけどなぁ。」
私「間違いなくそう思う。私は大学生の頃とか、全然努力できてなかったけど、何もやってなかったからこそ、自分はやり始めさえすればデカイことができる人間なんだ!なんて思っていた時期もありました……」
妻「そりゃみんなどこかの時期にはそう思ってるだろうけど笑」
私「現実はなかなか厳しい苦笑」
妻「まぁでも、本人の個性とか能力とかが、家族・職場の関係性の近い人とかから認められる事はいい事だと思う。だけど、自分が何か特別な何かを持っていて、世界中に対して何か大きなことができるって思ってる人がいるんだったら、そんな事はほぼないっていうことに気づいてほしいね。」
私「人ひとりができることなんてたかが知れてるしね。自分のありもしない能力とか、実態のないものに可能性を見出して、過信しない方がいいってことだよね。人が集まってくる人は、必ず実態のあるものが備わっているからね。」
妻「そうそう。」
私「人を集めることを目的にすると、実態のない空っぽのモノにしかならないから、しっかり努力して実績を作ることが先。そしてそれが増えていけば、勝手に人はついてくるって感じなんだろうね。」
私はSNSとかYoutubeとかはアカウント持ってるだけで、ほとんどやっていないんですが。90%の人は普通の生活をして死んでいくんだと、妻に改めて眼前に突きつけられるとは思いませんでした。
努力は絶対に報われるものではないし、自分がやること全てが評価されるわけではないところが世知辛いところ。ですが、私が妻と結婚できたのは、妻が私を認めてくれたからだろうし、私が妻を認めたからに他なりません。
別に不特定多数の人に好かれようとしなくてもいいんじゃないでしょうか。昨今は、自分に何かを求めようとしすぎているのではないでしょうか。
それが人間力の向上につながればいいのかもしれません。
しかし、著名人の肩書きや現在の立場、影響力だけに憧れるのには気を付けましょう。その人が現在に至ったまでの過程を見る事はできませんが、才能だけではなくどこかで必ず努力をしています。時にはバッシングを受けたりしながらそれでも前進し続けた結果が彼らの今です。
自分は全然著名でもなんでもないし、ごく普通の生活をしているサラリーマンデザイナーです。ですが、自分なりに仕事もプライベートも努力をし続けているし、大勢の他人から称賛される事はありませんが、間違いなく幸せです。皆さんも是非、今の幸せを見つめ直してみてはいかがでしょうか??
人から認められるための努力ではなく、自分の人生に役立つ努力については下記本がおすすめ。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。
冒頭の言葉が有名ですが、ここは万人の平等を表現している文章です。
本書の本質は、実学を学ぶこと。
実学とは経済活動に役立たせることを趣旨とした学問のこと。
目的もなく学ぶのではなく、あくまで自分のために学ぶことが大事なんだと教えてくれる一冊です。