大人数によるコメントと津波は性質的に似てる気がする
SNSなどの炎上・誹謗中傷などが、津波に似ていると感じた話。
東日本大震災から10年。
当時発生した地震によって、津波が発生し、多くの人や街が被害にあった。
一方で10年後の現在、局地的大豪雨などによって災害が発生しているものの、当時のような巨大地震や津波こそ発生していない。
ところが、そういった自然災害とは別の所で「コメント」という名の津波が発生しているように私には見える。
いわゆる炎上などと言われるものがそれにあたるが、
震源地=発言者のような感覚と捉えていいだろう。
主に震源地となる発言者は、大勢の人を集めるイベント関係者、
そして芸能人などの著名人の場合が多い。
歴史的にみても、マイノリティ側の意見や考え方が、マジョリティ側に弾圧されたような事例は多い。現代は過去の失敗などから学び、マイノリティ側の意見も汲み取るべきという国際社会的な流れによって、LGBTQなどの活動が活発になっている。
それ以外にも、人種・身体的特徴・貧富などの差別によって生じるマイノリティもあれば、独自の思想・倫理観から生じるマイノリティもある。
今回取り上げている「コメント」については、一部のマイノリティ的な思想を持った個人によって発言されたものが、SNSなどによって不特定多数の人に向けて発信されることで、津波化するといっていいだろう。
ことの発端は、SNSやYoutubeなどでファンに向けて発言したジョークのケースもある。ところがその発言が本音か否か問わず、発言してしまった時点で地震が発生したのと同義。ジョークとして捉えなかったファン、発言の内容に違和感を覚えた人だけでなく、その発言が前後の文脈関係なく切り取られて報道され、全く興味を持っていない人にまで届いてしまう。
すると、その発言に異を唱える多数の人の「コメント=津波」が至る所で発生する。津波は一気に様々なところへ影響を及ぼし、最悪の場合、発言者自信の命をも飲み込んでしまう。それがいわゆる誹謗中傷のコメントだろう。
ここでは、ここ最近起きているこういった現象の一つ一つを取り上げて意見を述べるつもりはない。しかし、問題になった発言そのものが褒められたものでない場合もあることは認めざるを得ない。ただ、私はこのコメントが津波になる状況にゾッとする。さも当然のように人が死んでしまうことがあるから。
自然災害は、長期的に見れば人為的なものなのかもしれない(温暖化など)が、局地的に見ればあくまで自然によるものだろう。結果的に人が死んでしまうことに変わりはない。
ところが、コメントによる津波は完全に人為的なものだ。津波自身が人だからだ。発言者自身は、自身の影響力をしっかりと念頭に置いた上で発言すべきだし、報道は事実を伝えるだけでなく、事態を収束させるための伝え方を考えるべきだし、コメントする人はある種他人事的な視点も持つことでコメントすること自体を控えるべきだろう。そして議論のつもりで話題に参加してコメントをしている人がいるのであれば、一部のコメントは投げっぱなしになるだけで議論にはならないし、参加しているのは人の命を奪うかもしれない津波自体だと自覚すべきだ。
物理的な津波にはゾッとするのに、人為的な津波には何も感じていない人が多いのかもしれない。コメントの津波だって人の命を奪うことがあるということを忘れてはいけない。