序章~私の中のイマジナリーフレンズ~

唐突だが、私の中のイマジナリーフレンズについて話しておこうと思う。

私(36歳)の本当に小さかった頃、おててがまだもみじのように小さい4~5歳の頃である。

私は度々、何もない所を指さしては
「妖精の○○ちゃんがいる」と言い出す子どもだったそうだ。そして、その○○ちゃんとやらと遊んでいたらしい。

○○ちゃんはよく庭に出没した。

当時の私は島根県は松江市の田舎に住んでおり、庭には2羽にわとりがいて、歩けば棒に当たるという訳でもない犬がいて、隣の客がよく食うでもなしに柿の木が植わった庭があるとても小さな家に家族四人と暮らしていた。

○○ちゃんは柿の木の上にいたり、庭に野生えしている草花の近くに出たり、ともかくうちの庭を気に入っていたようだった。

私は○○ちゃんのことをほとんど覚えていないが、先日想像でその姿を描いてみた。


これが幼い頃の姿。

私が幼い頃の○○ちゃん。
袋のような帽子の可愛い小人のような姿である。
あき、とは私の愛称である。

しかし私ももう立派な成人。成人通り越して中年である。

夢見ることを忘れ、外で遊ぶこともせずに食っちゃ寝を繰り返しては屁をたれて日々過ごしている。

そんな私だが、ふと、○○ちゃんのことを突然思い出したのである。

昔は空想の友達がいて、よく庭で遊んでいたなあと。

そして大人になった私は知っていた。
○○ちゃんのような空想の友達のことを、世間では「イマジナリーフレンズ」と呼ぶことを。

私は○○ちゃんのことを考えた。
私は既に青年期をとっくのとうに通り越した中年である。

であれば、だ。

○○ちゃんもいいおじさんになっているのでは?!

そしてそれを想像した姿がこちら。



おじさんになった○○ちゃん。
随分ワイルドになったものである。


私も歳をとり、縦にももちろん横にも太くなってしまった。
ならば○○ちゃんもそうであろう。

私も歳をとり、酒の楽しみを知ってしまった。
ならば○○ちゃんもそうであろう。

○○ちゃんも私の心の中で、私が遊ばなくなっても尚、共に成長を続けたであろう姿になったのだ。

昔の妖精のような姿であれば、ファンタジーな要素があるのだろうという期待から、ドワーフのようなイカついおじさんになってもらった。

うんうん、○○ちゃんもきっと本望であろう。

このnoteでは、この○○ちゃんをいつまでも○○ちゃんと呼ぶのも忍びないので、便宜上名前をつけたいと思う。

こんな毛むくじゃらのおじさんにいつまでも○○ちゃん、なんて呼んでいたらおかしいのである。

私も小さな頃はちゃん付けで呼ばれていたが、今はさん付けなのだから。

ようし、今から私のイマジナリーフレンズの名前は「ボッコ」だ。

これからは、このボッコが私と別れたあと、どのように生きているかを綴る物語を記していこうと思う。

第1話、完。
ボッコの物語にご期待あれ。

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