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首里城が燃えた

人生の不可逆性に頭を抱える瞬間は、こうして不意に訪れる。
首里城が燃えた。
壊れてしまったあの人との関係、変わってしまったあの人の心、枯れてしまった花、老いていく私、破いてしまった手紙、死んだ人、終わった愛。時間は戻らない。

数年前に沖縄に行った時、「首里城にも行っとく?」という話は出たが、「首里城は逃げない」と結論づいたから結局訪ねなかった。
首里城が逃げないわけはなかった。首里城だけではない。大学の校舎も、バイト先の居酒屋も、田舎の実家も、君とよく行った坂下食堂も、時が流れる限り逃げるのだ、今の私たちから遠のいていくものなのだ。

今日あるものが明日もあるとは限らない。家も、会社も、好きな店も番組も、大好きなあの人の暖かい手も、親の頼れる背中も、瞬きをする間になくなってしまうもの。それを分かっていないから、悔いる人生になる。

お前は今絶対に後悔しない生を生きているのか?大事なものを守るために全身全霊の力を注げているのか?首里城に広がる紅い火は美しく、残骸は虚しく、何らかのメッセージ性を感じずにはいられなかった。

そして私はただ、首里城に行けばよかった、と強く思うのであった。
そんな私に妹は、「どうせまた再建されるよ」と言うのであった。何もわかっていやしない、可逆的なものなどないのだから、それは「2019年が終わる」と嘆く人に「2020年があるよ」と言うのと同じで、「ニノが死んだ」と悲しむ人に「松潤がいるよ」と言うのと同じなのだと、わかっていやしない。


ちなみに、生きる意味なんてものは無いんだと、最近やっと腹落ちしてわかった。
「虫や細菌に生きる意味がないのと一緒で、地球上の生物は地球の熱循環のシステムの一部としての機能を果たしているだけなので意味とかないと思います」ネットで見かけた言説だ。本当にその通りだと思った。
だからこそ、自分のためではなく好きな人、自分を助けてくれる人のために生きなくてはと思ったし、それが意味になった。考えない者に生きる意味があるわけがなかった。意味は考えてつくるものだった。
私たちは無意味に生まれて、意味をつくり出す。人を集めて国を成し、土をならし木を植えて町をつくり、家を建てて家庭を運営する。かなり愛らしいことをしているなと我ながら思う。

生きる意味はないということがわかってからは、大事なものを大事にしなくてはならないとより強く感じる。もとよりなんの意味もない生なのだから、いつなくなったって不思議ではない。なくなる前に大事にしなくてはいけないし、なくなるまで大事にしなくてはならないのだ。

だから、燃える前に首里城に行けばよかった。

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