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「女の子でよかった」って、なに?家族団欒中のひとこと。


「みーちゃん本当にかわいかったなー。
どんな声でお話しするか、
楽しみで楽しみで仕方なかったんだよ。」

日曜日の午後、
おとうさん、おかあさんと私の3人で
リビングでお茶してるときのこと。

わたしの誕生日が近くて、ふたりは目を細めながら、
ちゃんみーが小さいころの思い出話を
うれしそうに語ってくれたんだ。

その顔、声、言葉、仕草に
嘘はないと感じた。

だからくすぐったくて、大切に思われて育ったんだなって感じられて、
ほんとにほんとにうれしかったな。


その話の流れでおかあさんが一言。

「あー、ほんと、女の子うんどいてよかった」

え、、、?!

女の子うんどいてよかったって言った 

女の子うんどいてよかったって言った

女の子うんどいてよかったって言った

まじ?!
ちゃんみーは頭が真っ白になった。反応に困った。

「な、なんで・・・?」とギリギリの精神で聞いた。

「女の子は家にいてくれる(よく実家に帰ってくる)から」だって。

なんか怖くなった。
責任重大に感じた。
離れたら悲しませるんだって思った。
わたしが男だったら親を幸せにできてなかったのかなって思った。
女の役割が何かあるように感じた。

ほっこりうれしたのしい話をしてたはずなのに
余計な一言が、家族団欒に水を差す。
(と、感じてるのは私だけ)

悪気はないんだよ、ふたりとも。
わたしが考えてるようなことはきっと考えてない。

わたしを傷つけてやるとか、
所有の感覚も無い。

たぶんね、扱う言葉が違うのかもって
最近思うようになったんだ。

そりゃみんな違うんだけどさ
家族という物理的に距離の近い存在でも
全く違う感覚なんだよね。

わたしは投げられた言葉をストレートに受け止める。


怖くて、その意図を確認できない。

ネガティブな想像通りだったり、
軽く扱われて受け流されたりしたら、
立ち直れないもん。

家族の間で、おしゃべりはたくさんする。
楽しい。
大爆笑だってするよ。

でも違和感を覚えたとき
もう一歩踏み込む・答えるというコミュニケーションは
お互いにしてこなかったかも。

そんなもんですかね?
かぞくって。

もしそのコミュニケーションをする日々だったなら、

人との関わり方、
性格、
人生、

ガラッと今のちゃんみーとは
違ってたのかなーって想像は、する。
めっちゃする。

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ちゃんみー|切なさが9割
ここだけの話、私には夢があります。 それは、飛行機や新幹線の機内冊子にエッセイを書くこと。 ひとの移動に、寄り添いたい願望。 憧れるなあ。