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なぜピアスを開けるのかの話


今回お借りした画像はブルースクリーン。
家にあったPCをつついて一人でネットサーフィンをするような子どもだった。
初めて操作して遊んだのは雪に埋まったころと同じ5〜6歳ごろで
家に誰も居なかったから1人で遊ぶのは苦ではなかった。
この頃のPCは負荷がかかるとすぐフリーズした。
タスクマネージャーを起動しても動かない焦りと
同じ音階で機械音が鳴り続けることの不快感が重なって
トラウマとなり今でもこれを見ると心臓がヒュンッとなる。
(ちなみにその後も懲りずにPCを触り負荷をかけ続ける)

ピアスをなぜ開けるのかの話を思い出した。
初めて開けたのは18歳頃でオーソドックスに両耳のロブだった。
ここまでは単なるお洒落だったが、
その後あたりから音楽をする上で莫大なストレスがかかり
発散目的でよく穴を開けるようになった。

これまでの人生ですっかり染み付いた「結果を為さなければ無価値である」という考えと
「人と競い合って評価を得る」環境がマッチしてしまい、
すっかり挫折を味わったわたしはここで死んだ。
更には技術が伴わない者は日々虐げられるのを見て
上手くなくては人権がなくなるのか...治外法権じゃないか...と思いながら音楽をしていた。

そのストレスからか、オーディションに落ちたり失敗したり等々
こころが大きく動くようなことがあると
これを忘れないように とお呪いの意味を込めてピアスを開けるようになった。
痛みがあると正しく罰せられたような気がしていた。

そうするうちに罰するために開けるようになった。
いつから目的が変わっているか分からないくらいすぐだった。
穴を開けるだけ開けて数日後に閉じようとどうでもよかった。
そんなように開けては閉じ、開けては閉じを繰り返しているうちに何が目的で開けているか分からなくなったので、主治医に聞いてみた。
「自傷癖はありませんが、限界まで落ち込んだり怒ったりするとピアスを開けようと思って穴が増えてきてしまいました。これは何を意味して何のために行っているか分かりますか」
「感情をそのまま出せる環境にいなかったから、自分は怒っているというのを痛みを通して理解しているんだと思いますよ」

そんなことをしなきゃ怒ったり落ち込んだりする自分を
認めることができないのもなんだか惨めでしょうもないなあと情けなくなって
帰宅したあとの深夜、またひとつ開けた。

山月記を読んで自分を見直さなければならないくらい
自尊心と自意識が肥大していて、人様の目から見るとものすごく
痛くて恥ずかしい人間なんだろうと思うけれども
客観視する集中力と想像力がある脳みそではないので
まだしばらく暴走し続けると思う。
次の通院でもまた量は増えると思う。わりと軽い感じで増やしてくれるから。

ちなみにニードルを買ったのは通販で、比較的安価で数十本一気に手に入るのでオススメ。
軟骨を開けると体がピアスを排除しようとして肉芽ができるのでディスクとシリコンチューブも併せて買っておくとよい。
あとADHDにクレジットカードを持たせてはならない。
自分のカードを不正利用されたような気分になる。
衝動的に買う上に金がなくなっているという実感がない。そして明細を見ても実際にいくら減っているのかのイメージがつかない。
とても20数年生きた人間とは思えないほど酷い生き様。

察しがいい方、付き合いが長い方は気付かれたと思うが
注意散漫になって話がとっ散らかっているし、
文章を書くことに飽き始めている。

わたしはいま目の前にある白湯を飲みたい。
飲みたいし、寝たい。けど吸いたいものもある。

どうにかこうにかこの文を終わらせたいが終わらせ方が分からない。

分からない の部分につられて頭の中でいぬのおまわりさんが流れ始めた。
ミクロなののちゃんが歌っている。
もう収拾がつかないのでこれで終わる。

これを読んだみなさんが幸せでありますように。

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