人生の余白とファーストコンタクトへの言及
最近になっても以前の記事【82種類の宇宙人】に気が向いた時に追加の文章を書いているのだが、そのときに思ったことがある。
以下の記事が【82種類の宇宙人】
それは科学技術の進歩と、デジタル化と、宇宙人との公式なファーストコンタクトのことだ。確かに自分は地球外知的生命体や遠くの銀河の文明に興味がある。いや、地球外の知的生命体との接触に興味を持つ人々は自分だけでなく世界中に無数といることだろう。しかし、実際にそれはいつ実現するのだろう。そのタイミングについて考えてみた。
仮に今日それが起きたとしよう。すると興味を持つ人、喜ぶ人、不安になる人など様々に反応する人が多くいることだろう。それは、その人達のその時の意識の状態によって変化するからだ。自分の場合は今日の時点で宇宙人がやってきても、へえーそうなんだ。ふ~ん、それで?という感想を持ちそうだ。まるで日本の港に豪華客船がやって来たという情報を受け取っても、へえーそうなの、と思うだけのように。もしくは、珍しい国の大統領が来日したんだって!と情報を受け取っても、そうなんだ~と思うだけなのと似ている。
自分にとっては今日という日がファーストコンタクトにふさわしい日ではない。そんなことより、自分の生活を気にすると思う。もしくは身近な人達のことを気遣うだろう。そして自分の時間を楽しむことに意識を向けるだろう。例えば、最近はいろいろと変化があって疲れていたとする。すると、宇宙人が正式に地球にやって来たんだってよと聞いても、そうなんだ~、へえ~、でも自分にはあまり関係ないな、それで生活の質が上がる訳でもないし、それで自分に幸福が訪れる訳でもないし、と思うだろう。
それよりも、今は自分が実際に生活している、経験している(してきた)出来事について考えたり、仕事以外の時間ではゆっくりと出来る時間を作りたい。そういう時間に小説を読んだりしたり。
なぜなら、科学技術の進歩やデジタル化も良いのだが、アナログな環境で人生の余白をゆっくりと味わう時間も欲しいのだ。むしろ今はそんなに科学技術やデジタル化に関心がない。そういった分野や地球外知的生命体については小説にも暗示的に落とし込むことができるし、むしろそうした方法で意識を拡大したり気づきを得たりするほうが心地良いかもしれない。
もしかしたら自分の意識はまだファーストコンタクトに対応できないのかもしれない。今それが起こっても、そっちに関心を向ける余裕もないから意識の中で自己防衛機能が働いて、それが無かったことにしてしまうかもしれない。つまりファーストコンタクトの情報は脳内をスルーしてしまう。
以前の記事のとおり、2013年にカナダの元国防相が宇宙人について暴露しているが、それが世界の人々にそれほどインパクトを与えずに広まらなかったのは、大多数の人々は意識の中でまだ準備ができていないからだろう。つまり、その情報はストレスになる、もしくは疲れてしまうのだろう。そんなことよりも実生活のほうが大変なのだ。あるいは、自身の生活に直接的な影響がないため無関心なのだ。
自分もその気持ちは分かる。今はそれよりも今生きている人生が変化したり、大変な思いをしたり、困ったりしている中で、そんな中でも人生に余白を持たせて楽しみたいと思っている。それはデジタル化が進んだことによる映像やゲーム、電子機器では充分には味わえないかもしれない。そうではなく、今まで自身が体験してきた人生に関連した内容を含む小説などの本が該当するのだろう。人生の深みを知り、追体験し、何がしかを味わう。そして、どのように働くか?ということを考える事でもある。つまり心の中の充実感を大切にしたいのだ。
娯楽や食についてもある程度は楽しみたい。やはり今生きている人生を楽しむことが自分にとっては大切なのだろう。
そう考えると、自分にとっての地球でのファーストコンタクトはいつ起きるのだろうか。いくつかのパターンが考えられる。以下に3つのパターンを挙げてみた。
・ゆっくりと時間をかけて日常生活を変化させ、人々の意識の中にも宇宙人の来訪の可能性を充分に浸透させる場合は60年後くらいか。その場合は、人々はいつもの日常を同じように過ごし、雰囲気としては穏やかである。しかし、何か物足りなく感じるかもしれない。季節ごとのお祭りを楽しみ、和気あいあいとしているが、革新的な発展が起きる可能性は小さい。穏やかな雰囲気で生活する反面、闇に潜む問題はなかなかクローズアップされることはないかもしれない。人と人による情による交流が大切にされて庶民レベルでは心から楽しめたり、人情が交流の潤滑剤としての役割を果たすが、反対に社会人の視点からみると人情や馴れ合いに傾き過ぎて汚職が発生しやすい。多くの問題は少しずつ時間をかけて解決していくことになるだろう。そして、ついに待ちに待ったファーストコンタクトが起こるという流れになるだろう。大きなストレスを受ける極端な社会の変化を避けたい場合は、これで良しと思う人達も大勢いるかもしれない。
・毎日少しずつ人々の意識を変えるような波動に地球が満ちて、急ではないが着実に何らかの変化が起きつつある社会で過ごす場合は、ファーストコンタクトは早くて15年後ぐらいだろうか。この場合は、変化が少し早いので人々はある程度の社会の変化に対するストレスの中で生きることになる。現状の社会はこちらの進捗具合に該当するのかもしれない。少し早い変化がそぐわなくなった場合は、前述の進捗具合に変更になる可能性も考えられる。社会の不正を無くすことや現状に合わない仕組みの修正や、霊性の高まりが起きるが、それらを強調し過ぎて暴走すると社会や人々にとってマイナスに働くことになる。一度立ち止まって、様々な人や世代が協力して大きな視点で進むべき方向性を俯瞰することも大事になってくる。
・急速に意識を高める機運に社会が満ちて、集合意識もそれに同意した場合、2~3年後というシナリオもあり得る。この場合は、潜在意識下に埋もれている社会や個人の様々な問題や膿が顕在意識に急浮上し、絶えず対処すべき問題が発生して毎日のように社会が混乱気味になる。また、自然災害なども多く発生するかもしれない。これを良しとするかどうかは個々の人々によって違ってくる。いろいろなことが明るみになってしまう事は大きなストレスを抱えることにもなる。なんでもかんでも明らかにしてしまうことが良いことだとは必ずしも言えない。早すぎる変化は人や社会にとってマイナスに働くこともあり、何かを破壊してしまうこともある。そこまでしても変化したいという動機、喜びを感じられなければ難しいかもしれない。
上記のようなパターンがある気がしている。
自分は、ちょっとここでひと休みしたいな。スピリチュアリティや地球外知的生命体に関心を持ちつつも、今はこれからの生活について考えたり、疲れた体を休めたりしたいな。一時的に深くこの現実世界に埋没しても良い気がしている。日々に忙殺されずに人生の余白を作って楽しみたい。もしくは忙殺される日があっても良いけれど現実レベルの意識で対応したい、そして現実レベルの周囲の人間関係で対応したい。そんなことを思っている今日この頃なのであった。