究極の旅 100万年前の世界 その2
今回は文字数が長くなってしまったので、見出しを作ってみました。
・前回からの続き
『四人は近づいてきて、晴れやかな笑顔で私たちの前に立ち止まった。完璧な状態に保たれた美しい身体をしている。どうやってコミュニケートしたらいいのだろう———この人たちは何語を話すのだろう、と思った。だいたい、私たちが見えるのだろうか?
男性のひとりが、一歩踏み出して頷いた。
「ああ、見えるとも、ロバート。それに、コミュニケーションは簡単さ。君の話す英語を使おう。OK?」
この「OK」にはギョッとした。何だかおかしい。この人は、どうして未来のアメリカのスラングなど知っているのだろう?
「君の心から吸収したのさ。造作もないことだよ」
そのとき私は、相手の唇が動いていないのに気づいた。その瞳がきらりと光った。私たちはお互いに笑いあった―――心の中で。私の見出したこの新しい友人は、心が読めて、こっちが考えたり感じたりすることの端々まで全部わかってしまうらしい。この時点から、会話はすべて心でなされた———テレパシーと言ってもいいが。
「ここは美しい所だね」と私は切り出した。
「気候はとても快適だよ。木の葉をきれいにしたり、植物に水をやったりするために、毎日午後には雷雨を起こすことにしているけれどね」
「雷を?」
「そうさ、でも、強さと落ちる場所は制御している。有機的な生命には、充電が不可欠なんだよ」
「じゃあ、風は・・・風もコントロールできるのかい?」
「風?もっと強くした方がいいかい?」
「いや、大丈夫・・・このままでいいんだ・・・」
彼はにっこり笑った。「何を食べているんだろう、って考えているね」
「君たちはみんな、栄養が足りて健康そうだから」
「健康?」
「病気や怪我や、そういったものがないってことだよ」
「奇妙な世界から来たんだな!君たちのところでは、そんなに肉体を維持するのが大変なの?」
「それこそ、我々の抱える大問題でね」
「気の毒に。私たちの歴史にも、何千年か前にはそういう問題があったという記録が残っているけれど」
「虫もいないのかい?ウイルスも?死んだり怪我したりっていうことはないのかい?」
「言いたいことはわかる。でも、虫もウイルスも我々と協調しているんだよ、ロバート。対立はないんだ。死ぬということについては・・・君の言う『死ぬ』ということを、我々は遠い昔にやめてしまったよ」
様々な考えや疑問が、頭の中にあふれかえった。その内のひとつが、表面に浮かび上がってきた。
「それじゃ、コントロールしなくちゃならないね、その・・・生殖を」
「ああ、そうだよ。それと、君の頭にあることに答えれば———我々だって、その儀式を楽しんだりするさ!」
「でも、子供はいないんだね・・・」
「子供はたくさんいるよ。会ってみたいかい?」
「できれば」
「じゃあ呼ぼう」
様々な口笛の音が、次々と頭の中に響きわたった。それは鳥の歌声のようで、ほとんど音楽といってもいいほどだった。木立の中から、大小様々な何種類かの動物たちが現れ、四人のところへ跳ねてきた。四人はその身体を撫でたり、たたいたりしてやった。猫に似ているものがいたし、小さなワニや大きなヘビのような爬虫類もいた。さらに猿のようなもの、他に、鹿のようだけれど長い尾とたてがみを持つものもいた。巨大な蜂が群れをなして一本の木から飛び出してきて急降下し、ふざけて攻撃するまねをしながら私たちの脇をすり抜けた。頭上では、色鮮やかな緑の大きな鳥が二羽、こちらを見下ろしながら輪を描いて飛びまわっている。小さな青い鳥が私の友人の肩に舞い降りてきて、耳にさえずりかけた。彼は私の方を向いて言った。
「我々の子供たちさ」
「私も動物の子らを、そんなふうに簡単に呼びよせられたらいいのになあ」
「音を覚えておけるだろう。練習すれば君にもできるよ」
「地球全体がこんな感じなのかい?つまり、動物たちのことだけど」
「この谷の中だけさ。他の場所は、君が本で読んで想像するのと変わらない。食物連鎖のことは知っているだろう?」
「知ってる。それじゃ、動物は死ぬんだね」
「ああ、自然の秩序だからね。この我々の子供たちもそうさ。バランスがとれているから、私たちもそれを妨げたりはしないんだ」
「それじゃ、君たちは何を食べているんだ?野菜かい?」
「食べるもの?見せようか」
友人が女性のひとりの方を見ると、その女性は花壇の区画に歩いていって、ただの黒い土としか見えないものをすくい上げた。そのひとすくいを持って戻ってくると、私たちの傍らに立った。突然、何が起ころうとしているのかわかった。
「あなたのお好きなトウモロコシはいかが。あなたがたがシルバークイーンと呼んでらっしゃるものですけど」
私は頷いた。女性は私をじっと見つめてから、片手に盛った土の上に、もう片方の掌をかぶせたが、その間も私を見つめ続けていた。心を読んでいるのだとわかった。少しして、掌を持ち上げてると、そこには青白い完璧なミニチュア版のトウモロコシがあった。それを私にさし出した。
「この人には食べられないよ」と、友人が言った。「今は、肉体を持っていないんだから」
女性は向きを変えて、それを小さな茶色の小鹿にほうってやったが、笑っているのが私の心に感じられた。小鹿は胡散くさそうにその食べ物をくんくんかいだ。それじゃ、この人たちも笑うんだ。ということは、感情があるんだな。
「我々も、君が思いつくかぎりのあらゆる感情を味わったことがあるよ、ロバート。感情は我々にとっても大切なものだけれど、その気にならないかぎり感情には支配されないようにしているんだ」
感謝の念があふれてきた。「私たちを受け入れ、暖かく迎えてくれてありがとう。とても有益だった。争いも、怒りも、競争もなくて・・・」
「競争はあるよ。ただ、それがゲームであることを忘れるほど没頭はしないだけさ」
私は、愛については尋ねなかった。その必要はなかった。四人から放射されているものが、充分その存在を証明していたからだ。しかし、興奮のいりまじった、かすかな悲しみのようなものも感じられた。
友人はまた微笑んだ。「君の訪問はちょうどいいタイミングだった。我々は、間もなく出発することになっているからね。この谷や子供たちと離れてやっていくのに、慣れなくてはならないんだ」
「出発?どうして?」
「百年近く前に『信号』を受け取ったんだ。何千年も待ち受けていたんだれど、ついにその時が来たというわけさ」
「わからないな」
「思い出せない、と言った方が近いね。きっと思い出せるさ、君たちの時が来ればね。私たちは、自分の住むこの物質的世界の変化のパターンをすべて経験し、知りつくした。星々にも行ってきたよ、君が今しているのと同じ方法でね。だけど、ここにないものは何ひとつ見つからなかった。真に新しいものは何も、ね」
「わかるような気がするよ。君たちは、それ以上の何かがあることを知って・・・」
「そういう言い方もできるね。別の言い方をすれば・・・好奇心・・・そう、好奇心だよ」
「そうか!それなら私にも起こったことだよ。でも、君たちは全員で去って行くの?」
「誰かをおいて行きたいなんて思うはずがあるかい?自分の手や、指一本でも、おいて行きたいなんて?」
「しかし、どこへ行くんだい?」
「『信号』が導いてくれるさ」
「その『信号』っていうのは何なんだ?説明してもらえるかい?」
「あらかじめ取り決めてあった信号なんだよ」
「誰との取り決めだい?それとも、何と?」
「先に行った仲間と、さ。先に行った者はみな、我々が後を追っていくべき時がきたら、特別な『信号』を送ってくれることになっていたんだ。長くかかったけれど、そのうちのひとりが、とうとう送ってきたというわけさ」
「その人は・・・君たちは・・・探検家みたいに、征服すべき新世界を探し求めているんだね」
「征服するためじゃないよ、ロバート。そこへ行って理解するためだよ」
「どこへ行ったらいいのか、どうしてわかるんだい」質問が次から次へと湧いてくる。
「ただ『信号』を追っていくだけだよ」
「今も、それを受けているのかい?」
「ああ、そうさ。初めて受けた時から今まで、途切れずに続いているよ」
「どうして私には感じられないんだろう?」
「わからないね。おそらく君たちは、違うふうに調整されているんだろう」
「出発まで、ずいぶんかかっているんだね。なぜなんだい?」
「動物の子らを訓練して、私たちがいなくてもやっていけるように訓練しなくてはならなかったからね。今やそれも終わって、それぞれに別れを告げる段階にきている。子供たちを連れて行くことはできないし、実際連れては行かないからね」
私はいとまを告げるべき時が来たことを知った。
「ここに来られてよかった。なぜかわからないけど、また会えるような気がするよ」
「また会えるとも。もっと話してあげることもできるけれど・・・でもそれでは、君たちのよく言うように『楽しみがぶちこわし』ってことになるからね」
私が手を振って別れを告げ、草地から舞い上がると、四人も手を振ってくれた。付き添いのインスペックは見あたらなかったが、少なくとも帰りの道はわかっていた。徐々にフェーズを移動して、闇の中に溶け込んでいく。すると、傍らにインスペックの輝く姿があった。』
・読んだ感想
以上、「100万年前の世界」の抜粋はここまでです。
いかがでしたでしょうか?私の別記事でブルースモーエンをシリーズで取り上げておりますので、既にお読みの方は大きな抵抗はないでしょう。こういった体外離脱体験の話が初めての方は信じられないかもしれませんね。しかし「究極の旅」の訳者あとがきで翻訳者の塩﨑麻彩子さんは次のように述べています。「本書の魅力は、多様な読み方を許容する点にあるといってもよかろう。究極の知識の探究などというのは大げさすぎると思われる方は、想像力を刺激してくれるファンタジーとして本書を楽しむこともできるはずだ」
そういえば、映画「タイムマシン(2002年作)」の80万年後の世界も原始的な文明でした。私たちの遠い未来には再度、原始的な文明が栄えているかもしれませんね。
それにしても、100万年前に私たちとは違う人類がいたのでしょうか?その時期は科学的には私たちの祖先といわれている原人が暮らしていた頃です。アヌンナキに原人が遺伝子操作された時期よりももっと古い時代ですよね。でも、私は可能性はあるなと思います。地球で自然に進化したのか、他の宇宙人により種を蒔かれたのかは分かりませんが、世界全体で200万人という小規模な文明が栄えた可能性はあります。あまりにも遠い昔の時代で、なおかつ現代と比較すると原始的な文明がゆえに遺跡などは残っていないのだと思います。その代わりに彼等には現在の私達が発揮できていない未知なる力を自然に使っておりました。動物や虫達とテレパシーで交流したり、思考の力で土から野菜を出現させたり。そして抜粋文の最後にあるように彼らは全員で旅立つのです。これがいわゆるアセンションだと思います。次元上昇したので肉体ごと消えてしまったのだと推測されます。そのため彼らの骨なども現在の地球には残っていないのではないでしょうか。もしくは死によってこの世を離れたのだとすると、悠久の時の中で既に土の中で分解されてしまったのかも。
さて、そのような能力は現在の私達には扱えません。なぜなら45~50万年前?に宇宙からやって来たアヌンナキが私たちの祖先の遺伝子を操作したため、その能力が封じられてしまったようなのです。ですので今では未活用の遺伝子として螺旋の中に存在しているようです。
ただし、アモラ・クアン・イン著の「人類と惑星の物語」によれば、およそ15万年前に太陽系にあったマルデックが爆発して、その魂たちが地球へコクーンとして運ばれてきました。彼らの魂は地球のイルカ達によって看護され特定の動物達との融合を経てプレアデスの志願者達の子供として地球上で誕生しました。それ以降、プレアデスをはじめ、オリオン、アルクトゥルス、シリウス、リラ、アンドロメダ、天の川銀河の別の領域、4次元にとどまっていた地球の妖精、さそり座、ペガサス銀河、二ビル、はるか遠方の銀河などなど、さまざまな宇宙起源の魂が地球に転生しているようなので、私たちの魂の起源は複雑なようです。また、転生ではなく物理的に他の惑星出身者が人間と交配して子供を生ませた可能性もあります。そのため私達の遺伝子はアヌンナキ以外の複数の宇宙人の遺伝子からも影響を受けていることが考えられます。しかも、太陽系由来の魂達は金星、火星、マルデックと続く太陽系の星々での生活を経験しております。いったい私達の遺伝子には今でも未知なる能力が潜んでいるのでしょうか。
・人類と惑星の物語
さらに、アヌンナキの名前も、アモラ・クアン・インの名前も出て来たので、「人類と惑星の物語」から次の個所を引用しました。
『金星、火星、マルデック、地球の歴史というタペストリーに織り込まれたすべてが、新たに希望、理解、ゆるし、愛、恩寵、叡智、超越という「光の時代」のタペストリーのために必要な織り糸となるのです。そのタペストリーは集合的に織りあげられるでしょう。つまり私が自分自身の9つの次元の記憶を、あなたがあなた自身の記憶を織り込んで、すべてのめざめた人々が各自の記憶を織り込むことにより、私たちの豊かな色彩や体験、音色、香味、舌触り、パターンに満たされた栄えある共同創造を体験するのです。
私たちのめいめいが自分自身のなかできわめて重要な全体であり、それと同時に私たちは相互に依存しあっています。それが「聖なる計画」の美しさなのです。それは「すべてあるいはゼロ」計画であり、私たち自身がそれを共同創造したのです。私たちはついに完了地点にさしかかっています。そこでは完全なる統合、すべての生命の神聖さと自由意思の尊重、日常生活における完全無欠さ、そしてカルマのパターンの浄化が効き目を表すのです。
次の表(※ここでは紹介しない)では、このタペストリーの織り手全員のおもな起源があげられています。この表に目を通すときには、たとえそれがアヌンナキであってもプレアデスの「光の存在」であっても、その人に判断をくだしたいという誘惑に屈しないでください。そして全員がこの荘厳なタペストリーの織り手だということを認識し、あなたの愛を送ってあげましょう。彼らが聖なる共同創造者として責任を負うことができるのをあなたは信頼している、というメッセージを発信するのです。あなたの判断を手放してゆるしを送ってあげてください。そしてまず最初に、あなたがいつも彼らを判断してきたことをゆるしてほしいと願うことです。
ポジティブな思考や感情を世界にむけて発信することを選択し、あらゆる破壊的な影響から自分自身を解放してください。そして「光の時代」のタペストリーがどのように織られているかに注目してください。競争や嫉妬から自由になってお互いの成功を祝福しあい、遠慮せずにお互いの魂とスピリットの美しさに驚嘆しあいましょう。そしてこれらの古代の記録によって自由になれることを自分にゆるして、どうか「ここ」から「あそこ」へといたる残りのステップを信頼と喜びのなかで享受してください。』
・気になった5つの点
「人類と惑星の物語」は、今回の「究極の旅」とは直接の関係はありませんが、一部の太古の歴史として紹介しました。
ロバートが訪問した100万年前の人達は私たちから見ると原始的な世界に生きているようですが、その文明は既に完結点、つまりアセンション目前の状態だったようです。そのような精神性が発達した文明でしたが、私が個人的に気になった個所があります。また関連して紹介したアモラの文章でも一か所気になりました。それは太字にした以下の点です。
①【君の望むような完全なかたちでは、無理だろうな】(その1の太字の個所)
②【感情は我々にとっても大切なものだけれど、その気にならないかぎり感情には支配されないようにしている】
③【我々だって、その儀式を楽しんだりする】
④【それは「すべてあるいはゼロ」計画】(その2の太字の「私たちのめいめいが~」の下の個所)
⑤【私たちのめいめいが自分自身のなかできわめて重要な全体であり、それと同時に私たちは相互に依存しあっています】
①【君の望むような完全なかたちでは、無理だろうな】
これはたぶん今日の私たちが科学的に証明する手法を使って、地球の真の構造を発見するのは無理だと言っているのではないでしょうか。なんらかの非物質状態で探索するしかない。つまり、精神の世界を発達させる必要があるという意味でしょうか。ただし、私は現在の地球は太陽系はもとより、他の惑星でも類をみない多様な人種が存在し、人口も60億というとてつもない人数が存在しております。また、さまざまな銀河文明が地球に関与したと思われます。そのような規模の惑星がどのように進化していくのかと宇宙から注目を集める、壮大な実験場のような星になっている地球にとって、過去の地球の文明や太陽系の他の惑星での体験は、あまり参考にならないかもしれません。もしかしたら科学的に発見するかもしれませんしね。さまざまな銀河のるつぼになっている地球にはあらゆる可能性があります。今回の記事の太字「おそらく君たちは、違うふうに調整されている」にも関連しておりますね。
②【感情は我々にとっても大切なものだけれど、その気にならないかぎり感情には支配されないようにしている】
言うは易し。最終的にはそうなのだと分かるのですが、現在は人によって違うと思いますね。過去に感情を抑圧していたので現在は感情を解放しつつある人、逆に感情に振り回されていたのでコントロールしつつある人。一概にはこうしたほうが良いとは言えない気がします。人それぞれのタイミングで感情というセンサーを活かしていきたいですね。健康的に。
③【我々だって、その儀式を楽しんだりする】
つまり男女の性行為は儀式として楽しむとのこと。その儀式の具体的な意味は分かりません。楽しむという行為の単なる比喩かもしれませんが、もしも何かの儀式の時にしか性行為が行われないのだとしたら、そんな世界なんて嫌だなぁと思います。さらに人類が意図的に性欲を無くして肉体的な性行為が気軽に楽しめなくなった世界はつまらない。もちろん、必要ない人もいるだろうし、時期によって回数が増えたり減ったり、全く無かったりする人もいると思います。でも自分はその行為が全く無くなってしまう世界には行きたくないですね。少なくとも現時点では。だから、次の生に転生する時が来たとしても自分はまた男女のいる人間世界に生まれたいと思います。肉体的に性行為を楽しみたい。自分は来世以降も女性と結婚、もしくは結婚しなくても付き合っていきたいなぁ。男女の関係を楽しみたい(笑)。また地球のどこかの時代に生まれているんだろうな。だから、性行為が無くなってしまう世界にアセンションしてしまう人達とは一緒に行けないな。お笑い芸人の真似をして表現すると、ごめんねごめんね~って感じだ(笑)。
④【それは「すべてあるいはゼロ」計画】
この意味するところが、地球上の人類全員がアセンションするか、全員が無理ならばアセンションはおきないという意味ならば、それは本当なのだろうかと思ってしまいます。100万年前の200万人の集落の規模くらいなら話は別ですが、こんなに多くの人種と人口が地球にはいるのに、そのアセンションのタイミングが全員一致するのでしょうか。それとも、小規模なグループごとに徐々にアセンションするのでしょうか。いずれにしてもだいぶ先の話になりそうです。
⑤【私たちのめいめいが自分自身のなかできわめて重要な全体であり、それと同時に私たちは相互に依存しあっています】
その通りなのだと思うのですが、無理に意識してお互いに協調しあう風潮は嫌ですね。無理してつながり合いたくない。つまり群れるのは好きではない。自分なりのやり方で協調するのが一番ですね。
それではまた。see you.
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