里帰り出産
いきなり妊婦であることを公言してから時は経ち、じろうが誕生。男の子2人の母になりました。
たろうの時は、日本で出産する予定でいながら、急遽だんなの転職の都合でアメリカで産むことになったため、むしろ日本での様子がわからず。そのため、海外での妊娠・出産自体に心配はなかったし、せっかくだからアフリカで産んでみるのもあり?かなと思ったものの、やはり何かあったときのことを考えるとなかなか現地の医療水準に不安があり躊躇。
では、日本で産むかという案もあったけれども、私の実家は長野のため、無痛分娩を取り扱っている産院がない。
時代は2023年。たろうも無痛分娩だったので、もちろん無痛分娩希望。
痛くないと母性が生まれないなんて、そんなの真っ赤な嘘。少子化対策の一環として、無痛分娩を流行らせて、手当もつけたら良いと思う。こればかりは男性にできない仕事なので、女性の選択肢を増やすべきだというのが私の勝手な持論ですが、そういうわけで日本に帰るという案はあっさり却下。
ということで、だんなの実家にお世話になることに。いざミシガンに!
妊婦が国際便に乗れるのは、航空会社によりけりだけれども、だいたい34週くらいまで。ヨーロッパの会社だと、もう少し早かったり、医者のレターが必要だったりする印象。
当初は34週での移動を考えていたけれども、検診でBabyが少し小さめだということで、予定を早めて32週で渡航。
今回の旅程は、プライア→リズボン(4時間昼便)、リズボンで1泊、リズボン→ボストン(デルタ、8時間昼便)、ボストン→デトロイト(2時間)、デトロイト→グランド・ラピッズ(車移動3時間)。
1歳8ヶ月のたろうを連れ、昼便での8時間移動はしんどいかなと考えていたところ、たろう、リズボン空港でまさかの嘔吐。体調が悪くなってしまったようで、飛行機内でもずっと寝ておりました。
本人にはとても申し訳なかったけれど、これまでで一番ラクな飛行機移動だった。(リズボンでの1泊があったから、わたしの着替えも余分に持っていてよかった。)
悪夢だったのは、ボストン空港での乗り換え。乗り換え時間が1時間半しかないし、国際線でアメリカに入国しているので、スーツケースを一度引き取って、預け直さなくてはいけない。(アメリカのこの無意味なルール、本当にやめてほしい。)今回は、スーツケース4つとたろう。当然遅延も生じ、空港内を全速で駆け抜ける羽目に。
相当お腹もでかい妊婦(妊娠32週です←)が、ベビーカー押しながら全力疾走する姿をどれだけ多くのかわいそうな目で見られたことか。苦笑
アフリカ生活の大きな欠点は、外に出たい時にどこにいくにもとにかく時間がかかること。地理的に遠いことはもちろんだけれども、基本的に飛行機のスケジュールは大都市を中心に組まれているので、トランジットが異常に多く発生したり、時間が異常に長かったり短かったり。
ただでさえ子連れで移動がネックになっているところ、なかなか自分たちが思うように旅程を組めず、苦しい。
けれども、全ては無痛分娩のため!そして、幸いにも機内でしっかり寝たことで体調は改善していてきたものの、早く家に着いてたろうを休ませてあげたいところ。
とにかく汗だくになりながら走り、なんとか搭乗できた。というか、最後はだんながたろうを抱えて走って先にゲートに辿り着き、私は大量の荷物をベビーカーに乗せ、たろうの牛乳やらなんやらの液体物の検査をうけてから走るというチームワーク。こういう時に限って、検査をする人がだらだら仕事をしていて本当に腹がたつ。
「あと1分遅かったらダメだったと思う。よく走ったね」とだんなからのお褒めの言葉。
高校の体育の授業で諏訪湖マラソンとそのための山走というのがあったけれど、きっとこの日のためにあったのだと思う。つくづく自分の根性に驚く。
そんなこんなで無事にミシガンに辿り着き、素敵な夏を過ごすことができました。
ミシガンの夏は、気候が最高だし、とにかく果物が美味しい。
出産もあっさりと終わり、生まれた翌日にはじろうと退院。
というわけで、家族4人にパワーアップし、これからも海外生活は続きます。
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