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ストロベリーリングみたいな幼少期って何だよそれ

小さい頃、ミスタードーナツは水曜日の象徴だった。
まだ「この笑顔100円」のCMが流れるような、物価高のあおりなど受けていないおめでたい時分。
自分の背丈くらいの、もしくはそれより大きいショーケースと、なんとも甘い空気が流れる暖色系のライトの店内を、幼稚園の帰りに母に連れていってもらった、水曜日。
おそらく水曜日だと安くなるみたいなやつだ。


決まって私はストロベリーリングを頼んだ。
それ以外に選択肢はないともいわんばかりに。あのぶショーケースの中を、ストロベリーリングは残っているかと見つけ、いつものようにストロベリーリングを選ぶ。
ぽてっとしたフォルムと、可愛らしい桃色に濃いピンクの苺を模した粒粒が入っているビジュアル、甘い匂いとイチゴ味のチョコがかかっている姿は、プリキュアのツインテールキャラにあこがれるような幼心をくすぐる。まさしくストロベリーリング一択だ。と思ったがDポップもそういえば買ってた。
ストロベリーリングは、私の幼少期を形成するに欠かせないアイテムだった。家の中でも姉は水色、私はピンクと自然と担当カラーが決まり、身の回りのものはその色で決まるようになった。その一環で、私は「ストロベリーリング」だった。
翌朝に食べようと思っていたストロベリーリングが夜に父に食べられたのを知って泣きじやくり、平日の早朝に父に出勤前に買いに行かせたことがあった。それくらいそこには驚異的な執着があった。幼心に父には忙しい中買いに行かせてごめんと思ったが、同時にストロベリーリンクを食べたのが悪い、と思うような気持ちもあり、正直こわい。そこまでの執着があるともうそれはメンへラだ。同時に当時メンヘラという言葉は私の脳にも世の中にもここまでなかったんじゃないかと思うと、正直こわい。
でもある日から、ストロベリーリングを買わなくなった。


小学生にあがるころ、ランドセルは水色を選んでいた。まだ今ほど色々な種類のランドセルが出ていなかった時分、水色のランドセルは割とマイノリティーだった。同じ学年にもう一人しかいなかった。
はっきりと認知はしていなかったが、ピンクへの罪悪感、というか大多数がこうするから、と言うふうに何かを選ぶことへの気味悪さをうすら抱くようになったのである。
女の子に分類される人たちがピンクを好み選ぶ。女子トイレの色は赤色と相場が決まっている。当時小学校はまだ男は黒色、女は赤色のランドセルのイメージが根強く残っていたように思う。

(去年ランドセル会社の出したCMで親が喜ぶ色と自分が喜ぶ色を小学生頃の子どもが選ぶ広告があった。前者の色と後者の色が異なること、保護者は前者の傾向に近い色を選ぶと事前に予測していたことから、個人を尊重しようというメッセージを訴えかけ話題になっていた。しかし男児が比較的女児向けの色を選んだことに対し この子を尊重しなきゃ のような議論がコメント欄でされていたのをかなりグロテスクに感じたことを思い出した。その考えの根本自体にジェンダーバイアスが根強いのを感じてしまって、少し、怖さをおぼえた)

当然私もランドセル選びの時には「赤のランドセルよね?」と母親から言われた。
姉は赤いランドセルを背負っていた(姉がランドセル選びをする時には水色のランドセルはなかったと言っていた)。
しかしなんか、簡単に言えば逆張り、抽象的に言えばトレンドへの疲れを感じてしまい
当時は珍しい水色のランドセルを選んだ。
母親は何度もピンクの前に連れて行かれたが、それでも水色にした。
何度も水色のランドセルの前に行き欲しいと言う私を母親が「6年間使うんだよ!?」となだめるが、デパートについてきていた祖母が「欲しいって言うんだからそれでいいじゃない」と言った。そんなに水色のランドセルは当時異例だった。のだろうか。クラスにもう一人いたんだけどな。

大勢の児童の中でも当時は目立ったので、いい目印になったのではと思う一方で、幼心に自分の意思で選んでやったぞ、そして姉の色とされていた水色の領域に踏み出せたということに清々しさを感じた。
こんな感じだったから、正直心の底から私は水色が良かったのかと言うとそうではなく、当時にできた精一杯の反抗をしたかっただけなのだと思う。かわいい一方で残酷で短絡的。


そんなわけでストロベリーリングも例外ではなく小学生からスタメン落ちした。ピンクだから、というか、最初はピンクだからと言う理由だったが、正直ストロベリーリング以外のドーナツもミスタードーナツは美味しいことを知った。
そこからゴールデンチョコレートかココナッツチョコレートが私のスタメンとなり、ストロベリーを食べる機会はめっきり減った。というか、何度だって言うがストロベリーリング以外のドーナツもかなり美味しいのだ。ビジュアル面で考えるとゴールデンもココナッツもだいぶゴテゴテした強面選手だが、しっかりとしたチョコレート生地のドーナツの周りにびっしりとついた小気味良いやつらが甘さを口の中いっぱいに広がらせるあざとさを持っている。
ストロベリーとゴールデン・ココナッツたちを比較するとだいぶビジュアル面の移行と若干の幼いながらのイキリを感じざるを得ないが、前提条件としてあいつらは土俵が違う美味しさを持っている。まずドーナツ生地が違うじゃないか。食感だって違う。表層に騙されるな。とりあえず一回食え。



先週ミスドに行く機会があった。
というか引っ越してからも月一回程度でミスドには行く。
ギフトでいただいたラインのミスド1000円分クーポンを使うとなると、一度に5個は買える(昔であれば7個は行けたであろうに…)
期間限定のいもドシリーズとハロウィンものと、おそらく小学生ぶりくらいにストロベリーリングを買った。そのときふと、久しぶりにあのストロベリーリングに纏わる、ストロベリーリングの変を思い出した。

家に帰り1番にストロベリーリングを食べた。
美味しかったし、脳裏には幼少期の父親の顔が浮かび申し訳なさもひとしおあったが、
何より久しぶりに手にするこのフォルムのかわいらしさにときめきを覚えてしまった。

ピンク色も水色もみんなかわいくて、ストロベリーリングもゴールデンチョコレートも美味しい。選びたいときにショーウィンドウかは選べるような、そんなミスドのように世の中の往々としたことはうまく行かない。

ランドセルは高級品だから3年目に飽きても変えるなんて余程の使い古しじゃないとできないだろうし、
社会では身体的性別や外見から判断したラベルシールがついてまわる。
若い女性、とか、あまりに言葉として軽すぎないか。言葉の中に錘がない。もうちょい中身を説明しようとゴールデンチョコレートくらい頑張れよ。いやそれを言うとゴールデンチョコレートももう少し頑張れ。正味あのゴールドを担当している周りの黄色いゴツゴツ、何なんだ。あれって何味なんだ。それを知らずに好きとかほざいているのも何なんだ。

とりあえずピンクも水色も可愛いし、ゴールデンチョコレートもココナッツチョコレートもストロベリーリングもおいしい。
それで良いなあと思いたいし思える世の中でいたいし、ゴールデンチョコレートのゴールデンと周りのつぶつぶは何なのかを拘る煩いヤツ、くらいが丁度良いと思う。


今度父親に会いにいくときは、何も言わずにストロベリーリングを買っていこう

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