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幡野広志さんの写真展に行ってきました
twitterで糸井重里さんをフォローしているのですが、ある時、糸井さんがリツイートした記事で幡野広志さんを知りました。
幡野さんは写真家で、可愛い男の子のお父さん、そして余命宣告をされたガン患者。
また、猟師でもある。
そんな幡野さんに心を掴まれたのが「最後の狩猟」というブログ。
私の全く知らない世界がそこに写真付きで展開されていました。
初めに感じたのは、動物への憐れみ。
雪の上で鮮血を放つ動物は、私に痛みの感情を呼び起こした。
だけど、そこにあるカラリとした文章に、だんだんその痛みが和らいでいきました。
だいたい、そんな動物の肉を日々いただいて生きている私が、その放たれた血に痛みを覚えるなんて矛盾してる…とも思ったり。
むしろ、これが命をいただく、という摂理なんだって人は知らずに生活してしまうから、今の世の中のような、欲を満たすことのみに執着する世界を展開してしまったのかな。
この血の色を目に焼き付けて、そこに今一瞬前まで動いていた命が肉になる様をきちんと記憶したなら、この国の、こんな命を無駄にするような食糧事情に誰しも疑問を持つんじゃないのかな。
そんなことを考えました。
その後twitterで、幡野さんに対するヴィーガンの人からの乱暴なコメントも目にしましたが、ヴィーガンの人達が幡野さんを目の敵にするのは絶対に違う。
ヴィーガンの人達が向けた言葉は、肉を食べる世界中の全ての生き物に向けられるべきだし、向けたところで正当だとは思わない。
彼らが動物の命を守るために肉を一切食べないとしたら、その心がけは食べられる立場にある動物からすれば感謝と敬意であるかもしれないけど、肉を食べるその他の生き物に強要すべきものではない。
そんなことを度々考えていたから、幡野さんが「いただきます、ごちそうさま」という写真展をなさると知り行ってみたい気持ちが溢れました。
いざ写真展へ…
開催期間が延長されたと知り、早速GW真っ只中に、写真展に行くことに決めました。
私は山梨の田舎に住んでいる上、ひどい方向音痴ですから、東京の日本橋のギャラリーへは着かないんじゃないかと心配でしたが、何とか迷子になりながら行き当たりました。
そこで、目にしたのは思っていたのとは違う、清々しい写真たち。
もっとドロドロした、肉食に罪悪を感じるものなのかと思ったけど、全然そんなことはなく、むしろ淡々と事実をそれ以上でも以下でもない真実として伝えてくれる写真。
冷静な目がありのままの光景を伝えてくれていることを感じました。
ヴィーガンの人が見たらいい。
これを見たから、私は余計に命をいただく動物に対して感謝を感じることが出来たし、これから先、どうしたら今のこの国のような無駄な犠牲を少しでも減らしていくことが出来るのか、考えるきっかけを与えていただいたと思える。
命は美しい。
だから、大切にする必要がある。
生けるもの、すべて。
潔さがありました。
太古から続く、命の営みがありました。
獣から滴る、輝く川の水の雫に、美しさを感じました。
奥底に、深い感謝と敬意を感じました。
幡野さんに、ありがとうを伝えたいと思いました。
…その、幡野さんは入院されたと聞き、心配になりました。
いつか、お会いできるといいな。
会わなくとも、一方的に見させていただきます。
ありがとうございました。
長い長い駄文、お付き合いくださった方にも感謝!!!
幡野広志さんnote…https://note.mu/hatanohiroshi
ブログ「最後の狩猟」…https://blogs.yahoo.co.jp/hiroshi_hatano1983/18815923.html?__ysp=5pyA5b6M44Gu54up54yf