They are (Talking about "toki")
In Australia
Hello.
オーストラリアに来ている。
高校3年の夏休みを利用して1人旅をした以来の
渡豪。約8年ぶり。時の流れは無情なまでに早い。
今回は友人の旅に同行している。約3週間、彼らが育てた三菱のバンに乗り込み、一緒に進む。
3週間の滞在では、
旅という言葉を借りるにはあまりにも浅い。
若干長めの観光というのがちょうどいいが、
彼らは旅をしている。
だから今回は、
ぼくも彼らと同じ言葉を使おうと思う。
3週間のオーストラリア旅だ。
About "toki"
彼らは今、
tokiというプロジェクトを進めている。
彼らが旅をする中で出会った面白い生活様式や、文化的しきたり、農法、猟法、それらに関わる人々や価値観にフォーカスし、メディア化するものである。
ただ彼らは、
インタビュアーとして各地に取材するわけではない。名刺も、ボイスレコーダーも無いし、事前に準備した質問リストなども無い。
あくまで軸は自分たちの旅にあり、
その中で出逢い、一緒に生活し、コミュニケーションをとり、時間をかけて築く。
そこには戦略性はなく、ただただ彼らは、
リスペクトを持ちながら相手を知り、
自分たちのことも話す。
フラットな関係性の中で
対話し、言葉を拾い上げ、日記に落とす。
ぼくは今回、完全なるノープランで着陸した。
タスマニア空港から彼らの滞在する拠点、
MUD STONEに移動するバンの中でtokiの話を聴いた。
彼らが創ろうとしているtokiの話を、
「彼ら」にフォーカスを当てながら
『They are (Talking about "toki")』
と題して記録を残そうと決めた。
Prologue
3月。
大賀に久しぶりに電話をかけた。
「4月中旬から5月頭にかけてそっち行こうと思うんだけどどう?」
大賀は高校からの友達で、結構深い。
いわゆるマイメンである。
我々は5年制の高専と呼ばれるエンジニア校にいて彼は高3の途中くらいで
「アメリカ行くわ!」
と言い放ち、自らの最終学歴を中学で止め、
どこかに行った。
確かぼくが部活後にダッシュでチャリを漕ぎ、
電車で移動して門限ギリギリまで働き、
初めて自分で貯めた30万弱を全て使って、
オーストラリアに滞在したその年の話だったと思う。
それから約8年の間、彼は2回帰国している。
1回目は高3の渡米の1年後、
初めてのカリフォルニア生活を終えて
帰国した彼は、
当時高専5年(大学2年の年)の
ぼくらがつくっていた高専祭という、
いわゆる大学の文化祭的なノリの催しの運営にジョインした。
大賀をメンバーに入れるにあたって、先生らはかなり眉間に皺を寄せていたが、中退生は実行委員のメンバーに入れてはいけないというルールはどこにも明記されていないからそっちがおかしい。
みたいなことを言って無理やり突破した記憶がある。無茶苦茶である。
高専祭は無事成功を収め、
映像チームのリーダーを務めた彼は高専祭の様子をまとめたショートムービーをつくった。
ーーー✂︎ーーー
その後すぐ、
僕たちはBECK COFFEE LOUNGEの前進となるCAFE AOIというカフェをつくった。
メニューに値段が無いカフェで、
店の出口に置かれた小さなボックスにお金を入れてもらうシステムだった。1000円でも10円でもいいよというものだ。
利益分は全額、東日本大震災の被災地(と、当時震災が起きた北海道、そして当時大規模なブッシュファイヤーが起こったオーストラリア)に送られるというプロジェクトだった。
約半年ほどの日本滞在の中で
CAFE AOIの施工から運営に関わった彼は
今度はオーストラリアに飛んだ。
ファームで働きながらサーフィンをし、
仲間と対話する生活が続いたそうだ。
ーーー✂︎ーーー
2回目の帰国はそれから3年後。
コロナによる帰国だ。
お互いテキストでのコミュニケーションが破壊的なまでに苦手であるため、互いの3年間の話は彼が帰ってきてからまとめてした。
過去の話と、今考えていることを共有した。
ぼくは卒業後に大手コーヒーチェーンに就職していた。BECKという新しいブランドをつくろうとしていることを話した。
コーヒーをコミュニケーションツールとした箱型のコンテンツをつくり、クリエイティブ事業と並行させたいと話した。
同時に、
目に映る環境課題に対して何かしたいんだけど、まだ分かってないし見えてなさすぎる。
みたいなことを話した。
当時大企業で働いていたぼくは、
お飾り程度に取り扱われるSDGsという言葉と、その本質からズレまくったアウトプットをするでかい組織に対して嫌気がさしており、
どいつもこいつもしょーもなさすぎる。
みたいなことも話した。
彼は彼で、実家のいちご農園がカフェ事業をしようとしていて、日本にいる間手伝おうと思っている。という話をしてくれた。
それで我々は、プロジェクト0として
彼の両親を頼まれてもいないのにサポートした。実際サポートになったかは分からないが、
こうしてできたのがTSUMUGI Cafeだ。
そしてそれが完成すると、
大賀はオペレーション構築をするために母と一緒に週末はお店をまわし、平日は僕のお店の改装を手伝った。
こうして出来上がったのが我々のプロジェクト1となるBECK COFFEE LOUNGEである。
BECK COFFEE LOUNGEも、
TSUMUGIのオープンから半年遅れて無事スタートを切り、コロナの第何波と呼ばれていたか忘れたがヤツらがやや収束したタイミングを見計らい、再び渡豪した。
これが一昨年の8月ごろ。
ということで彼とは2年弱ぶりの再会である。
話を戻すと、
ぼくが3月頭に電話したとき、大賀はこう言った。
「慎悟、もし今来れるんやったら今がおもしろいかも。」
大賀とはそれなりに長い関係になってきているのもあって、ぼくはは彼に絶大な信頼を置いている。
ということで理由とかはあまり聞かず、
直近の予定をずらせるだけずらしてフライトを変更した。
ーーー✂︎ーーー
ちなみに「フライトを変更した」というのはどういうことか軽く説明すると、
ぼくは去年9月末から、オーストラリアに1年間滞在する予定で全てのスケジュールを調整していた。
ワーキングホリデー(ワーホリ)という
海外滞在期間中に就労も認めらるビザがあり、
それと、航空券の手配をしていた。
大賀もこのワーホリという制度を利用し
ポイントポイントで働き、
資金調達をしながら旅をしている。
長くなってしまうので
なんでワーホリで行こうとしてたかは
一旦置いておくことにする。
とりあえずビザとチケットは半年ほど前から
すでに入手したのだが、色々重なって出国が延びてしまい、その間に1年ではなく単発で行くプランに切り替えていた。
ーーー✂︎ーーー
今回の旅の前、目的はどうしようと思った。
せっかく彼らの旅に同行するわけだし、ただ一緒に遊んで過ごすだけでなく、きちんと記録を残そうと思った。
文字として残すのか、動画か、写真か、音か、その判断は彼らと会ってからにしようと思い、どのパターンでも対応できるようにいくつかの機材をバッグに詰め込んだ。
iPhoneで撮影した写真は全てモノクロで記録した。特に大きな意味はないが、携帯での撮影は一番クイックで、一番ライブ感が出しやすいなと思っている。
ぼくはモノクロの写真が好きで、その理由は今まで、なんとなく。だったが、ぼくは肌や目や耳、五感で感じとる空気感、つまりライブ感がものすごく好きで、そういう写真はモノクロにしていることが多いなと気づいた。
写真から色彩の情報を減らすことで、その時の湿度とか、風とか、会話とか、服とか、匂いとかを思い出せる余白を作って、脳みその中に残しておきたいのかもなと分析してみた。
いい写真が多い。
今回の記録はカラー写真とモノクロ写真が混在することになる。次の写真からは全て旅中に撮影したものになる。
PENTAXは現地の
OPSHOPと呼ばれるリサイクルショップで
発見し購入。
フィルム2本もシドニーのイケてるおっちゃんがやっている現像屋さんオリジナルのものを追加で購入した。
Check in
ぼくはいったんゴールドコーストという街に到着し、そこで1泊だけ安いバッパーに泊まった。バッパーというのは主にバックパッカーたちをターゲットとしたドミトリースタイルの宿だ。
1部屋に20人分くらいの二段ベッドが並ぶ、比較的不衛生な宿で、8年前に過ごしていた宿と同じようなところだったので、懐かしさと同時に旅先での生活水準が一切上がっていない自分が若干情けなかった。
翌日、タスマニアに向けて昨日降り立ったゴールドコーストの空港まで戻り、夜には到着した。
限られたギガ数で生き延びなければならなかったので、ちょっとでもケチろうと空港のWi-Fiを繋ぐために携帯をいじりながら荷物の受け取り場まで向かっていると、声をかけられた。
2人だった。
ーーー✂︎ーーー
今回、大賀の旅で今までと大きく違うのは
Isla(アイラ)がいることだ。
Islaは三重県の志摩で出逢った友達で、
大賀のパートナーである。Islaは優しくてその場にいるみんなの意見を尊重する。運動神経がよくて、料理も美味しい。しっかりしているが、ADHDっぽくて、何か作業をしていても思いついたことがあればすぐに話しだし、そして何の作業をしていたかを忘れる。たまに一緒にふざけてくれるのが嬉しい。
今回の旅を通してIslaと多くコミュニケーションを取った。日本にいる間も仲は良かったが、より一層深い関係になれたのではないかと思う。
その証拠に、Islaは仲良い友達に、今日自分がどんなうんちをしたのかという、排便データを元にした自身の健康状態を報告してくれる。
旅の中盤からはその報告を結構な頻度で受けていたので、これはかなり仲良くなってきたなと思っていた。都度、ぼくもうんちの報告をした。
荷物を受け取り空港から出ると、さっそくバンに乗り込んだ。ここからは約2時間ほどのドライブになるそうだ。
「本当は前の席に乗って欲しいけど、
夜はワラビーが脇から突っ込んでくるから、助手席にIslaの目が必要だ。」
と伝えられた。
彼らの目は1年半の間にオーストラリア仕様になっているみたいだ。
「了解」
と言って僕は後ろの席に乗り込み、デカい音を立ててバンの扉は閉められた。
タスマニアと2人の旅にチェックインした。
続く...
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