塔2018年4月号感想②

 だいぶ遅くなってしまいましたが、続きの感想を書いていきます。

★作品1欄 永田和宏さん選歌欄より

新月に採られし材に建てしとふ法隆寺はなほ息を吐きをり/河崎香南子

法隆寺ってそうなんですね。まずその意外性から掴まれたのですが、その後に「新月」の静けさと「なほ息を吐きをり」の擬人法が格調を持たせています。
「採られし」と「建てし」の「し」は、文法的には厳密には「ける」の方が適切だと感じるのですが、短歌の世界では古くから許容されている用法です。このあたりの話は長くなるので割愛しますが、個人的には「許容はされていても誤用は誤用である」と考えていて、一方で「短歌は文法的な正しさが絶対ではない」とも考えています。この歌に関してはその用法により新月と法隆寺を主体と読者の眼前に現出させているようで、うつくしい助動詞の描写となっているように思います。

息を吸えばもう眠るらし母の夢にわたしの知らぬ一頭の馬/金田光世

不思議な歌。どこか幻想的で、それでいて一句一句が象徴的で、読みには迷ってしまう。どことなく全体的に匂ってくる死のにおいと、知りえないはずのことを知っている感覚がぞわぞわとします。説明しにくいのだけど、言葉の選び方や流れ方、その耽美的な雰囲気が好きです。

雨の日はイオンモールを歩きなさいかかりつけ医の指示にて歩く/川田伸子

詠者は奈良の方らしい。リハビリか健康増進の意味での運動を推奨されているシーンかと思うのですが、「雨の日のイオンモール」という具体性がおもしろいです。屋根があり、店内が広く、さまざまな店舗があって刺激もあり、それでいて必ずしも買い物をしなくてもよい。そうした場所がイオンモールなのでしょう。そこに地域性と時代性のようなものが見えてくるのが興味深く読めます。

虚無僧とティッシュ配りと赤い羽根共同募金が間をあけて居る/相原かろ

相原さんは塔の誌面(とりわけ作品1欄)で異彩を放つ歌人だと感じます。この作品はただごと的な視線のなかに、ほんのりとしたユーモアをたたえていて、ただそれだけのことなのに、その景とその景を見つめる主体を思うと不思議とおかしくなってくるような、そんな歌が並びます。文学というものを考えた時に出てきてしまいそうになる切実さや重さを丁寧に丁寧に取り除いて、自身の「ちょっとおもしろいはなし」を韻律のなかに乗せてゆく。そこに詠者の思想性が逆に見えてくるようで興味深いです。歌集とか出してないのかなー?

赤きサドルは♡型なり男の子の自転車は霜夜光りてをらむ/小澤婦貴子

格調のある旧仮名文語体の作品のなかにふいに現れてくるハート記号に思わず笑ってしまいました。たしかにサドルがハートの形に見える自転車ってありますよね。おそらくは子ども用の小さな自転車でしょうか。ハート記号に目を奪われがちですが、景としてもうつくしいシーンですね。

雨あがりのにおいが好きだ 深く深く目を瞑りいるあなたは森だ/数又みはる

感覚的な二句切れから、抽象の比喩を用いた下の句へ。「だ」の連続による力強い韻律がきれいに作用しているように思います。読みはいろいろと分かれそうだと思うのですが、わたしは相聞歌として読みました。イメージがすてきですね。

非戦・非核、非の字へしぜんと目がうつる羽を表す字と知りてのち/北辻千展

字源ネタはだいたい鉄板でおもしろいのですが、この歌はなかでも格別にいいですね。非の字源はいくつか説がありますが、そのひとつがこの一首で詠まれるとおり左右に開いた羽を示しています。戦と核がどこか遠くへと飛んでいく、そんな文字としての「非」の意味を深く噛み締めるような思いが伝わってくるようです。

Amazonのほうがいまでは誰よりもあなたのことをよく識っている/空色ぴりか

空色さんはいつも筆名がすてきだなー、と毎号目を止めてしまいます。
それはさておき、この一首。購入履歴や検索履歴からおすすめの提示をしてくるアマゾンのサイト、たしかに誰よりもわたしのことを知られているような気がしてきます。非常に時代性のある歌だし、その微妙な不気味な感じを掬っているように感じます。この「あなた」の二人称が、特定のだれかではなく、わたしを含めた「あなた」でもあって、そのあたりの感覚もぞわぞわするのに一躍買っているように思えますね。

★作品2欄 池本一郎さん選歌欄より

夫もなく子も亡くなりしと言へどまだ二十一歳おまへは死ぬな/逢坂みずき

子を亡くした幼なじみを詠んだ連作の一首。その痛切なるメッセージ。こうした一首を感想ブログとして取り上げるのは非常にむずかしいのですが、一方で、こうした歌を捉えなくては感想を書く意味がないとも考えています。
子を亡くす歌は数あれど、この歌に関しては、二十一歳という幼なじみの年齢がまさしくわたしと同じであることもあいまって、心臓をずんと撃ち抜かれるような思いでした。
個人的な思想なのですが、短歌のなかでも、挽歌というものには特別な意味があると感じています。それはタマフリであったりタマシズメであったりするような、古代から続く歌の呪としての側面をより強く見てしまうからかもしれません。

日当たりの悪い部屋を母は選びしシミを気にする人だと思う/泉みわ

この三句目の「選びし」の「し」の用法がわからずに悩んでいます。三句切れの連体終止かとも思うのですが、だとすれば、その効果は疑問があります。ふつうに「き」でよかったんじゃないのかな……。強調の「し」としても違和を感じます。勉強不足なので、この助詞か助動詞についてはどなたかの意見を伺いたいところです。
ただ、歌の題材がとても良い着眼だと思うんですよね。ほかの連作から老人ホームに入る母だというのがわかるのですが、そこで日当たりの悪い部屋を敢えて選択するということ、そして、それが事実かどうかはわからないけれど、その理由を「シミを気にする」というところに求めていると思う主体の、微妙な距離感をうまく捉えた歌と感じます。

銃のごと望遠レンズのならびゐて鴛鴦(おし)の動きに連射を放つ/加藤桂

カメラ撮影の歌。自身の姿も含めて俯瞰から眺めている景。「銃」の比喩と縁語もあって、瞬間を捉える緊張感のある文体ですね。主体が撮影を楽しんでいることが伝わってきます。

よく遊びしがき大将の信ちゃんはバイクの事故で逝きしと聞けり/金原華恵子
嫁さんになれよと言いし信ちゃんの顔がなぜだか思い出せない/同

これもまた挽歌。二首目、選者の池本さんは俵万智の本歌取を外すべきだということを後記でおっしゃっているのですが、その本歌との対比が、もしかしたら夫でありえたかもしれない信ちゃんを想起させるシーンの物悲しさを際立たせるようにも思います。

ひたすらに眉間をなぐる子の腕を押さえて待てば頭寄せくる/八木佐織

強度行動障害児を詠んだ連作。一首の臨場のある描写が、その切迫感を感じさせます。自傷行為へと走る児童、その行為を理解しようとすること。戸惑いは、おそらく児童にも主体にもあり、そのなかで披露しつつも最適解を探してゆく行為の尊い歌と感じます。

読めなくて眠れないから寝不足のままバスに乗る 降ろして下さい/新井蜜

結句の「降ろして下さい」の切迫感が共感を呼びます。実はわたしは四句切れの歌が好きで、それはこの作品のように、ある状況や心情を説明しつつ、その溜めに溜めた空気を一気に押し切るように、いかに切れ味鋭く結句を持ってくるかという、その感覚が楽しみだからです。

★とりあえず今回はここまで。次回はもうちょっと早くあげる予定です。

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