幸せを求めてインテリアスタイリストになった・・・たぶん。
はじめまして、インテリアスタイリストのCHAMPIです。最近、発明家のニコラ・テスラにはまってて、元々好きな数字は3だったので、今日は2023年の2月21日ということで、2+0+2+3+2+2+1=12=1+2=3で数字根は3だったのではじめてみました。
インテリアと観葉植物と酒が好きとプロフィールに書いてありますが、そんなオシャレな感じな人間ではなく、うたのプリンスさまっ♪の一ノ瀬トキヤも大好きなオタクです。
周りの方々がnoteをはじめていて、私も始めてみようかなと(^^)/
ここでは建前はぬきにして、自分のこととか、いろんなことを赤裸々に書いていけたらなあと思います。
インテリアに興味をもったきっかけ
インテリアに興味を持ったきっかけはジャストと風水でした。
ものごころついたときから、絵を描くことや何かを作ったりするのが好きで芸術家になりたいと言っていた自分。(のちに0からなにかを生み出すことに才能がないし、苦手なことに気づく。)
小学生の低学年のときから、インテリア小物などが大好きで、いろんな雑誌をみては、これいいなあれいいなと妄想していました。
当時はミッドセンチュリーを意識していたであろう、キッチュなカラーのプラスチック小物などが大人気でした。
小学生というのもありますが、オレンジやイエロー、赤など彩度の高いものが流行っていたような気がします。ウォールポケットとかね。
ウォールポケットにジュディマリのCD入れて満足してました(笑)
あと、スチールでできた3段のメッシュのハンギング収納も流行っていました。
小学生の高学年のときには、某Dr.Cの風水にはまり、環境を整えると、幸せになれるんだ!!運が良くなるんだ!!と思い込んでいた矢先に、TBSのジャストという番組でお部屋改装し隊というコーナーがあり、こんな世界もあるんだ!!そうだ、インテリアコーディネーターになろうと決意しました。
なので、中学生の卒業文集の将来の夢にはインテリアコーディネーターと書いていました。高校生になったら、WEBデザイナーになっちゃってたけども。
当時、父が大手建材メーカーで働いていたというのもあり、主にサニタリー関連周辺のカタログが家に沢山ありました。環境の影響もあったのだと思います。
なぜ小学生が幸せを求めたのか
正直、父は自分には長女のせいか厳しかったように思います。いや、そうでもないか、厳しいというか父の気分次第、ときどきDVぎみでした。
そんな感じだけど、親が結構、旅行が好きで家族仲良くいろんなところに行ったり、イベントごとには会社から早く帰ってきてくれて、妹2人含め楽しく誕生日会やクリスマスパーティーを家族でやっていたのも覚えています。
いろいろ書いてますが、自分は昭和の香り残る1986年生まれ、こんな家庭も多かったのではないかと思います。
母は個性を大切にしたほうがいいというのがモットーで、個性そのまま30代後半に突入し、今に至ります(笑)
自分を一番に応援してくれているのも母だと思います。(うちの母は本当にすごいです。世界で一番、尊敬しています。)
正直に書く前に、伝えておこうと思うのですが、現在の親との関係はたぶん良好ですが、思春期は本当に嫌なことも多かった。
もちろん、自分のことを一番に応援してくれているのも両親だと思っているし、自分の好きなことややりたいことをさせてくれて本当に感謝しています。
それとこれとは別で、両親が仲が悪いというわけではないのですが、小学生~中学生の多感な時期に両親のケンカが多く、子供的にはすごく嫌でした。挙句の果てには父にはお前らのせいでケンカすると言われる始末。子供にそんなこと言うなよ。
大人がそれほどのことではないと思っていても、子供はそうではありません。
子供のころは両親どちらかが悪いとも思いたくないので、子供ながらに環境が悪いと思っていました。(環境的要因は間違いなくある。)
特に、引っ越して祖母と同居するとなったときに、リビングとしていた北側の部屋は最悪だったのを覚えています。北側の薄暗い部屋に、シーリングの蛍光色の照明、冬のコタツのファブリックの色はブルーで寒色、こんなんじゃイライラするのも当たり前だなと中学生ながらに思っていました。
その当時の家はのちにリフォームすることとなり、リフォームしてからはケンカも少なくなったように思いました。
今でも、空間は心のコンディションに影響すると思っています。だから、素敵でコンフォータブルな空間は心に安らぎをもたらし、美しい空間は感動で心を健やかにさせる力があると信じています。
そして、インテリアや空間がもたらす良い影響で、みんなが幸せになれたらいいなと思っています。自分にある根本的な信念はそこです。
そこに、有名になりたいとかの雑念や、単純にセンスアップ、スキルアップしたいと願う気持ちが入り混じって、現在に至ります。
あまり幸せでなかった中学生時代
中学生のときは、クラスに学校で一番の不良がいて、めちゃくちゃ最悪でした。クラスの皆とは仲がよかったものの、その不良がもうね・・・彼にもいろいろあったんだと今は思うけど、当時は辛かった。
中学1年のときに割と仲良かった子がヤンキーになり、学校に来なくなったと思ったら、中学3年のときに目つきが悪いという理由でその子に呼び出されて、何故かその学校で一番の不良含むヤンキー達に囲まれながら、顔を蹴られて、さらに土下座させられるという、人生で一番、ひどい仕打ちをうけました。
ひどい仕打ちだったけど、あまり痛くはなかった・・・今もなんだけど、当時からフィジカルで強めだったから。
こんなことを書くのも失礼だと思うのですが、蹴られた代として書かせていただきますと、仲がよかったときにその子に家に結構、遊びに行ったのですが、ビックリするくらい散らかっていました。その子の部屋じゃなくて、家のリビングとかダイニングがすごく散らかっていました。
もう、環境との心のコンディションに相関があるとしか思えず、蹴られても、やっぱりそうなんじゃないか、汚い空間はよくないんじゃないか、逆に確信してしまった中学3年生の秋でした。じゃあ、自分はいい空間を作ろうと。
綺麗な環境だからといって、健全な心が育つとも限らないけど、散らかった空間はよくない。綺麗、汚いの感覚は本当に個人差があるので、必ずしもなにが良い・悪いとは言えませんが、美しい空間があったら、少しは彼女も気持ちが違っていたんじゃないかと思います。
WEBデザインにはまった、高校・大学時代、その後
正直にいうと、高校、大学時代は、三國無双の同人活動を必死にやっていて、ホームページや謎の創作物をつくるため、勉学をおざなりにし、それに全てを注ぎ込んでいました。
中学3年生ぐらいから、そんなことを始めたけれども、中学生の時はまだインテリアのほうが好きだったと思います。
色彩感覚などはそこで身についたと思っているので、決して無駄ではない期間だったと思います。
史上最悪のリーマン・ショックのため、美大なんぞ就職が困難で困難で、当時、仲が良かったバイト先のイケメンの先輩に、最低でもマーチと指導されながら大学院に進学したところ、オタクの気が少し抜けてしまいました。
課題が多いので、創作どころじゃなかったです。レポート、レポートの日々でした。周りの方と比べると、恐らく、自分が一番底辺だから苦労しました。MBAコースだったので、有名国立大学出身の方などもいたり、うーん、自分て本当に・・・運がいい!!と思った期間でした。
その後、社会人になってからも、趣味でインテリアのブログをやっていたため、ファッション雑誌から取材のオファーがあり、念願の自室が雑誌にのるという夢を果たしました。そこから、ぼちぼち取材が入り始め、やっぱりインテリア業界に行きたい!!と、今の会社に転職しました。
イロイロ経て、2018年に大学院時代の知り合いで、広告業界繋がりの、仲よくしていただいたおじさんから、自宅の新築のコーディネートの依頼を受けて、フリーランスとして活動を開始しました。
なぜスタイリストを選んだのか
インテリアコーディネーターを目指していて、なぜスタイリストを選んだのかというと、インテリア小物が好きだったから。
雑貨や小物がとにかく大好き。インテリアコーディネーターの資格も持っているので、コーディネーター的な仕事はできなくもないですが、コーディネーター的な仕事をした経験は、ほんのすこーーーし。
今の普段の仕事でも、小物のほうが好きなので、家具のエリアのほうへの移動の話がでると、「家具も好きですけど、雑貨のほうが好きなんで、雑貨のエリアで移動させてください。私は小物のスペシャリストを目指しています!!」と懇願しています。小物と言っても食器から、カーテンとか、洗面とか結構、幅が広いのだけども。もちろん、家具も大好きですよ♪
と、こんな感じでインテリア業界に突入しました。今でも素敵な空間が人を幸せにするという信念を持って活動しています。
忙しくなってきたり、忙しくてウハウハなときは忘れてしまいそうになりますが、自分の中にあるエピソードを思い出して、自分を戒めています。
素敵な環境・空間・インテリアが素敵な人生を造る。その信念を元に、更にステップアップしながら活動していきたいと思います(^^)/
次は、好きなインテリア小物の話か、29歳のときに独身で住宅ローンを組んで家を建てた話などをしていきたいと思います。
今でも独身だけど(笑)
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