ひとつひとつの光
こんばんは。今日も会いに来てくださり嬉しいです。
最近自分にとって必要なものが何かを考えることが増えました。
食事ひとつにしても、何気ない会話の中の情報にしても以前より「必要か不要か」を無意識に判別しているような気がします。ジャッジというよりは選択、それの連続で明日へとその先へと連れて行ってもらえているようなそんな気が今更ですがしてきています。
最近は「特定のものを食べると痛む」「食べ過ぎても痛む」という明確な身体の変化があったために何かを口にする前には「これは食べてもよいか」「この量は大丈夫か」を過去の経験より素早く判断する必要が出てきています。それは小麦だったり揚げ物だったり甘い菓子類だったり「食べたら痛い」を簡単に判断できるものもあれば、「かぶの千枚漬けはどうか」「焼き芋は甘いけど大丈夫か」など判別が難しいものもあります。そうやって自分の中で判別の経験が増えていくとそれらの正解は「ひとつの光」のように感じることがあります。要は正解が「光っている」状態なので、考えなくても瞬時に「わかる」ということです。空腹時にはこれは非常に有効です。
有用な情報についても同じようなことが言えます。聞いたことや見たことが「ひとつの光」に感じるときはそのときのシチュエーションがまるでその情報を得るために設定されたかのように感じることもあります。来るべくして私の元に届いた情報、それはときには天啓とも呼べるような有難い導きの光ですらあるような。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、そのような有難いことを教えてくれる周囲の人の善意によって毎日を過ごせていることにただただ感謝しかないです。多くの人によって支えられて生かされている、このことを知るきっかけになった病気にも感謝したいくらいです。こんなこと一生気がつかないまま死んでたかも!
患部が痛むことは辛いことですが、食べ物についてはより慎重になり自分の身体のことを考えた「ご自愛メニュー」を手間はかかるけど作ろうかな?と思えるマインドになったこと、「面倒だしこれでいいや」と消極的に食べるものを選んできたことを後悔しつつこれから先の自分を今までのぶんも愛してあげたいと思います。ひとつひとつの光が集まってきていることに、ありがとう🩷