41歳がんばりました
今回の妊娠は…予想外だった
することしなきゃ、できないんだから予想外なんてのは1ミリもないんだろうけど、何というか気持ち的に。
始めは迷った
妊娠を継続して良いのか、誰かを寂しくさせるのではないかと。
自分の年齢も気になった、同級生の中には孫の心配をする人さえいるくらいだし。
でも妊娠を知ったのが検査をする二週間くらい前で。チャムがきっかけだった
『ねー、ウチには赤ちゃんくるのにまだなの?』
いやいや、もう三人我が家には子供がいて、幸せだからそれはないな。チャムが1番小さな子だよ
と応えたら
『え?だってママのお腹の中でお話ししたんだけどなー。待ってるって言ってた』
なんか引っかかるでしょ?
保育園で赤ちゃんほしいよねー、みたいな話が流行ったのかと思って聞いていたから
そこから二週間経ち、体調が優れなかった日があり、まさかというくらいの気持ちで検査した。
反応を目の当たりにして、便座から立ち上がれなかった…マジで来た、と
我が家はステップアップファミリー
今のパートナーの実の子はチャムだけ
上の二人のことも同じように大切にしてくれて、その点は海ほど広い尊敬がある。
彼の子供が一人だけというのはいささか勿体無いなという気持ちはあった。
そして何よりチャムが可愛すぎて、これで育児最後かと思ったら凄い悲しいような寂しいような気持ちになっていた。
だから反応を見て、最後のチャンスか…と引き締まる思いもあった
とはいえ、それは私の勝手な想い
パートナーに妊娠を切り出したら普通に驚かれた
(いやいや、仕込んどんの君だがな)
諦める提案をしてくるかなと思ったら…違った
『チャムの時は初めてばかりで無我夢中だったから今度は味わうぞ!』と前向き
でも三秒後には私の体力、年齢、今いる子たちへの配慮、収入など山のような心配で固まっていたけどww
そんなこんなで初めての出生前検査を受けることにした
怖かった検査
私の住む県で一番大きな病院でそれは行われている。まずは夫婦で向かい、説明を受ける必要がある。検査自体は2種類あり、NITPと呼ばれる血液だけでお腹の赤ちゃんがダウン症かどうか判定するもの。もう一つはお腹に直接針を刺し羊水から情報を得る羊水検査
検査自体の説明より、drの検査を受けるに当たって考えるべきこと、が重かった。
そもそも私達…というか私が検査を受ける理由は何だろ?
『三人の今いる子たちの最大限できる幸せが現状最優先』
これは頭にこびり付いていた。
ダウン症かどうかは継続の判断には支障にならない。ただそれより自分で体を動かせないといった障害が生まれながらにしてある場合…きっと我が家の三人は自分の生活より末っ子の世話に翻弄するだろう。それは…今回選んではいけないように思えた。
これだけを軸に物事を考えることにした。
検査はNITPをまず受けてから羊水検査を受ける流れになっていた。羊水検査で分かることは本当にたくさんで。性別はもちろん、将来どんな疾患を持ちやすいかまでわかるそうだ。
説明してくれたdrは『僕はそこまで知ることに違和感を感じる』と素直な主観を話してくれた
私が心配している内容からしたらNITPだけでは足りない。でも直接針を刺すリスクがあり、その子の根本を事前に知ることはどういう事だろう…
今の子ども達への気持ちと天秤に、価値観がぐるぐると渦巻いた。不覚にもdrの前で泣いていた
結局、パートナーの考えも含みNITPだけひとまず受けることになった。結果を待つ約20日間は、もしかしたら継続出来ないかもといった不安で自分が妊娠していると思えない?ような感覚だった
(いま思えばダウン症でも授かるつもりだったからこれは不要な想いなんだけど)
とにかく落ち着かなかった
結果を聞きに行く道、夫婦で色んな話をした。
でも肝心なことには行きつかなくて、複雑な気持ちのまま病院のドアを開いた
結果は陰性だった
その事自体より、検査を受けたことに対して今回の妊娠に対する気持ちを夫婦でまとめたような感覚が生まれ、授かることが出来るなら、出来るところまで行ってみよう。と気もちの変化になった
そんなの当たり前なように見えるかもしれない。
でも世の中の当たり前なんてきっと薄っぺらい。
目の当たりにして初めて選択をすると案外どうにもならないことがある。
ようやくスタート
なんだか落ち着かなかった検査を終えたら季節が変わっていた。四人目となると身体はサクサク変化して、こちらの戸惑いなんて待ってはくれない。いつまでも続く悪阻やさっさと主張してくるお腹。でも自営業な私は今日もあちこち走り回る。
保育園の先生にも何度確認されたか『産休は?え?ない?』はい、無いです。お仕事を減らすかもしれませんが、基本いただけたご縁はいつでも大歓迎ですから
つまりそれは自分の収入を作り続けなきゃいけないという事にもなる
パートナーは働いて家族の為に精一杯頑張ってくれているが、それはそれ。
どうやっても動けない期間どうするかはいつだって大問題だ。
でも悩みもあるが、そこにばかり着目するわけにはいかない。恥骨の痛み、腰の不安定、不眠症、喘息。
41歳になった身体はワガママにも主張してくる。
私しか対応できないからやるしかない
無我夢中でいたらあっという間に予定日まで60日
大きすぎるお腹で年末から大人しくすることにした。
毎回体重は増えすぎる
今回も15キロ
もはや病気
連日自宅にいるようになり、思わぬ弊害がでた。
世間から孤立したような感覚
お金を作り出さないことに対しての罪悪感
ダメ人間なんだろうかと落ち込んでいる
まずい、これはマタニティブルーか…
私が好きな事は何だろう?
作る事だ!
そう気づいてから毎日何かした
パンを焼き、壁紙を張り替え、棚を造作し、ママごとのショップを作った
好きな事をしてないと自分の調整が出来ないなんてなんとも情けないが、今は今日を過ごすことが優先だ。そんなふうに終わりの何日間は過ごした。
いつだって勝手に期待する
年を明けた健診で『2cm開いてるからいつ産まれてもいいね』と言われた
中身さんも体重が増え、危険が引くなってきたからというのもあるみたいだ
それまでの鬱々と体の不調、順調な前駆陣痛が重なり、痛みが更に痛く感じて不安になった
ある日何度もお腹が張り、パートナーも心配してくれて、夜中に病院へ連絡
観察入院となった
でも…産まれない
痛いだけ
翌日には帰宅して、恥ずかしいやら情けないやらなんだか分からない気分でいた。お菓子をヤケ喰い、ラーメンだって食べた。
この気持ちが邪魔をして、いつ病院へ行くべきか分からなくなった
と、いうのも私は今回四人目の妊娠で、前回から4年後のタイミング。もしかしたら陣痛開始から一時間しないうちに出産、なんて例もないわけではないからだ。
いつ行ったらよいか、これはずっと不安で一時も気が休まらなかった。
遂に⁈
でも痛いものは痛い
あれ?これは本番?
ん?回数増えてない?
また帰ってきてもいい!行こう!
事前に登録していた『陣痛タクシー』にお願いして配車してもらう(実は試しに『自分で行ってよい?』と聞いたらもちろんダメと言われました'
これは市内のタクシー会社さんがやっているサービスで女性運転士さんがお迎えにきてくださいました
着いたらすぐ内診
まだ3センチだけど帰らずに入院しよう
とのジャッジ
え✨いいの?このままいけちゃう?
そうもいかないんですなー
たしかに痛かったの
痛かったのよー😭
それが陣痛室に行き、五時間しても盛り上がらない。それどころか、あれ?痛み無くなった?
助産師さんはみな、『経産婦さんだから、スタートしちゃえばすぐよ』と言ってくれる
でも所在ない
恥ずかしい
眠れない夜を迎え、たまにくる痛みに期待と怖さが混じる
また3時かよ
夜中3時
いきなりお腹全体を鷲掴みされるように痛む
腰なんてハンマーで殴られたようだ
え?きた?
また3時⁈
また…というのは末っ子も3時からスタートだったから。
でも陣痛かと自信がなくてひとまずコツコツと痛みを誤魔化すことにする
おかしいよね、いるのは産院なんだから相談すればいいのにね
頭に浮かんだのは、何度も見た『陣痛こいこい運動』(YouTubeで見てね)
腰の痛みをスクワットで逃し、立ち上がったら息を吸い、しゃがんだら吐く
これに集中!
外が明るくなった頃、隣のベッドの妊婦さんとも軽く挨拶。まだ余裕
朝ごはん食べて内診
DR『5センチだね、このまま行くね』
へ?
分娩台から降りれる気分でいたのに予想外
こうなってしまってはまな板の上の鯉、何もできず痛みと対面するしかなくなる
時間は9時
末っ子の時を思い出すと前半から力み過ぎて、後半ガタガタだった。全身筋肉痛になり、抱くのも辛かった。
だから今回はひたすら痛みを逃す作戦で行こう。
サイドバーなんて握らない
痛みが来たら手を開き、上から下に痛みを流すイメージ。手もそのイメージ通りに動かして、どこも掴まない。勿体ないパワーの消費はしない。
助産師さんの内診
『あ、8センチ。やっぱり早いね』
え?さっきから一時間くらいしか経ってない
握らない作戦もいよいよ通用しなくなってきた。
マズイ他の引き出しがない。
だって毎回のたうちまわり、叫びまくり、迷惑をかけてきた私の出産。
ダンプカーに正面からぶち当たりに行っていたようなものだから。
そんなこと考えているうちに3分間隔になり、痛みは頂点に。生きている事を否定されているようなその痛みは何故か産後忘れるようになっている。
『産み方がわからないー!』
今まで3人も産んでいてよく言うわ、私め。
11:30助産師さんが席を離れた一瞬
ピークがきていきんだ
このまま頭が出たらどうしよう
ナースコール押して『でるよー!』と叫ぶ
今思えばなんて滑稽
ホント一瞬なんだろうけどスローモーションのように感じた
戻った助産師さんは待ってましたとばかり慌ただしくなる
『先生きて!切って(切開)!縫って(縫合)!』と私。ホントお前が言うのかってねwww
助産師さんはタイミングを見るために、もう出掛かっている頭を抑える
『12:00旋回開始』
やだわ、助産師さんの言葉、ちゃんと覚えてる
そこからのいきみは2回
手足の長い、ドス黒い生命体が私から出てきた
周りの助産師さん達がお祝いの言葉をくださる中
『終わった…』
と何度も呟いた
ほんと今思えば恥ずかしい
みなさんに感謝を伝えなきゃと言う焦りが波となり、ひたすら口にする
アドレナリン全開な様子だったろうな
先生が『あ、こないだの入院も保険申請できるから診断書書けるよー』と冷静に教えてくださる
どうやら私ったら痛みでラリって『保険申請したいから必ず切って縫ってください!』と口にしていたようだ。なんて銭ゲバ。穴があったら入りたい。
そこから二時間は回復時間。
丁寧に綺麗にしていただき、赤ん坊らしくなった我が子と対面。
実際は4キロまでいかない3500g
ピークから約二時間で産まれてきた親孝行もの。
あれ?このスケジュール、末っ子と全く同じ
出生時間も2分違い
こんなこともあるのか
生まれてきてくれてありがとう
医療従事者の皆様心からありがとうございました。
最後に
当日、興奮の中から書き出したこの覚書。
長くなりました。
ちょこちょこ合間に書き、ここまでで3日かかりました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
コロナで病院を取り巻く環境は大きく変わりました。パートナーはまだ娘に会えていません。
でも現場のみなさんはそんな不安な家族をどうやったら支えられるか、色々なアイディアを出されています。今それを肌で感じています。お仕事の量も凄く増えただろうな。
見えないものと対峙するのは難しいですが、出来ない怖いと嘆くより隣の人と笑顔を交わす。そんな日常を作っていきたいと思いました。
また続きを書きます