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可愛いおばあちゃんになりたい

夕方コンビニにいった。翌日の朝食用のパンがなかったからだ。パン以外必要なものはないかと店内を見ていると、遠くで店員の大きな声が聞こえた。「これはチーズとハムが入っています。電子レンジでチンして温めると美味しくなりますよ」高齢女性に説明する店員の声だった。床に頭が付くのではないかと心配になるほど腰が曲がった高齢女性は「これは何か。どうやって食べるのか」とでも質問したのだろうか。その時の店員の応対は小さな子どもを相手にするような口調だった。その口調は丁寧だった。しかし、きっとわからないだろう、どうせ知らないだろうを前提とした接客に思えた。面倒な客に捕まっちゃったけれど年寄りだから仕方がない。そんな風に声のトーンが物語っていた。と、私には思えた。

歳を取るとこんな風に扱われるのかと思いながら背中で様子を窺っていた。私なら「バカにしないでよ!」と啖呵を切るところだが、きっとあの高齢女性はあの年齢になって人間が丸くなったのだ。私は、高齢女性がこうやれば社会生活も丸く成り立っていくという事を承知しているのだと思った。子どものように扱われることや、食べたことのないカタカナ文字の食品が出回っていること、そこにある物を食べないとお腹が膨れないこと、それらは生きる為に「折れる」という術が身についたのだと切なくなった。

私は感情がすぐ顔に出てしまう。人間まだまだ青い。歳だけは一人前に取っているけれど人間ができていないから青い。だから、きっと「ニ度とあんな店に行くもんか!」と腹を立てるだろう。これは、自分が十分シルバーシートが似合う年齢になったのにその事に悪足掻きしているからだ。どう見たっておばあさん、高齢者の仲間入りをしているのに。

何かを始めるのに遅いということはない、と人は言う。私もそう思う。けれど、思ってみても体が手遅れだよと教えてくれる。だから無理はできないと身体を労りやろうとしない。筋肉は幾つになっても作ることができるらしいし、そのためには毎日少しずつ、とにかく続けることが大事だということも朧げに理解している。だから、とても苦しい。

そのくせ、実年齢より若く見られたい願望を持っている。抗う事。

今の私はこんな感じ、年寄り扱いされると腹を立てる。そのくせ難しい事を頼まれると「もう歳だから」といって逃げる。実に厄介だ。

ああ、可愛いお婆ちゃんになりたい。


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