他者を巻き込むVeagan & Feminist
これ、まじでそう思う。
Vegan同様、Feministの人たちにも。私の知っているFeministの中には排他的な人たちが少なくない。差別発言が許せないのはわかる。私も同様。かなりきつい。腑が煮え繰り返る。彼らと話すときに、私は散々差別発言されて、マイクロアグレッションを受けているけど、私が傷つけられるより、そのことより大事なことがあるから、ぼくはそれをぐっと堪えて、会話をしていた。
しかし、やり取りの中で、私が犯した間違いを理由に、とある人から徹底的に排除されている。私はその人に直接そのことについて心当たりを謝罪をした。まだまだ気づけていないことがたくさんあるし、私は学ぶ意思がある。もちろん、私の言動は取り返しがつかない、だからこそ謝罪し改めたい、そのことについて言語化することも辛いというのもわかるが、そのことについて言及してもらわないと、私は、私の無意識の言動にまで振り返れない。そして、私も彼らから様々なひどい言動があったが、それによって彼らを排除しようとは思わない。コミュニケーションを遮断しようとは思わない。
彼らの中には、私が想像もつかない境遇で育ち、私とは比べようにもならないほどに敏感で、繊細で、傷つきやすく、日々の他のストレスや抑圧から、一度傷つけた私のことを見ることが出来ない人がいる可能性についても、少しだが、想像がつく。私もよく決めつけを行われるから、内面は全くわからない、そのことに理解はある。
例えば、レイプについて私が言及すると、「そのような話は、被害者がいるかもしれないから、あまり口にしないほうがいいよ」などと言われるが、私自身が、どうして、その被害者であることを、人々は考えないのだろう。これは、一人の男性表象が日々受けている、性被害の矮小化であり、二次被害である。私は性被害について語るたびに、99%、二次被害にあってきた。
そのようなことを打ち明けるような相手からでさえ、心ない言葉を向けられる。辛い。しかし、そのことについて、語ることはやめない。私自身の体験と、他の方との体験は質的に異なるが、私自身も一人の被害者であり、そのことについて語りを止めることは、私自身をさらに傷つけることである。そして、更なる被害、2次被害を産む。
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