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タバコを辞める

怖かったろう。
踏み出す一歩が震えたことだろう。

友人(先輩だけど僕はそう想っている)の克君が写真による個展を開催した。

タイトルは
煙草をやめる

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僕はずっと決めていた。

写真を眺めるだけでは無くて、意図を読もう
と。

絶対に3周見るぞ。

現地に到着すると、お客さんに丁寧に名刺を渡している克君がいた。

まず一周。
克君の写真を一枚ずつ見つめていく。

肩身の狭い喫煙者達はこっそりと人影に隠れ、
タバコをもくもくとふかしている様に
哀愁を感じる。

その後2周、3周と眺め。
時に克君に質問を投げかけた。
「この写真はこういう解釈で合ってる?」
とか、
「この写真はどういう意図なの?」
とか。
克くんは丁寧に答えてくれた。

眺めていくうちに写真によっては
印刷の方法を変えていること(マット、光沢、など)や、
紙の薄さ、大きさ、配置、
一つ一つに沢山の拘りと時間が見えてくる。
「克君本当に大変だったろうな。」

オモテとウラ


克くんが写真によって物事のオモテとウラの側面を伝えたかったように、
僕もこの個展のオモテとウラの側面を感じたかった。

一つ一つに対する拘り。克君の苦悩。
どんな準備をしてきたのか。
湯布院アートホールに飾られている写真達という現実と、
見ることのできない裏側の作者の努力。

”人って物事の裏側を感じてくれない”


僕は普段そんな事象に遭遇する度に、
なんだか虚しくなってしまうことがある。
克くんは同年代の友人だからこそ、
どういったことを感じて、個展に臨んでいるのか知ってみたい興味があった。


一服


克君と外でタバコをふかす。
たわいの無い話をしながら、二人で煙をもくもく立ち昇らせる。
個展で最後に見た一枚の写真が心に沁みる。

この時間があるからこそ、
僕は克君の優しい目元が好きなんだと改めて気が付く。

僕はきっと、近々タバコをやめる。

それによって失われる沢山の美しいエピソードがあることも
重々承知をしていて、寂しい気持ちもあるのだけれど

僕もこの時代の流れにするりと流されてしまう一人なのだ。

日田までの帰り道に見た夕暮れと、
終わりかけの紅葉。
深く茂った山々を横目に、克君のキラキラとした瞳を思い返す。

「ただいま。」

僕の居場所はここだった。

僕は岡山からようやく帰って来れた気がした。

P.S. 
96歳の祖父は50歳の時にタバコを辞めた。
この年齢になっても未だにタバコのことを想ふらしい。

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