焚き火は人の心を溶かす
僕は東京へやって来た。
相変わらず人が多く、人にぶつからないように歩くのに精一杯。
↑カービィーは鬼かわぇえ
しかしながら楽しい街で、歩いていて飽きることは無い。
景色が、音が、匂いが、
僕は今日本の中心に来ているんだということを意識させる。
村上という男
災害が起こった年の11月だった。
とある旅人が僕らのボランティアセンターへやって来た。
話を聞くと、年齢は僕と同級生(当時24歳)で明治大学の学生だった。
色々な事情で大学を休学し、旅に出てここに辿りついたのだと。
初見のイメージは真面目な青年だった。
彼は毎度せっせとボランティア活動に勤しんだ。
優しい男だから、純粋な綺麗な心を持っていたから、
彼はボランティアにも地域の被災者にも愛された。
そんな彼は焚き火が好きだった。
僕はボラセン時代、たくさんのボランティアと火を囲み
酒を交わした。
人それぞれ色んな正義があって、理想があって、生き方がある。
炎の前では皆、照れくさい話でも言いづらい話でも
真実が言葉になって
炎は揺らめく。
ただただ、炎は風に吹かれて揺れる。
美しい夜だ。
僕たちにそう思わせる。
そして、村上くんは半年の月日を被災地で自然と共に過ごした。
気の利く住民が、家を貸し与え彼の成長を見守ったのだ。
被災地ではタブーのことのように見えるけど、彼の人柄が地域の被災者を突き動かした。
タブーかどうかは被災者が決めること。
それでよかった。
彼は8月日田市を旅立った。
帰り道、西日本豪雨で傷ついた被災地を原付で走りながら支援を続けた。
肌は黒く焼け、体はガッチリとした肉体に変わっていた。
帰宅後、無事に大学卒業を決めた。
ゼミの先生からは死亡説が出ていた。
生きていて良かった。と安堵の言葉を貰ったんだとか。
親御さんはたくましくなって帰って来て安心したと。
今回東京を案内してもらって彼との友情を再確認した。
夜までお酒を飲みながら会話を続け、締めを食って解散。
「また焚き火がしたいな。」
別れ際に彼はそう言った。
彼の成長に負けぬよう、僕も成長を続けていく。
彼が日田を去って、また新たな仲間ができた。
巡り会いってとても素敵だ。
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