【短編小説】 予告


 高校最後の文化祭の振替休日を昼まで寝て過ごそうと思った朝8時30分。親は仕事へ妹は学校に行き、私はベッドの中でうつらうつらと二度寝を楽しもうとしている。ついさっきまでうるさかった家から急に人の気配がなくなると、私はいまだにそわそわしてしまうことをひとつ知った。でもそんなことは寝て起きたら忘れているはずだ。カーテンを閉めていても快晴だとわかる日に、やらなければいけないことを放り出して何もせずに寝る。背徳感が最高のスパイスってこういうことなのか?穏やかで幸福な時間を虫取り網で捕まえている気分だ。
 お湯と水が緩やかに混ざり合っていくようにとろんとしていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。私は何故か「怪しい」とピンッときた。どうしてそう思ったのかはわからない。ピンポーンのピの音が、母親が私を叩き起こす時の威圧感に似ていたからなのかもしれないし。あるいは、近所で有名なクレームおばさんの顔を思い出したからなのかもしれない。とにかく家には私しかいないのだから私が出るしかない。眉間にしか力が入らない私は布団を泣く泣く引き剥がし、目を擦りながら階段を降りる。階段を降りている途中でもう一度ピンポーンと鳴った。鬱陶しい。麗しい乙女の女性ホルモンの分泌を邪魔しておいて、さらに催促するとは。この人の一日が最悪でありますようにと願わざるを得ない。私は忍び足でモニターに向かい、不幸を願う相手の顔を確認する。すると、そこに映し出されたのは私だった。
 
 これは夢だろうか?私は念のため空中にパンチを食らわせてみる。軽々できた。できてしまった。私は空中に食らわせた拳を見つめたまま、脳にクエスチョンマークが大量に分泌されるのをしぶしぶ受け入れる。それでも玄関の前にいる私らしき人は相手の事情なんてお構いなしといった風に、少しも考える隙を与えることなくピンポピンポピンポーンと呼び付ける。私は恐る恐る玄関へと向かい、覗き穴からもう一度確かめてみる。そこにいたのはやっぱり私だった。正確にはスーツを着た少し小綺麗にした大人の私。物音がしないようにドアガードを掛け、内鍵を摘みそっと回すと、静かな家にガチャっと安全が解除された音が響いた。本当に扉を開けても大丈夫なのだろうか?私だから大丈夫なのだろうけど、私がいるのが史上最高に怖い。私はすぐに閉められるように腰を落としてゆっくり玄関を開けた。

「……はい」
 精一杯出した私の声はコウモリにしか聴き取れなかっただろう。少し大人な私は隙間から私を見るなりこう言った。
「そのままでいいから、ちゃんと聞いて。手短に言うね。私は15年後のあなた。これから30年後のあなたがあなたに会いに来る。だから、絶対にその人の言うことは聞かないで。絶対に。身の丈とか向き不向きとか本当に考えなくていいから。だから、ちゃんと勉強して。私ならもっとできるはずなの。もっといい大学もいけるし、もっといいところに就職できる素質はあるの。あなたはまだ気づいていないだけ。やりたいことがちゃんとあるんだから頑張って、お願い。わかった?」
 捲し立てるように私に言い放ち、自称15年後の私は重要な任務を終えたかのように去っていった。
 
 30年後の私が来る?しかもその30年後の私の言うことを聞かないでって、どういうこと?こういうのって普通、近づいちゃいけない人とか事故に気をつけてっていう助言じゃないの?それに彼女の言う通り、私は家具のデザイナーになる夢があるのに、どうして彼女はスーツを着ていたの?まあいいや。やっぱりこれは夢だ、そのうち覚めるだろう。ドアも私を促すようにパタリと閉まる。鍵をしっかり掛け、踵を返すとピンポーンとまた鳴った。
 
 覗き穴から右目をかっぴらいてみると、母親によく似た少しふくよかな人が立っていた。実は私の知らないお母さんの姉妹がいて、絶縁状態だったけど勇気を出して復縁しに来たみたいなドラマみたいな展開が……あるわけないか。本当にあれが30年後の私なのだろうか。勘弁してよ。鍵を解除し、ドアガードも外し、出来るだけドアを開けないように顔だけひょっこりと出した。ドアノブを握る手に力がこもる。

「……はい」
「休んでる時にごめん。でも、私は30年後のあなた。少し話を聞いて欲しいの。これから45年後の私が来るの」
「まだ来るんですか!?」
「あー、15年後の私来た?どうだった?まだ痩せてた?それにしても懐かしいわ。私若い!この頃に戻りたい!」
 30年後の私はカピバラでも見ているかのように、私をまじまじと食い入るように見つめ、ほっぺたをムギュっと抓ってきた。私は怖くて目も合わせられないというのに。
「あの、要件は何ですか?」
「そうそう。あのね、45年後の私の言うことは絶対信じちゃダメ。いい?わかった?」
 またそれか。状況に慣れてきたせいかふつふつと怒りが込み上げてくる。
「あの。さっき来た15年後の私って人もあなたを信じるなって言ってましたけど」
「はあ?」
 30年後の私は呆れかえって首がすわらなくなったようにグデンと天を仰いだ。
「それで?他には何て言ってた?」
「身の程とか向き不向きなんて気にするな。勉強してもっといい大学入って、よりいいところに就職しろって」
「今から勉強したってそんな変わらないわよ。そりゃ、自分はもっとできるって思った時期は私にもあったよ。でも、もし仮にいい大学に入って、いいところに就職できたとしても、私の向き不向きって必ずあるものだから。もちろん勉強は大事よ。どこに就職するかも大事だけど、それよりもあなたには若いうちにもっといろんなことを経験してほしいの。今しかできない経験っていっぱいあるから。それを通して、もっと感性を高めて欲しいの。自分をもっと知って欲しいのよ。人には好きなことと得意なこと、そして身分相応ってあるんだから。それは自分を守ってくれる。あっ、もう行かないと。じゃあね!あっ!ストレス発散を食べることで解決しちゃダメよー」
 30年後の私が小走りで手を振って消えていくと、私はどうしたらいいのかわからなくて、人混みで親の手を離してしまった子供のようにしばらく立ち尽くした。あの人、良いことを言ったっぽい気がするけど、何を信じちゃいけないかは言わなかったな。
 意識的に鼻からすーっと新鮮な空気を吸い、ふんっと鼻から勢いよく吐き出し邪気を払ってみる。少し落ち着いて甘いココアが飲みたい気分だけれど、お茶にしよう。
 ドアを閉めようと頭を引っ込めようとした時、「あのー」と声をかけられた。
 
 そこにいたのは、目尻の皺やほうれい線がしっかりある63歳の私のようだった。でも、さっきの30年後の私とは少し雰囲気が違うようだ。何が違うかはわからないけれど。ここまで歳が離れると赤の他人のような気がしてくる。それにしても、私も必ず歳を取るんだと実感する。今日だけで私の一生を見ちゃったよ。まさか自分に人生のネタバレをされるとは思わなかった。不幸を願ってしまった相手が私自身だとしても理不尽だ。
 私はいよいよ覚悟を決めて話をすることを決意した。
「えーっと、45年後の……」
「あなたです」
 45年後の私が目尻にさらに深い皺を作り微笑んだ。
「私が最後だから安心して。ねぇ、あなたに会いに来たあなた達は何て言ってたの?」
「ふたりともこれから来る人の言うことを信じるなって」
 45年後の私が納得したように頷く。
「あの、ふたりとも具体的なことは一切言わないし、未来の自分を信じるなって言うし、それなら来なくていいですよね?私は今、未来に不安しかありません」
 自分を抱きしめるように二の腕を掴んだ手に力が入り、骨に痛みを感じる。63歳の私は冷静に深い落ち着きを見てせこう言った。
「彼女たちが言っていることは全て正しい。ただ、どうして具体的なことを言わないかには理由があるの。それは、彼女たちが私たちの助言によって選択を変えたから。私と彼女たちは人生が少し違うの。私は夢だった家具のデザイナーになれた。でも、私が作りたいものは作れなかった。だから、私は過去の私にがむしゃらに頑張れって伝え続けたの。でも……」
 63歳の私は唇を硬く結んだ。
「だからね、私があなたに伝えたいことは、信じていいのは過去の自分と今の自分だけってこと」
 さっき来た私は夢を諦めてしまったのだろか?自己嫌悪に似た苦しみに落ちる。私は少し意地悪なことを言いたくなった。
「ていうことは、結局は過去の自分が頑張らないといけないから、私に伝えに来たってことですよね……なんか矛盾してません?」
 63歳の私は困ったように笑った。
「そうね。でも、あなたは私にはきっとならないから。だから私よりいい人生を送ってほしいの」
 そう言って63歳の私は祈りを込めて私を抱きしめた。私の身体の中を嬉しさと申し訳なさが竜巻のように上昇した。
「私は私をよく知っている。あなたは独りでちゃんと生きていける」
 63歳の私はそれから何も言うことはなかった。かぐや姫が秘密を持っていたように、私への優しさであることが私にはわかった。
「じゃあね」
 お互いに力強くにっこりと笑顔になり、63歳の私は後ろ髪を引かれる様子で背中を向けた。
「あの!」
 私はいつの間にか呼び止めていた。振り返った私の目に少し涙が溜まっていた。
「私のパートナーってどんな人ですか?やっぱり運命の人っているんですか?」
「いないわよ」
「えっ?」
「どんな選択をしても、あなたは恋愛に縁がない」
 彼女の目に溜まっていた涙は、時を超えて私へ飛び移った。

 太陽が前向きに空へ昇っていく。私も積極的に恋をしよう。私はそう心に決めた。
 

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