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【短編小説】 karma 1

 大学の授業と長時間の肉体労働のアルバイトを終え、狭いアパートに帰宅し時計を見ると、深夜一時を過ぎようとしていた。もうこんな時間か。帰宅途中のコンビニで買ったコーラを一気に半分までゴクゴク飲むと、冬の夜風に熱を奪われた身体がさらに冷やされて大きく震えながらも、糖を歓迎しているのがわかる。コーラと一緒に買った惣菜パンは狭いキッチンスペースへ袋ごと放り投げた。
 身体に残った僅かな気力だけでシャワーを浴びたあと、ベットにうつ伏せで倒れ込む。もうなにもしたくない。惣菜パンの存在を思い出したけれど、食べる気にはならず今は忘れることにした。電気もつけっぱなしでいいや。意識が徐々に遠のいていく、この一瞬がとても気持ちいい。溶けていくように全てを忘れて安らぎを得られるから。うとうとと夢の中へ落ちかけたとき、ピコンと推しのアイドルがSNSを更新した通知が届いた。

 こんな夜中に何だ? 僕は眉間にシワを寄せ、頑張ってできる限り目を開ける。疲れた心を癒してくれるのが推しの存在だ。僕は感謝を込めて出来る範囲で尽くすと心に決めている。
 それなのに、推しが投稿していた内容は、最近酷い誹謗中傷を受けているという、悲痛な訴えだった。

 僕はゴロンと寝返りをうつ。彼女が勇気を出してしたためた言葉をもう一度、一言一句逃さず読む。頭が理解を始めると、沸々と怒りが湧いてくる。起き上がって残ったコーラを一口飲むと眠気が一気に引いた。
 人がどうしてこんな酷い仕打ちができるのか、僕には全く理解ができない。彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちる姿を想像してしまう。僕が生きていけるのは彼女がいるからなのに。彼女が精一杯の努力をしていることを僕らファンは知っている。それなのに、どうして努力をしている人を平気で叩けるのか僕にはわからない。
 僕は彼女を助けたい。いや、助ける必要がある。なぜなら、僕は彼女の頑張る姿に何度も救われてきたからだ。彼女がどんな気持ちにさせられたのか、誹謗中傷した奴らは思い知る必要があるんだ。
 そういう人はいつか痛い目にあうよ、世間ではそう言うけれど、本当にそんなことがあるのだろうか? ちゃんとバチに当たっているところを確認しなければ、彼女や僕らは納得なんてできるはずがない。こんな酷いことをした人達がちゃんと反省する姿を見る方法はないのか。

『顔を出さずにこういうことをするやつは卑怯者』

 彼女を傷つけるどこかの誰かを貶める気持ちで送信する。ベッドへ今度は仰向けで寝転ぶと、天井にある顔みたいなシミと目が合う。今日は嗤っているそいつをじっと見つめ思考を巡らせる。

 翌日、僕は常田という情報セキュリティーの勉強をしている大学の先輩に相談をすることにした。彼女を救うアイデアは閃いた。でも、それを具現化することが僕にはできない。常田が引き受けてくれるかわからないけれど。

 常田のいる研究室を訪ねると、常田はキャスターの付いた椅子に体育座りをしてひまわりの種を食べていた。僕に気づいた常田が、おう、と右手を軽く挙げると、顔を上げて大きく開いた口に袋からひまわりの種をさらさら流し入れた。常田から微かにゴキュゴキュひまわりの種を咀嚼する音が聞こえる。常田はIT系の勉強をしているはずなのにいつも白衣を着ている。どうして白衣を着ているのか以前聞いたことがあるけど、研究者っぽいから、と僕にはよくわからない理由だった。
 僕の話を聞いた常田はしばらく考えたあと「あー、面白そうだからいいよ。すぐには出来ないけど」と快く請け負ってくれた。
 
 授業とアルバイトを慌ただしくこなす日々が続いていたある日、常田から連絡が来た。
『遅くなってごめん! あれ出来たよ』
 僕は授業の空きの時間を使って、常田に会いに研究室へ急いだ。

『 karma ウイルス』
 常田はそう言うと、ドヤと僕には理解もできない英語と記号だらけの画面を見せてきた。
「ありがとうございます」
 これを見ても凄いのかどうかわからないことが申し訳ない。
 カルマとは業とも呼ばれ、仏教的には「善」も「悪」もなく、その行為は必ず何らかの結果を招き、それが次なる行為へと影響していくものと考えられているもの。
 と常田は教えてくれた。因果応報と同じ意味かと思っていたけれど、実は少し違うみたい。僕には何が違うのかわからないけれど。
 
 僕が常田に相談した内容はこんなものだった。

「SNSで過去に自分が投稿した文章や他人へ返信したコメントを、新しく自分が投稿した内容に返信させるウイルスを作るとしたら出来るだろうか」

 というものだ。

「過去に自分の言ったことが人を傷つける言葉じゃないなら、過去の自分からどんな返信がこようがなんとも思わないはずなんです。でも、もし自分が傷つくようなら今後はしないでほしいんです。ただそれだけなんです。お願いします! 僕は推しを守りたいんです!」
 
 こんな理由で常田が協力してくれるとは思わなかったけど、情報セキュリティーの勉強をしているこの人は、もしかしたらかなり正義感が強いのかもしれない。
「これは出来たんだけどさ、一つだけ、頼まれた仕様を勝手に変えちゃったんだよね」
 常田は決まりが悪そうに目をそらしてパソコンの画面に視線を移す。
「何を変えたんですか?」
「もちろん大事なところは変えてないよ。自分が過去に投稿した内容が今の自分に届くっていうのはもちろん変えてない。ただ、過去の自分が投稿した内容が今届いているっていう情報は、後出しにしたい」
「それ、一番大事なとこ」
 常田はまあまあといった風に両手の平を僕に向けて距離を取ろうとする。
「わかってる、聞いて。最初は純粋な疑問と不快感があった方がいいと思うんだよ。なんか最近変な人に絡まれるなぁ、何でこんなこと言われるんだろ?と思い始めたら、実は過去に自分が言ったことが今返ってきてしまう変なウイルスに感染してましたっていうネタバラシをする。その方がいいと思うんだよね」
 常田は背もたれに身体を預けニヤニヤしている。
「でもそれってどうなんでしょう? 凄く荒れませんか?」
「何言ってんの。思い知らせたいんでしょ? このくらいしないと、みんなわかんないよ。それに傷つくかどうかはその人の過去の行動次第だし。それがカルマだよ、カルマ」

 僕は常田に言いくるめられる形でそれで納得することにした。なによりも推しが酷い誹謗中傷を受けていると訴えてもなお心無いコメントは止むことはなく、むしろ誹謗中傷は以前より増える一方だったから余計な時間をかけたくなかった。彼女には早く元気になってもらいたい。みんなが反省してくれれば、それでいい。
「もうやれるけど、やる?」
 常田は上を向き大きな口を開けてひまわりの種を流し込む。僕は「お願いします」と深く頭を下げた。

ーーーつづく


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