銀座住みの両親がゴミといったグアテマラの女の子が学校に通うために作ったミサンガ
今朝、お父さんにミサンガを捨てられた。
「お父さん、私のミサンガが足から外れてしまったのだけど、見てない?」というと
「あぁ、あれ。猫が遊んでいてゴミかと思ったので捨ててしまったよ。」と言われた。
なので、私はゴミ箱の中を探した。
両親は、そんな私の姿を見て明らかに苛つきだした。
誰かの贈り物かとは思ったものの、とても安っぽく綺麗とはいえない紐だったからだろうか。
私の両親は、自分にとって“価値のないもの”はこの家に一つもいらないと思っている。
「もうそんなに、ゴミ箱荒らして汚くしないで。」
と言った。
それでも私は、ゴミをあさり続けた。生ごみのにおいに吐き気がして、泣きそうになる。
結局、私は豆腐のパッケージの中からそのミサンガを見つけた。
ミサンガを石鹸で、洗いながら私は涙が溢れ出てきて止まらなくなった。
両親がこれをゴミだと思って捨てたのもわかるし、大事なものなのにきちんと外れないように足につけなかった私がいけない。
でも、涙は止まらない。
「そんなに大事なものだったの?私には、ゴミにしか見えないけど。」
と母は言う。
「いいじゃない、見つかったんだから。どうして泣くの?」
どうして謝れないの?と私は思う。
勘違いだったとしても、人のモノを捨てて謝れない大人ってなに?と思う。
私は、泣き続けた。
そのミサンガはグアテマラという中南米の国の先住民族の女の子が作ったものだった。
私の支援している団体「プランインターナショナル」の支援による収入創出活動の一課として製作されたものだった。
中米諸国では、“マチスモ”という男性優位の考え方が広がっており、学校に通うのも経済的な理由から男の子が優先され、女の子は学校にいけないということがある。
グアテマラでも同じだ。彼らに必要なのは、学校に行くための資金を稼ぐ収入創出の方法なのだ。
いわば、このミサンガはグアテマラの女の子たちが学校に通ったり、毎日ごはんを食べるための資金作りのために製作されたものである。
そのミサンガの一部を支援者である私たちにくれたのである。
けれど、私はそのことを言わなかった。
言っても、この家では“子供が親に口答えをする”というその事実だけで、物を投げられるくらい怒られるのだ。
私は、
「ゴミじゃないよ、ゴミなんかじゃない。」
とだけ言った。
その瞬間に、父はクッションを投げつけ怒鳴り散らかした。
「そんなの、どう見てもゴミだろ!拾ってくれてありがとうございますだろ?」
「おまえの価値観を押し付けるな!」
と言った。
私は、もうどうでもいい気持ちになった。
このミサンガはグアテマラの先住民の女の子が、学校に行くための収入創出のために作ったのだよ、と言ったら彼らはこれをゴミだと思わないのか、なんてもう知りたいとも思わなかった。
事情を知らないにせよ、数百万の腕時計とブレスレットをその腕につけた両親はそのミサンガを今ゴミだと言って物を私にぶん投げてきている。
その“ゴミ”を作って売って生きている人たちがいることなんて知らずに。
そして、遠く離れたこの国でも家庭では子供や女は口答えすることは許されない。
“価値観を共有する”ことさえ許されない、同じような状況が断片的にでもあることにやるせなさを感じる。
私は、自分がこうして銀座の大きな家に住み、三越で買ったオーガニック食材を毎日食べ、欲しいと言えばきっとエルメスのバッグでも買ってくれるだろう、そんな環境にいる自分を心底嫌になった。
それでいて、幸せだと思えない自分を殺したい思いでいっぱいだった。
私は、発展途上国の女の子を支援していると誰にも言えない。
私には、痛いと思う資格がない。
私が、遠く離れた女の子の支援をするのはいつだって自分のためのように思える。
やるせなくて、なにも救われなくて、女の子であることで苦しむ誰かの力に少しでもなることで、自分の痛みを消化する。
私は、自分が外れないようにミサンガを足につけなかったことを心底反省した。
接着剤で結び目をとめ、ミサンガを足に結びながら、遠く離れた女の子に思いを馳せた。
「これを作った女の子が、このミサンガが切れたとき“女の子としての幸せ”を当たり前に、感じることができますように。」