
知性を与えられた猫たちは何を見る? 第2話
キッチンのケトルが音を立て、注ぎ口からは湯気が出ていた。
とりあえず落ち着こうとお湯を沸かし、私はコーヒーにするか紅茶にするかと迷った。
いや、今はそんなことよりも、だ。
カチン。
音を立ててケトルのスイッチは自動で切れた。
ほんの10分ほど前、飼い猫たちが宙に浮かび、高度なプログラミングについて喋るのを聞き、あやうく記憶消去装置で記憶を消されそうになり、それを「にやあ~」と甘えてテヘペロで済まされそうなのだ。
冗談じゃない。
とはいうものの、何をどこから聞けばいいのか、それに下手に知るとどうなるのか・・。私の頭に「記憶消去装置」の言葉が浮かぶ。そんな考えをずっと頭の中で繰り返していた。
マグカップに紅茶のティーバッグを入れてお湯を注ごうとしたが、お湯はすっかり冷めていた。私はもう一度ケトルのスイッチを入れ、温めなおすことにした。
ふう~、何度目かのため息をつく。
静かな部屋の中でお湯が沸く音だけがしていた。
「お湯、沸いてるよ」
セイくんが言う。
「うん・・・・えーと、どういうことか、聞いてもいいのかな」
かろうじて私が口にしたのはそんな言葉だった。
飼い猫に対して何とも遠慮がちな。
どうする?といった表情で茶丸がセイくんを見る。
「今後、誰にも漏らさないって約束で」
セイくんが頷きながら答えた。
茶丸の顔がパッと明るくなり尻尾をピンと立てて立ち上がった。
「あのね、あのね、窓から月を見てたんだよ。そしたらパーッって明るくてね・・・」
「茶丸、順序だてて・・いいよ、僕から説明する。・・・三か月前、僕たちは窓から外を見てたんだ。満月だったけど、僕たちは月を見てたんじゃない。いつものように単なる外敵を見張るパトロール。
で、じっと見ていると突然青い光に包まれた。その時から全てが変わり始めたんだ。最初に変わったのは色の認識の変化。単なる色の違いというだけでなく、高次の別の意味を感じるようになり、同時に人の話し声もはっきり聞こえるようになった。段階的に情報処理能力が上がっていって・・・
例えばこんなことを考えたのを覚えてる。自分の肉球が『きれい』だって。今まで何気なく見ていた自分の体の一部が、『美しい形をしている』って思ったんだ。驚いて横を見ると、茶丸も同じように自分の尻尾を不思議そうに見つめていたよ。」
「それで、頭の中がぐるぐるしてて大変だったの!それに、そうだ!律佳ちゃんが仕事で使ってるパソコンの画面」
茶丸が口をはさむ。
「うん」
セイくんが続ける。
「律佳ちゃんの仕事を観察することで、プログラミングの基本概念から応用まで、自然に学んでいけた。 特に、データ構造とアルゴリズムの美しさ・・・・」
「僕は最初、セイくんほど理解できなかったんだ」
茶丸が少しばかり言いにくそうに言う。
その言葉に、私は思わず微笑んだ。
「それでも、なぜそんな変化が…」
「それは」セイくんが真剣な表情になる。
「僕たちに知性を与えた存在、彼らの目的について話さないと」
私はゴクッと唾を吞んだ。
青い光、急に得られた知性、相手は自ずと見えてくる。問題は相手が友好的なのかそうでないのか。
「うわーーーー!ちょっと待って!!!落ち着きたい、落ち着きたい!!」
私は既にぬるくなったお湯をマグカップに注いで、紅茶を飲もうとした。
と、その時。
突然、急に茶丸ともセイくんとも違う声が響いた。
「安心してください。私たちは友好的です。今のところあなたに危害を与えるつもりはありません」
これには私だけでなく茶丸もセイくんも驚き身を固くした。
声はさらに続ける。
「私たちは地球の環境と地球人社会についての調査を行うためにこの子達を使うことにしました。あなたの飼い猫を勝手に操作したことをお詫びいたします。飼い猫を使ったのは地球人の生活がわかりやすい、身体能力が高いなどの理由ですが、あなたのこの子達に対する接し方を知ることで、地球人の情緒も理解できるということもその一つでした。これまでの状況から判断すると、記憶消去装置を使わずとも、あなたにはご理解いただけるのではないかと思っています」
「記憶消去装置」という言葉に私はビクンとなった。
「もしあなたさえ良ければ、この子達を引き続き私達の調査員とすることに賛成していただきたいのですが・・・・もちろん、秘密保持前提ですがね」
私は口をパクパクさせるだけで、声が出なかった。落ち着け、落ち着け、私!しっかりしろ!相手は友好的と言ってるじゃないか、大丈夫、大丈夫だ。
しかし、茶丸もセイくんも固まってピクリともしない。だよね、だよね、こんなの、パニクるよね。
「驚かせてすみません。私の名はジョン。普段からリアルタイムで監視しているわけではないのですが、この子達がアップロードを途中で止めたので何か障害があったのかと」
「・・・ジョン?・・・」
「はい、本当は違う名前ですが、地球人には発音しにくいと思いますので、ジョンと呼んでください」
なぜにジョン?宇宙人がジョン?
「ジョンというのは一般的な名前と認識していますが、ご希望でしたら他の名前でも」
「あ、いいです、ジョンで」
「ありがとうございます。で、律佳さん、ご理解いただけたでしょうか?」
「あ、はい・・」
「ご協力感謝いたします。では、引き続き、この子達を調査員としてよろしくお願いします。以上です」
通信は切れたようだ。
沈黙を破ったのは茶丸だった。
「ハーッ!!!!びっくりしたー!!!ヤバかったねー!!!ね?」
セイくんを見ると、セイくんは私の顔を一瞬見た後、顔を洗う仕草をして知らぬふりを決め込む。
はぁ~。
私はまたもやため息をついて、すっかり冷めきった紅茶を飲み干した。