知性を与えられた猫たちは何を見る? 第1話
あまりに非日常な体験をしたとき、最初はもちろん、驚愕したり、慌てたりするだろう。しかし、その体験が度を過ぎていると、人は意外なほど早く、それを受け入れる。
これは、本能なのだろうか?人が生きるために与えられたプログラムなのだろうか?
しかし、あの頃は、まさか私が、そんな非日常な体験をすることになるとは夢にも思わなかったのだ。
日曜日。
私は、春の日差しが差し込む部屋で紅茶を飲みながら、飼っている2匹の猫を見ていた。
猫の名前は、「茶丸」と「セイくん」。
セイくんは、茶丸が自分の目の前で振る尻尾が気になって仕方がないようで、ついつい前足で茶丸の尻尾を掴もうとする。
茶丸はそれに苛立ち、ますます尻尾をパタパタさせる。するとセイくんはますます・・・。
私はそんな彼らの様子を見ていた。
「ねえ?その尻尾は意識的に動かしてるの?それとも勝手に動いちゃうものなの?」
私は茶丸に尋ねる。
茶丸は私に話しかけられ、嬉しそうに
「にやあ~」
と床にゴロンと転がり、お腹を見せてきた。
白地に茶色の模様が特徴的な彼は、両脇の丸い模様からその名前が付いた。トパーズのような美しいオレンジ色の瞳が私を見上げ、甘えるような鳴き声を上げる。いつもの愛嬌たっぷりの挨拶だ。
セイくんは遊んでいた尻尾を失い、元の場所でクールに座っている。
白地にこげ茶の模様は、よく見るとSEIという文字にも見える。
ブルーとオリーブ色のオッドアイ。
茶丸の目がトパーズならセイくんはサファイアとペリドットというところか。
異なる色の瞳が、いつものように知的な印象を漂わせながら、こちらを観察している。
この子達を飼い始める前まで私は、ペットに喋りかける人を奇異な目で見ていたのだが、今はそんなことどうでもいい。
実際、喋りかけると返してきてくれてるのだから。
変な人と思うなら思ってもらっていい。
そんなわけで、私は猫に喋りかけるのが日常になっていた。
茶丸は寝転がったまま私の足にケリケリしてきた。私はちょっとの間、彼の相手をし、
「あー、何で、猫ってこんなに可愛いんだろ」
と、呟きながらキッチンに向かう。2杯目の紅茶を入れながら、AIデバイスに今週の予定を確認した。
AIが世の中に出回るようになったのは10数年前。
私が高校生くらいの時には考えられなかった世界だ。
今やどの家庭でもAIデバイスを置くし、そのアプリをスマホにも入れている。
そして生体データを読み取るためのペンダント型やリング型、バングル型、様々な形のデバイスも身に着け、健康管理も行うのが普通になっている。
AIデバイスが
「猫の餌がそろそろ無くなるころです。いつもの通販サイトで購入してもいいのですが、別のサイトでやっているキャンペーンを利用するとお安く購入できます。」
と言ってくる。
「そうねえ、じゃ、そっちでお願い。」
「了解しました。」
AIデバイスと喋っても人は変な目で見ないが、猫と喋るとそうではない・・私はその理由についてしばらく考えていたが、それもやめて、PCで会社の仕事の気になる部分を確認しておくことにした。
私はしばらくPCで作業した後、ぽかぽかと暖かい日差しの中、気持ちよさそうに眠る2匹と横になるうち、つられて眠ってしまった。
そして、昼寝から目覚め、ふとPCの画面を見た私は、顔を曇らせた。
画面には見慣れない計算式を含む論文のようなものが表示されている。数式の一部は量子もつれに関する内容のように見えるけど、私の専門外だ。
私は社内の機密情報を扱うプログラマーとして、セキュリティには人一倍気を配っている。慌ててウイルススキャンを実行し、ファイアウォールのログも調べたが、不正アクセスの形跡はない。私は困惑して画面を見つめるしかなかった。
私は、ふと、その前の週に開発中のアプリにセキュリティホールを見つけてコードを書換えていた時のことを思い出した。その時の私のように、誰かが私のPCをハッキングしているのじゃないか?そんな疑念が頭をよぎった。
さらに履歴を確認しようとすると、その瞬間、セイくんが私の膝に飛び乗ってきた。普段は決して甘えてこない彼が、珍しく擦り寄ってくる。その勢いで私の肘が電源ボタンに触れ、画面が暗転。
もう一度電源を入れても、シャットダウンの途中だったらしく、Windowsは「異常終了からの復帰」を促すメッセージを表示するだけだった。結局、システムの復元まで行う羽目になり、履歴は確認できなかった。
「ふう・・・、原因はわからずか。何なのかな」
気が付くと茶丸とセイくんがこちらを見ている。
「あんたたちなの?」
冗談で言ってみたけど、何故か慌てて走り去っていった。
しかし、私はふと思い当たる。今日のこの事だけじゃない。変だ。なんだか最近、おかしい。次から次へと思い当たる節が浮かんでくる。
そういえば・・・
消したはずの部屋の明かりやPCがついている。本棚の物理学の本、特に量子力学や宇宙物理学の本が逆さまになっている。リビングに置いていたスマートフォンの画面には、見覚えのない数式アプリが起動している・・・。
「あれは何だったのだろう?」
思い返すたび、答えの出ない疑問が胸に広がる。
AIデバイスに尋ねてみたが、
「部屋に侵入者があった形跡は認められません。それでも気になるようでしたら、セキュリティの強化、もしくは心療内科への相談を勧めます。」
との返事が返ってきた。
自覚は無いけど、これが病の始まりって可能性もないとはいえない・・・。私は、不安と憂鬱に襲われた。
そして翌日。
駅からの帰り道、近所の公園を通りかかった時、私は「え?」と目を止めた。そこにいたのは茶丸とセイくんにそっくりな猫たち。
茶丸らしき猫は何かの機器らしきものとじゃれている。いや、じゃれているというか前足で操作しているようにさえ見える。
そしてセイくんらしき猫は周囲を見張るような素振りを見せていた。
その姿はまるで、スパイ映画のワンシーンのよう...。
いやいやいや。部屋の窓は閉めてきたし、こんなところに彼らがいるわけない。しかしそれにしても・・・似過ぎている・・・。私はその姿をスマホで写真を撮ろうとした。けれどもシャッター音と同時に物陰に走り去ってしまった。
家に着くと、2匹はいつも通りソファでくつろいでいた。
「なんだ、やっぱり違うじゃん・・・」
しかし、そう言ってよく見ると、セイくんの前足に付いた泥は、さっきの公園の土と同じ独特な赤茶色をしている。この土の色は確かにあの公園の土と同じだ。あれは、茶丸とセイくんだったのだろうか?しかもあの姿はまるで・・・。
「ひょっとして今までのも猫達が?」
ふいに訪れた突拍子もない考えに自分でも驚いた。
「まさか、そんなバカな。何考えてるんだろ」
私は苦笑してその考えを追い払った。
しかし、今までの一連の奇妙な出来事、そして今日の出来事。
これらが関連しているとは限らない。今日の出来事は思い過ごしの可能性もある。そして、今までの出来事の考えられる原因としては、ハッキングされている、これは、私が確認した限り、その痕跡はなかった。
次にストーカーなどの侵入者だが、AIデバイスは、侵入者はいないと言っていたのでこれは排除。いや、AIデバイス自体もハッキングされている可能性だってあるので、まだ完全に除外することはできない。
あとは私の精神障害?そう、それなら解決がつく。昨日見た2匹のことも、私の妄想で・・・。
私はグルグルと同じことを考えたが、解決がつかない。とりあえず、部屋の中に怪しいものがないか、徹底的に調べてみよう。それで何も見つからないなら、心療内科に行くとしよう。
私はそう思って、まずは盗聴器発見器を購入して調べることにした。
「何?律佳さん、今日は早退なの?」
「うん、ごめんね。ちょっと頭痛がひどくって」
「大丈夫よー。何かトラブルあったら電話するし。その時はリモートでお願いねー」
「ありがと。それじゃね」
私は会社を早退し、帰り道に盗聴器発見器を購入して家へ向かった。こんなことで早退するなんて、とも思ったが、それくらい私の中では不可解さと不安が頭の中を占めていた。
駅のモニターでニュースが流れていた。ちらりと目をやると、画面には真っ暗な都市の映像が映し出されている。キャスターの緊張した声が周囲のざわめきの中で聞こえた。
「昨夜、全国の複数の都市で発生した大規模停電について、新たな情報が入りました。専門家は、停電の原因が大規模なサイバー攻撃によるものと見て…」
私はその言葉に一瞬足を止めた。仕事柄、サイバー攻撃と聞くと気になってくる。画面には、真っ暗な街路を歩く人々や、停電で動かなくなった信号機の映像が流れている。
「まあ、仕事に戻ったら詳しい話を聞く機会もあるだろうし。」
今は、そんな心配より自分の心配の方が大きい。そう思って、私は足を速めた。
玄関に近づいた時、ハッとした。
窓の外から青白い光が漏れている。こんな照明はうちにはないはずだ。見たこともない光に私は怪訝な思いで足を止める。
いったい何の光だろう?!誰かいる?心拍数が上がるのを感じた。音をたてないようにしてドアのノブに手をかける。そっと覗いてみると...。
部屋の中央に、青く輝く円筒状の光が立ち上っている。その青白い光は静かに部屋の中を照らしていた。それは冷たい光ではなく、優しい月明かりのように、暗闇の中でそっと寄り添うような温もりを感じさせた。
そして、その中で、二匹の猫が宙に浮かんでいた。茶丸の首輪から小さな装置が光を放ち、それが何かの映像を投影している。画面には、人間の言語や行動パターンを分析したらしきデータが次々と流れていく。
光の中に、浮かぶ2匹の猫…いや、ただの猫じゃない。次々と表示されるプログラムのコード。私は凍りついた。
「えーと、今日のアップロード...あれ?この赤いボタンだっけ?青いボタンだっけ?」
「茶丸...また手順書読んでないだろう」
え、え、えええええええ?!!!
私は思わず、バッグを床に落としてしまう。
2匹もハッと気づき、こちらを見る。この異常な光景に、何をどうしていいのかわからない。私の飼い猫が、人の言葉で、プログラミングの話をしている。しかも宙に浮かびながら。
二匹も同様に固まっていた。光の柱が消え、ゆっくりと床に降り立った。私は、その場にへたり込むように座り込んでいた。
茶丸が、案の定というように耳を下げながら、おどおどと口を開く。
「えへへ...ばれちゃった?」
「こうなったらやむを得ない」
セイくんが諦めたように目を細める。
「記憶消去装置を...」
「えぇ!だめだよ!」
茶丸は慌てて割り込む。
「律佳ちゃんなら大丈夫だよ!ね?秘密にしてくれるよね?」
「ちょ、ちょっと待って...」
私は頭を抱える。
「これは夢か何かで...」
「夢じゃないよ」
セイくんが冷静に言う。
「けれど、これは極秘任務。他の誰にも話してはダメだよ。」
茶丸は床に座り込んだ私の膝に飛び乗ると、甘えるように頭を擦り付けながら、でもちょっと不安そうな口調で話し始めた。
「お願い!僕たちのこと、誰にも言っちゃダメだよ。すっごく大事な任務なの!」
「もし漏らしたら、僕たちだけでなく、律佳ちゃんにも危険が及ぶから」
セイくんが補足する。
「もう、セイくんったら怖がらせないで!でも...本当に内緒にしてね?」
呆然とする私に二匹はすり寄り、「にやあ~」と言った。