見出し画像

「何もしなくても存在していい」という縄文時代の考え方 

みなさま、こんにちは🌞
今日は久しぶりに雨が降りましたね。☔️


今、色んなところで時代の転換期と言われていますが、早急に思い出さなければならない記憶があります。


それは、私たちの身体の細胞中にあるDNA内に眠っている日本の縄文時代の記憶と言われています。


なぜかというと、縄文時代の遺跡からは人々同士の争いがあったことがわかるような武器などが発掘されてなく、平和な時代が約14000年以上も続いたと考えられるからです。


また、縄文時代の人たちは、圧倒的に感じる力が強く、微細な感性を持っていました。
縄文時代は今とは違って、衣食住をはじめ、環境が整っていませんでした。それでも、縄文の人たちは平和に暮らしていたというのですから、少なくとも平和に暮らしていた要因は環境ではないはずです。


幸せはその人の感じ方で決まります。
環境に左右されず、平和で幸せに暮らせるかどうか、それが「幸せを感じる感度」です。


そもそも、争いがなかったのではなく、争う必要がなかったということ。争うという意識がない上に、「いのちへの感謝」があったことが予想できます。


これを現代風にいうと「存在肯定」ということになります。


現在、多くの人は、「何かをすることで、存在できる」というように、自分が存在することと何かを引き換え条件(交換条件)にしています。


自分はあいつよりもこれができるとか、認められているとか、自分がいないと困る人がたくさんいるから、自分は存在価値があるんだ、など、何かしらやっていないと、何かしら役に立ってないと自分で自分を認められないものではないでしょうか?


つまり、「何もしなくても、存在していい」と、自分の存在を無条件に肯定することはなかなかできていないのが実情だと思います。これは、自分のいのちを無条件に受け入れられていない状態と同じことです。


縄文の人たちは、「いのちに感謝」をすることができていました。つまり、無条件に存在肯定ができていたのです。
身体を愛することを通して、自然を愛し、宇宙を愛していました。つまり、自分のいのちだけではなく、この地球、宇宙に存在するすべてのいのちに、感謝ができていたのです。


人は、自分の「存在肯定」ができていないと、自分には「ない」もの、不足しているものにフォーカスしてしまい、この不足感を埋めようとするために、争いの種が生まれてしまいます。


しかし、ありがたいことに「私は無条件に存在していい」という記憶を、細胞のDNAを通して、ご先祖さまたちが私たちに残してくれていました。


長い歴史の中で忘れてしまっていますが、思い出すことができます。記憶されているこのDNAこそ私たち人類に向けた大きなギフトだと思います。


この宇宙は確率で未来が決まります。全員が思い出すことができなくても、もしあなたが思い出せたなら、そのわずかな確率が、集合無意識に大きな影響を与えます。


是非、私たちのDNA内に眠っている日本の縄文時代の記憶を思い出し、この世界に大調和を復活させましょう!

いいなと思ったら応援しよう!

Chama-happy
いつも応援頂きありがとうございます! もしチップを頂いた時には、記事投稿のための活動費に使わせていただきます!