日本はなぜ一度も植民地支配されなかったのか?
みなさま、こんにちは🌞
今日は、
世界的に、有色人種の国で一度も植民地支配されていない国家は珍しい。日本はなぜ一度も植民地支配されなかったのか?
という話です。
今やアメリカと並ぶ超大国となった中国🇨🇳や人口が世界一となりGDPで日本を追い抜くのも時間の問題となったインド🇮🇳でさえも、過去に欧米の国によって植民地化されたという苦い歴史を持っています。
日本も外国に支配される危機はありました。
具体的な危機は大きく分けて3つでした。
「元寇」、「戦国時代から江戸時代初期」、「幕末」です。しかし、日本はそのすべての危機を乗り越え、独立を守りました。
日本が植民地支配されなかった理由として考えられることは、
日本は海に囲まれた島国ですが、この海に囲まれたというのが、大きなメリットをもたらしました。
科学技術が発展する前の世界において、海は人間の通行を妨げる障害物だったからです。
蒸気船が登場する前の時代の船は、木造の手漕ぎ船や帆船が主流で、この頃の航海は、海流や風に流されるままに行うものでした。
GPSや方位磁針も無かったため、現在位置がわからなくなると、遭難する可能性が高かったのです。
そのため、海を渡って日本に侵攻するという行為自体、リスクの高い行動でした。
日本に侵攻するためのルートはいくつかありますが、
まずは、アメリカからの太平洋を渡るルートがあります。その間にあるまともな陸地は、ハワイくらいなので、ここを渡ってくる間に遭難、沈没するリスクは非常に高かったのです。
次に、東シナ海経由はどうかというと、例えば、上海から福岡までは、直線距離で約900kmあり、その間にある陸地は済州島くらいで上海から約500kmくらいの場所に位置します。そのため、中国大陸から東シナ海経由で日本に向かう途中で嵐にあっても、済州島に至るまで避難場所はなく、このルートも遭難のリスクが高かったのです。
さらに、日本海ルートに関しては、北からのリマン海流と南からの対馬海流がぶつかって渦を巻いているので、ここも侵攻ルートとして適していません。
また、日本の北方の北海道側からのルートは、寒い上に人が少なかったため、そもそも侵攻されるリスクがありませんでした。
ただ、日本への航海路がまったく無かったわけではなく、朝鮮半島から玄界灘を経由して九州北部に行くルートと中国の東南部から台湾や沖縄を経由して鹿児島へ行くルートは、距離の近さや途中の避難場所が多いという点で、安全とは言えないまでも、危険度の低いルートでした。
実際に、元寇では、元軍は玄界灘から日本に侵攻しました。
侵攻されるルートがあって、安全じゃないと思われるかもしれませんが、侵攻ルートが限られているということは、上陸地点を予測しやすいので、特定の場所に防御のリソースを割くだけでよく、国防上非常に恵まれていたのです。
玄界灘ルートという比較的安全なルートがあることは、逆に日本にとって、別のメリットをもたらしていました。
それは、大陸との繋がりを確保できたということです。
これは、当時の先進地域である中国などから知識や技術を輸入できたということを意味しました。
そういうわけで、日本は大陸側の国から侵攻されずに、大陸の先進な知識や技術を導入することができたのです。
日本への航海路は決して安全とは言えなかったため、大陸から輸入されるものがそんなに多くなかった事も結果的に日本にメリットをもたらしました。輸入した技術を自分たちで補う必要があったため、国内で独自かつ高水準の文化・技術を築き上げる事ができました。
日本の技術力を示す例の一つが「鉄砲」です。鉄砲は、戦国時代に日本に伝来しましたが、伝来の翌年には、鉄砲の国産化に成功し、多くの戦国大名に使われるようになりました。
また、教育のレベルも高く、江戸時代の識字率は世界一とも言われ、武士は100%、全国平均でも60%の識字率を誇っていたと言われています。この背景には高い就学率がありました。この時代、幕府や藩が設立した学校以外に私設の塾や寺子屋といった教育機関が充実していました。江戸における就学率は、70〜86%まで達していました。
産業革命が進んでいたイギリスの大工業都市でも就学率は、20%程度であったため、いかに江戸時代の日本の教育が高度に発展していたかがわかるでしょう。
こういった教育水準の高さは、情報収集力、判断力、理解力、知的好奇心の高さにつながります。
この時代、欧米諸国は、植民地化のターゲットとなる国に、侵略準備として宣教師を派遣 して、まず自分たちの教えを広げ仲間を作っておく、という戦略をとっていたのですが、好奇心旺盛な日本人は、宣教師の教えを真に受けず疑問点をぶつけたり、時には議論をふっかけたりして宣教師を手こずらせました。
ただ、いくら頭をフル回転させても武力で押し込まれたら意味がありません。
しかし、特に、戦国時代、100年以上戦乱の世を経験したことで、全国の武士が多くの実践経験を踏み、戦術も戦闘技術も発達していたため、日本の軍事力は世界トップレベルと言われていました。
また、武士は他国の軍人に見られないような忠義心や義を大切にする性質を持っており、誇りのためなら死をも厭わない人たちでした。そんな武士たちと戦い、勝利することは簡単なことではなかったのです。
スペインも宣教師を通して、このような話を聞いていたはずなので、日本を植民地化する気がなくなってもおかしくはないでしょう。
また、幕末には、幕府は情報収集により、ペリーの来航なども事前に把握しており、実際にペリーがやってきた時も毅然とした態度で交渉に臨み、不平等条約を結ばされたものの全面戦争という最悪のシナリオを避けることができました。
以上、これらは日本が植民地化されなかった理由として考えられることです。