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なぜ「今からでもオリンピック中止を求める」論者がいるのか

「改めて中止を求める」
中止を、、、求める、、、今更?

ネットサーフィンをしていて、たまたまみつけた共産党の記事にびっくりした。日付は7月30日である。

7月30日と言えば、日本がオリンピック史上最多の金メダル17個を獲得し、日本中が大盛りあがりをみせていた日である。

未だに「中止」を主張し反対活動を続ける政党は、あまりにも国民を愚弄していないだろうか。

たしかに開催前に世論が真二つに分断され、綺麗なスタートと言える状況には程遠かった。

しかし蓋をあけてみれば100点満点とは言えないもののコロナ対策はそれなりに機能しており、なによりも多くの人が選手の活躍に歓喜してオリンピックを観ている。
反対派だったくせに………。そう、僕もその一人だ。

一貫して賛成派だった人からすれば、一見矛盾しているように見えるかもしれないが、ごめんなさい。僕の中では矛盾でも何でもないし、手のひら返しというわけでもない。元々からあったオリンピックへの楽しみな気持ちが表に現れてきただけなのだ。

度重なるイベントの中止や長引く自粛、世界の中で最もコロナ対策で出遅れた日本。この鬱積を晴らしたいという気持ちもあって、久しぶりの明るいニュースに歓喜しているのである。日本人すげー、俺すげーって笑

これもまた我ながら自然な心理だと思う。

共産党が中止を未だに主張する表向きの理由はコロナ感染拡大への懸念であろう。しかし全国で爆発的に感染者が増加している中においてオリンピック関係者の陽性率は、都民よりも圧倒的に低い。こうなるとオリンピックが開催したことが原因で、感染が拡大しているとは言い難い。

様々な角度からみて、今からオリンピックの中止は現実的ではないし、してはならないことは共産党自体も分かっているのに、なぜ平気で「改めて中止を求める」と言うのか。

これは次の衆議院選に向けて「国民の命を守るために一貫した主張を続けた」というパフォーマンスであると思われるが、あまりにも現実味のない空虚で稚拙な主張である。

絶対に覆らないことが分かっているものほど、自己主張の爪痕を残すために「そもそも論」はよく使われる

既に方向性が決まった議論を振り出しに戻そうとする「そもそも~~いらないのではないか?」を終盤にブッこんでくる「そもそも論者」は会議体に一人はいる。

こういう人は怖いものはない。
「良案だね!では、貴方の言うとおりにしてみようか」となって、突如、責任者に任命されるシナリオは絶対にない。主張が却下されることは分かっており、無責任の逆張りで自分の爪痕を残そうとしているだけである。

そしてプロジェクトが失敗するまでジッーと固唾を呑んで見守り、失敗した時に「だから俺が言っただろ!」と声高々に主張できるタイミングを意地汚い顔して見計らっているのだ。

「自分たちに決定権がないものについて、そもそも・・・、と話し合ったところで、それは無価値の議論であり、無価値な時間である」

たとえば東京オリンピックの中止の議論はどうだろう。
現在、東京都、日本オリンピック委員会、そしてIOC間で締結された「開催都市契約」を基に大会が運営されている。

これまで世論を真二つにしてきた
「開催か?」「中止か?」の議論は、残念ながら「開催都市契約の66条」に明記されているようにIOCに全決定権がある。

つまり共産党がいくら声高に叫ぼうとあなたたちに決める権限は1ミクロンもない。

IOCに権限があるものを剥奪することは当然できるわけもなく、それなのに7月7日の都議選に二週間後に開催される「五輪を中止する」といった絶対に守られない「公約」を掲げて挑んだことは、都民を馬鹿にした行為としか僕には思えない。第1党にならないことは分かっているので守る必要もないから好き放題に言えるのだ。

トヨタ自動車の流れ組み立て業務をしている従業員が
「そもそも、今後は水素自動車を作ったほうがいいよね?」
と、そもそも論を展開したところで、現場リーダーから「そうですね、ただその前にちゃんと手を動かしましょう。流れが止まってますよ」と一蹴されるのと同じである。

僕の身近でもあった「そもそも論」

僕の住むマンションでは、一年に一回、レクリエーションの一環として屋上でバーベキューが開催される。

費用は毎月積み立てられる管理費の一部からまわされるため、毎年すでに予算建てしてある。

昨年はコロナの実体がつかめない状況下で、有無も言わずに中止となったが、今年は昨年に比べるとコロナへの心理的不安は低下しており全室アンケートをとった結果、圧倒的多数の賛成により実施することになった。

参加希望のアンケートを取ったところ、今年は例年よりも参加人数が多くなりそうだったので、運営実行部隊として理事だけでは十分な準備ができないと判断し、有志を募り、全8名で当日の準備を進めることになった。

実は、僕も41歳でありながらも現マンションの住民の中では「若手」である上、キャンプ的なことは元来から大好きなので自ら手を挙げて運営部隊に入った。

そして同じく有志として現67歳の住民も是非メンバーとして加わりたいということで打合せ段階から入ってきた。

しかしこいつが「そもそも論者」であった。

大々的な地域イベントではないものの万が一でもクラスターが発生したら大問題なので、コロナ対策には執拗なまでに力を入れて、余念がなく準備を進めていた。

しかし当日の準備や役割を一つ一つ詰めていく最中、開催日が1週間前に迫ったところで飛沫防止のクリアパネルがないことに気づいた。

「色んな人が来るから、クリアパネルがないとクレームしてくる人がいてもおかしくない」

「パネルを買うのは良いが、どこにどうやって設置する?」

「事前に『パネルはない』と通知する?」

「他でバーベキューを実施したイベントがどうしているか調べてみよう」

という実行に向けた前向き議論をしている最中であった。

それまでご意見番と言わんばかりにジッーと地蔵のように黙っていた「そもそも論者」がいきなり声をあげた。

「あの~、一つ質問。いや、これは提案として受け止めてほしいのですが、色々と進める中で問題点もこうして出てきたことだし、そもそもコロナ禍で本当に今バーベキューをするべきかどうか、もう一度そこに立ち返って考えないでしょうか?まだ食材を買ってませんので撤退する選択肢もとれます。住民のレクリエーションが目的なんだから、たとえばボーリングでもそれは達するわけだから」

そう言った後に
「正論言ってやったぞ」
のどや顔をするのだ。

聞いてる方は
「はぁ?」
「今更、そんなこと言うんかい」
「あんた有志で加わったメンバーだろ」
である。

しかし、このおっさんの思い付きで発した言葉を一蹴するには相当なパワーが必要なのだ。

対案のボーリングは言い負かすことはできるが、「バーベキューをやらない」という意見に対しては難しい。

なぜなら
「コロナ禍でイベントをすること自体が世に逆行した発想」であり、「そもそも論者」が言っていることの方がある意味真っ当であるからだ。
そしてここにきて議論が「完全に平行線」になってしまったのだ。
※結局、予定どおり開催された

「そもそも論者」の成り上がりトリックに騙されてはいけない

「そもそも論」を一貫している共産党は、五輪後に威勢がよくなるに違いない。
衆議院選挙でも「国民の命を終始考えていたのは我々だ」と主張するだろう。

やはり五輪開催が理由でなくとも、今のコロナ拡大の状況下では閉会するころまでには、感染状況は間違いなく大きく悪化するだろう。つまり「五輪の結果よければすべてよし」ということにはならない可能性のほうが大きい。

結局、五輪開催の決定に加担した与党を野党が攻める構図で次の衆議院選は展開されるだろうが僕個人としては80点が評価されない社会であればとても怖い世の中だと思う。

自分たちの議席獲得のためだけに、アスリートが手にした栄光が滲んでしまうような
「東京五輪は開催すべきでなかった」
という後味の悪い論調だけは、絶対にやめてほしいと思う。

大事なのは、覆らない決定をしっかりと受け止めた中で、いかにして最善を尽くす策を考えて実行するかの「実行力」であり、そこでの議論を与野党でより活発にすべきである。

政治でも、会社でも、バーベキューでも意思決定プロセスの本質は同じであり、終盤にぶっこんでくる「そもそも論者」の意見に耳を傾ける必要はない。

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