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上司の武勇伝に学ぶ、授業の記憶力増強法

「今日の算数は何をやったの」長女に語りかける。
長女「う~ん、1とか2とか5とか」 
俺「足し算かな。1と2を足して3とか」 
長女「たぶんそれ。でもよく覚えていない。」   

ランドセルから教科書を取り出す。   

俺「5に何を足したら10になりますか?でしょ」
長女「・・・そうだったかもしれないけど忘れた」

問い詰めるような聞き方が悪いのかな。親と話すことを回避できる魔法の言葉「忘れた」を使っているのかな。
いや違うな。   
長女「学童でたまちゃんとトランプしてね・・・・」

この話は永遠と続く。嬉しそうに語るその内容はまるで僕をその場に連れて行ってくれたかのように鮮明に伝える。
算数はお昼ご飯を食べた後の40分の授業。 本当に足し算の記憶が残っていないのであれば入学して早々、堂々と寝たのだろうか?僕の遺伝子があるからそれもありうる。いや、小学1年生でさすがにそれはないか。

もしかして授業に全く興味がない?それとも記憶力がない?

色あせない青春時代の記憶

好きな人と交わした言葉は何年たっても色あせない。 
それどころか何年経っても振り返って嬉しくなったり後悔をしたりする。「あれを言われたときは嬉しかったなぁ」 「あの時あぁ言っておけばよかったかもな」 
何度も復習して記憶がどんどん脳に深く刻まれていく。どうでもいい人とのどうでもいい話ならば簡単に忘れる。日常的な上司の説法は耳に入っても脳の中枢神経を刺激しない。
おそらく僕だけでなく多くの人がそんな感じだろう。なんとなく重要な話なんて全く思い出せない。  

思い出の6:3:1の法則 

人の記憶は「良い思い出」と「悪い思い出」とで、思い出す割合に法則があるという。 2500人を対象に、30分で過去の出来事を思い出し「良い」から「悪い」の5段階にわけて書き出してもらったという実験がある。

それによると人種、国に関係なく、更には服役中の受刑者でも
「良い思い出:6、悪い思い出:3、どちらでもない:1」
という割合になったとの報告がある。 つまり、どんな人であっても悪い思い出の2倍良い思い出を常に持って生きているからこそ、嫌な悲しい思い出があっても時間と共に良い思い出ができれば忘れていく。だから昔からよく使われる『日にち薬』とはしっかりとした根拠があるんだ。

好きでも嫌いでもない日常の授業は「どちらでもない思い出」になる。
だとすると記憶の箱の10分の1しか占めない。 僕たち大人も嫌いな先生の授業はなんだかんだと未だに記憶にあるが、先生の名前すら記憶に曖昧な授業は全く思い出せない。
学生時代に好きだった女の子の名前は勿論、嫌いだった女の子の名前も明確に言える。一方でどちらでもない子はFacebookで名前検索する際に手が止まる。あれ?顔は思い出すんだ。でも名前は何だった?
となると記憶の観点から言うと中途半端が一番よくない。
好きになるか思いっきり嫌いになるかのどちらかだ。

でもやっぱり好きになるが良い

好きな人ができたら他のことに目がいかないほど集中する。一日中考えることも飽きないし、細かいことまで覚えられる。誰からも言われることなくデートの事前準備と振り返りをする。
これが一番良い。が、口では言うのは簡単だが嫌いなものは嫌いだからそういうわけにもいかない。

仕事はどうだ。
上司から教えてもらったことはあっという間に忘れる。本心では興味がないからだ。「やらなければならない」と思って取り組んでも心には嘘をつけない。仕事から帰ったら食事して風呂入って好きなことをやって、考える間もなくまた朝がやってくる。事前準備も復習も時間なんてない。だから仕事はOJTによる反復で強制的に習得する。

面白みのない教科書はどうだ。
これを好きになるのは難しい。仕事と違って強制力もない。それでもその内容を深く頭に刻み込むためには好きな子とデートするプロセス「事前準備・予行練習」と「復習」をしていくしかないのだろう。 授業が終わったあとに何度か振り返る。帰ってあったことを親に話す。 そのプロセスを強制的に辿らせることで記憶が「どちらでもない」から「良い思い出」のプロセスに辿って記憶に残るのだ。

上司の自慢話を例にあげると分かりやすい。
あぁ、うざい嫌いだ。でもなぜ覚えてる?武勇伝は何度も何度も繰り返される。そうか。やっぱりこれがどうでも良い思い出を記憶に残す唯一の手段なんだ。

長女にお願いした。
明日から習ってきたことを先生になってパパに教えてね。

育児から教わったこと(まとめ)

覚えたことを脳に深く刻む方法は、少し時間をあけて繰り返すこと。何度も何度も。ただし身内限定で。

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