好きじゃない彼女を好きになる努力をした話
俺は発見した。
レモンティーを初夏に飲むと幸せな気分になるということを。
この手の季節×飲み物のマッチは幸せな気分を呼ぶことが多い気がする。
多分、初夏×レモンティーがピンと来ない人も、夏×ビールと聞いたらピンとくるのではないだろうか。
ちなみに、冬×ほうじ茶も俺は幸せな気分になる。
5年前、ビール以外で初めて気づいた組み合わせは、夏×麦茶だった。
自販機でたまたま買った麦茶を口にした時、「お、うまい!幸せだな!」とふと思った。「幸せ」という実感がしっくりきたのは人生で初めてだと思う。
俺には昔、婚約者がいた。
その人はもう二度とないほどの大恋愛の人の後に、その気持ちのオマケみたいに好きになった人だった。
俺の婚姻の籍はその辺の外国籍の女に売っても構わないと思ってた時期に、「付き合うなら結婚して」と言われて、「はあ、いいですよ」という具合に婚約してしまったのだ。
婚約してからの彼女の行動は早かった。
あれよあれよと親に紹介され、あとは親同士の顔合わせを残すだけだった。
性格も価値観も合わなかったけど、体の相性だけは合っていた。
でも、全然好きになれなかった。
次第に俺は、その婚約者と隣で過ごす暑い日、麦茶をよく飲むようになった。
頭のどこかで「結婚するなら、一緒にいて幸せだなと俺が思える相手といたい」と思っていたのだろう。
飲む度に俺は「幸せだなあ」と自然に思った。
その幸せは、そばにいる女がもたらすものだと思い込もうと努力した。
不自然すぎることは充分にわかっていたのに。
だましだまし過ごした7月、時期は祇園祭になった。
婚約者の実家で浴衣を用意してもらい、
浴衣を着て平成狸合戦ぽんぽこのような空間の中を2人で歩いた。
そこでも俺は麦茶を飲み続ける。
「幸せだなあ」と、やっぱり思った。
ふと彼女が「写真を撮ってもらいましょう」と言った。
俺「うん。いいよ」
2人で並ぶ写真。できた写真を見る。
俺の顔は笑っておらず、諦めたような顔をしていた。
俺は確信してしまう。
「祇園祭も麦茶も幸せだけど、この子と過ごすことは幸せじゃない」と。
それでも、約束したことだし、結婚をしようと本心に抵抗した。
7月の終わりには「2年後に離婚してもいいから結婚は1度しよう」と思った。
しかし、タイミングというものは、時にいたずらをしてくる。
その2日後、なんとなく「いいな」と思ってた女の人に少しのキッカケで落ち切ってしまったのだ。
恋に落ちた後は、その人に会える日が楽しみで、朝もギラギラして勝手に5時半に目が覚めたりした。
その子の事を考えてる時間、幸せで楽しかったし、幸せを途切れさせないように麦茶を飲むことはなくなった。
幸せを必死で手繰り寄せなくても、
こうやって自然に思えるものなんだと分かってしまった。
結局、努力では人は愛せないのだ。
努力をしきることができるのは、その人を愛しているからだ。
婚約者とはその2ヶ月後に「すみませんが、愛せません」と言って別れた。
そして、その時落ちた女性とはその後、8ヶ月も片想いしたあと、付き合い、結婚して、今は俺のお嫁さんになった。
今はもう無理に麦茶を飲むことも無いし、
家に帰るのが今日も楽しみでしかたがない。
しかし、幸せと掴もうと努力したことは無駄だったかと言われれば、実はそうではない。
あの婚約者といなければ、俺は神奈川から関西に来なかった。
関西に来なければ、妻と出会えなかった。
そう考えたら無駄じゃないけど、
むだでしょ笑
結論:好きじゃないならさっさと別れた方がいい
つべこべ言ったけど、それに尽きる笑