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【節約生活#761】お金以外の基準と節約
趣味で節約生活をはじめてみた。
肉体的、精神的、社会的な健康を目指しながら節約をするというルールで挑戦中。
(2024,6.15更新 それまでは「健康で文化的な生活をしながら節約をする」というルール)
お金以外の基準
子どものころから資本主義の世界にどっぷり使っていたので、大学を出てしばらくするまでお金という基準に重きをおいていた。それだけ長くお金を大事にしてきたのは、世の中の表面だけなぞっていたからだろう。
よくよく考えれば、仕事を選ぶときにお金だけを基準にしている人は少ない。もしもお金だけを基準にしていたらひとつの業界だけに突出して人が集まることになる。それに「やりがい」というような語を見聞きすることもなくなるはずである。
そんなことを思い出したのは、最近猟友会にお金を払わないとか、学校の教員の仕事から部活を外すとかといった報道を見てしまったからである。明らかな労働であるのだけれども、ボランティア精神を強要するようなシステムはあちこちにある。昔、祖母が民生委員であった。何をしているのか知らないけれども、ほとんどボランティアなのだと聞いたことがある。
地域包括ケアシステムというものがある。地元で長く暮らすための社会システムであるけれども、はじめから「無料もしくは低価格」の地域資源が存在することが前提となっている。近所の助けってそんなにあるのだろうか。
要点としては、世の中は表向きは資本主義の顔をしているけれども、社会のすみずみに別の価値観が顔を出している。しかも、非資本主義の要素がないと社会自体が成り立たなくなっている。
もちろん、お金を出さないことのひずみも生まれている。猟友会の件もそうであるし、教員の働き過ぎの件もそうである。
個人が社会とどうつきあうのかは、自分が資本主義とどうつきあうのかの度合いによると考えている。お金の割合が強ければそちらへ、別の基準があるのであればそちらへと人生の時間を使っていく。
ただ、生活ができないと困る。
お金がないと困る
お金がなさすぎても困る。困窮である。
離婚原因についての調査結果でも、お金がないことがうかがえる。昔から貧乏な家庭は喧嘩がたえないし離婚も多いと言われている。
ためしに離婚申し立て理由を見てみると、2020年では妻1位(40%)夫3位(17%)である。
おそらくは生活できない水準にまで達すると、価値観がどうとか言えなくなってくる。
レオナルド・ダ・ヴィンチは生活費以上の収入は意味がないという言を残している。結局生活費というところが鍵になる。
節約はその生活費を下げる力である。
お金以外の基準と節約
生活費を確保できるなら自分のやりたいことや大事だと思っていることに専念すればよい。
お金だけの仕事だと、意味のない書類を押し付けられたり、やっているふりを強要されることがある。そういうところにいつまでもいてはいけない。
そういうわけで仕事を離れて1年ほど経過した。
自分のやりたいことをやるということで、自分の価値観に沿った生き方に舵をきった。節約をしていけばある程度なんとかなる。最悪、生活費が足りなければその分だけ仕事をすればよい。
経済的にはある程度覚悟がいったけれども、自分の人生から無駄を省くことができて気持ちは軽い気がしている。