キャバクラで悟りを開くための般若心経(完訳版)
ブッダが、だらしなく寝ている美女を見て悟ったという話がある。
まだブッダが王子だった頃、踊り子達と飲み会をしていた。そこで、一人の美女が座りながら、無防備に口をあけて寝ているのを見かけた。
その時にブッダは、この美女が自分に好意があるのではなく、仕事で来ているのだという事をあらためて目の当たりにし、この世の虚しさを悟ったという。
これは現代で言えば、キャバクラなどで感じる虚しさに通じるものがある。
であれば、仏教をキャバクラで例えたら分かりやすいのではないか。
そう思って昔、般若心経をキャバに例えて訳してみたが、あらためて完訳バージョンを作ってみたのでご紹介したい。
キャバクラ心経
観音さまは、とあるキャバ嬢が自分を好きかどうかで悩んでいましたが、ある日キャバクラの一切は虚像、すなわち空であることを悟り、悩みがなくなりました。
(原文:観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄)
そして弟子の舎利子に語りかけました。
舎利子よ、キャバクラはすべて虚像であり、実体がないものです。また、実体がないからこそ、営業ができるのです。
(舎利子 色不異空 空不異色)
したがって、営業でかかってくる電話は実体がないものであり、実体がないものがそのまま声となっているのです。
(色即是空 空即是色)
電話以外でも、すべて同じことなのです。
舎利子よ、そもそも恋が生まれることも、消えることも、汚れることも、綺麗になることも、また増えることも減ることもありません。
(受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空想 不生不滅 不垢不浄 不増不減)
キャバ嬢があなたに見せる好意には、想いも、意思も、感覚も、認識もありません。あなたに気があるように見せる眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、心もありません。
(是故空中無色 無受想行識 無限耳鼻舌身意)
またキャバ嬢は、あなたの形も、音も、香りも、味も、感覚も、心に感じることもありません。あなたの事で悩むこともないし、迷いもないのです。
(無色声香味触法 無限界乃至無意識界 無無明 亦無無明尽)
またあなたは客なので、老いることがありません。むしろ年上の方が好きだ、死んでしまったら悲しいと言われるので、苦しみや、苦しみの原因もそこにはありません。
(乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道)
あなたはキャバ嬢の心を知ることはないし、得ることもない。
そして得ることがないことを知るから、悟りにいきつくのです。
(無知亦無得 以無所得故 菩提薩垂 依般若波羅蜜多)
だから「キャバクラの智慧」を手にしたものは、心にこだわりがないのです。こだわりがないから恐れもありません。あらゆる勘違いから遠く離れているので、静かに、安らかに飲めるのです。
(故心無圭礙 無圭礙故無有恐怖 離一切転倒夢想 究境涅槃)
過去・現在・未来のキャバクラにも、このように正しく目覚めた仏達がたくさんいました。つまり、誰でもキャバクラに行けば悟れるのです。
(三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提)
ゆえにキャバクラの知恵の完成こそが偉大な掛け声であり、悟りのための掛け声であり、この上なき掛け声であり、比較するものがない掛け声なのです。
(故知 般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪)
そこで最後に、あなたに授けましょう。
キャバクラの智慧の完成に至る最高の掛け声を。
それは次のような掛け声です。
(故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰)
「♪飲んで飲んでので飲んじゃって! まだまだイケ~る! まだまだイケ~る! 全部嘘さ~ そんなも~んさ~ 今の一気はまぼろし~♪」
(羯帝羯帝波羅羯帝 波羅僧羯帝 菩提 僧莎訶)
おわり
※さらなる解説は次の記事で書いています。
続・キャバクラで悟りを開くための般若心経(解説版)
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