“中年力”を描いた映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は中年の見方を変える。
心理学者・河合隼雄著の「中年クライシス」は、中年期の心の危機を解説した名著だけどその中に、
幼児心理学、児童心理学、老年心理学はあるが、中年心理学はない。なぜなら中年は働き盛りで、比較的大丈夫だろうと思われてきたからだ、しかし心理カウンセラーの元に通うのは実際には中年が多く、彼らは悩みを隠しているだけなのだ。
ざっくりいうとそんな事が書いてあった。そして映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は、まさに二人の中年のクライシスを描いた物語だ。
ディカプリオ演じるテレビスター、リック・ダルトンは中年になり人気が下降気味。おれはもう役立たずだ!と酒に溺れる。一方で相棒のスタントマン、クリフ・ブースもスタントの仕事が無くなってきている。
「主人公には弱点を必ずつけろ。そうしないと読者から愛されない」とは故・小池一夫先生によく言われたものだけど、この二人の主人公のセットは理想的だ。
ダルトンは人気下降といってもまだスターで華やかな生活をしており、お金などの物質的要素である外面的には十分大丈夫なんだけど内面が弱い。心配性だ。
一方でクリフは肉体的にも精神的にもタフで、内面が非常に強いのだけど、貧乏で外面的には弱い。内面的に強すぎると貧しくても大丈夫になるので、ついつい貧しいままいちゃう、って人がいるけどその典型だ。
外面は強く、心の内面が弱いダルトンと、内面が強いが外面が弱いクリフという二人の中年が支えあって生きている。実際にダルトンが弱音を吐くと、必ずクリフが大丈夫だと言ってサポートする場面がなんども出てくる。
※以下ネタバレ含みます。
かつてはアメリカのテレビで正義のヒーローを演じていたダルトンに、イタリアで西部劇の映画に悪役として出演しないか、というオファーが来る。当時はマカロニ・ウェスタン、二流と思われていたイタリア西部劇への誘いに、ダルトンはショックでヤケ酒を飲みまくる。
しかし面白いのは、このエピソードはクリントイーストウッドがキャリアに悩んでいた頃、マカロニ・ウェスタンの「荒野の用心棒」に出演して一世を風靡したことをモチーフの一つにしていると知ると、見方がかわってくる。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でもダルトンは、悪役の演技でかつてない魅力ある演技を達成する。このシーンの演技は圧巻だ。
中年力の一つに、いままで隠れていた才能が露出してくる、という現象がある。これはそれまで優位だった才能が衰えてきたため、それによって隠されていた能力がでてくる。ダルトンは正義のヒーローをやっていたので、悪い役はできなかった。
そのため、彼の本来の持ち味であるダーティな面に今まで気づいてなかったのだ。クリントイーストウッドが後年ダーティハリーでも活躍するように、ダルトンの未来は実は明るい。でも本人は気づいてないし、映画の結末でもまだ気づいてない。
一方でクリフは、あまりにもカッコいいい。どん底のような生活でも心の強さ、豊かさをもってタフに生きている姿は、非常に印象的だ。エピソードでは美少女からHを求められるが決してHしない、というくだりがある。
成人だと主張する少女に、年齢を証明するものをもっているかとクリフは尋ね、結局やらない。中年力の一つに、やらないでおこう、という力がある。
若者が主人公の「やれたかも委員会」とは反対に、中年が主人公の物語は「やらないかも委員会」というか、やっぱやめとこうという話が多くなる。
これは物語としては地味な展開に見えるかもしれないが、やめとくというのは大きな決断だ。例えば中年になるとキャバクラにいく人も減る。キャバクラ心経でも書いたが諸行無常しか感じなくなり、もっと楽しい事があるとわかったからだ。
やめるというのは、もっと楽しいことをするという事だ。
かつて老人力という言葉が流行ったが、人生100年時代、中年の時期も伸びているのだから、中年力という視点で中年を見つめ直すコンテンツがもっと増えてくるのかもしれない。この映画をみていてそう思った。
クリフのやめておく力については岡本太郎のお母さん、岡本かの子の小説でも似た話があるけど余談なので興味ある方のみで。
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