漫画家かっぴーは現代の夏目漱石である
昨日かっぴーさんと【WOMJクチコミフェスタ2016】で対談し、非常に刺激を受けた。
かっぴーさんと言えば、SNSでの痛い言動を取り締まる「SNSポリス」や、ダサい部屋を診断する「おしゃ家ソムリエおしゃ子!」など、色んな人の愛すべきダサさを描くことが多い。
例えば最近の「金子金子(かねこきんこ)の家計簿」というのでは、金遣いのダサさを指摘する主人公が登場する。(なんつー名前だ)
これについてかっぴーさんに、
「よくあれだけ人の事を観察してますね」と聞いたところ、
「いや、あれは全部自分のことなんですよ」
「え、じゃあめっちゃ痛い人じゃないですか」
というやりとりがあって感動した。他人じゃなくて自分をバカにしていたのだ。あと同時に「なぜあそこまで罵倒していながら憎めないのだろう」と思っていた疑問の答えが少しだけ見えた。
私はchakuwikiというご当地サイトを個人的に運営しているけど、様々な県をバカにする情報がおそらく日本一ある。それだけ聞いたら炎上しそうだけど、県民が自分の県の愛すべきダメさを書いているから笑い話になってる。
この当事者性、というのはタイアップ記事でもよく使っていて、たとえば童貞を語るなら、五十代のカリスマ童貞山口さんに出演してもらうなど、当人に語ってもらうというスタイルを基本とっている。
他社批判は炎上するが自己批判はエンタメになる。かっぴーさんは自らを観察してキャラに反映し、自らがそれを罵倒するという自己批判を繰り返しているのだ。(もちろんそれは一つの要素であって全てではないけど)
このスタイルで思い出したのは夏目漱石だ。漱石が愛されるのは、徹底して自分をバカにしていく自虐スタイルにある。自虐といっても卑屈なものではなく、淡々と冷静にいかに自分がどうしようもないかを観察し、それをキャラクターに反映して小説内でバカにしている。
たとえば代表作の一つ「坊っちゃん」では、明朗活発な主人公の坊っちゃんに対し、嫌われ役の根暗で嫌味な赤シャツという先生が出てくるが、この赤シャツこそが夏目漱石である、という説もある。
優れた作家は、自分を観察してキャラクターをどんどんと生み出していく。
※イラスト:ウィキペディア「十一面観音」より
また漱石は、その観察や描写が非常に細かいのが特徴だけど、かっぴーさんも「解像度が高い」ということがウケるのに重要と話していた。
例えばベンチャー社長は「意識が高い」と言うのは解像度が低くて笑いにならないが、
ベンチャー社長は「家にDJセットがあって埃をかぶっている」と言うと、解像度が高くて笑いになる、という話だ。
夏目漱石のユーモアとかっぴーさんは通じるものがある。
ちなみに私もこのようにいじってもらった。
美人漫画家の山科ティナさんにばっかり漫画を依頼している、というネット業界の内輪ネタだが、この内輪感も重要なんだろう。
もうひとつ面白かったのは、SNSなどで広がる「バズ」と、愛される「ヒット」は違うという話。
例えば「おしゃ家ソムリエおしゃ子! 」という連載で「マイルドヤンキーの部屋。カラフルでふわふわ。」という記事は、バズらなかったけど一番愛されたエピソードだったという。
読んでみると笑いがありながら悲しみがあり、余韻がある。
私が作る記事でも、笑いだけの記事はよくバズるが、泣かせる記事だと話題にならなくても「あれは良かった」と声をかけてもらうことがよくある。
おそらく「笑い」はすごく伝播性が高い(一人で笑うと変だから)、みんなのものだけど、「泣き」はすごく個人的なことなのだ(泣く時に涙を隠すように)。だからこそ深く刺さり、心が動かされる。
そしてこの心が動かないと、タイアップの場合、商品に対する態度変容も起きない。細かく言うと態度変容の理解、好意、関心、購入意向のなかで特に好意と関心に影響する。
どのコンテンツが態度変容のどれに作用するのか、というのが最近の勉強テーマだけど、かっぴーさんは広告代理店出身だけに、作るタイアップ漫画でもうまくこの態度変容が起きるように作られている。
近くかっぴーさんと仕事する気がする。わくわく。
【WOMJクチコミフェスタ2016】のみなさん、
藤崎さんありがとうございました。
ちなみに夏目漱石の自虐ギャグについて一番面白いと思うのを紹介したいけど、色々語弊があるので興味のある方だけ。
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