第2話/グレート・ギャツビー・ショーンK
ショーンKを最初に見かけたのは、東京湾にかかるレインボーブリッジの真下にある、芝浦ふ頭の公園だった。
海岸に沿ってジョギングしていた私が彼を見かけた時、彼は暗い海にむかって奇妙にも両手をさしのべていた。そして、私は彼の所から遠く離れていたが、彼の手がふるえていたことは断言してもいい。
反射的に私は、海のほうを見た…と、そこには、遠く小さく、お台場のフジテレビの本社ビルが見え、そのビルの球体展望室の下面が緑色に光っているだけだった。
もう一度ショーンKの姿を探したときには、もう彼は姿を消していた。そして私は、ざわめく夜の中に、ふたたび一人になったのだ。
次に彼と会ったのは、お台場の東京ベイコート倶楽部で開かれたパーティだった。シャンパンがフィンガー・ボールよりも大きなグラスでふるまわれ、月は空高くあがり、東京湾の水に砕ける月影は、三角形に銀鱗(ぎんりん)の尾をひきながらかすかにゆらいでいた。
同席の男が私を振り向いて微笑した。
「どこかでお会いしていませんか?」
彼は丁寧な口調で言った。それがショーンKだった。
彼もまた、芝浦ふ頭の公園で私を見かけていたのだろうか。しかしそこで奇妙な振る舞いを見ていた私は、そうだと言いかねてとぼけた。
「新島…ではないですよね? 正月に旅行していたものですから。確かに私も、どこかでお見かけした方に違いないとは思うのですが」
それから私たちはしばらく、東京湾の向こうに広がる、御蔵島や神津島といった小さな島々のことを話し合った。
彼は話すときに、深い理解のにじんだ微笑を浮べた…いや、深い理解のにじんだと言ったのではまだたりぬ。それは一生のうちに、4、5回しかぶつからぬような、永遠に消えぬ安心を相手に感じさせるものをたたえた、まれにみる微笑だった。
ふと彼の携帯が光り、ちらっと画面を見た彼は、「ちょっと失礼いたしますが、のちほどまだ必ずお目にかかりますから」と言って席をはずした。
彼が立ち去るや、すかさず私は、幹事の美奈子の方を振り向いた。
「ありゃ何者です?」と、私はたずねた。「あなた、ご存知ですか?」
「ショーンKよ」
「故郷はどこか、というんですよ。一体どんなことをやっているんです?」
「今度はあんたが身許調査をやりだしたのね」
彼女がかすかな微笑を浮べて答えた。彫りが深く、目立ちすぎる彼のことを、私と同じように聞いてきた人は少なくなかったようだ。
「そうね、いつか、ハーバードを出たってわたしに言ってたけど」
彼の背後におぼろげな背景が描かれはじめた。しかしそれも、彼女の次のひとことで消えてしまった。
「でも、わたしは信じないわ」
「どうして?」
「さあねえ、ただ、そんなはずはないと思うだけ」
彼女の言葉が、私の好奇心をかきたてた。
さきほどショーンKは、ニューヨーク出身だと言っていた。しかし彼の人当たりの良さは、どこか日本の田舎、しかもできるだけ東京と離れた所で暮らす人々がもつ暖かさを、不思議と思い出させた。
数日後、私は彼からランチに誘われた。
あらためて彼とじっくりと話した結果、彼にはあまり話題がないことを知って、実はがっかりしていた。これは何かいわくありげな人物だと見た私の第一印象はしだいに薄れて、彼は、当たり障りないことを言う良識人だというのにすぎなくなっていた。
しかしランチを食べ終えるころ、ショーンKは、例のお上品なもの言いもとかく途中でとぎれがちになり、何か決しかねるように、うす茶の洋服の膝を軽く手でたたきはじめた。
と思うといきなりふい打ちに、
「あのね、オールド・スポート。あなたはいったい僕をどう思います?」
彼は話すときに、国際的な経営コンサルタントの仕事柄なのか、奇妙な横文字をよく使った。日本語に訳しきれない英語は、そのまま使うようにしているのだという。
私はいささか閉口して、そうした質問相応の、あたりさわりのない抽象論を言い出した。
彼は「いやね」と、私の言葉をさえぎり「わたしはあなたにわたしの過去をすこしお話ししようと思うんですよ。いろいろな噂をお聞きになっておられると思うんですが、そんなことからわたしというものをあなたに誤解していただきたくないんです」
そう言ったところを見ると、彼は、こないだのパーティでかわされた会話に興を添えた奇妙な悪口を聞き知っていたのだ。
「神の御名にかけて真実を語りますよ」彼はいきなり右手をあげて、神に誓う仕草を見せると「わたしはね、アメリカ人の父親をもつハーフで、育ったのはニューヨークですが、教育はパリに留学したあとにハーバードを出てMBAをとりました」そう言って彼は、私を流し目で見やった。
そのとき私は、パーティで美奈子が、彼は嘘をついているのだと信じたわけがわかったような気がした。
彼は「ハーバードを出て」という文句を、早口に言ってしまうのである。あるいは呑み込んでしまうというか、言いよどむというか、何かしら言いたいないようなことを言うような言い方をするのだ。
そうして、こうした疑念を抱けば、彼の言うことがぴんからきりまで信じられなくなってしまう。やっぱり、彼の身には何か多少うしろ暗いところがあるんじゃないか、私はそう思った。(第3話に続く)
※参考:新潮社「グレート。ギャツビー」フィツジェラルド 野崎考訳
※この記事はパロディでフィクションです。
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おまけ(解説とあとがき)
今回、冗談でグレート・ギャツビーのパロディで、ショーンKの事を書き進めていて意外だったのは、当初想定していた以上に、二人は似ている、ということだ。例えばギャツビーは「オックスフォードを出た」と言うが、実際には戦争のどさくさで一時的に学んでいただけである。
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