現実が辛い分物語りの世界くらいはハッピーエンドであってほしい。
20代前半のころ、30半ばの先輩と舞台を見に行った帰りに、「暗い物語りとか受け付けれない。現実が辛い分、物語りの世界はハッピーエンドであってほしいんだ」と言われたのをこの頃思い出す。
1字1句覚えている訳ではないが、救われないどんよりした舞台を鑑賞した後に先輩はそう言っていたのは覚えている。
当時はあまり理解できず、むしろ、そういう暗い救いようのない物語りが刺激的で、リアルに感じて、そこに惹かれていた。だから、先輩の話しは全く響かなかった。
ところが、ここ最近はドンドン暗い物語りを見るとしんどくて割り切れなくて、現実に引っ張らたり、現実とリンクしたりして見てられなくなってきたのだ。
ハッピーエンドだと分かる話しや、優しい物語りに安心したり、癒されるようになってきた。
当時はそんな物語りの方が私にとって非現実的で、ご都合主義でそんなに世の中優しくないと思っていたのに、今はむしろ、その優しさに救われるし、意外とこんな優しい人いたりするよな。と、共感すらして日常の物語りとして見れるようにもなってきたのだ。
歳を重ねるごとに、色んな経験をして、先輩の言う通り【現実は辛い】と思う時も多々ある。だけど、優しい物語りを見ると【現実も悪くないな】と、リアルな優しい出来事をふと思い出せたり出来るようになってきたのだ。
“若い子は素直”なんて言う人多いけど、歳を重ねた今の方が私は素直になれてきている気がする。
人の痛みを経験を通して気が付けて、過去の経験から沢山の苦しい思い出を暗い物語りを見る事により思い出したり、反省したりして、もしかしたらあの時傷付けているのかもしれない。と、ズブズブ物語りに引き込まれてしまい、直視できなくなっていて、バッドエンドはしんどくて、歯がゆくて、やり直せない現実世界を見せつけられている気持ちになる。
いつの間にか私は弱ってきていたようだ。
でも、バッドエンド見てきたからこそ、心が弱っているからこそ、ハッピーエンドがどんどん好きになっている。素直に見れるようになってきたのだ。
お話しの中で位は、登場した人々がみんな幸せでいて欲しい。幸せだと感じていてほしい。普遍的でつまらない日常であっても、それはハッピーエンドで幸せな事だから、無理にバッドエンドになんかしないでほしい。希望がほしい。物語りの中では光がほしい。夢を見たい。