人の善意に押し潰されて病む
悪意を向けられた事よりも、相手の善意でしんどくなる事の方が圧倒的に多い。
辛い事があったとき、「何があったの?どうしたいの?」と詮索されるのがしんどい。
けど、その詮索は善意で優しさであるから、受け取れない自分に自己嫌悪。
この感覚って、言葉に表しにくいし、あまり理解されないから、もどかしいし、贅沢な悩みだとも思ってしまう、、、
あれこれ世話焼かれるのが嫌いな人間もいるのに、なんであれこれ世話焼くのが正義なのだろう。
相手が聞かれたくないかもしれないから、敢えて聞かないで話したくなるまで放っておく、話さなきゃ話さないで問題ない。って思考なのであまり人のトラブル知らない。
親には冷たいって言われてきた。
だから、自分を変えようとあれこれしてみた時期もあるけど、モヤモヤしていた。
どうして他人にそんなに構うのか理解できないし、自分はそうはなれない。
聞かない優しさもあるし、見守る優しさだってある。
辛い時に構われても、受け取るのにパワーがいるから、そのパワーを出すのがしんどい。
「ありがとう。助かりました」って言うのも「こんな事があったんです」って言えるのも、本当にしんどいときは中々難しい。
頼むから放っておいて欲しいと世話焼きの人に遠回しに伝えたら驚かれた。
構ってちゃんに見られるので、世話焼きに好かれるけど、本当は世話焼かれたくない。
だからか、淡々として見える後輩からは好かれやすいし、世話焼きの先輩からは扱いにくいと言われる。