DVや虐待、ストーカー被害者にとっては「命を脅かす法改正」になりはしないか。5月17日に参議院本会議で可決・成立した共同親権を導入する民法の改正のことだ。 【画像】法案は成立したが反対の声は続いている 現在日本では、離婚後は父母のどちらかに親権を与える「単独親権」に限られている。これに対してこの法案は、父母が合意した場合は「共同親権」も選択可能とするものだ。 「離婚後、子どもに会わせてもらえない人が会えるようになるんでしょ?」「選択肢が増えるのだから良いことでは?」と、思う人も多いかもしれない。 しかし、そのような単純な話ではないようだ。内閣府の女性に対する暴力に関する専門調査会の委員を務めている筆者の元には、「誤解がある」との危機感をつのらせた声が寄せられ、DV被害者からは「子連れ避難を躊躇する」との指摘や、「離婚後も危険にさらされる」など切実な声が上がった。
「誤解があることにとても危機感を持っています」
内閣府の女性に対する暴力に関する専門調査会の委員を務めている筆者に、4月上旬、同調査会のメンバーである広島大学ハラスメント相談室の准教授で、NPO法人全国女性シェルターネット共同代表の北仲千里氏から連絡が入った。現在国会で議論されている家族法改正の問題について、「正しく伝わっていなかったり、誤解があることにとても危機感を持っています」というのだ。 北仲氏によると、「子どもに会える・会えないという点については、そもそも今の法律のままでも子どもを一緒に育てたり、共同監護したりすることもできるし、実際に協力し合って子育てをしている父母もたくさんいるので、今回の家族法改正とは関係がない」と話す。 では、何のための法改正なのか。「子の利益のため」と言うが、本当に子どもが幸せになる制度なのか、専門家や当事者に話を聞いてみた。
法改正の狙いは
そもそも、今回の法改正の目的は、夫婦が離婚しても、子どもの幸せのために子育てをする責任は父母双方にあることを明確にすることだという。 これまでは単独親権しか認められなかったため、親権を持たない親には、離婚後子どもに会いにくくなったり、進学など重要な決断に関われないとの不満もあった。 では、改めて親権とは何か?親権というのは、18歳未満の子どもについての重要事項を決定する権利のことだ。例えば、子どもの身の回りの世話や教育、財産の管理、転居などについてである。 私自身、子を持つ経験から、日々の生活の中には、「親の署名」が必要となる場面がたくさんある。病院や学校関係では特に多い。 共同親権が導入され、それを選択した場合、片方の親ではなく両親の承諾が必要となるのだが、その範囲があいまいなのだ。 そもそも離婚を考えている時点で、信頼関係が損なわれていたり、コミュニケーションがとりづらいケースが多い中、共同親権を選択するかどうかについて円滑な話し合いができるのだろうか。 厚生労働省によると、2020年の日本における離婚数は約19万3000件ある。そのうちの9割が協議離婚という日本では、親権は当事者で話し合って決めるケースが多い。しかし、双方の主張が合わない場合は裁判所が決定する。 ただ、家庭裁判所は今でも人的・物的資源が足りていない中、この離婚後共同親権が導入されると、これまで以上に申し立てが増えることが予想され、追いつかなくなると危惧する声が上がっている。
表に出づらいDVの実態
さて、冒頭で共同親権導入が「命を脅かす」と書いた理由は、DV=ドメスティック・バイオレンスの問題だ。 日本では結婚したことのある人の「4人に1人」が配偶者からDVを受けたことがあると回答している。[令和6年3月内閣府男女間における暴力に関する調査報告] また、警察庁によるとDV事案の相談等件数は増加傾向で、令和5年は8万8619件(前年比4123件増加)と2001年のDV防止法施行後最多だった。 「そんなに暴力が振るわれているの?」と驚く人もいるかもしれないが、バイオレンスというと、殴る、蹴る、物を投げつけるなどの身体的暴行を想像するが、それだけではない。 モラハラなど精神的攻撃や、生活費を渡さない、クレジットカードを取り上げるなど経済的な抑圧もドメスティック・バイオレンスにあたるのだ。 「だれのおかげで生活できていると思っているんだ!」 そんな人格を否定するような暴言だったり、人前でバカにするようなことを言ったり、「今、どこに誰といるの?」など、パートナーを束縛し、管理・支配下に置くような行動もDVに含まれる。 数年前、別居・離婚して今は子ども2人と暮らすAさんは、長年、元夫からDVを受けていたという。育児に協力せず、休日も一人で出かけてしまう。何か言うと怒鳴ったり家をでてしまって話い合いにならなかったそうだ。ある日、元夫が酔って激高した際、子どもの前でAさんに暴力をふるい、「このままでは子どもを守れない、殺されるかもしれない」と、子どもを連れて家を出たという。いわゆる「子連れ別居」というものだ。 今の日本のDV施策では、まず被害者は逃げる、それしかないのである。 実際、逃げ出したり、別居することで、子どもたちは両親の葛藤から解放され、平穏で安全な生活を取り戻せたという。 しかし、一般的にDV加害者は、「支配欲が強く、配偶者や子どもを所有物だと思っていて、手放すことはしたくない」ため、離婚が困難なケースが多いそうだ。 このAさんのケースでは、離婚後も苦しみが続いた。養育費が支払われないので調停の申し立てをしたが、調停委員が「暴力をふるうような人に見えない」など夫側を擁護するような言葉を発し、面会交流を強要されたという。しかも、子どもが「もう面会行きたくない」と泣いているのに、聞き入れてもらえなかったと語る。 共同親権が導入されると、DV被害者が子どもと一緒に逃げた場合、「連れ去りだ」と加害者から訴えられることが今より多くなることが予想され、被害者が「子連れ避難」を被害者が躊躇してしまうのではないか、と指摘する。 改正案が施行されたら、既に離婚が成立した父母でも、共同親権を求めて申し立てをすることが可能になるという。 つまり、「逃げることもできない、離婚後も再び危険にさらされる」不安が出てきている。 「急迫の事情」があれば単独親権にというが…
法案では、「急迫(きゅうはく)の事情」がある場合は単独で親権行使できることになっている。では「急迫の事情」とは一体どういうケースなのか。 辞書によると「急迫=物事が差し迫った状態になること」とある。 DVや虐待は命の危険をともなうため「急迫」だと思うが、その範囲を「誰が」「どういう基準で」判断するのか不明だ。 DVは、ただでさえ密室で起きているため証拠が残りにくい。約5割の人が誰にも相談していないことも調査結果でわかっている。 それ以外にも、「監護及び教育に関する日常の行為」については、一方の親による単独親権の行使を認める例外規定を設けるとしているが取材したBさんは、「何がそれにあたるのかはっきりしない」ことに不安を感じているという。 保育園の入園手続きは? 修学旅行のためのパスポート取得は? 予防接種は? 引っ越しは? 意見が対立し(あるいは嫌がらせで)サインしないケースや、相手に話すこと自体苦痛だったり、署名をもらうことの見返りに何かを要求されることが増えるのではないかと指摘する。 何より、一番影響が及ぶのは子どもだ。改めて「子の利益」がどう守られるのかが心配だ。 「子どもは本来両親のもとで育つべき」 一見正しいと思われるこのような主張も、親の不仲、DV・虐待下では決してそうではないことが分かった。
経済的な不安も
Bさんは所得の問題にも言及した。ひとり親家庭支援策、例えば子の養育に関連する税制、社会保障制度などがどうなるのか心配だという。文科省の答弁では、「共同親権を選択した場合には、親権者が2人となることから、親権者2人分の所得で判定を行う」そうだ。 生活拠点も別、養育費などももらっていなくても、合算された収入を基準に制度の適用がなされるとしたら、その影響は大きい。 言い出すときりがないが、この法改正は「家族のあり方」に関するもので、その影響はかなり広範囲に及ぶが、国会審議でそれらが十分に議論されたとは到底思えない。 法制審議会の家族法制の見直しに関する要綱案にはこのような記載がある。 「親権は、成年に達しない子について、その子の利益のために行使しなければならない。」 パブリックコメントには、国民からの反対意見も数多く寄せられ、法案に反対するデジタル署名は5月20日時点で24万人を超えている。 その中には、DV被害者という「見えない弱者」の声が数多く含まれている。この「声なき声」を置き去りにしてはならない。 このような状況に配慮し、真に子どもたちの利益にかなうものになるような制度設計をしてもらいたい。 弱い立場にいる人がさらに追い詰められるような事態にならないよう、切に願う。
木幡美子