【レイプ神話解説】番外編:虐待は本当に同居親・実母・継父が加害の中心か新橋九段新橋九段2024年4月16日 20:02PDF魚拓



 しかし、この反論も不十分である。反論として示されたのは厚生労働省の『子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について』[2] であろう。ここでは確かに、心中事例はそれ以外の事例と区別されている。しかし、報告書を見る限り、出産直後の事案は区別されていない。よって、この数字は「子供に苛烈な暴力を振るって殺害した事例」のようなものと、「妊娠しても病院等に相談できないまま出産してしまいそのまま赤ちゃんを死なせてしまう事例」のようなものが混在した数字だと考えられる。

 (ちなみに、グラフでは第14次報告までしかないが、最新は第19次報告 [3] であり、第19次報告から業務はこども家庭庁が引き継いでいるようだ)

 「妊娠しても病院等に相談できないまま出産してしまいそのまま赤ちゃんを死なせてしまう事例」が、加害者たる実母の攻撃性などを示すものでないことは明白である。本来であれば支援が必要な立場であり、加害者として扱い検挙すること自体にも批判がある。

 ましてや、現在の法律のありようでは、子供の出産直後の死について本来は母親同様の責任があると言ってもよい実父が責任を免れる格好になっている。にもかかわらず、その結果として生じる数字の差異を実母を責める口実として使用する態度は醜悪と言うほかない。

ドメイン知識を理解する必要がある

 以前の記事 [4] でも指摘したことだが、統計を読むにはその数字が表現する分野の基礎知識を有する必要がある。数字を眺めることと統計を読み解くことは全く異なる。

 今回我々が把握すべきなのは、おおむねあらゆる犯罪において、男性の方が加害者になりやすいという一般的な知見である。犯罪統計を紐解けば明白だが、女性の方が検挙人員が多い犯罪は稀である。時代や土地に関わらず、男性の方が犯罪性は高い。

 にもかかわらず、殺人という極めて典型的な粗暴犯において、女性の加害者の数が男性より多いなら、そこには「女性の方が加害性が高い」以上に複雑な原因があると気づけなければならない。もし単純に「女性の方が加害性が高い」なら、殺人以外の加害者数も多くなければおかしいが、そうはなっていない。ならば、この数字は女性の性質以外の何かを示すものであろう。

 正直なところ、この程度は直感的に理解できなければ、犯罪統計を読み解くのは危ういと言いたい。気づけないなら、基礎知識が足りないか、女性蔑視のために数字の解釈を歪めている恐れがある。

共同親権で虐待が防げるのか?

 ここまで統計を検討し、言説を検めてきた。が、そもそも、共同親権で虐待が防げるというストーリー自体、かなり疑わしい。

 もし夫婦の一方が虐待加害者であれば、その加害者には親権を認めるべきではないはずだ。現行制度では必ず一方にしか親権が認められないが、双方に認められる可能性がある共同親権を導入すれば、単純な確率として、加害者にも親権が認められてしまう可能性は高まることになる。これはむしろ、虐待防止の観点からは不都合ではないだろうか。

 DVや虐待の加害者には親権は認められないから問題ないという意見もあろう。だが、それは裁判所が加害を正しく認定できるという前提に立つ場合のみ成立する主張だ。そして、その前提が満たされるかは不透明である。DVや虐待は証拠が残らない方法でなされる場合も少なくなく、性差別もあって被害者の主張が信用されない恐れもある。この場合、裁判所が正確に事態を認定できるだろうか。私はそこまで楽観的ではない。百歩譲って共同親権を求めるなら、こうした認定機能の強化も求められてしかるべきだが、推進派からはそのような声は聞こえない (連れ去り被害を訴える彼らにとっても好都合なはずだが……)。

 仮に裁判所が正しく加害を認定できるとしても問題は残る。支配の暴力であるDVにおいては、最終的に認定されるかどうかに関わらず、共同親権を求めるという"合法的な"手続きを加害に利用できれば目的は半分達成できたようなものである。最終的には親権が認められないとしても、"合法的な"手続きを用いた嫌がらせはDVや虐待の被害者に甚大なダメージを与えることとなる。共同親権を求める手続きで嫌がらせをするぞという予告自体が、離婚を阻害する一因にもなるだろう。

 挙句、継父や継母が虐待加害者である場合、もはや共同親権とは何の関係もない。共同親権はあくまで実父と実母の間の問題であり、後から出てきた人物に対応するものではない。面会交流をしていれば虐待が発覚する可能性が高まるとしても、面会交流の可否と親権には何ら関係がない。共同親権ではない現在ですら、面会交流はできているのだから (出来ていないのは調停が上手くいっていないか、交流を求める側が虐以下略)。

 こう考えると、少なくとも虐待防止の観点から共同親権を求める主張には説得力がないと言わざるを得ない。実母が虐待加害の中心であるという主張に根拠はなく、共同親権で虐待が防げるという主張にも説得力はない。共同親権はせめて、それが実現できる制度と社会を作り上げてから導入されるべきものである。現在は、そして今後相当しばらくは、その条件は整いそうにない。

参考文献

[1]法務省 (2023). 令和5年版犯罪白書
[2]厚生労働省 (2018). 子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について 社会保障審議会児童部会児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会 第14 次報告
[3]こども家庭庁 (2023). こども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第19次報告)(令和5年9月)
[4] 新橋九段 (2024). 【レイプ神話解説】国際比較はぶっちゃけ無理で無駄

https://note.com/kudan9/n/n4279f7626998
【レイプ神話解説】番外編:虐待は本当に同居親・実母・継父が加害の中心か

新橋九段

2024年4月16日 20:02















だが、犯罪統計の特徴を全く捉えていない粗雑な議論だというほかない。
 (ちなみに、スウェーデン固有の背景については前田 (2022) [1] が詳しく説明している)

 ネットの議論では時折、こうした数字だけに振り回される人間が見つかる。彼らは統計を読むことと数字を眺めることの区別がついていない。統計を読むためには、単に四則計算が出来るだけでは足らない。扱いたい物事に関する背景の知識を十分に有している必要がある。

 今回は犯罪統計、特に国際比較と性犯罪統計の特徴に焦点を当てて、一般的な解説をする。ここでは数字そのものというより、統計を扱ううえで必要な知識をフォローすることに注力する。

 そして、この記事の結論は1つである。
 犯罪統計なんか見るな。

神話の検証

線引きの曖昧さ

 国家間で犯罪率を比較するときの大きな障害は、国ごとに犯罪に対する考え方が全く揃っていないことである。これは性犯罪に限った話ではないが、この記事のテーマが性犯罪なのでここでもその例を取り上げる。

 日本においては、性犯罪の規定は強姦罪から強制性交等罪へ、そして不同意性交罪へと変化してきた。これは、何をレイプとして扱うかの線引きが年々変化していることを意味している。(なお、以降の条文は [2] を参照)

 性犯罪の規定が強姦罪だったときは、男性の被害者は存在しなかった。これはもちろん、司法の場においての話である。実際には男性の被害者はいた。しかし、強姦罪が強姦を『暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する』としていたため、男性は法律上被害者になり得なかった。男性の性暴力被害はおおむね、強制わいせつ罪として処理されていた。

 これが強制性交等罪に改正されると、男性も被害者として扱われるようになった。

 そして、不同意性交罪に改正されると、『暴行又は脅迫を用いて』が緩和され、『同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて』性暴力を働くことが犯罪とされた、これはつまり、これまでは『暴行又は脅迫を用いて』いなかったために罪とされなかった行為も、同意しない意思を形成することを難しくしているなら罪として扱われるようになった、ということである。

 このことを、もう少し具体的な例を挙げて考えてみよう。例えば、以下に挙げる3つの性暴力がある。

A:女性に対し暴力で脅してレイプした
B:男性に対し暴力で脅してレイプした
C:女性に対し上司であるという立場で強要してレイプした

 仮にこれらの性暴力が、全て2017年以前に起きたものなら、強姦罪と見なされるのはAだけである。Bは強制わいせつとして処理されることになるだろうし、Cは刑事事件として扱われない可能性も十分にある。

 一方、これが2017年以降、2023年以前の時期に起きたなら、AとBはともに強制性交等罪として扱われる。だが、Cは依然として刑事事件とされない可能性が高い。

 そして、2023年以降であれば、この3つはいずれも不同意性交罪として扱われるだろう。暴行を用いているAとBは言わずもがな、Cも不同意性交罪が定めるところの『前条第1項各号に掲げる行為』のうち『経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること』に該当するため、不同意性交罪として裁かれる可能性が高い。

 この例からわかるように、日本だけを見ても、そして条文だけを見ても性犯罪が指し示す範囲は極めて曖昧で流動的である。性犯罪の件数だけを並べれば、恐らく日本でも、(警察がきちんと仕事をすれば) 不同意性交罪への改正後には件数が増えるのではないかと思われる。だが、それは治安の悪化を意味しているのではなく、単に性犯罪として扱う物事の範囲が広がったことを意味しているにすぎない。

 犯罪統計の国際比較とは、こういう状態のものを百数か国は並べて論じるもので、はっきりいってまともな比較にはならない。「あなたの国にウチャブロスはいくつありますか?」と意味不明な物体について定義せずに尋ね、その個数を並べて云々することの無意味さを考えれば理解しやすいだろう。

 (ただし、一般に、2017年以前の日本の性犯罪の統計は強姦罪と強制わいせつ罪の合算であると思われるので、強制性交等罪に改正されたことは犯罪統計上あまり大きな影響はなかったと推測できる。ここではあくまで、わかりやすい例として挙げた)

 (とは言いつつ、上掲の図表には強制わいせつが含まれていないと前田 (2022) は指摘している。そもそも「性犯罪の件数」に何が含まれているかも曖昧だったりしてなおのこと難しい)

 例えば、スウェーデンでは自慰行為の強制も性犯罪と見なされる (前田, 2022)。一方、日本では、不同意性交罪であっても『性交、肛門性交、口腔性交又は膣若しくは肛門に身体の一部(陰茎を除く。)若しくは物を挿入する行為であってわいせつなもの』と規定されているため、自慰行為の強制は含まれないのではないかと思われる。

運用上のさらなる曖昧さ

 さらに厄介なのは、こうした性犯罪の線引きの曖昧さは、明示的な条文に限らないということである。

 日本においては、かつては夫婦間の強姦は犯罪として扱われなかった (角田, 2013 [3])。妻は夫の所有物であり、主人たる夫の求めを断ることなど想定されていなかったからだ。だが、強姦罪の条文にはもちろん、夫婦間の強姦を免責する文章は存在しない。この免責はあくまで、運用によってなされていたにすぎない。そのため、近年になって夫婦間の強姦も裁かれるようになったが、この変化に法改正は伴わなかった。

 こうした事情は、日本の法律を読むだけでは理解できない。つまり、それぞれの国で実際にどのような範囲が性犯罪として扱われているかを理解するには、その国の法律を読むだけでは足らず、実態まで踏み込んで把握する必要がある。数か国を専門的に扱うならまだしも、あらゆる国でそれを行うのは不可能である。

 それでも、判例を見れば理解できる運用上の問題はまだましな方である。犯罪統計にその被害が計上されるかどうかは、さらに個々の現場の警察官が被害の訴えをどう処理しているか、被害者が自身の被害を警察に訴えるかどうかをどう判断しているかという、極めて個人的な要素によっても左右される。

 例えば、桶川ストーカー事件をきっかけに問題視されたように、明らかな被害や危険があるにもかかわらず警察がまともに動かなければ、その被害は認知件数として計上されない。このような事例は、最後に最悪の被害に繋がったからこそ表沙汰になったが、そうでなければ過去の闇に消え、誰も知る機会を持ちえないだろう。どころか、被害者が死亡する事態に見舞われてもなお、警察が被害の届け出をなかったことにする可能性すらある。

 警察がこのような運用をしているならば、被害者も警察にわざわざ届け出ようとは思わないだろう。よくて時間の無駄、悪ければ二次被害に遭う可能性もある。こうして、条文や判例を読んでもなお理解しえない理由によって、認知件数は歪んでいく。

 その国の司法制度の専門家であれば、なんとなく、こうした運用上の問題は把握しているだろう。しかし、そのことを明示的な根拠をもって示すことは困難である。このため、統計という一見わかりやすい数字から、曖昧な要因は取りこぼされ、実態から乖離した印象が独り歩きすることになる。

ドメイン知識の必要性

 私はこの記事の最初に、犯罪統計なんか見るな、という結論を出した。これはもちろん、極端な結論である (記事を碌に読めない馬鹿を炙り出す罠でもある)。

 この結論には、前提が必要である。正しく言い換えれば、この記事の結論はドメイン知識を持たないなら、犯罪統計なんか見るな、である。

 ドメイン知識はその分野に関連する知識のことだ。今回の件であれば、まさに、性犯罪にかかわる知識ということになる。法律で裁かれる行為の範囲が国によって違うこと、同じ国ですら時期によって異なること、警察の運用上の問題や被害者の考えなどがこれにあたる。

 統計を読み解くにはドメイン知識が不可欠である。これがなければ、認知件数の数字を、そのまま犯罪発生件数だと見なす愚行を犯しかねない。その数字が何を表していると主張されているかと、実際に何を表しているかの間には多かれ少なかれ必ず乖離があり、それを考慮して読み解く力が必要となる。

 先に、国際的な比較を『はっきりいってまともな比較にはならない』と書いたが、ドメイン知識を有していれば使いようはある。殺人事件のように周辺状況に左右されにくい犯罪の認知件数を用いれば、国家を超えた国際的な犯罪の動向を把握することは可能だろう。そもそも、完璧な統計など存在しない。あらゆる統計は欠点を念頭に入れながら参照するものである。

 だが、人は自分の主張に都合のいい数字には、ドメイン知識を無視して飛びつきやすい。確証バイアスである。一度や二度の過ちは誰にでもあることだが、レイプ神話の進歩者はその過ちから学ばない。あるいは、誤っていることを分かってて神話を流布する。

 そのような人物が統計を読んでも、誤った結論を導くだけである。ならば、統計など読まない方がましである。明らかに根拠のないでまかせを吹聴しているだけなら、でまかせだとわかりやすいので信じる人間は減る。中途半端に知恵をつけてこのような数字を持ち出すから、私のような人間がデマを打ち消す労を割く羽目になるのだ。

ちなみに:図表の出典はどこから?

 ここからは蛇足だが、そもそも「強姦大国スウェーデン」が主張されるときに目にするこの図表はどこから出てきたのだろうか。

 これは恐らく前田 (2022) によって作成されたものである。記事中のキャプションに『World Population Reviewで公開されているデータから、OECD諸国のもののみ抜粋して加工』とあるので、これを素直に理解するなら記事筆者によってつくられているはずである。傍証として、前田 (2022) 以前にこの図を掲載しているwebページは見つけられなかった。

 つまり、レイプ神話の信奉者は、「強姦大国スウェーデン」を否定する記事に掲載された図を用いながら、スウェーデンが強姦大国だと主張していたことになる。何とも呆れた話である。彼らがいかにいい加減で学習しない人々であるかがよくわかる事例だった。

 ネットの議論でお馴染みの光景のひとつは、出典不明のグラフをエビデンスだと得意げになって添付する人々の姿である。だが、出典の定かでないグラフや数字を捏造でないと信用する義理はこちらにはないし、出典がわからなければその数字がいつの、何をカウントしたものかもわからない。そのため、その主張の真偽を確かめようがないのだ。

 こういうとき、皆さんは「出典不明乙」とだけ書いてあとは無視すればよい。出典を示すのは相手方の責任であるし、デマの検証のような面倒事は我々のような専門家に任せればよい。こんなくだらないことに真剣に悩む必要はないのだ。

参考文献

[1]前田晃平 (2022). スウェーデンが、先進国で最悪の「強姦大国」である理由
[2]刑法第177条-wikibooks
[3]角田由紀子 (2013). 性と法律 変わったこと,変えたいこと 岩波書店

https://note.com/kudan9/n/neecd384bf70e
【レイプ神話解説】国際比較はぶっちゃけ無理で無駄
新橋九段

2024年3月31日 16:02