なぜ女性の裁判官が少ないの?実現遠い女性の最高裁トップ…「男女差別の訴訟も扱うのに」 検察と弁護士界では誕生2024年7月10日 06時00分はて?朝ドラ「虎に翼」明治大学だけが女性に司法の道を開いた理由は…  日本の法曹界いまだに「女性3割未満」 弁護士・検察官・裁判官が異例タッグで女子中・高校生へアピール 関西テレビ2024年7月24日 水曜 午後8:20等生物学的女性裁判官が少ない日本の現状示す記事PDF魚拓


最高裁の15人の裁判官のうち、現在、女性は2人(13.3%)です。3つの小法廷のうち、第1小法廷は5人の裁判官全員が男性です。

最高裁のホームページ(※NHKサイトを離れます)で過去にさかのぼって調べると、歴代の187人の裁判官(現在の15人を含む)のうち、女性はわずか8人(4.3%)です。

出身分野で見ると、行政官や外交官が4人、弁護士が3人、学者が1人。裁判官と検察官はゼロです。

「裁判官枠」は常に全体の過半数を占めていますが、そもそも、最高裁の裁判官への「登竜門」とも言える「高等裁判所の長官」に女性が就任した例はこれまで限られています。

ただ司法の分野でも少しずつ女性の進出は進んでいます。内閣府の「男女共同参画白書」によると、法曹界における女性の割合は、20年ほど前は1割程度でしたが、最近では裁判官が22.6%(2019年12月現在)、検察官が25.4%(2020年3月31日現在)、弁護士が19.1%(2020年9月30日現在)となっています。司法試験の合格者に占める女性の割合を見ると、2020年は25.3%でした。最高裁の裁判官も時代とともに構成が変わっていくことでしょう。

なぜ女性の裁判官が少ないの?


日本弁護士連合会で4月に初の女性会長が誕生したのに続き、検察トップにも女性が就いた。「法曹三者」で唯一残るは裁判官。トップの最高裁長官に女性が就任する見通しがない中、まずは最高裁判事に女性を積極的に登用するよう求める声が高まる。(中山岳)

◆悲惨な事件を女性検事の担当にするのを避ける雰囲気さえあった昔

検事総長となった畝本直美氏

 女性初の検事総長となった畝本直美氏(62)は男女雇用機会均等法が成立した1985年、司法試験に合格した。同期で検事になった41人のうち女性は4人だけ。「検察で女性が珍しかった時代。悲惨な事件の捜査や裁判を子育て中の女性検事に担当させるのをためらう雰囲気もあった」と振り返る。

 自らが管理職になってからは、部下には男女問わず経験を積めるような環境を目指してきた。「今はどの職場にも女性がいるのは当たり前。性別にかかわらず、個性や事情に合わせて能力を伸ばすことが重要だ」と変化を強調する。

 男女共同参画白書によると、法曹三者の女性の割合は近年、2~3割まで増えた。今年4月に日弁連会長に渕上玲子弁護士(69)が女性で初めて就き、話題となった。

日弁連会長の渕上玲子弁護士

◆最高裁判事15人のうち女性は3人

 一方、最高裁長官に女性が就いたことはない。

 9日、戸倉三郎長官(69)が8月に定年退官することなどに伴う新長官や2人の新判事が決定したが、すべて男性。判事15人のうち女性が3人という状況は当面変わらない。

 「社会に残る性別役割分業の意識を変えるため女性がリーダーになることが重要だという意識が、最高裁にはあまり強くないのではないか。男女差別を争点にした訴訟も扱うのに、真に公正な判断ができるのか」。法曹三者や法学者らでつくる日本女性法律家協会前会長の佐貫(さぬき)葉子弁護士(75)は疑問視する。

 懸念が表れた一例に挙げるのが、選択的夫婦別姓を認めない民法の規定の違憲性が争われた訴訟で初めてとなった2015年最高裁判決。当時も女性判事は3人。女性判事は全員が違憲と判断したが、男性判事で違憲としたのは2人だけで、男性判事10人の多数意見で「合憲」と判断した。2次訴訟も合憲と判断し、現在3次訴訟が起きている。

◆「ガラスの天井」女性裁判官が最高裁判事になっていない

元最高裁判事の桜井龍子さん

 これまで最高裁判事になった女性は9人しかいない上、そもそも裁判官出身者はゼロ。全員が弁護士や、官僚など行政官出身だ。

 「最高裁が女性の幹部登用に消極的だと言わざるをえない。女性長官の実現以前に、女性裁判官が最高裁判事になっていない、『ガラスの天井』がある状態だ」。行政官出身の元最高裁判事、桜井龍子さん(77)も苦言を呈する。

 最高裁長官は、全国の裁判所の人事や予算など司法行政を担う最高裁事務総局の要職や、全国に八つある高裁トップの長官を経験した人から選ばれるのが慣例とし、課題を挙げる。

 「まずは女性裁判官から最高裁判事を選ぶようにし、15人中5人は女性が担うようになってほしい」

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実現遠い女性の最高裁トップ…「男女差別の訴訟も扱うのに」 検察と弁護士界では誕生

2024年7月10日 06時00分


NHKで放送中の連続テレビ小説「虎に翼」の主人公のモデルは、女性初の弁護士・三淵嘉子(みぶちよしこ、1914~84年)だ。戦前、明治大(千代田区)の法学部で学び、戦後は判事や裁判所長を務めるなど、女性への偏見や差別で覆われた「ガラスの天井」に挑み続けた。「はて?」。明治大はなぜ、女性に司法への門戸を開いたのか。



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 「女性弁護士を養成する国の動きがあって、その議論の中に明治大の教員らが入っていた。開明的な人たちが大学にそろっていた」

「虎に翼」に出演する(左から)石田ゆり子、伊藤沙莉、岡部たかし=2024年3月撮影

 ドラマの法律考証で協力する明治大法学部の村上一博教授はそう解説する。

 この議論は、1933年の弁護士法改正(36年施行)につながる。弁護士になれるのは男性だけだったが、女性にも認められた。明治大はそれを見越して29年、専門部女子部法科(3年制)を設置、卒業後に男性と一緒に学ぶ法学部に編入できる道をつくった。事実上、女性が弁護士になれるのは明治大だけだった。

◆「男尊女卑を打破」掲げた学長

 村上教授は特に、女子部創設当時の学長で大審院長(現在の最高裁長官)も歴任した横田秀雄の名を挙げる。ドラマでは学長の存在感は薄いが、横田は開校式で「男尊女卑の旧習を打破し、女子の人格を尊重し、法律上、社会上の地位を改善し向上させる」と目的を高らかに掲げたという。

専門部女子部法科について説明する村上一博教授=千代田区で

 三淵は32年に女子部に入学。その後編入した法学部について「男子学生の勉学の場を拝借させていただいているという感じ」と語っていた。村上教授は「女子は異質に見られていたのではないか。ドラマのように男子とピクニックに行くというのはなかったようだ」。男女の壁は厚かったらしい。

 三淵は38年、他の女性2人とともに、現在の司法試験にあたる高等試験を突破した。女子部の入学者数は当初は90人ほどだったが、38年には30人弱に落ち込んでいた。村上教授は「学生が集まらず、廃止論がくすぶっていた。3人が合格しなかったらつぶれていたかも」と話す。

 ドラマは主人公が偏見や差別に「はて?」と問い、己の道を進む。評判は上々のようだ。社内の女性記者に聞くと、「ドラマのような女性への空気感はまだある」(40代)、「闘う女性だけでなく闘わない女性も描き、差別を問題提起している」(30代)と共感も。「差別的な男性が出てくるといたたまれない気持ちにもなるが、毎回見ている」という男性記者(50代)もいる。

 村上教授によると、法学部は今、全国的に政治や経済学部に人気面で後れを取る。「法は堅いイメージがあるが、つくるのも人間、運用するのも人間。血が通い、熱い思いが込められていることをドラマを通じて感じてほしい」

人気メニューのあんみつ(左)とぜんざい=千代田区で

◆三淵さんも味わった? 甘味処今も

 ドラマで主人公や同級生が勉強や議論をする甘味処の「竹もと」。モデルは、明治大から徒歩10分ほどにある1930年創業の「竹むら」(千代田区神田須田町1の19。午前11時~午後8時、日、月、祝日休み)だ。経営する堀田正昭さん(76)は「父や母に聞くと戦前は明治の学生が多く来ていた」と話す。三淵の来店記録はないが、お汁粉やあんみつを楽しんだ可能性はある。

 村上教授は「大学近くにあったとみられる銀座若松の支店には行っていたようだ」と紹介する。銀座若松(中央区)は1894年に創業し、昨年12月に閉店。あんみつの発祥とされる。

◆企画展開催中

 明治大学博物館(千代田区神田駿河台1の1)では、女子部の軌跡をたどる資料などを紹介する企画展を開催中。入場無料。休館日は日曜、祝日(夏季休業期間は土曜なども)。問い合わせは博物館=電03(3296)4448=へ。

 文・荒井六貴/写真・七森祐也

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はて?朝ドラ「虎に翼」明治大学だけが女性に司法の道を開いた理由は… あんみつ「竹もと」モデルは今も都内に

2024年5月17日 07時07分


世界で最も重大な犯罪に取り組む国際刑事裁判所(ICC)=オランダ・ハーグ=の所長に3月、赤根智子(あかね・ともこ)判事(67)が就任した。任期は3年で、日本人の所長は初めて。「世界がこれほど急激に変化し、大きな戦争や事件が続く中、非常に難しいかじ取りを求められるが、自分のできる限り頑張っていきたい」。赤根さんにオンラインで、今後の抱負や、女性の社会進出などを語ってもらった。(加藤美喜、岩田仲弘)



オンラインインタビューに答える赤根さん

◆アジア発のリーダーシップを発揮したい

 —所長選に立候補した理由は

 「アジア太平洋の若い人たちに力を与え、後に続いてほしいという思いがあった。日本は最大の拠出国(2023年の分担金は約37億5000万円、分担率15.4%)。お金だけではない貢献をしなくてはならない、という気持ちがあった」

 「ICC加盟国・地域は124で世界の3分の2にとどまり、アジア太平洋の加盟国は国連加盟国の比率で4割に満たない。アジア発のリーダーシップを発揮することが必要と考えた」

 —拠出額に比べ日本人職員は少ない。アジアでの存在感アップをどう図るか。

 「広報活動拠点となる東京事務所設置を実現したい。今どんな事件を扱い、裁判がどう進められているか、アジア、日本の人たちに具体的に知ってもらい、インターン、ボランティアなどで働くことによって、ICCを身近に感じてもらいたい。そこから次のステップとしてICC本体で働く意欲を養っていきたい」

 —日本への期待は。

 「アジア太平洋のリーダー的存在として、当該地域の加盟国を増やす努力を期待したい。ICCの警備強化や職員の保護という観点から、特別信託基金へのさらなる財政的支援のほか、日本の関係省庁から情報の共有などもお願いしたい」

◆プーチン氏に逮捕状を出したら報復で指名手配

 —ウクライナ侵攻に絡み、多数の子どもを連れ去った戦争犯罪の疑いでロシアのプーチン大統領に逮捕状を出した。ロシアはICCに加盟していないため身柄の引き渡しは難しい。

 「特定の事件に言及できないが、ICCは正義がなければ持続的な平和・秩序はないとする原則に基づいて設置されている。重大な犯罪に対して責任を追及しなければ、復讐(ふくしゅう)と暴力のサイクルをさらに助長する。持続的な平和は、法の支配によってのみ築かれると信じる。時効はないので最後まで遂行に向け努力する」

 —赤根さん自身、ロシアから報復措置として指名手配された。

 「ローマ規程締約国と締約国会議が、ロシアの措置をICCの業務を妨害する許容できない行為として強く非難したことは留意したい。ICCの判事や職員の安全、および裁判業務を維持するための努力を所長として継続していきたい」

 「私自身も、あまり外出をしないよう心がけるようになった。自分の安全のためだけではなく、自分に何か起きれば裁判所自体への脅威にもなり得る」

◆判決まで7~8年は長すぎ 改善していく

 —機構改革にどう取り組むか。

 「判決まで平均7〜8年かかり長すぎるという批判に対し、裁判の効率化・迅速化に向けて努力を重ねていかなければならない。今の手続きを改善していけば短くなるのではないか。改善はすでに英語(kaizen)にもなっている。日本人として地道なプロセスが期待されていると思う」

 —具体的には。

 「今は非常に多くの争点を長い時間かけて裁判している。その中で何が一番重要か、弁護人と信頼関係を構築し、話し合いによって争点を絞ることが必要だと思うし、検察官の間でも争点を絞って最も重要な証人に限定して尋問する。その中身も焦点を絞れば尋問時間を減らすことにつながるのではないか」

  ◇   ◇

◆「女性には就職の壁があった」時代に検察官に

 赤根さんは東京大法学部を卒業した後、1982年に検事に任官した。当時は男女雇用機会均等法が施行される前で、「普通に就職しようとすると、当時の女性には大きな壁があり、資格を持って社会に出ることが大事だった。正義の実現に自らかかわっていくことに魅力を感じ、検事を目指した」という。

 函館地検検事正や最高検検事などを歴任。「検察官として、女性だから差別を受けたということはない」と振り返る一方、「どこに行っても男性だけの職場だったな、とは思った」と話した。

 「日本の女性法曹には、日本はまだまだ男女が平等でないとの不満がたまっているのではないかと感じる」とも。今後、世界で活躍を目指す女性に「海外で働くと壁にぶつかることもあると思うが、それが成長の糧になる。失敗を恐れずに外に出てほしい」とエールを送った。

 上川陽子外相は、国際機関の女性トップ就任を歓迎。平和構築に女性参画やジェンダー平等の視点で取り組む「女性・平和・安全保障(WPS)」の推進に向け、赤根さんと連携していく考えを示している。

  ◇

◆動物の動画でリラックス

 赤根さんは愛知県立旭丘高で学んだ高校時代を振り返り、「自由を満喫したが、そこで学んだのは、自由には責任が伴うこと。みんないつも自問自答していた」と話す。所属した硬式テニス部の仲間たちとは「結束が固く、今でも何人かと付き合っている」という。

 激務が続く中、「気分転換にスマートフォンで猫や犬の動画を見て笑っています」。伊坂幸太郎さんの小説が好きで「最近割と読んでいる。いろんな驚きがある」とも語った。座右の銘は「人間(じんかん)到(いた)る処(ところ)青山(せいざん)有り」。大望を果たすためには故郷にこだわらず広く世に出て活動すべきだ、という趣旨で今、その道を究めようとしている。

   ◇

◆「話をしたい学生に取り囲まれていた」教員時代

 赤根さんは2005〜07年度、名古屋大法科大学院で、検事の実務家教員として教壇に立った。当時を知る名大教員らは「学生の憧れになる」と喜ぶ。

名古屋大での赤根智子さんの様子を振り返る(左から)鮎京正訓さん、小島淳さん、牧野絵美さん。手前は赤根さんの記事が掲載された2015年発行の名大のパンフレット

 「赤根さんはいつも、話をしたい学生たちに取り囲まれていた」。刑事訴訟法が専門の小島淳教授(50)は、07年度にあった司法試験合格者の祝賀会や懇親会での様子をこう振り返る。

 同大学院の理念は「広い視野と国際的関心を持つ法曹の養成」。「まさにその姿を体現する赤根さんに続く学生を輩出できるように、学生たちに活躍を伝えたい」と語った。

 鮎京正訓(あいきょう・まさのり)名誉教授(73)は昨年12月、東京の会合で、一時帰国した赤根さんと顔を合わせた。ロシアが赤根さんを指名手配したことに触れ「大丈夫か」と聞くと、笑顔で「まったく動揺していない」と答えたという。

 ICC所長は18人の判事の互選で決まる。赤根さんと07年度から1年間、研究室が隣で、国際法に詳しい水島朋則教授(53)は、「普段一緒に仕事をする中で信頼を得たということ。手堅い仕事ぶりだったので、赤根さんが選ばれるのは理解できる」とうなずいた。(鈴木凜平)

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ロシアに指名手配されても「動揺しない」赤根智子さんが語る「失敗を恐れず外へ」 日本人初の国際刑事裁判所長

2024年4月15日 06時00分