自民党杉田水脈さんも産む選択だけでなく産まない選択も認める社民党福島瑞穂さんも生得的生物学的女性である。女の境界線は存在するし女にも種類がある。MTFSRS手術済みGIDMTF向けに戸籍の性別秀吉とDSDsインターセックス向けに戸籍の性別欄Xは必要だ。

自民党杉田水脈さんも産む選択だけでなく産まない選択も認める社民党福島瑞穂さんも生得的生物学的女性である。女の境界線は存在するし女にも種類がある。MTFSRS手術済みGIDMTF向けに戸籍の性別秀吉とDSDsインターセックス向けに戸籍の性別欄Xは必要だ。
このタイトルの内容について説明してゆくよ。
私はGIDMTFであるし自身がMTFSRS手術して生物学的男性の身体をやめたい存在であり、実際に37歳になってからMTFSRS手術をしており家裁での性別変更手続きで戸籍上の男性もやめたいけど戸籍女性にしたら生得的生物学的女性の人権侵害することになるから、性別秀吉の女性になろうと考えているよって話。
大前提として産む選択だけでなく産なまい選択も認める生得的生物学的女性である社民党福島瑞穂さんも生得的生物学的女性であるという前提が認めらてる必要がある。
特例法の生殖能力を欠く要件.子供なし要件・非婚姻要件等を守っているMTFSRS手術済みGIDMTFも戸籍秀吉を作って木下秀吉専用スペースを作った上で女って言いたい話。巨乳女子も貧乳女子も女だよ。
千田有紀さんの論文の良いところは産まない生物学的女性も女性であると認めているところ、悪いところはゆなさんが指摘している部分。


私の学生時代~30歳になるまではジェンダークリニックの存在なんて知らなかった。
私の学生時代~30歳になるまでは生物学的男性のトランス女性なので排除されて当然でしょう。
30歳になってジェンクリでGIDMTFとの診断書を受けてホルモン治療などで女性化して性別適合手術を受けて身体の性別を変えたいとの生き方が肯定された感じがしました。
だから悪用される性自認・セルフID阻止のためにもGIDかどうかの判断に診断書要件は不可欠であり性自認ではなく、ジェンダークリニックでの性同一性障害者との診断と性同一性障害者に必要な医療を必要とした性同一性障害者との診断書の有無は不可欠な基準として頂きたいです。
小中学生時代の物心ついたときから生物学的男性として生きること.適用する事は無理だと感じてましたし身体が女の子になれたらなぁって考えてたので、身体の性別を女性化するMTFSRS手術を可能にする特例法の手術要件が無くなったりジェンクリでのアクセスが遮断されたら絶望感しかなくなり私のようなGIDMTFは自殺以外選べなくなる.ジェンクリへの医療アクセスを禁じた親を殺す殺人事件をしてしまうかもしれないそれくらい手術要件を必要とするGIDは追い込まれている。
親の権利って言って生物学的男性のトランス女性に当たる未成年のGID患者のジェンクリへの医療アクセス権等が米共和党州や米カンザス州のように禁じられることはGID患者に対する虐待に等しいと私は感じてます。
登川琢人さんはしばき隊さんの手法の問題点を左から批判されているのが良いですね。






GIDMTFが未オペの時は女性スペースを守る会さんの男子トイレに共有部分を作る案と小宮教授の性別関係なしに使用可能なみんなトイレを使用する案ですね。




私は30歳になってから特例法に従ってナグモクリニックの医師に性同一性障害のMTFと診断して頂いて初めて性別適合手術を受けられるって希望が持てるようになりました。
特例法4条でMTFSRS手術済みかつ戸籍の性別変更済みなら女性スペースに関する法律や女性スポーツに関する法律もありますしGEKKINGさんやゆなさんのように戸籍の性別を女性にすれば解決するかと思ってました。毛糸子さんの話を聞くまでは。毛糸子さんの言う通り女子トイレや女湯を守る女性スペースや女性スポーツを守る意味での女性の定義は生得的生物学的女性のみですから、女性スペースに関する法律や女性スポーツに関する法律では解決とはならないですし、MTFSRS手術済みGIDMTFが女性に戸籍の性別変更をすることは生得的生物学的女性に対する人権状況を後退させてしまうから毛糸子さんのMTFSRS手術済みであっても女性に戸籍変更しないでには理があります。




「性自認」に基づく差別解消法案・理解増進法案に関する共同要請書

令和5年(2023年)3月16日

日本国内閣総理大臣 岸田文雄 殿
各政党党首 殿


 私たち4団体は、それぞれ性自認と身体に違和を持つ者を含む様々な性的少数者の団体、市井の女性らを中心とする団体、そして性犯罪被害者の支援を続けてきた団体ですが、上記につき政府、各政党及び国会議員の皆様に、次のとおり要請します。

 国民間においても、どうぞ様々な情報を入手して、「何をもって許されざる差別とするのか」につき広く議論して下さい。マスメディアは先行した諸外国の正確な情報、多方面からの見解を提供して下さい。

要 請 の 趣 旨


1 gender identity:性自認ないし性同一性(以下「性自認」という。)に関する差別解消法または理解増進法を作成し審議するにあたっては、拙速に提出することなく、女性の権利法益との衝突、公平性の観点からの研究・検討をし、先行した諸外国の法制度と運用実態、混乱などの問題、またその後の制度変更などもしっかりと調査し、国民的な議論の上で進めて下さい。

2 仮に法令化するのであれば、生物学的理由から女性を保護する諸制度・施設・女性スペース、女子スポーツ等々において、元々は男性だが自身を女性と認識する方を「女性として遇せよ」という趣旨ではないことを明確にする、また別途女性スペースや女子スポーツに関する法律を制定するよう求めます。

3 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律のうち「手術要件」は削除せず、男性器ある法的女性が出現しないようにして下さい。

要 請 の 理 由


1 性的少数者に対する差別解消・理解増進の法制が、俎上にのぼっています。

もともと、誰に対しても不合理な差別は許されません。憲法第14条、民法第1条、第90条、第709条、労働基準法第3条等々の趣旨から、いわゆるトランスジェンダーへの揶揄、仕事差別といったことは許されない事柄です。

トランスジェンダーには、きつい身体違和があるトランスセクシャルTSと、身体違和はないが性別違和があるとする狭義のトランスジェンダーTGのみならず、(「性自認」とは関係がない筈と考えますが)いわゆる異性装者トランスヴェスタイトTVがあるともされるところ、これらの人に対する不合理な差別は、もともと許されないのです。

 この前提のうえで、私たち4団体は、「性自認」をそのまま法令化することは、男性器あるが自身を女性と認識する人をいわゆる女性スペース等でも「女性として遇せよ」「そうしなければ差別になる」趣旨と読め、そのためにこそ活用される可能性が極めて高いことから、大いに心配しています。


2 すなわち、制定されれば、たとえ理念法であっても「女性として遇せよ」の運動や訴訟において、様々な女性スペースについても「利用公認しなければ差別だ」「尊重していない」と主張される怖れが多分にあります。

 「性自認」は主観的かつ曖昧な概念で外観からは分からないのですから、「何をもって差別とするのか」の議論がされず不明確なまま法が制定されれば有効に利用されます。「女性として遇せよ」であれば、ほとんどの推進論者が言う女子トイレだけでなく、女湯・女子更衣室・女性専用マンション・病院・シェルターといった施設でも同様に考えるのが論理的です。更に、女子スポーツ選手権も、男性としての身体、体格、筋肉を既に持ったものが参加資格をもち得ることとなり崩壊していきます。様々な統計も信頼性がなくなります。近代法の基本的な前提である「性別」の定義があいまいになる問題でもあります。


3 なにより、女性スペースの防犯上の問題があります。女子トイレや女子更衣室などの女性スペースは、無防備な状態にある女性を守るために存在します。

「女性と認識する」という人に対し女子トイレが「利用公認」されれば、そう主張する男性が堂々と入れることとなり、性加害(ハラスメントを含む)な目的の男性も入りやすくなります。個室に引きずりこまれての性暴力被害、個室の盗撮被害の増加や盗聴、さらに使用済みの生理用品を見られたり、持ち出されることも増えると心配します。警戒心が薄く抵抗する力のない女児、障害のある女性が性暴力被害に遭いやすくなるのでは、とも心配します。実際、性犯罪は男性の女性に対する事件が圧倒的な割合になるのですから、当然です。女性スペースは女性らの安心安全のためにこそ、できたものです。

 また、女性を自認していても、性愛の対象が男性であるとは限らず、女性に対して性愛を持つ「レズビアン」と自称する人もいます。客観的には異性愛者の男性と女性なのに「レズビアン」の関係にあるという形になります。そのために、レズビアンやバイセクシュアル女性からは、女性としての不安に加え、レズビアンの権利が危機に瀕するとの不安の声が上がっています。既に日本のレズビアンバーには2019年、男性器あるパスポート上「女性」の外国人が入ろうとして混乱しました。この男性器あるパスポート上「女性」の外国人による同様のトラブルは、日本の温泉などでいつ起こっても不思議はありません。

 性犯罪被害者を長年支援してきた者は、女性スペースにおける性犯罪の増加を心配しています。言うまでもなく、性犯罪の加害者は圧倒的に男性器ある者であり、被害者のほとんどは女性です。報道される事件は、相当に軽度の事件と逆に死亡にまで至った事件だけです。多くの事件は報道されず、被害届出さえできない事案も未だ多く、まして被害者が子どもや知的障害がある場合、事件化するには困難を極めます。性加害目的の者が女子トイレ等に少しでも容易に入れるようにしてはなりません。

 性犯罪被害者の多くは、トラウマにより「男性」を怖れています。被害を受けた女性は、女性スペースの身体的には男性の人がいるかもしれないこととなると、公衆の女子トイレなど、公的な女性スぺースを利用できない可能性が高くなります。性犯罪被害者を支援してきた者は、女性被害者の社会への復帰がより困難になると心配しているのです。

 そして、何より、性同一性障害(性別不合)により、もともと男性であったが性別適合手術を受け法的女性になった人は、自らの信用性がなくなってしまうと怖れています。「女子トイレには男性器ある男性は入っていない」というルールがあるからこそ、法的女性として女子トイレに安心して入れるということなのです。手術などを予定しないいわゆる狭義のトランス女性を含めて、多くが「女子トイレの利用公認を」などと求めていると考えるのは誤りです。


4 いわゆるLGBT法連合会に集う方々の団体だけが、性的少数者の集まりではなく、その代表でもありません。多くの性的少数者、まして社会に埋没しているトランス女性・トランス男性、もとより法的性別を変更した者は団体に集うことなく、法律が無くてもいわゆるヘイト事件まではまずない日本において、日々生活しています。

 そもそも、トランス女性に対して揶揄し時に暴力さらに性的暴力をふるうのは男性であり、一部の男が男子トイレから排除し、入りにくくさせています。この事態をこそなくさなければなりません。

 LGBT法連合会に集う団体活動家は、「女性として遇せよ」としてトランス女性の「女子トイレの利用公認」などを説いて運動しているのですが、これこそが「性の多様性を尊重」していないものであり、方向性をまったく間違えていると考えます。

 いわゆる女性装、女性っぽい感じの男性が、男子トイレを使っても良いではないですか。性別は現生人類になる前から男と女でした。性分化疾患の方がいますがどちらかの性別であるものです。多様性があるのは、時代と地域で異なる社会的・文化的な「性ジェンダー」なのであり、「性別セックス」ではないと考えます。

 また、これら団体は、信頼性と同情できる「トランス女性」だけを念頭に置いて主張を展開・説明します。当事者の話では自殺も考えた、自死率が高いなど涙を禁じ得ない話もありましょう。自死率についてはその他の事柄を原因とする精神状態ともども検討しなければなりません。が、その通りだとしても、法を制定する場合には、すべての「トランス女性」を考慮しない訳にはいきません。実際、この2月、大阪府高石市では「トランス女性」だとしてネット上でも公開していた男が準強制性交等や準強制わいせつで検挙されました。推進論者は時に「性犯罪をした者はトランス女性ではない」などと説明しますが、防犯の観点を忘れた妄言と言うべきで、御都合主義に過ぎます。

 政府におかれては、どうぞ、幅広く、意見を聞いてください。


5 昨年6月28日、岸田首相は、ドイツで開かれたG7サミットの首脳コミュニケで、「性自認、性表現あるいは性的指向に関係なく、誰もが同じ機会を得て、差別や暴力からの保護を確保することへの完全なコミットメントを再確認する。」に調印しました。

 しかし、それは決して元々は男性の女性と認識する人を「女性として遇する」ことを約束し合ったものではありません。性自認や性表現と身体的な性別の違和がある人についても、不合理な差別や暴力があってはならないとしたものです。日本においては、先行した諸外国のようにトランス女性を「女性として遇する」のでも、「性自認だけで法的性別を変更できる」のでもない形で「誰もが同じ機会を得て、差別や暴力からの保護を確保」することを示してください。

 実際、上記コミュニケは、続いて「この目的のために、我々は、長年にわたる構造的障壁を克服し、有害なジェンダー規範、固定観念、役割及び慣行に対処するための我々の努力を倍加させることにコミットする。」としています(日本語仮訳24ページ)。

 その趣旨からすれば、むしろ「男性は(その時代・地域での)男性らしい服装であるべきである」という有害なジェンダー規範を打破することが求められています。男性側こそが性の多様性を認めて、女性装の人を含めトランス女性が男子トイレなど男性スぺ―スに入りやすくしてこそ、固定観念や慣行に対処するものと評価できます。

 イギリスでは、昨年4月の首相発言にあるように、行き過ぎた「性自認の法令化」が女性の権利法益を侵害していることから正常化に舵を切り、苦労を重ねています。地方政府のスコットランドでは性別変更をより容易にする議決をする一方で、女子刑務所でトランス女性による強姦事件が発生したことなどで混乱を重ね、この2月、首相が辞任するに至っています。米国政府は我が国に様々な要請をしている模様ですが、この問題については米国各州で実に方向性が異なり、それぞれに混乱があって参考になりません。

 日本では、先行した諸外国のような同性愛者やトランスジェンダーへのヘイト刑事事件はまずありません。時にあるのは、男子トイレ等で時に見かける、男性によるトランス女性ら性的少数者に対する嫌がらせ・迫害・暴力です。これを減らす努力を重ねるとして、G7サミットで正しく対応できるのです。

 政府におかれては、諸外国の状況をしっかりと調査した上で、方向性を定めて下さい。

よって、要請の趣旨1記載の通り求めます。


6 しかし、諸般の事情から、何らかの形で理解増進法といったものをどうにも作らざるを得ない場合には、元々は男性で「自身を女性と認識する人」につき、女性の生物学的性別に着目して存在する諸制度、女性スペース、女子スポーツ等々につき「女性として遇せよ」の趣旨ではないことを、明確にされるよう求めます。

あわせて、別紙の「女性スペースに関する法律」及び「女子スポーツに関する法律」の各法案を参考に別途の法律を共に成立させて下さい。

 どうぞ、法案の作成と提出・審議にあたっては、女性の権利法益との衝突、公平性の観点からの研究・検討をし、その際、先行した諸外国の法制度と運用実態、混乱などの問題、またその後の制度変更などをしっかりと調査し、国民的な議論の上でして下さい。

  よって、要請の趣旨2記載のとおり求めます。

7 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律は、身体違和がきつい人について性別適合手術を公認し、その生活の便宜のために後に法的性別を変更できるとしたものです。希望しない人に手術せよというのではないのですから「断種手術」などと言われる筋合いはありません。同法は、男性器あるままの「女性」はあり得ないなどの考えに基づきますが、それは国民の意思と合致しているのではないでしょうか。

 そして、法的性別を変更した当事者にとっては、身分証明書の記載と身体的状況が一致することこそが社会からの信頼も確保している根拠になっていることを忘れてはなりまんせん。「私たちにとって、手術要件は決して『過酷な条件』ではなくそれこそ『身を守る盾』」とも表現されています。

 まして今日、「性自認で性別変更を」の思想運動の影響か、その診断が容易に得られてしまったという報告もあり、手術要件を外せば、一気に「性自認で法的に性別変更ができる」ということと同様になる蓋然性があります。同法の手術要件は削除せず、男性器ある法的女性が出現しないようにして下さい。

 よって、要請の趣旨3記載のとおり求めます。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。

性別不合当事者の会 事務局長 森永弥沙

白百合の会 代表 森奈津子

平等社会実現の会 代表 織田道子

女性スぺースを守る会― LGBT法案における『性自認』に対し慎重な議論を求める会―
共同代表 山田響子/野神和音/森谷みのり 



四 団 体 の 紹 介



🟣性別不合当事者の会  
 2021年12月21日、トランスジェンダリズムの進展に危機感を抱いた性別不合当事者有志により結成。「①既存の性別二元論を崩さずに、男性中心主義の社会構造を批判し、女性と共存共栄する。②行き過ぎたLGBT活動を批判しつつ、GIDの常識的な範囲の人権保護と社会適合を訴える。」を基本理念とし、要望書の提出、啓発活動などをしている。
https://note.com/ts_a_tgism/

🟢白百合の会 
 代表森奈津子は数年前から性自認至上主義に疑問を呈してきたバイセクシャルの作家であり、知り合いらが交流し、2021年春から世論形成を図ってきており、2021年11月7日成立


🟣平等社会実現の会
 1983年に設立し40年目を迎えるアジアで最初の性暴力被害者支援団体である「東京・強姦救援センター」の創始者・相談員らにより、2022年3月29日成立。約1万5千件の相談(性的マイノリティの方々を含む)経験をもとに、性暴力被害者の現状・不安と「性自認」優先による弊害について発言している。


🟢女性スペースを守る会 ― LGBT法案における『性自認』に対し慎重な議論を求める会―
 2021年9月18日、その趣意書に賛同する市井の女性を中心に集まった賛同者2000人弱の団体で、「性自認」を法令化する危うさについて広く国民と各界へ啓発活動、各政党や候補者のアンケート稼働、要請活動をしている。    https://note.com/sws_jp
https://womens-space.jp/


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https://note.com/sws_jp/n/n715106b13f00
4団体の要請書を提出しました!

40



女性スペースを守る会

2023年3月16日 23:02


女子トイレについて言えば小宮教授の言う心理的な要素はもちろん、犯罪抑止要素としての領域性・監視性を確保し抵抗性を維持するためには、女子トイレを維持すること、そしてそこは女性専用のものとすることが必須であることは明らかです。それは、毎時30kmを制限とする道路でしばしば違反する車両があろうとも制限を変更すればより危険性が増すのでこのルールを廃止せずのままとしているのと同様に、重要なルールです。



 もとより、女子トイレであろうが共用トイレであろうが、事件が起きたならば通報しやすくする、対処を直ちにできるようにすることも必要であり、巡回の増強や監視システムなどの工夫も必要ですが、数十万はあるとも思われる多数が利用するトイレにあって全うできるはずもなく、何より大切なのは防犯の観点ですから、大前提である女子トイレを維持しこれを女性専用のものだというルールとすることが必須です。





 しかるに、日本にあってはこれまでこのことが明記された法令はなく、参考とできるのは、労働安全衛生規則等で使用者に対し、トイレは男女別とすると事業所の設備面での原則としているだけでした。これでは、女性・女児らの安全が図れません。この課題は、わが国では文化と国民の良識からおおよそ解決できてきたものですが、建造物侵入罪(刑法130条)の「正当な理由」の判断材料としても、立法機関としての意思を示さなければなりません。



また近時、欧米諸国では、女性という認識があることで男性器あるままに「法的女性」となる法制度が相応に導入されており、パスポート上「法的女性」となっている方が既に入国されていましょう。その結果、温泉の女湯等でトラブルが発生する可能性があり、国は直ちに対処しなければなりません。





 そこで、この法案を提出します。



「女性」とは、生物学的女性及び日本法である性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(平成十五年法律第百十一号)第4条に基づき女性とみなされた者のみを指し、男性器がありながらもパスポート等で「女性」などとなっている方、また女性と認識する男性は含みません。



 「女性スペース」とは、「女性用」と明示されたトイレ、更衣室、風呂等の建物、区画または施設であり、例えば女子高校、女子大学の全体などは含まれません。女性スペースには、政令で定める年齢以上の女性以外の者は入場できないものとしました。緊急の安全確保のためや設備点検等はこの限りではありません。



 国、地方自治体及び公益法人は、多数の者が使用するトイレ等の設備を設ける場合は、「女性用」と明示されたトイレ等を設けなければならないものとしました。私人、私企業が管理する多数の者が使用するトイレ等の設備については、その財産管理の自由権と衝突するものでもあり、「女性用」と明示するトイレ等の設置は努力義務としました。「多数」の定義および制限年齢については、女性スペースの種類により異なるので、政令によるのが適切です。



 また、「女性用」であっても、国、地方自治体及び公益法人以外の管理者にあって、例えば「女性と認識し日々生活している男性も入場可能」、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律所定の診断を経ている男性も入場可能」と定めかつこれを女性スペースに明示している場合は、この限りではないとしました。年齢その他の変更も自由です。この程度の抑制であれば、得られる女性・女児らの安全確保、防犯という公共の福祉に合致する人権の保障の観点から、憲法上の問題はないと確信します。明確に定めかつ明示されることにより、利用者は適切に対処することが可能となります。





 この法案は、令和3年5月、与野党で協議してきた「性的指向及び性自認の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案」が改めて提出されると、女子トイレ等の女性スペースを目途としいわゆる「トランス女性」を「女性として遇せよ」という声が強くなろうことに鑑みて、今回提出するものですが、かかる運動は自治体での条例制定を機に一部では進んでいて女子トイレが設置されない多数のためのトイレ設備も出現している状態ですから、上記法案の成否とは関係なく、女性、女児らの安心安全を図るために成立されるべきものと確信します。



 以上が「女性スペースに関する法律案」の趣旨及び概要であります。



 何とぞ、慎重にご審議の上、速やかにご可決くださいますようお願いいたします。



以 上

4団体は「女性スペースに関する法律案」「女子スポーツに関する法律案」を提案!

30



女性スペースを守る会

2023年3月16日 23:03



私はアニメバカとテストの召喚獣の木下秀吉ちゃんに追いかけられている立場みたいなので、どういう状況になれば生得的生物学的女性との対立を避けつつバカとテストの召喚獣の性別秀吉の木下秀吉ちゃんがわしは女じゃと言えるようになるかというのが自分事としてのMTFSRS手術施工済みGIDMTFの私のテーマです。DSM5ICD11の男女二元論やめて性の多様性を使って、男子でも女子でもない、性別秀吉になるが生得的生物学的女性に納得してもらえる選択でありMTFSRS手術済みGIDMTF向けの第三のスペースも用意して頂ける世の中にしてゆくかつ特例法の継続に必要な事だということ。
うち可愛いくなりたい願望あるし男子扱い嫌だし、シーズン続けて性別秀吉という属性であり実際の性別は性別秀吉でありMTFSRS手術済みGIDMTFが性自認至上主義に加担しないMTFSRS手術済みGIDMTF専用スペースである木下秀吉専用スペースを使えるようになる形で木下秀吉ちゃんは女であるという結論になるといいなぁって思ってる。うち木下優子お姉ちゃんはいないけど。



ガレス(Gales)さん

2010/9/17 17:11

木下 秀吉(きのした ひでよし) 声 - 加藤英美里 文月学園高等部の2年生。Fクラス所属。1年生時から明久の友人。 名前の由来は豊臣秀吉とその旧名・木下藤吉郎から。 演劇部に所属しており、特技は声帯模写で女声も男声も自由自在。 Fクラスに所属しているのは演劇に入れ込み過ぎて普段の学業が疎かになっているため。 Fクラスでは数少ない常識人だが、そのためアクの強い友人達に振り回されがち。 「稀代の美少女」「第三の性別"秀吉"」と称される程の美貌の持ち主だが、 れっきとした男性である。 その可愛らしさは新聞部主催の「女装が似合う男子生徒ランキング」にて ノミネートされたが物言いがつき、 審議の結果「アンフェアである」としてランキングに反映されなかったほどで、 すでに男の娘というワードが浸透しているにもかかわらず、 ファンの間ではあくまで"秀吉"という属性で扱われる。 遂には女性陣からも完全に性別を忘れられつつあり、 姉の優子と玲だけが彼を男子として認識している (玲は「明久に女友達が出来るはずがない。」という理由のためであり、 現在も男子として認識しているかは不明である。) (イラスト担当の葉賀ユイも「7.5巻の明久が最初の男キャラの表紙で、 3.5巻の人は男に数えない」とコメントした)。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1347168248
bra********さん

2010/9/17 16:55



もう一つのテーマは女の境界線は存在すると思った件と男女二元論では解決不可能となったがSexbasedRightsで対処しないといけないスペース分けの問題について。
もう一つのテーマは属性が違うのに画一で扱われるのは人権侵害であり息苦しいと感じるのは事実だ,しかし違いを受け入れる.個性というのは簡単だ.だけど相手の個性も認め相手が生きやすい環境を作ってゆくってのも大変だと痛感した話。
みんな違ってみんないいと口でいうのはたやすいが、人と違うという事実は人権侵害と批判されたりしますし自身が人と違うという事実を突きつけられた時、人と違うという事実を受け入れなければ身の安全は確保できないと思いました。違う属性なのに同じスペースにいる呉越同船が性自認至上主義の原因とも思いました。
自民党系生得的生物学的女性の例である杉田水脈さんと産む選択だけでなく産まない選択も認めるべきとの社民党系の生得的生物学的女性である福島瑞穂さんの生得的生物学的女性を巡る生得的生物学的女性同士の戦いがある。
私は社民党消滅して欲しいと思っているが、産む選択だけでなく産まない選択も認めるべきとの社民党系の生得的生物学的女性である福島瑞穂さんのようなリプロが認められた生得的生物学的女性の生き方が日本で出来るようにならないといけないと思ってます。



タイトルは編集者と相談し、「『ターフ』をめぐる対立を超えて」というサブタイトルは提案していただいたものをいただくことにした。メインのタイトルは、おそらく編集の方が勘案して「安心安全」といった文言の入った「無難なもの(ごめんなさい!)」をつけていただいたのだが、論文のなかで安心や安全の話はそれほど深めていないと思われたので、看板に偽りありなものにするのは嫌だった。「誰もこれに文句はつけられないでしょう」といった「炎上除け」の匂いがするのも、どうかなと思われた。

「『女』の境界線を引き直す」というタイトルに決めたのは私だ。かつて、「女とは子どもを産む存在」「女は生まれながらにしてに女であって、解剖学的な運命だ」といった生物学的な本質主義にまみれていた「女」というカテゴリーを、さまざまな存在--トランス女性も含む、現実に存在する多様な女たちを意味するカテゴリーとしてずらしていくことを主張するとてもいいタイトルだと思われたのだ。「女なんてしょせん」と女の本質を意味づけようとする、そういった追いかけてくる意味づけから逃れるために、「女」というカテゴリーを生物学的な本質主義から解放し、「共闘」しようという、トランス女性へのメッセージでもある(本文を読めば、当然そう受け取られるだろう、それ以外の読みがあり得るのだろうか、と私は思ったのだ)。

思ったような記事ではないと、なんだかんだと批判は来るだろうとは思っていた。しかし知人から紹介されたサイト(ゆなの視点:千田有紀「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」(『現代思想3月臨時増刊号 総特集フェミニズムの現在』)を読んで)は、細かく私の論文の引用があるものの、解釈がまったく異なっており(もちろん、読みは多様であるが)、さらに核心部分で、私が書いていないことがたくさん盛り込まれていた。真摯に書かれたものであることは伝わってくるのだが、私の論文の要約だと言われたら、明らかに「違います」と言わざるを得ないものだ。この要約だけを読んだら、私だって「なんて論文なんだ」と思うと思う。

「私はフェミニズムに関してもジェンダー論に関しても何ら専門家ではありません」と宣言する著者のゆなさんにむかって、私はなにもいう気はない。ただTwitter等で、この文章を紹介して判で押したように、「丁寧に書いてくれている」といったお墨付きを与える研究者については、驚きを禁じ得ない。私を「トランス差別をする研究者」ということにしたい、その結果、「差別主義者」である私の論文や発言に耳を傾けなくてもよいという状況をつくりたいひとたちがいるらしいことは認識しているのだが、フェアなやり方とは言えないとは思う。自分で責任を負う言葉を発するのではなく、専門家でない人の言葉を肯定的に紹介するのであれば、私の論文を本当に同じように読んでいると認定していいのだろうか。研究者として知りたいと思う。

また、この原稿用紙20枚ほどの論文に、先行研究や多くの論文を参照していないという指摘をされるのだが、ぜひ、私の論理展開に必要であるのに欠けている研究があるか、ご教授願いたい。見ていただければわかるだろうが、注だけでも膨大な量となりスペースを圧迫し、直接言及したものに限らざるを得なかった。もしも不足している論文を御教授いただけるなら、謙虚に学びたいと思う。

困ったことは、雑誌に書かれた論考はほとんど目に触れられることがないにもかかわらず、このネットに置かれた「要約」は実に簡単に、すぐに多くのひとの目に触れることだ。どんな論文を書いても、ネットに掲載された他人による「要約」のほうだけが流通することになってしまう。専門的な論文の内容を読むのは、意外に難しいものである。そうであればあるほど、そのような恣意的な「要約」が拡散させられるのであったら、研究者はたまったものではない。


「同意します。ここまで丁寧に書いてくださったことを、深く感謝しています」とゆなさんによる「要約」に対する賛辞の次のツイートを見ると、「ただ当該の文章をまだ読んでいない(手元にはある)ので、読み方(千田さんの文章の解釈)については違いがあるかもしれません」と書いてあり、力が抜けた。多くのひとが「読んでいないけれど」といいながら、私の論文に書いてもないことを、悪しざまに批判するという事態は、異常ではないか。

ゆなさんによる要約と、私の見解

きちんとした要約を掲載しようと最初は考えたが、よく考えれば発売されたばかりの論考の要約を載せるのも、失礼な話である。ゆなさんの要約を紹介しつつ、それに対してコメントをする形としたい。

ゆなさんによる要約は、ほとんどすべて、私が主張していないものである

https://note.com/sendayuki/n/n62aebf2fcd7e
「女」の境界線を引き直す意味-『現代思想』論文の誤読の要約が流通している件について

168



千田有紀

2020年2月22日 07:01



問題点の指摘

ここでは以上の要約に沿う形で、簡単な問題点の指摘をしておきます。

何よりも大きな問題は、「トランスは身体とジェンダーアイデンティティを自由に構築できるという発想を採用している」ということが何の根拠もなしに前提とされていることでしょう。これはトランスフォビックなツイッターアカウントなどではおなじみの言説で、「セルフID」などと語られていますが、これを実際に採用しているトランス当事者は、仮にいたとしても多くはないはずです。むしろ私も含め、私の知る人々は「自分たちのアイデンティティはそんな自由に選んだものではない」と繰り返し語っています。そもそも自由に構築できるような代物であるなら、周りに侮られ、不利益を被るリスクをおかしてまで、こんなアイデンティティを選びはしませんでした。少なくとも私はそうです。それよりも単なるシス男性として暮らせたらどれほど楽だったでしょう。何度も何度も「がんばれば男性として生きられるのではないか」と挑戦した挙句に、絶望的な気持ちで「私は男性としては生きられない」と理解し、このように生きざるを得なかったというのが私の実感ですし、こうした割り当てられた性別で生きようと試みて挫折するという経験は多くの当事者が語るものです。千田氏はせめて、何らかの根拠を挙げてこの主張を正当化すべきだったはずです。

そしてここが正当化されていないがゆえに、その後の議論は意味をなしません。千田氏自身が「アイデンティティを自由に構築できるとトランスは考えている」という前提のもとで論じているのだから当然です。またこのことは、千田氏が反発する「トランス女性を女性という枠内に包摂しようとすること」を受け入れるべき理由を示してもいます。それは何よりも、私たちトランス女性は不自由にも、自分たちにもどうしようもできない仕方で女性であるからなのです。それは、私たち自身にもまったく自由にならないことなのです。もちろん、男女二分法におさまらないアイデンティティを持つひともいますが、そのひともまた、男女二分法の外部にいることを自ら自由に選んだわけではなく、おそらく当人にもどうしようもない仕方でいずれの性別にも属せないのだろうと想像します。

また、序論と結論で繰り返されるのが、トランスへの恐怖を語るシス女性が差別意識からでなくそれをしているということです。千田氏はさもトランス側の人々が「そうしたシス女性は本当は恐怖を感じておらず、差別意識からそれを言っているだけなのだ」と主張しているかのようにまとめていて、そうしたことを主張しているひともいるのかもしれませんが、私や私の知る人々の意見は違います。おそらく恐怖を語る人々の多くは心から恐怖しているのであり、排除のための単なる口実として言っているのではないのでしょう。そしてその恐怖が既存の社会の構造に従うものだというのもそうなのでしょう。私たちが繰り返し指摘しているのは、その社会構造がトランス排除的にできていて、それを無反省に受け入れたうえで、トランス当事者の生き方に目を向けようとしないままに恐怖を感じている人々の不合理さなのです。そして、その前提となっている社会構造や常識が、さらにはそうした恐怖を語り、その恐怖に従って振る舞うことで保存される社会構造や常識が差別的であるということなのです。

このことは男女間の話に置き換えたらわかりやすいかもしれません。もしかしたらある種の男性は(フィクションでよく見られると思いますが)女性が自分の心を惑わす悪しき存在であると思い、心の底から恐怖し、自分の周囲に女性が来てほしくないと願い、そのことを口にしているかもしれません。しかしここには非常に偏った女性観があると言えるのではないでしょうか? 女性は性的な誘惑をしてくる存在であり、しかもそれに応じるのは堕落であるというような(ここでは女性側の意志などは問題とされません)。そしてこの恐怖に従って行動したこの男性は、男性ばかりの空間を作り上げ、それを強化し、ますます女性を跳ねのけるようになるでしょう。それは結果的に、女性排除的な空間を作り上げ、女性差別に利することとなります。こうした事例に対し、普通は「しかし本心から恐怖しているのであって差別意識はない」などと擁護したりはしないのではないでしょうか? その恐怖の理由となっている思い込みから解消してもらい、性差別的な構造の保存に力を貸すのをやめてほしいと思うのではないでしょうか? 私たちが言っているのはこういうことです。

ほかにもたくさんの、本当にたくさんの問題がありますが、全体の概要とそれへの反論は以上で終わりとします。一言でまとめるなら、全体の核となる「トランスはアイデンティティを自由に選択している」が、いかなる専門家の引用も当事者の引用もなしに、それゆえ何の正当化もなしに前提とされ、しかも私が見る限りトランス当事者の発言と合致していないという事実のゆえに、千田氏の議論はそのほとんどが破綻している、というのが私の見立てです。よりによってそれだけ大事な個所を何の正当化もなしに済ませるというのは、私には理由がよくわからない振る舞いではあります。

以下の第2節では、この論文の問題となる個所を可能な限りすべて列挙しようと思います。長くなりますので、概要だけでよいという方はいかに目を通していただく必要はありません。

https://snartasa.hatenablog.com/entry/2020/02/20/034820
2020-02-20

千田有紀「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」(『現代思想3月臨時増刊号 総特集フェミニズムの現在』)を読んで




ここでも「「身体を自由に作り上げてよい」という社会意識」、「"ジェンダーアイデンティティの定義が自由ではなかった頃"におけるGIDの話」とされていますし、千田さんの主張が身体やアイデンティティについて「これまでの"生まれながらに割り当てられていたあるべき形(フィクション)"に束縛される必要がなくなった」というものであるとまとめられていらっしゃいますが、私が言っているのは「トランス女性のジェンダーアイデンティティはいまでもたいてい自由ではないし、多くの場合にあるべき形に束縛されているし、私たちの多くは身体を自由に作り上げられる(かどうかはともかくとして、仮にそうだとしても)ようにジェンダーアイデンティティを作り上げてなどいないということです。その意味で私たちは、私の知る限りではフィクションから自由などではまったくありません。シス女性が自由でないのであろうのと同じように。私たちは否応なしに女なんです。

直後に千田さんご自身がシス女性の女性性をこのように選択したものと見做した場合の不都合を指摘しているわけですが、私の経験する限り、私のジェンダーアイデンティティも一度として自分で選択したものではない以上、同じ話がトランス女性の女性性にも言えるように思うからです。

そして相変わらず気になるのは、身体を自由に作り上げてよいという社会意識の話はされているかもしれないですが、アイデンティティに関するその話はされていないため、結局のところ何の話をしているのかまるでわからない、話題になっているトランス女性であるはずの私にも皆目見当がつかないことなのです。

私の認識では、シス女性とトランス女性はジェンダーアイデンティティを単に共有していて、片方に言えることは他方にも言えます(ジェンダーアイデンティティというのはそうした概念ですから)。違いは過去の経験(性別移行の時期によって程度は変わりますが)や身体の形状、機能くらいのものであるはずです。そして現在のトランス差別に関して言われているのは、それらの違いをもとにトランス女性をシス女性から分離するのは不当であるということのはずです。

両者のジェンダーアイデンティティに、その構築性にも、何の違いもないという前提のもとで千田さんの議論を見返していただきたく思います。

https://snartasa.hatenablog.com/entry/2020/02/22/101202
2020-02-22

千田氏の応答に対して




https://archive.is/rKtmx









(予め問い合わせのメールに返事は公開したいという旨を記しておりましたので、転載が認められているものと見做して以下に全文を公開致します。もし日本共産党の方で問題があるようでしたらご連絡下さい。私としては、明示的にトランスジェンダーの人権を支持し、トランス差別へ加担しない旨を語って下さっているように思い、心強く感じております。)




10/19にいただいたメールへの返信をお送りします(回答は、ご質問項目にふられていた番号に対応しています)。

 ①笙野さんの文章は笙野さん個人の認識という外ないだろうと思います。
 ②共産党トランスジェンダー=「悪しき侵入者」という認識ではありません。共産党は、属性に関わらず、「個人」の尊厳を守ることを掲げています。いうまでもなく、トランスジェンダーの尊厳も守る立場です。
 ③②の立場である以上、すべての人の権利を守るべきと考えます。
 ④この間の言論状況は確認しています。トランスジェンダー差別を容認する立場ではありません。

 なお、トランスジェンダーをめぐる議論についての党の基本姿勢を、ジェンダー平等委員会のウェブサイト(https://www.jcp.or.jp/jcp_with_you/)に表明しましたので、合わせてご参照下さい。

日本共産党中央委員会 質問回答係

https://snartasa.hatenablog.com/entry/2020/02/20/034820
ゆなの視点

30過ぎに戸籍の性別を女性に変更しました。そんな私の目から見た、いろんなことについてお話しできたらと思っています。
2020-11-02

日本共産党からの返信



「女性を産む機械だと思うな」(Yさん 22歳)

「今の生活が苦しければ奨学金減免だけでは子どもは産めない。どこが異次元?」(Kさん 24歳)

「さも等価交換かのような雰囲気で『子どもを産む負担を負わせる代わりに減額してあげるよ』って言われているのと同じなのがきつい…」(Aさん 23歳)

「子どもを産まない・産めない人は対象にならないのは、国民の中で分断を生むと思う」(Hさん 23歳)


これらの声は、

・3月2日に自民党の「教育・人材力強化調査会」が「異次元の少子化対策」への提言で、学生時代に奨学金の貸与を受けた人が子どもをもうけた場合、返済額を減免することを柱とする案を示したこと

・多くの批判を受け、3月10日の「子ども・若者輝く未来実現会議」では提言されなかったものの、3月13日に自民党の衛藤晟一議員が、地元に帰って結婚・出産をしたら奨学金を減免する主旨の発言をしたこと

に対する、首都圏学生ユニオンメンバーと友人たちの反応です。私たちは大学生・大学院生が中心に活動している団体で、メンバーには、今まさに貸与型奨学金を受け、働きながら学業に励んでいる人がいます。

この案と発言に、私たちは大きなショックを受けました。奨学金の返済額が減るかもしれない、とは喜べませんでした。


確かに「奨学金の返済が大変で子どもを産めない」という人はいるでしょう。大学の学費は年々上がり続けており、2.7人に1人が貸与型奨学金を受けている状況からも明らかです。

しかしこの案では、子どもは産みたくない人、産めない人、そもそも結婚の権利すら保障されていない人など、完全に蚊帳の外の人たちがいます。ハンガリーでは、2018年から同様の政策により出生率が上がったものの、手厚い保障は「結婚した男女」に限定されることが批判されています。

また、奨学金の減免のために合意なく子どもを産ませるなど、新たなDVの温床となる可能性もあります。ましてや「地元に帰る」だなんて、女性を家に閉じ込め、家事・育児などのケアを担わせたいという願望の現れのように感じます。


誰かの権利の侵害や、意思に反する選択の強要のうえに成り立つ制度によって、自分の借金返済額が減っても、嬉しくなんかない。罪悪感しか抱けない。奨学金返済を控えた当事者である私たちの実感とはまったく「異次元」の、奨学金を盾にした脅しのような議論が進んでいることに、怒りと悲しみが隠せません。



私たちが連携する「フードバンクキャラバン」が今年2月25日に豊島区で行った食料配布の利用者には正社員の方も多く、その平均月収はたった約22万円でした。奨学金の返済があろうとなかろうと、コロナ禍と物価上昇によって生活苦を強いられる深刻な貧困状況を、私たちは目の当たりにしています。


国立社会保障・人口問題研究所「出生動向基本調査」では、理想の数の子どもを持たない原因は経済的な理由が最も大きいそうです。しかし、長時間労働、男性の育休取得の難しさ、女性の産休・育休後の復職の難しさ、ジェンダーギャップ、気候危機… 様々な要因が、私たちから「子どもを育てる未来への希望」を奪っています。

奨学金の減免、それも出産と引き換えとする政策は「異次元の子育て政策」には、まして中心となる“柱”には、決してなり得ません。


私たちは政府に対して、以下のことを要望します。


・奨学金減免の条件を出産とする政策を実現させないでください
・貸与型奨学金を受けている学生たちの声を聞き、当事者の実感に沿った政策を立案してください
・教育を受ける権利、子どもを安心して産み育てる権利、子どもを産まない権利をすべて無条件に保障してください

参考:

https://sp.m.jiji.com/amp/article/show/2903183

https://note.com/yumikowatanabe/n/n76987a2d922b

https://tokimaxblog.net/scholarship-1-out-of-2-7-scholarships-in-japan-japan-student-services-organization/

令和3年度学校基本調査(確定値)報道発表資料 (mext.go.jp)

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2021/dl/03.pdf

https://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou16/JNFS16gaiyo.pdf

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63506?page=3

https://www.yomiuri.co.jp/column/wideangle/20230206-OYT8T50002/

https://www.tokyo-np.co.jp/article/237796


発信団体:首都圏学生ユニオン

Instagram:https://instagram.com/food_bank_caravan?igshid=YmMyMTA2M2Y= (フードバンクキャラバン)

https://www.change.org/p/%E5%A5%A8%E5%AD%A6%E9%87%91%E6%B8%9B%E5%85%8D%E3%81%AE%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E3%81%AB-%E5%87%BA%E7%94%A3-%E3%82%92%E8%AA%B2%E3%81%99%E6%94%BF%E7%AD%96%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99-%E6%A8%A9%E5%88%A9%E3%82%92%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E4%BB%98%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AA-66c5fa2d-e417-4042-94b3-b1bdb34cc738
奨学金減免の条件に「出産」を課す政策に反対します #権利を条件付きにするな




和乎*wako
福島瑞穂さん作。人はそれぞれ、背負うことができる荷物の重さに差がある。自己成長、自己実現できていないうちに、子を持つのはいかがなものか。 産めなかった女も、それぞれ自分の器で生きていくしかない。あきらめないと。自分に言い聞かせる。
ナイス
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2015/08/11

Ayako Shikata

図書館で見つけて何となく読んだ。20年位前の本なので古い意見も有るけどこの手の本としては面白いと思った。まあタイトルが産まない方を推してるので産む事へのデメリットを的確に書いている所も有るが。。後、日本は「幸せ=家族(婚姻関係の夫婦+子供)」という感覚が非常に強い、という説明を色々しててそこも面白かった。こういう事は色々感想書くのはやっぱ難しいな、その夫婦がそれぞれ良ければ良いと思う。

https://bookmeter.com/books/1186982
★1

コメント(0)2013/10/24



30歳の頃に特例法の存在ついて知った時は特例法に従ってMTFSRS手術を済ませ戸籍の性別を女に変えたら生得的生物学的女性と同じようなに生物学的女性なれると思ってました。
GEKKKIGさんがMTFSRS手術を済ませ戸籍の性別を女性にされ特例法4条と女性スペースに関する法律.女性スポーツに関する法律で女性と見なされる事例。本当はGEKKKIGさんルートを選びたかったのだけど生得的生物学的男性のトランス女性がGIDMTFとの診断を受け性別適合手術で生物学的女性になることは不可能らしい。GEKKKIGさんルートを選ぶと生得的生物学的男性のトランス女性の生き方としては楽なのでしょうが、生得的生物学的女性の立場を踏みにじってしまう。だからうちは生得的生物学的女性の話を聞いて戸籍の性別変更をしなかったはるな愛さんや佐藤かよちゃんルートを尊敬してしまうのです。





毛糸子さんとの話し合いの記録を残しつつどうやったらいいんだろって考えた結論、診断名として性同一性障害との疾患であり障害である事を望むが性別不合とのDSM5ICD11の男女二元論やめて性の多様性の診断基準を活かし
MTFSRS手術済みGIDMTFの私は性別秀吉で戸籍の性別変更届の審判を申請し
生得的生物学的女性のMTFSRS手術済みGIDMTFであっても受け入れられないとの考えも尊重しつつMTFSRS手術済みGIDMTFの身の安全が守られるようにMTFSRS手術済みGIDMTF専用スペースを作ってそこを使いたいと考えるに至りました。これがMTFSRS手術済みGIDMTFが身の安全を確保するスペースを得つつ特例法の診断書要件と手術要件を維持する方法であると思いました。
ちなみに立場の違いを超えてセルフIDを阻止されている毛糸子さんとMTFSRS手術済みGIDMTF専用スペース設置について合意が得られたのは良かったと思ってます。
私の立場はSexbasedRightsに基づくスペース分けについてはトランス女性は女性ではないとするJKローリングさん支持者であるが、身体ではない性別であるジェンダーつまり性役割においてはトランス女性は女性とのエマワトソンさんの意見が通用すると思ってます。
しかしSexbasedRightsで対応しないとスペース分けで問題が起きますが私がDSDsのアンドロゲン不応症の方と話し合いしたやりとりと生得的生物学的女性である毛糸子さんとの話し合いしたやりとりで男女二元論では解決せず性の多様性のモデルを使わないといけないことが判明しました。
努力しても超えられない壁.属性の違いというのは存在するのよ。



MTFSRS手術済みGIDMTFはMTFSRS手術済みGIDMTF専用スペース。

MTFSRS手術済みGIDMTF専用スペースが木下秀吉専用スペースとなるわけだね。

生得的生物学的女性がLoseの状況だと性同一性障害者も生きづらいLoseだからなぁ。強いられる側…女たちの側が納得する解決策でないといけない。

MTFSRS手術済みGIDMTFの私の身体は生得的生物学的女性とは異なり女性にはなれないのであるのに戸籍の性別変更届だして女の戸籍を得ようすると毛糸子さんのような生得的生物学的女性がより苦しめられる、MTFSRS手術済みGIDMTFの私が戸籍の性別変更の家裁手続き前に知れたのでかい。

女性の定義は生得的生物学的女性との事。だからMTFSRS手術済みであってもGIDMTFは女性になれない、だから女性になれるとGIDMTFを手術する性同一性障害者特例法維持に対し生得的生物学的女性の毛糸子さんは抗議して反対されている。

だけど性同一性障害者は身体の性別違和だからGIDMTFはMTFSRS手術が今後も受けられる環境じゃなくっちゃいけない。

毛糸子さんの言葉ってその通りだなって事実突き付けられてる重みある。

毛糸子さんのMTFSRS手術済みGIDMTF用に専用スペースを作るという第三のスペースを作る事と戸籍の性別変更やスポーツの枠などについて女性ではないトランス限定の選択肢を置くMTFSRS手術済みGIDMTFに対する救い感謝します.スポーツについては性同一性障害者(GID)はトランス限定のOpen枠にしか出ちゃだめだよ.性同一性障害者(GID)や性分化疾患(DSDs)というインターセックスの女性スポーツ参加を法律で一律禁止してよいぐらいだで結論出てますものね。性分化疾患(DSDs)というインターセックス限定の枠作った方が良いし性分化疾患(DSDs)インターセックスの方も性別欄X容認したほうが性分化疾患(DSDs)インターセックス専用スペースも整備してもらえそうな気がするので性分化疾患(DSDs)インターセックスはあえて性別欄X容認して性分化疾患(DSDs)インターセックス専用スペース作って貰ったらよいと思う。スポーツの枠もGID患者が参加するトランス限定のOpen枠見習って性分化疾患(DSDs)インターセックス限定枠作ればよいと思う。

#スポーツはGID患者が参加するトランス限定のOpen枠がある

#性分化疾患(DSDs)インターセックスの方は性別欄X容認した方が良い

#スポーツで性分化疾患(DSDs)インターセックス限定枠作ろう。

生物学的雌と同じような性器を持つ身体であって「同じような」外見は「同じ」ではなく生物学的な性別が変わる人間も科学力も今のところないと事実を指摘されたうえで男性スペースがつらい男性に対してに第三のスペースを提案されている。

戸籍の性別変更手続きで性別という事実を動かすことは、ただでさえ生きるのに困難をかかえている女性の立場を更に後退させ、ときに女性を生命の危険にさえ遭わせる。たとえMTFSRS手術済みであっても戸籍の性別変更手続きで女性に性別変更することは生得的生物学的女性の立場をさらに後退させてしまうというですね。うちとしては、それは望んでない事だしこの性自認至上主義の事態を早く終わらせたいけどうち自身戸籍の性別変更手続でMTFSRS手術受けてでも生物学的男性やめたかったのも明記したいよーってことで間とりたい。

性別記載変更ができるかぎり、この問題は解決しません。いまがすでに女性はたいへんにLoseなんですよって指摘も重いけど避けられない事実だよね。

性別記載変更ができるかぎりの前にGIDMTFがMTFSRS手術後、特例法に基づき性別記載を女性に変更できる限り、この問題は解決しませんという文書にすれば生物学的男性であることや生物学的男性のスペースにいることがつらくGIDMTFがMTFSRS手術を受ける特例法継続と第三のスペース利用で対策できそう。GIDMTFがMTFSRS手術を受けた後で性別記載を女性に変更することを法律で禁止する特例法厳格化がいるという事。

生殖能力を欠く要件を守り続けるためにも子どもなし要件必須の特例法厳格化不可欠だよね。

女性がLoseなのは嫌だし性別記載変更出来なくするけど性同一性障害者が必要とする性別適合手術を受けづづけることができる間とった対策が必要。

性同一性障害者特例法でMTFSRS手術を済ませた後、戸籍の性別変更で女性に変更可能な特例法があるせいで生得的生物学的女性の毛糸子さんと毛糸子さんの友人は温泉行けなくなって公衆トイレでも緊張強いられている。

これって性同一性障害者のGIDMTFが望まない事だよね.強いられる側の生得的生物学的女性の苦しみが少しでも減る解決策はないものか。

強いられる側…女たちは、ただでさえの男尊女卑や身体機能の不利からくる困難より、更に救われなくなるからですという指摘重いよ。

MTFSRS手術を受けても生物学的女性になれない事実を生得的生物学的女性に突き付けられたけどMTFSRS手術受けて生物学的男性やめたのは事実.MTFSRSオペ済みGIDMTF向けに戸籍の性別に性別秀吉と木下秀吉専用スペース作ってよー以外対策ない気がしてきた。

強いられる側の生得的生物学的女性である毛糸子さんはすべての性別記載変更に反対だからMTFSRS手術受けても男子がーってなる、けどMTFSRS手術済ませた事を戸籍に記載したいし、「女」ではない範囲に、選択肢を持ってゆかないと生得的生物学的女性に納得して貰えないのは事実だし.MTFSRSオペ済みGIDMTFの私は小さいときからどーしてもMTFSRSオペ受けて身体を女性に近づけたかったんだ.生物学的男性の身体も生物学的男性専用スペースも苦痛だったのよ.うちは.たとえ生物学的女性になれないとしても.というか不可逆で分かってMTFSRS手術を受けちゃってるから、やっぱり第三のスペース,MTFSRS手術済みGIDMTF用に木下秀吉専用スペースがいる。

DSM5ICD11で男女二元論やめます.性の多様性を使って性別秀吉になる家裁での戸籍の性別変更許可もらえたら、MTFSRS手術済みGIDMTFの私は男子がーって言われないで済むしMTFSRS手術済みGIDMTF専用スペースである

木下秀吉専用スペースが作られることでしMTFSRS手術済みGIDMTFは木下秀吉専用スペースに行くから生得的生物学的女性の身の安全が保障されるWin-Winになれる。

うちはMTFSRS手術受けて「男」では生きていけない身体になったというかMTFSRS手術してでも「男」の身体やめたかった性同一性障害者なのは事実だしその事を明記したいけど、だけど「女」ではない範囲に、選択肢をもっていかないと生得的生物学的女性に納得して貰えない。生得的生物学的女性が納得する「女」ではない範囲に、選択肢をもってゆく戸籍の性別欄でMTFSRS手術済みGIDMTFにぴったりな性別欄記載は性別秀吉しかない気がする。

思い切って男女二元論やめますか。ICDも11になったから。

生物学的男性によるスペースやデータ枠での侵害をやめるにはMTFSRS手術済みGIDMTFの戸籍上の性別を性別秀吉として取得.性別秀吉はGID扱いでスポーツでGID限定のOpen枠でスポーツするのみ。

はるな愛さんや佐藤かよさんは毛糸子さんのような生得的生物学的女性の意見聞いてMTFSRS手術したけど戸籍の性別を男性のままにしてますね。

だけど戸籍の性別変更しない現状維持では第三のスペースが整備されず女性専用スペース利用する権利が奪われる生得的生物学的女性も侵害され続けるで良いことない。

#MTFSRS手術済みGIDMTFは女にはなれないけど性別秀吉にはなれる。

#MTFSRS手術済みGIDMTFの私は戸籍の性別変更で性別秀吉の第一号になります

#MTFSRS手術済みGIDMTF専用スペースが必要です

#木下秀吉専用スペースを作ってください。

https://note.com/chako153/n/nf03d753e511c
MTFSRS手術を受けても生物学的女性になれない事実を生得的生物学的女性に突き付けられたけどMTFSRS手術受けて生物学的男性やめたのも事実.MTFSRSオペ済みGIDMTF向けに性別秀吉の戸籍と木下秀吉専用スペース作ってよー。

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chako

2023年4月11日 03:43

私は生得的生物学的女性の人権やスペースを侵害しない形で、MTFSRS手術済みで男性器とって生物学的男性やめた人向けの戸籍を作る必要感じて、
それで男女二元論は限界だと痛感して男子カウントされない性別秀吉の戸籍取得現実化してさ、アニメバカとテストと召喚獣の木下秀吉ちゃんが使ってたような専用スペースを用意して頂きたいのだよ。
生物学的男性やめるためにMTFSRS手術済ませたのだから戸籍男性維持なんて嫌、戸籍男性維持のままだとだけどMTFSRS手術済みGIDMTF向けスペース整備されない。
MTFSRS手術済みだからとゆなさんやGEKKINGさんのように戸籍を女性に変更すると生得的生物学的女性のスペースに侵入してデータやスペースで
生得的生物学的女性の人権侵害してしまいます。
性別二元論は通用しなくなりました。DSM5ICD11の男女二元論廃止性の多様性を活かしてMTFSRS手術済みGIDMTFに性別秀吉の戸籍下さい。






 Instagramで「美しすぎる美男子」として注目され、SNSから芸能界へ進出という流れを作った先駆け的存在のGENKING。『行列のできる法律相談所』出演をきっかけに一躍時の人に。自らを「ユニセックス」と表現していたが、有名になればなるほど、“偽りの自分”でメディアに出続けていることに違和感を覚える。2017年に芸能活動をセーブ、性別適合手術を受け、戸籍上も女性となった。  
性別の取り扱い変更には、2人以上の医師により性同一性障害だと診断されていること、生殖腺がない又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること、他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること、などの要件がある。  GENKINGも、幼少期に書いた作文を弁護士にチェックしてもらったり、医師に診てもらったりなど準備。性別変更には2年以上かかったというが、「ユニセックス」として見られることに葛藤があったという。  「テレビに出る前から心は女の子だと思っていたし、そう言っていじめられてきた自分がすごく嫌だった。SNSは“自分が男の子だったらこういうふうになりたかった”という理想像としてイケメンを演じていた。でも、喋ると『やーん』という感じなので、やっぱりバレてしまう。テレビでカミングアウトをすることにすごく抵抗はあったけど、その後からフォロワーが増えたり、夢が叶ったりして、短所・マイナス面だった自分の性別が長所に変わった。そして“本来の姿になりたい”と思いながら仕事をやっていたけど、ユニセックスとして出ているので、スカートを履いたり女の子になったりするのは禁止。テレビの時だけは『僕』と言って、キャラクター的にやっていた」  「このままではいつまで経っても女の子になれない」という焦燥感。約300万円を貯め、性別適合手術を受けるためタイへ。  
「私の場合は心と体が一致していなかったので、お風呂場で自分の体を見るのも嫌だったし、恋愛もうまくいったことがない。つらい気持ちのままこの先ずっと生きていくんだったら死にたい、じゃないけど、それぐらいつらかった。性適合手術をすると寿命が短くなる、ホルモンバランスが乱れたりして長生きが難しいと言われたけど、満たされないまま生きていくのであれば……と」
 橋下氏は「性適合手術は、スペイン、イギリスなどでは法律要件ではないし、ドイツでは憲法裁判所で違憲になった。なぜ日本は要件になったか、当時の議事録を見ると『社会の混乱を生むから』だと。子どもができたらお父さんなのかお母さんなのかわからなくなるから、生殖機能を止めると言っている。これは“最大の過ち”と言われたハンセン病の強制不妊の考え方と同じで、性別適合手術を簡単に法律の要件に入れるのは恐ろしいこと。この問題にみんなが危機感を持たないと」と疑問を呈する。  戸籍上の性別を変えたことで楽になった部分はあるのか。GENKINGは「保険証、免許証、パスポートも全て女性になったので、いろいろなことで楽になった。病院で名前を呼ばれる時も、名前も変わっているのですごくスムーズになった」「私は恋愛をしたかったが、今の彼は女性が好き。手術をしなかったら付き合えていないと思う」と答えた。  
一方で、まだ理解を得られないこともあるといい、「私はテレビに出ているので、歩いていると茶化されたりすることはいまだにある。言ってくるのは若い子よりも年配の方が多い。女性も男性も上の世代の方に受け入れられにくいのだなと思う」とした。
 稲田氏は「生まれながら変えられない、不可逆的なものだということも理解していない人が結構いる。『趣味でやってるんだろう』とか『病気だから治るだろう』と。『それは違う』と言ってもなかなかわかってもらえない」と課題をあげた。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)

性別適合手術を受け戸籍上も女性に GENKING、“ユニセックス”を表現も抱いた葛藤 周囲の理解には課題「茶化されることはいまだにある
2023/4/7ABEMA

橋下徹氏の認識は誤りであり性同一性障害の生殖能力を欠く断種要件はハンセン病の強制不妊とは異なり混乱を生むことを防ぐ措置なのは事実な事をgid.jpさんのHPより再度記載したい。



以下、性同一性障害特例法の手術要件について、当会の考えを表明いたします。



1.性別適合手術は、強制断種手術ではない

性同一性障害特例法に手術要件があることを「断種要件」と呼んだり、旧優性保護法下において、遺伝性疾患や知的障害、精神障害の方の一部が国によって強制不妊手術を受けたことに関連づけて、国による不妊手術の強要であるとか強制断種であるかのように報道されたり主張する人が存在します。
しかし、性別適合手術や手術要件は、強制不妊手術でも強制断種でもありません。
まず、国による強制不妊手術は、本人の同意無く行われたものです。しかし、性同一性障害における性別適合手術は、本人の強い希望によってのみ行われ、しかも全額自費です。
性同一性障害の当事者の多くは、手術を受けたいために懸命にお金を貯めて、精神科や婦人科や泌尿器科に(場合によっては何年も)通って診断書をもらい、更に手術まで何年も待たされたり時には海外に行ったりしてまで受けます。
元々性別適合手術は、手術を嫌がる医師を懇願の末になんとか説得して、ようやく始まったという歴史的経緯もあります。このように強制性は存在しません。
確かに一部の当事者に「手術は受けたくなかったが特例法によって戸籍の性別の取扱いを変更するためには受けざるを得なかった。これは一種の強制である」と主張する人もいるようです。しかしながら、これはおかしな話と言わざるを得ません。
そもそも性別適合手術は、身体に対して強い違和感があり、それを解消するために行われます。精神科医が患者を診察して、本人が強く希望し、性別に対する違和感からくる苦痛・苦悩を取り除くためには手術をするしかないと判断して初めて行われるものです。しかもその診断が間違いでないように2人以上の精神科医が診ることになっていますし、更には専門家による判定会議も行われます。
当然、戸籍変更したいからというような個人の利得のために行うものではありませんし、それを理由として手術を希望しても、本来精神科医の診断は得られないし判定会議も通りません。
もし、本当は手術をしたくなかったけれど、戸籍の変更のために仕方なくやったという人がいるなら、その人は精神科医も判定会議のメンバーも騙したということに他なりません。
また性同一性障害特例法は「性別の取扱いの変更を行うには、手術をしなさい。」と定めているわけではありません。
この法律は、手術を行い、男性として、あるいは女性として生きている人の戸籍上の性別を、そのままだとあまりに不便だろうから現状に合わせて変更しましょうというものです。
つまり、「特例法の要件を満たすために手術をする」のではなく「手術をした人の性別を追認する」ための法律なのであり、順序が逆なのです。

2.性同一性障害の当事者の中でも意見が分かれている

そもそも、この手術要件の撤廃を性同一性障害の当事者が全員望んでいるのかというと、そうではありません。特に当会に所属している当事者の方には、手術要件の撤廃に反対の立場を取る人も多く存在します。
性同一性障害の当事者のうち、特に身体に対する強い違和感がある中核群と呼ばれる人たちは、手術を必要としています。従って中核群の当事者にとっては、手術要件があったとしてもそれ自体は大きな障壁とはなりません。

3.権利を侵害されることになる側(特に女性)への配慮が必要

手術を必要としないとなると、男性器を持った女性、女性器をもった男性が存在することになります。
世の中にはトイレ、更衣室、浴場、病室、矯正施設など男女別の施設がいくつもありますが、これらの施設が男女別になっていることには意味があります。特に、性的被害を受ける可能性が高い女性にとっては「安心・安全な環境を提供する」という意味合いがあります。
しかし、手術を必要とせずに戸籍の性別変更ができるとなると、男性器をもった人、しかも場合によっては女性を妊娠させる能力を持った人がこうした女性専用の施設に入場してくることになります。
世の中に女装した人の痴漢行為や盗撮などの性犯罪が多く存在する昨今、これで本当に女性の安心・安全な環境を提供することができるのでしょうか。
実際、手術要件の存在しないイギリスやカナダでは、女性用刑務所に収監された未手術の受刑者による強姦事件も発生しています。
もちろん、そうした罪を犯す人が悪いのであって、それによって無関係の人にまで累が及ぶのはおかしいという考えもあるでしょう。
しかし、罪を犯す人が悪いだけという論法であれば「女性専用車両」というものは必要ないわけです。痴漢は、それを行った人だけが悪いのであって、他の男性は無関係です。しかし女性専用車両が必要となった背景には、そうでないと女性の安心・安全な空間を確保できないと判断されたからです。
女性は、多くの人が小さいときから性的関心を受けたり怖い思いをしたりしています。触ったり盗撮したりという明らかな犯罪まではいかなくても、じろじろ見られたり、迫られたりしたこともあるでしょう。
それを考えれば、これはやはり男女別施設によって安心・安全な環境を提供されるという権利を侵害していると考えられます。となれば、当事者側の権利の主張だけで物事を通すことはできません。
それでは、入れ墨のように施設によって未手術の人を排除するということは可能なのでしょうか。
これも難しいでしょう。特例法では、第4条第1項に「法律に別段の定めがある場合を除き、その性別につき他の性別に変わったものとみなす」と定められています。従って性器の有無だけで法的に性別が変わった者を排除することに合理性は見いだしにくく「差別」にあたることになります。数年前に静岡で性別の取扱いを変更した人がゴルフ場への入会を拒否された事件では、差別にあたるとしてゴルフ場側が敗訴しました。
それでは「法律で別段の定めを作れば良い」という話になるでしょうか。例えば「未手術の人は特定の施設の利用を制限できる」とか。これもどうでしょう。これではある意味「あなたは完全な女性(または男性)ではない」と言われているようなものです。二等性別のように扱われることで当事者は傷つくことになります。

4.戸籍変更後に、変更前の性の生殖機能で子どもができる可能性

妊娠したFTMの人は生殖器をそのまま持っている訳ですから、当然男性に性別変更した人が出産したり女性に性別変更した人が妊娠させたりすることがありえます。つまり男性が母、女性が父ということがありうるということです。
実際、海外の事例で男性に性別変更した人が出産したという事例があり、ニュースにもなっています。
別に男性が母になってもいいのではないかという議論は確かにあるでしょう。が、こうなってくると男とは何か、女とは何かという定義というか哲学や宗教の扱う範囲になってしまいます。現状の法律や行政の体制はもちろんそれを前提としておらず、いろいろな制度で手直しが必要になってくるでしょう。
更に「家族観」も問題です。世の中には、保守系の方を主とする家族観に厳しい人が大きな勢力として存在しています。夫婦の選択的別姓が実現しないのも、代理母出産が実現しないのも極端に言えばこの人たちが反対しているからと言われています。特例法の「現に子がいないこと」要件の削除が実現しないのも「子どもの人権に配慮して」というよりはこうした人たちの家族観に反するというのが大きな要因と言えます。
そうした家族観からすれば、男性が母、女性が父となる要素は受け入れ難いと考えられます。私たちの存在は、そうした「家族観」を壊すものではあってはなりません。

5.要件の再検討が必要

現行の特例法から手術要件が無くなると、20歳(成人年齢が変更になれば18歳)以上、婚姻していないこと、現に未成年の子がいないこと、性同一性障害の診断を受けていることの4つが要件として残ることになります、果たしてこれでいいのかを考えなければなりません。
世界にはアルゼンチンのように、医師の診断書も必要なく申請だけで性別変更ができる国もありますが、日本もそこまで行くのでしょうか。
私たちは不十分と考えます。これだとホルモン療法も全くやっていない、身体の状態は完全に男性のまま、女性のままという人も対象になるからです。性同一性障害であるという確定診断は、身体の治療を始まる前に出ます。項目3に書いたように、権利を侵害されることになる側への配慮が必要ということを考えると、さすがに身体の状態が出生時の性別のままというのは厳しいと言わざるを得ませんし、社会適応できているとは言えません。髭もじゃの人を女性として扱うことに抵抗感があるのは当然でしょう。
とはいえ「性自認の性別で他者から見て違和感がないこと」のような基準は、客観性が無いため設けることは困難です。イギリスでは Gender Recognition Act 2004(性別承認法)において Been living permanently in their preferred gender role for at least 2 years(少なくとも2年間は望みの性別で日常生活を送ること)というように、性自認に従った性別での実生活体験重視の発想をしています。しかし、これもどうやって、誰が検証するのかという問題がでてきます。
基本的に法律は裁判官に判断を丸投げするような形ではなく、明確に判断できる基準を設けなければなりません。そのためには客観的な誰でもが評価できるような判断材料が必要となります。
それでは精神科医が判断するということではどうでしょうか?いや、これだと精神科医が完全に門番になってしまい、現在のガイドラインで唄われている当事者にサポ-ティブに接するということと反しますし、精神科医に人生の大問題を決める権限があるのかというのも疑問です。というわけで、手術を外すのであれば代わりにどのような基準を設けるのかについて、今後検討が必要でしょう。

6.性別の再変更の可能性の検討が必要

手術要件を撤廃すると、変更へのハードルはが大きく下がることになります。逆に言えば安易に性別変更を行う人が出てくるということです。現行の特例法では再変更は全く考慮されていませんが、手術要件を撤廃するとなると考えておかなければならなくなります。
もちろん自由に変更できて良いでは無いかという考えもあるでしょう。が、性別というものを、その時々の都合でそんなに変えて良いものなのか、私たちは疑問に思います。


7. 結論として

結論的に、現時点で手術要件を外すということについては議論が不足しており時期尚早と考えます。
少なくとも、当事者のニーズがどれくらいあるのか、実際に外した場合影響を受ける(特に女性)側の受け入れは可能なのかなどの調査が必要でしょう。また、上記項目5で書いたような要件をどうするのかという検討も必要です。
GID学会や日本精神神経学会には、まずはこうしたアカデミックなエビデンスを揃えていただくよう要望いたします。また、今後の性別変更の要件についても試案を提示すべきでしょう。
さらに、手術要件撤廃を訴えている人は、国に対してその要望を行う前に、世間に対して男性器がついていても女性、子どもが産めても男性なのだということについて、理解と支持をとりつけるべきでしょう。
以上より、私たちは「性同一性障害特例法からの現時点での性急な手術要件の撤廃には反対。撤廃するかどうかを含め、今後更なる意見収集や国民的議論が必要」と考えます。
これに基づき、今後国会議員や関係省庁にも議論をスタートするよう求めていきたいと思います。
私たちは、社会の一員です。当事者の主張がわがままになってはなりません。この問題は、みなさんで大いに議論をし、納得をした上で進めようではありませんか。

2019年2月 運営委員一同

https://gid.jp/opinion/opinion2019022001/
性同一性障害特例法の手術要件に関する意見表明

手術要件の撤廃には、更なる議論が必要

2019年2月20日






つまり特例法の子供なし要件も生殖能力を欠く要件も非婚要件も手術要件も外観要件も不可欠であり必要であり、必要なのは特例法の厳格化であり代理母制度禁止であり子宮移植の禁止人工子宮の禁止である。
DSDsについての私の記事.DSDs患者さんとの対話の内容とDSDsをインターセックスという第三の性別で扱ってるSWASHさんのフェミニスト原則についての話。


で子宮移植反対派の論文探したよ。私は医療従事者じゃないけど生物学的女性の基本的人権を守る立場から日本も子宮移植を法律で禁止進むのが良いと思うからね。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jce/6/0/6_49/_pdf/-char/ja
子宮移植と法。なぜ子宮移植が日本で認めれないとなったか経緯が明記されています。生物学的女性にとって必読論文だと思います。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jst/57/1/57_45/_pdf/-char/ja

https://note.com/chako153/n/n2334de644bc1
ネクスDSDジャパンさんの男性器付きのまま女性スポーツに参加を容認する姿勢とロタンスキー患者に対する子宮移植容認は生物学的女性に対する人権侵害だと思う。

1



chako

2023年3月5日 12:08


https://www.jstage.jst.go.jp/article/jst/57/1/57_45/_pdf/-char/ja



https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-t56-1.pdf



https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/390/034390_hanrei.pdf








http://nosurrogacy.lib.i.dendai.ac.jp/jp/wp-content/uploads/2020/12/%E8%A6%81%E6%9C%9B%E6%9B%B8_%E4%BB%A3%E7%90%86%E5%87%BA%E7%94%A3%E3%82%92%E5%95%8F%E3%81%84%E7%9B%B4%E3%81%99%E4%BC%9A_20201130.pdf





性分化疾患異常症の管理に関する合意見解。

http://jspe.umin.jp/medical/files/guide11203565.pdf






項番7、8ともに、異性愛規範の押し付けに対してノーを突き付けています。

 自称フェミニストたちは、常日頃から非モテや性的マイノリティを叩いたり、各種性サービス(性風俗業、AV、萌えコンテンツなど)を潰すことに力を入れてますが、これは、自称フェミニストたちが(自分たちが認めた)異性愛規範を万人に押し付ける目的もあるように思える。

 そして、「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」で異性愛規範の押し付けにノーの姿勢を示したことにより、自称フェミニストによる異性愛規範の押し付けはもちろんのこと、その延長にある非モテや性的マイノリティ叩き、各種性サービス潰しなどについても認めないことになります。

「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」は大英断。

 こうしてみると、「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」は、この国で幅を利かせている自称フェミニストがやっていることに対して、次々とノーを突き付けていることになります。

「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」によってフェミニズムの原点に立ち返る動きが起きた背景には、フェミニストを自称しながら独善的な活動を行って他人・他グループに対して危害を及ぼす者が世界各地に出没したことにより、フェミニズム・フェミニストへのイメージが大きく悪化し、女性の権利運動への疑念が抱かれるようになったからかもしれない。

 これ以上女性の権利運動への支障を大きくしないためにも、フェミニズム・フェミニストの原点に立ち返って原則を再確認した上で、原則から逸脱する者たちをバッサリ切り捨てることによって、フェミニズム・フェミニストの信頼回復につなげることが待った無しの課題になっていた。

 世界の女性の権利団体、性的マイノリティなどが集まってフェミニズム・フェミニストの原点に立ち返り原則を再確認したことは、まさに大英断といっていいかもしれない。
自称フェミニストたちの反発。男性、セックスワーカー、性的マイノリティへのヘイトが露骨。

 案の定、「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」に対して、多数の自称フェミニストたちが猛反発しています。

 何しろ自称フェミニストたちがこれまでやってきたこと(男性ヘイト、勝手に女体のあり方を決める、異性愛規範の押し付けなど)が、フェミニストの原則から外れるとバッサリ切り捨てられました。そうなると、自称フェミニストたちがアイデンティティを保てなくなるのも仕方ないだろう。

 自称フェミニストたちの猛反発がこちら。
https://togetter.com/li/1744776
自称フェミニストたちのツイートを見ていくと、男性やセックスワーカー、性的マイノリティへのヘイトが丸出しになってます。この中には、「男児は生まれたら玉取れ」に賛同していた有名ツイフェミもいます。

 そして、「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」に反発しながら、男性やセックスワーカー、性的マイノリティへのヘイトを垂れ流している実態から、自称フェミニストたちの正体が明白。

 自称フェミニストたちのやっていることは、女性の権利向上を目指す運動からかけ離れたヘイト活動・迷惑活動であることを自ら可視化しているようにも見えなくない。

可能な限り速やかに、「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」を一般人や企業団体に周知


「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」は、原則を逸脱して迷惑活動をしている自称フェミニストたち相手に戦う上で、かなり強力な武器になります。

 まずは、「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」を可能な限り速やかに、一般の個人はもとより、各種の企業団体に周知していきたいところ。

「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」が一般の個人、企業団体に周知されることにより、自称フェミニストがやっていることが、「女性の権利運動から逸脱したヘイト活動・迷惑行為」に過ぎないと社会的に認識されるようになってきます。

 そうなれば、自称フェミニストたちが不当な要求をしてきても、安易に譲歩することなく、毅然と撃退やすくなります。さらには自称フェミニストたちを「フェミニズムを隠れ蓑にして迷惑行為をやっている危険集団」として、あちこちから締め出すことも可能になります。

 自称フェミニストたちは、社会のあちこちに食い込んでいることもあって一筋縄でいかない相手ですが、「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」を駆使して、速やかに反転攻勢に移れるようになりたいものです。

https://note.com/flirting_navi/n/n18c9b5c014b8
「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」を読んでみた。正面から自称フェミ(ツイフェミ・アカフェミ)に対してノーを突き付けてます。

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Flirting_navi

2021年8月4日 04:31 フォローする




強烈なまでのセックスワーカーへの差別意識駄々洩れ
セックスワーカーは男性社会へ味方する存在だから女性ではないし仕事でもないものとしてフェミニズムの対象からは完全に切り離されるってことかな。

自分が女性の味方、フェミニズムの味方と認めたものだけを守るのがフェミニズムで、それ以外は名誉男性とか男性の味方として敵視するのはめちゃくちゃカルト思考だと思うんですが。

このひとたちは性産業とかグラビアアイドルという職をつぶせば満足で、その後のことは何にも考えてなさそうな感じだよな……

https://togetter.com/li/1744776
SWASHとはセックスワーカーの活動団体です。全世界にネットワークがあり日本では要 友紀子さんなどが主力となって活動されています






http://nocancel.fem.jp/

たった8,000字の原稿ながら、さまざまな物議を醸しだした『現代思想』の論考が、有志によって公開されました。青土社の現代思想編集部の許可を得てのことです。

「『女』の境界線を引きなおす―『ターフ』をめぐる対立を超えて』(千田有紀)

この論考に対しては、東京大学の清水晶子さんなどから、SNS上で厳しい批判を受けました。清水さんはTwitter上で、「ゆな」さんのブログの内容は、私の論考に対する誤読などではない、「研究者として」支持すると断言されています。ぜひ一度、こうしたことを含め、トランスジェンダーの問題や、フェミニズムの問題についいて、きちんと話し合える機会があるといいなと思います。

『現代思想』の「『女』の境界線を引きなおす―『ターフ』をめぐる対立を超えて』(千田有紀)が公開されました。

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千田有紀

2022年3月22日 09:41






ターフとは TERF ――“trans-exclusionary radical feminist(トランス排外主義的ラディカルフェミニスト)”の頭文字をとったものである。本来は、フェミニストの自己反省の言葉として生まれたのだが、いまは意味を変えてしまったようだ。

この言葉はFeminism 101 FAQ blog を運営していたターフィヴ・スミスによって、2008年に生まれた。「私たちとは違い、本人たちがラディカルだと思っているのだけども、トランス女性を姉妹だと思いたがらないフェミニストたちを叙述するための簡略的な表記 ――長いフレイズを何度もキーボードに打ち込む労力をたんに節約しようとしたためにできた(ターフという)(注1)言葉は、今現在まさにそうなってしまったのだけれども、私はもうほかのひとがどう使うかをコントロールすることができない(注2)。フェミニストによる、フェミニズムの反省の言葉として誕生した この言葉は、もはや創造主の手を離れている。「その意味はすでに、ラディカルフェミニズムに関係のないと思われる、トランス排除的な視点をもつひとを単に言及するためにまで広がってしまった。このターフと言う言葉で呼ばれるひとは、たいていこの言葉を拒否し、それを中傷だと考えている―― ターフと呼ばれるひとのうちには、自分は「ジェンダークリティカル」だと考えているひともいる。このターフという言葉を批判するひとは、ターフという語は、世号や暴力的なレトリックとともに使われていると述べている」(注3)。

いまや「ターフ」とは中傷の言葉であり、侮辱や暴力的なレトリックとともに使われている ――日本でも、同じような状況がおこりつつあるのではないかと危惧している。きっかけは、2018年7月のお茶の水女子大学のトランス女性受け入れだ。そのニュースが報じられた際に、Twitter 上では当初は好意的にとらえられていたと記憶しているが、その後はお手洗いや風呂の使用をめぐっての激しい応酬へと発展した(注4)。2019年2月には、「トランス女性に対する差別と排除とに反対するフェミニストおよびジェンダー/セクシュアリティ研究者の声明」が、出されている。こうした一連の過程で、誰がトランス排除的なフェミニストであるのかをめぐって争いが起こっている。

トランス女性の「生きづらさ」を考えるときに、話はおそらく、性別の違和感や身体に対する苦痛だったり、労働市場での女性の低賃金であったり、性別を変更する際の家族や周囲との軋轢であったり、身体や生活上のさまざまな不都合などに点化されることが通常だろう。長年大学教員をしていれば、多くのGID (Gender Identity Disorder) の(と自身の問題を定義している)学生に出会う。実際に、相談にも乗ってきた。問題は、成績証明書に性別欄がある場合に就職活動でまず「パス」できないこと、カミングアウトをしたあとで職場が戸惑うこと、定期的な「ホルモン治療」のわずらわしさと活動の制限(長期に海外渡航などができない)、ホルモン治療からくる体調不良、そして語学の授業で「Mr. と呼ぶのか Miss (Ms) と呼ぶのか」といった「ミスジェンダリング」など、多岐にわたる。成績証明書からは実際に性別欄をなくすなどの組織的対応もしたし、「問題なく就労可能である」等の推薦状を改めて職場に向けて書くなどの個人的な対応をすることもあった。

あくまで私が相談をうけた範囲ではあるが、お手洗いは、あまり問題となった記憶はない。尋ねてみたこともあるが、各々工夫を重ねているようだった。彼ら・彼女らは、あまりひとの来ないトイレの場所は熱知していたし、周囲の人間の理解もあり(完全に「パスしている」学生は、そもそもトランスだということすらわかられていなかったこともある)(注5)、大学ではそれほどの トラブルは起ってはいなかった。

もちろん、トランス一般にとって男女別に分離された トイレが生活上の不便を引き起こしていることは、事実であろう。そしてそのなかで、いまは完璧とはいえないかもしれないが、それほど問題となることなく、当事者たちに負担をかけながらであるが、ペニスのない男性やペニスのある女性がなんとかトイレを使用している。

ところが、女子大学でのトランス女性の受け入れの話が、一年半をかけて、男性器をつけたままの手術をしていないトランス女性が女性トイレに入ることや、ましてや男性器をつけたまま女風呂に入ることの是非の話に発展していくとは当時は考えもしなかった。日本では「ターフ」の「排除」に関しては、すでに話題は女子トイレや女子風呂からのトランス女性の排除に集約されているという感すらある。実際、ボスト・フェミニズム的な状況で他国の状況を考えれば、トイレや風呂が問題になる素地は確かにある。ある意味でこの問題は、他国の状況を踏まえたうえでの「将来」を見据えた混乱ともいえるのだ。

研究者の役割を考えるとき、こうした混乱や対立がどこから生じているのか、ときほぐして考えることが必要であると、私は信じている。そしていま存在している不要な(と私は信じている)争いを終わりにしたいと切に願っている。以下このような観点からターフをめぐる争いについて考察してみたい。

1 「生物学的女性」vs「セルフID」?



2019年の8 月、バンクーバーのレイプ救援・女性シェルター(Vancouver Rape Relief and Women’s Scheler : VRRWS)というレイブやDVに対応するシェルターが、破壊されるという騒ぎがあった(注6)。このシェルターは、バンクーバーでも「(非トランス) 女性だけ」を受け入れている稀有なセンターだったため、「トランス女性は女性である」というスローガンが書き込まれ、破壊されたのだ(注7)。 トランス女性を受け入れ対象としていないことで、すでに予算はカットされていた。というのも、カナダでは、2017年にC-16 という「ジェンダー・アイデンティティ」と「ジェンダー表現」を守る法律が成立したからである。これはトランス権利保護法ともいえるが、保護しているのは法的に厳密には表現されていない「ジェンダー・アイデンティティ」と「ジェンダー表現」という曖昧な概念のみであり、実質的にトランスジェンダーの権利保障や保護になっていないという批判は多方面からある。しかしこれによって、女性だけを対象としたシェルターは違法だと訴訟されることになった。

またイギリスでは、『ハリー・ポッター』の作者であるJ.K.ローリングが、マヤ・フォーステーターを擁護するツイートをしたことから、「ターフ」だと非難されている。
 

マヤは不平等問題に取り組むシンクタンクで働いていたが、「生物学的性別は2つしかない」「性別は生まれつきでなく性の認で決まるという考えの“セルフID“を中心に性別変更を可能にすると、女性の権利が守られなくなる」と主張し、解雇された。これを受け、マヤは失職が不当として訴えていたが、8日に敗訴した。
マヤが発言によって職を失うことになったのは、彼女の表現がトランスジェンダーを排除していると判断されたから。マヤは、トランスジェンダーの人々が差別を受けるべきではないという考えを示す一方で、自認による性別変更を可能にすると、これまで女性専用とされてきたホステル、刑務所、病院、更衣室などの場所が危険にさらされるかもしれないと主張。しかし、これがトランスジェンダーの排除を肯定しているとみなされ、判決では他者の尊厳と安全とを侵害する考えと判断され、解雇が決まった。(注8)

これらを報道する英語の記事には、「J.K.ローリングは、ターフだと判明 1. K. Rowling Cones Out As A TERF」(注9) といったタイトルが付けられているものもあるし、この記事でも「ターフ」についての詳細な説明がある。英語でこの判決や裁判の経緯をきちんと追っていないことを断ったうえで、このニュースでの要約を見る限り、私はこのマヤ・フォーステーターの意見、「生物学的性別は2つしかない」「性別は生まれつきでなく性の自認で決まるという考えの“セルフID“を中心に性別変更を可能にすると、女性の権利が守られなくなる」の双方を支持しない。ただ記事からは、従来プライベートな場所と考えられた場所の性別分離のありかたが、問題の俎上にあげられていることが見て取れるだろう。



日本では三橋順子さんが、お茶大のニュースをうけて「ターフ」について論じる際に、「女子として受け入れる以上、トイレはどうする、更衣室はどうするという話は論理的におかしいです」「もし将来的に、日本で手術要件が廃止されることがあるとしたら、その時に、従来の入浴方式とどう折り合いをつけるかという議論をすればいいのです」(注10)と述べている。

「今日明日にもペニスをぶら下げた人が女湯に入ってくるかのようなイメージを喚起するのはあきらかにトランスジェンダーの排除を意図したでっち上げ、デマです」という箇所は、三橋さんに賛同する(「トランスジェンダーの排除を意図した」の部分は判断を保留する)。しかし将来的に手術要件が廃止されたら、議論をしなければならない懸案事項であることが、逆に確認されてしまっている気もしないでもない。すでに「トランス女性が女子トイレを使うのは「権利」であり、手術要件がなくなったら、女湯に入ることを認めなければならない」といったツイートも確かに見受けられる。 こうした風呂をめぐる議論は、今現在と言うよりは、将来を見据えているからこそ不安が掻き立てられている側面があるのではないか。全裸で同性の他人と風呂につかるという日本的な入浴方式は確かにまれなものであるようで、合宿の前などには欧米からきた留学生はかなり露骨に驚きと嫌悪の情を示す(注11)。

「将来的に女湯で、ペニスのついたトランス女性とともに入浴することを「誰とでも」「どんな場合でも」認めると明言しろ」といわれて、即答できるひとはいないだろう(注12)。 トランス女性の「権利」を擁護するひとは、ターフが「「ペニスが嫌いだ」といいながら、ずっとペニスについて語っていること」を「すごく異常な光景」「日本における特殊な「闇」と断じる(注13)。「嫌い」というよりは、「怖い」という文言が多かったと思うが、Twitter 上では性暴力の後遺症のPTSDで男性器が怖いなら、「病院に行け」というような乱暴な言葉も飛び交っていた。
 
しかしこれは、彼女たちの意味世界によりそったときに、じゅうぶん理解可能である。なぜなら つい数年前に刑法改正が行われるまで「強姦罪」は、女性器に男性器を挿入することによって成立し、それ以外は「強姦」という「犯罪」として認められなかったからだ。明治以降、女性には「貞操」を守る義務が課され、ときにそれは女性の命よりも重かった。貞操は結婚と引き換えねばならぬものであり、貞操を失った女性は責められ、ときに社会のなかで居場所を失った。こうした「貞操」――「処女性」をはかるメルクマールが、男性器による女性器への挿入と考えられて いる社会で、女性が男性器を恐れるのは故なきことではない。また男性の身体の定義をあげろといわれたら、多くのひとが「ペニスがあること」を挙げる社会で、「男性器はついているけれども女性だというジェンダー・アイデンティティがあるから女性」という存在に混乱を覚えるのは、必ずしも「差別意識」からではない。女性たちがトランス女性と風呂やトイレを共有するときに、不安の源として「性器」に目が行くのは、これまた理由のないことではないのだ。後述するが、ジェンダーの議論で有名なジョン・マネーの「一卵性双生児」の事例では、事故でペニスをなくした男児が、それ以降女児として育てられている(注14)。それは当時の社会、そして現在の社会でもいまなお、「男性」の定義として、男性器が大きな役割を果たしてきたからである。ペニスに関するこういった一連の意味は、「ターフ」が作り出したものではない。彼女たちはその「常識」をなぞっているのだ。ただ、急いで付け加えるが、ここでは男性器をもっているから「女性」というジェンダー・アイデンティティを主張すべきではないと主張しているわけではない。


とりあえず、日本では三橋さんの言うとおり、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(特例法)が存在し、ペニスのついた状態で戸籍の変更は難しい。争いを深め、不要な対立をあおる風呂について語ることが、生産的だとは思えない。もうこの風呂の話は、終了したらいいのではないか。なお現行の特例法については、未成年の子どもがいないことや婚姻状態にないことなどを含め戸籍変更要件が厳しすぎると考えているが、特例法改正と現在の風呂をどうするかは今のところ独立した点であるのでここでは指摘するにとどめる。

2 ジェンダー論の第三段階

先の述べたように、私はフォーステーターの論理を支持しないが、こうした問題はいかにもジェンダー論が新たな段階に進んだことを想起させる。こうした問題は、「昔から続くトランス排除の同題」として捉えると、ことの本質を見失いかねない。ジェンダーの理論を私なりに大羅把に分ければ、三期に分かれる。まず第一期は「ジェンダー」という概念が出現した時期だろう。ロバート・ストラー(注15)やジョン・マネー(注16)などによって、ジェンダーは、「社会的に作られる」ことが確認されたことが画期的だった。そこでは「身体」は不可視化され、ジェンダー・アイデンティティやジェンダー・ロール(このふたつは同じ コインの裏表であると考えられた)が社会的に創造されることが盛となった。マネーの有名な「双子」の症例 ――ペニスを切り落とされた一卵性双生男児の片割れを、「女の子」として育てたら、女としてのジェンダー・アイデンティティやジェンダー・ロールを獲得したとマネーが主張した症例は、のちに嘘であることが暴露された。その本のタイトルは As Nature Made Him(注17), 自然が彼を作りたもうたように、である。人間は「自然」から、つまり生まれながらの身体からは逃れられないという主張だ。

この事例が脚光を浴びたのは、「身体はさておき」(なんといっても一卵性双生児なのだから)、育て方によってジェンダー・アイデンティティやジェンダー・ロールが変化する、と証明されたと思われたからである。当時は、女性差別を正当化する典型的な問いは、「女性と男性は同じなのか違うのか」というものだった。「同じならば平等の処遇は可能かもしれないが、差異があるならばそれは不可能だ」という前提のもとで、それに対して「身体的な差異は否定できないかもしれないが、社会的に作られる」と主張することが求められたのだ。生物学的・身体的な差異はあるかもしれないが、「社会的文化的に作られる差異は、変更可能ではないか」という反論を証明するために、マネーは大きな脚光を浴びたのだった。
 
第二期は、ボスト構造主義を経て「言語」に着目されるようになってからの新しい動きである。例えばジュディス・バトラーなどの理論によって、ジェンダーは固定化され「獲得される性差」ではなくなった(注18)。むしろ「性差」が言語によってどのように見いだされ、相互作用のなかで作り出され、物質化され、流動化されていくのかが焦点となった。問題はジェンダー・アイデンティティのみならず、「身体」がいかに言語によって構築され、揺らぐのかということに移っていった(注19)。1990年代以降、アメリカで本屋に行けば、社会学やジェンダー論の棚には「身体」や「肉体」といった文字が並んでいたのを思い出す。

本来的にはグラデーションでしかない私たちの身体が、いかに言語によって「典型的な男性」や「典型的な女性」としてくさびを入れられ、カテゴリー化され、この社会に生存させられるようになるのか。「身体」までも社会的に構築されているのだという考え方は、人文・社会科学系のジェンダー論研究者で否定する者は、もはやいないだろう。

そしていまや、それらの動向を踏まえてあきらかに第三期に入っている。こうした第二期のジェンダー・アイデンティティや身体の構築性を極限まで推し進めた際に、身体もアイデンティティも、すべては「フィクション」であるとされるのであったら、その再構築は自由におこなわれるべきではないかという主張である。これはトランスに限らない。美容形やコスメ、ダイエット、タトゥーなどの身体変容にかんする言説を検討すれば、身体は自由につくりあげてよい、という身体加工の感覚は私たちの世界に充満している。例えば、「太っているひとは、ダイエットができない怠惰な人間」と身体と内面性(アイデンティティ)が深く結びつけられ、憶測されることが指摘されていたのが第二期であるとしたら、第三期は「自分で体重がコントロールできないのだったら、脂肪吸引などのテクノロジーを使用することも選択肢である」というように、身体と意識すらが、切り離し可能になったといっ てよいだろう。

身体は作られる。アイデンティティは構成される。こうした構築性が意属されるのは、あきらかに第一期の「解剖学が運命である」という意識を解体しようとする第二期の営みの成果ではある。いまや、身体もアイデンティティも、自由に選んでよいものとなった。「ジェンダー・アイデンティティ」は生まれながらにして所与であり、変更不可能であるからこそ、手術によって身体を一致させたいというGIDをめぐる物語が典型的に第二期的なものであるとしたら、たまたま、「割り当てられた」身体やアイデンティティを変更して何の不都合があるだろうかという論理は第三期的ななにかである(どちらが優れているといっているのではない。これらは理念型であり、現実には両社の論理はもちろん混在し得る)。

こうした感覚は、ポスト・フェミニズムの時代と親和的である。男女平等は、現実には達成されていない。男女の賃金格差から女性の政治参加から、不平等はそこかしこにある。なんといっても日本のジェンダーギャップ指数は121位である。しかし、にもかかわらず、男女平等は達成されたという前提で、様々な問題を個人の「選択」や「責任」に帰する時代が、ポスト・フェミニズムである。男女の差はあたかも消滅し、男女平等がすでに達成されたかのように扱われる。そこでは形式的な平等を求める「リベラル・フェミニズムの論理」が領有され、投影されているかのようですらある。

 そこでは、男女平等を主成するフェミニストは、自ら「女」というジェンダー・アイデンティティを「選択」したにもかかわらず、その結果が気に入らない、不平等だと、「性別」というカテゴリーを利用して文句をいう人たちにすらみえる。自分の「自由な」「選択」にもかかわらず、「性別」などという窮屈なカテゴリーを改めて持ち出して、自己正当化のためにひとびとを「性別」に押し込めてくるひととたちとすら表象される。俗な言葉でいえば、「男も女もないこの時代に、なぜまだ男だ女だなんてそんな古い言葉にしがみついて、自分のせいじゃなくて性別のせいだなん て、文句ばかりいっているの?」ということだ。

「ターフ」の文脈でいえば、フォーステーターは「生物学的性別は二つしかない」と身体的な差異を持ち出している。しかし第三期的な身体の構築性を前提とすれば、それらは「割り当てられた」ものにすぎない。見ようによってはフォーステーターの主張は、「解剖学が運命である」とされた100年以上前の遺物を復活させようとしている、古めかしい「生物学的本質主義者」にすらうつるかもしれない。

私はフォーステーターのような立場はとらない。こうした問題を表す極限的な事例は、キャスター・セメンヤだろう。2009年の世界陸上ベルリン大会の800メートルで優勝した彼女は、その圧倒的な強さから「男性ではないか」という疑惑をかけられて騒ぎになった。世界中から自分の身体というプライバシーを暴かれ、「不正」なのではないかという眼差しを向けられた彼女の辛さは、察して余りある。性分化疾患、DSDではないのかという話がどこからともなく漏れたが、最終的には競技に復帰し、その後も金メダルを多く獲得した。

しかし2019年に、男女の身体の区別を「テストステロン値」によって線引きするという方針が出されたときに、セメンヤは投薬によってテストステロンの値を下げるかどうかの選択に直面させられた(注20)。競技に出たければ本来のホルモン性を人為的に下げろというのはあまりに倒錯している。結果としてセメンヤは陸上をあきらめ、サッカークラブに入団した(注21)。

スポーツにおける「性別」とは何で決めるべきなのか。トランス女性が「女性」として陸上競技に出るのは、この「テストステロン値」を性別の線引きとしてみなすという、「社会的合意」による。そもそもスポーツにおける線引きは、最初は外性器それから染色体、そしてそれがさまざまなブライバシーの侵害などの問題を生んだために、今度はホルモン値へと変遷してきたのだ。身体が複雑に構築されているからこそ、私たちは何を「性別」とみなすのかに関する社会的な合意を必要としているのだ。それは「解剖学が運命だ」というフロイトの時代からはるか隔たって、 何を性別とみなすのか、もしくはスポーツは性別によって分割される必要がないのか、もしくは性別以外の分割が可能なのか、スポーツによって性別基準の厳格さは異なるべきなのか、そうであったらなぜなのかなど、私たちが考えなければならない問題は山積している。スポーツにおける性別の区別に、テストステロン値を持ち出すことは万能ではなく、多くの問題があることが指摘されている。しかしもはやこれは、「生物学」という「自然」を持ち出せば解決するような問題でもなくなっている。

トイレに話を戻そう。もしも自由と多様性の旗印のもと、私たちが皆のセルフ・アイデンティティを尊重するとしたら(実はすべてのひとにとって、その自由の行使はそう容易でもなければ、当等に分配されているわけでもないことは別稿に譲るとして)、私たちが考えるべきことは「どのように皆の安全が守られるのか」という問いになろう。トイレがどのように暴力と不安に満ちた場所として描かれ、ときにその不安はいかに差別に向かって動員もされる言説だったかについては、かなりの考察が可能であるがそれも別稿に譲るとして、そもそもなぜトイレは男女にわかれているのだろうか。男性の小便器は、個室ですらなくプライバシーが欠如しており、女性のトイレはそこから「男性を排除」することによって安全が担保されたことになっている。


日本では女性の排泄に対して、性的な興味をむける視線があり(注22)、プライバシーを守るためのトイレの構造が、その性格上、暴力の温床となり得る。


アメリカなどでは公衆トイレを閉鎖し、極限まで数を減らし、個室の囲いも最少として上下のスペースを開放することで、トイレを暴力の場としない対応をしている。その結果、割を食っているのはホームレスであり、なかなかトイレにアクセスできない。スウェーデンの空港は、ユニセックストイレだった。なるほど、限られた空間で安全にユニセックストイレにするということは、ブライバシーを犠牲にするのだなと思わされた。しかしひろいフロアにいきなり個室が並んでいるさまは、日本のように排泄に対する性的な視線がもしなければ、かえって安全かもしれないとすらも思わされた。もちろん、街中にはプライバシーを保てるユニセックスの個室トイレもあり、多くのところで有料で、管理人がいたりする。ネットで調べるとキャッシュレス決済が進行中のようで、トイレに入る際にクレジットカードやスマホでの決済をするなら、監視と引きかえにセキュリティは上昇するのかもしれない。


そもそも多様なセルフ・アイデンティティをみとめるとすれば、「トランス女性が女性トイレを使う権利」と「女性が安全にトイレを使う権利」が対立させられるかのように問題化されること自体が、そもそも奇妙ではないか(注23)。 自分のアイデンティティがノンバイナリー、Xのひとも、移行中のトランスのひとも、すべてのひとが安全にトイレを使う権利がある。そもそも「女性」というカテゴリーが構築的に作られるのであるとしたら、なぜ旧態依然とした狭い二分法に依拠したカテゴリーである「女性」に、「トランス女性」を包摂するかどうかが問われなければならないのか。なぜ多様性を否定する二元論を持ち出し、その片方に「トランス女性」という存在を押し込めるかどうかが、「排除」の問題として執拗に問われるのか。問題は「二元論の片方にトランス女性を「女性として認めて入れる」かどうかではなく、トイレの使用の際に、どのようなカテゴリーの線を引きなおすことで、皆が安全だと「感じられる」かどうか、という問題ではないのか。その基準は性別であるかもしれないし、ないかもしれない。そもそも「女性が安全にトイレを使う権利」とともに語られるべき事柄は、「トランス女性が安全にトイレを使う権利」であるべきだ。 なぜそこが従来の「女性」トイレだとアプリオリに決められているのか。私たちに必要なのは、どのような分割線を引くことで、すべてのひとに安心・安全がもたらされるのかを問い、多様性のためには、相応の社会的なコストを支払い、変革していくことに合意することではないのだろうか。

3 ターフ探しがもたらすもの

この問題において、トランス女性の権利を擁護する際にある種のフォーマットがある。トランス差別の原因を トランスへの差別意識に求めるものだ。例えば、トランス排除について語る座談会では、トランスジェンダーは、「嫌われ」「怖い」と思われ、「存在を認めない」「わけのわからない性の人たち」「気持ち悪く感じてしまう」「存在がわいせつである」という「差別者」の「意識」の結果、トランスを排除がおこるという論理が構築されている(注24)。このように感じられるとしたら、それは相応のトランスに対する差別の歴史があり、故なきことではない。しかし、この前提からは、「シス女性」が「安全」を持ち出してトランス女性を「女性の場所」から「排除」するのは、差別意識からであり、彼女たちが主張する「安全」は「排除の口実」であるという論理が導かれる。私が知る限りのトランス排除的だといわれるひとたちに会った限りでは、トランスに対する差別意識をもっているひとは皆無に近かった。トランスに対して差別意識をもっていたら、そもそもトランスの排除という問題自体に関心がなく、この問題を避ける可能性のほうが高い。もちろん、たんに憎悪的な表現を繰り返すひとがいることは、なんら否定しないし、批判されるべきだと同意する。しかしなんとかトランス女性を排除しないで自分たちの「安心」の場を得られるか、試行錯誤しているひとの主張を、「差別意識」だけに還元することは弊害の方が多い。

 彼女たちが差別意識を持っているということはこのように事実誤認だと思うが、もしも仮に差別意識があったとしても、差別の問題を考える際に、その原因としてことさら「意識」を持ち出し、批判のターゲットとすることは大きな問題を呼び込む。この論理は、差別の解消のためにすべきことは、「差別者」への啓蒙と意識改革と帰結させられる。「ターフ」が気持ちを入れ替えて、差別をやめさえしたら、問題が解決するかのように見えることだ。だからこそ、「ターフ」を探しだして、なんとか啓蒙しようとするのだが、当然思うような反応がかえってこなければ、苛立ち は増幅する。

先に例に出したバンクーバーの女性センターが破壊された事件では「ターフを殺せ」「ファックターフ」「トランスパワー」という落書きが施設に対して行われた。その数週間前には、ネズミの死骸がドアに釘づけられていたという。これが誰によってなされたかはわからない。トランスはたんに、破壊行為の口実として使われている可能性すらある。しかし、ターフはある種のスティグマとして機能しており、ターフに対しては何をしてもいいのだという意識が醸成されていることもまた事実である。

例えば、terf(s) に rape fuck punch などという言葉を引っ付けて検索すれば、目を覆うようなニュースや写真が出てくる。サンフランシスコの公立図書館では、「ターフをぶん殴 る I PUNCH TERES」と血塗られたタンクトップが展示された(注25)。ほかにも、斧とともに「死ね、シスのカスども Die Cis Scum」というスローガンが描かれたシールド、なかには有刺鉄線をまかれたものもある色とりどりのバット、これまた色とりどりの斧やトンカチなどが展示された (注26)。これらは主催者のHP上で通信販売されており、こうしたバット(や刀、斧)などの武器を携えて「ターフ」をしばくと宣言する写真は、SNS上でしばしばみられる。

このような暴力に陥ることになく、私たちが多様性に基づいた社会を設計するには何が必要なのだろうか。今一度立ち止まって、私たち全員が考えてみる必要があるのではないだろうか。それは「ターフ」を見つけ出して、制裁を加えることではなく、問題の構造を見据えた私たちの社会的合意の達成によってなされるものであると信じている。

https://note.com/sendayuki/n/n7be4a6fab6cb
『現代思想』の「『女』の境界線を引きなおす―『ターフ』をめぐる対立を超えて』(千田有紀)が公開されました。

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千田有紀

2022年3月22日 09:41

たった8,000字の原稿



Williams concluded that Rowling, with her tweet, has revealed her allegiance to TERF ideology, and what she calls “sex essentialism.”

“Trans women are men and trans men are women;
The notion that trans women should use male public hygiene facilities;
The notion that the equal existence of trans people oppress cis women;
and, TERFs should be given the special right of consequence-free speech.”




In June, Rowling was criticized for liking a tweet that referred to trans women as “men in dresses.” Rowling’s rep later blamed a “middle-age moment,” claiming it was merely a slip of a finger, caused by the author mishandling her phone.

But this time, there can be no mistaking her conclusion: “Sex is real,” she tweeted.

Yes, sex is real. So are transgender people.

This video from Teen Vogue, first posted in March and shared today by the ACLU’s Chase Strangio — a trans man — in response to Rowling’s tweet, proves exactly that.
https://youtu.be/2S0e-i117vY
It’s interesting to note that this video has received 17K “thumbs-down” and only 764 likes. Perhaps that will change when people believe what Alfred Korzybski once said:

“A difference that makes no difference is no difference.”

Follow me on Twitter or LinkedIn. Check out my website.



Dawn Ennis



I am an award-winning journalist, a TV correspondent on CT Voice OutLoud on WTNH-TV and host of the “RiseUP With Dawn Ennis” talk show. I was America's first transgender journalist in a TV network newsroom when I came out in 2013. In addition to contributing to Forbes.com, I write for CT Voice Magazine and serve on the publisher’s advisory board. I also report for The Daily Beast, the Los Angeles Blade and StarTrek.com. In addition, I teach journalism, public relations and advertising at the University of Hartford. My children, our dog Dahlia and our cat Faith and I reside in Connecticut.

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https://www.forbes.com/sites/forbesdigitalcovers/2018/07/19/the-inside-story-of-papa-johns-toxic-culture/?sh=4a1118ed3019
J.K. Rowling Comes Out As A TERF

Dawn EnnisFormer Contributor

I report on the fight for transgender equality and other LGBTQ issues.


相手の立場になって考えてみよう。私がもし生得的生物学的女性に生まれていたらMTFSRS手術済みであってもMTFSRS手術済みかつ戸籍の性別を女性に変更済みであっても女性スペース利用や女性スポーツ参加を拒否するだろうなと。





ぐりこさんが私の論考について書いてくれた。ありがとうございます。

たぶん、ぐりこさんと私は「立場」は違うのだと思う。多くのひとが、安心安全プライバシーの確保を主張するときに、「そこにある男女の身体的差異(多分本当に言いたいことは、身体的なリアリティの重さ)」を根拠とされているのに対して、私は「身体」というものは否定しないものの、それを根拠とはしない、身体(の性別)は「社会的合意」である、と考えていると書いた。(ただし、確かに現実の身体はヴァルネラブルで傷つきやすいものであり、身体論は別途必要だと思う。無視していいものでも、無視できるものでもない)。

(暫定的に)「安心安全プライバシー」のほうに重きを置く側の主張(という名づけが的確かどうかはわからないが)では、私の見解はあまり見たことのない立場であって、ぐりこさんとは突き詰めれば立場は違うのだと思う。ただその立場を超えて、きちんと読み込んでくれたことを、嬉しく思う。

私は、すべてのひとの「安心安全プライバシー」をまもるためには、トイレや風呂の分割線は、性別によらないものにならざるを得なくなるのではないか、それででよいと思っているし(「同性」だからといって加害をされない保証はないからである。女性の加害者や男性の被害者もいるのだという事実を重く見れば、そうなるだろう)、身体が「社会的合意」であるべきの論理的な帰結としては、性別判定に必ずしも「外性器」を基準とする必要はないことになる(どうしても今までと同じ社会を維持したいと皆が合意するなら、それを基準とすることもあるのかもしれないが、私はそれを選択していない)。

生物学的本質主義が大きく幅を利かせてきていた時代がから(例えば「女とは子どものを産むもの」といった定義がそれ)、性別がそれを中核としないものとなり、性別の「線を引きなおす」ことが行われる時代(完全ではないかもしれないが、本人のジェンダー・アイデンティティや表現を尊重する時代)へと変化した。性被害者がプライバシーを守る際の理由に、「男性器」の有無に焦点化する人がいるのは、これまで外性器にさまざまな意味が付与され、なおかつ新しい時代に、制度や言説資源は追い付いていないことが理由だと理解している(私の理論的な帰結としては、それを是としないが、どうしてそういうことが起こるのかは上記のように、理解している)。

書きすぎた。取り合えず、ぐりこさんに書いていただいたことを紹介することが目的だった。労をとってくださったことに対して、最大限の感謝を。

https://note.com/sendayuki/n/nff3add0ac1de
ぐりこさんによる私の論考のまとめ

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千田有紀

2020年3月3日 08:28


そのあとは「性を超越する」ことを是とするのなら、今のジェンダーとセックスが硬く結びついた性別二元論的施設のあり方に疑問を持った方が良いと言っている。実際どちらでもない人もいるわけで、今までのやり方はもう通用できない社会になっていくだろう。

したがって、トイレという生活の一部であるものから「性別二元論」を廃止し、なおかつ今よりも個人のプライバシーと安全が守れるようなものにするべきだと明言している。

そして最後にターフという言葉がやはり女性に対して暴力を振るっても良いとする魔法の言葉になりつつあるのではないかという主題に戻る。

建設的かつよりトランス当事者にとっても、また性被害当事者にとっても最大公約数的な解決に向かった話し合いが必要だと締めくくってると読み取れたのだが、そのように読む人が少ないというのは何故なのか?千田さんが書いた内容よりも非常に理解不能な展開だと感じる。

私は正直千田さんと意見を異なるところは多々あり、それは違うだろうと突っ込みたくなるところもあるが、それでも千田さんの言いたいことは理解できた。

批判しているものをいくつか読んだ。

①トランス女性と女性というわけ方が、トランス女性を女性と見ないしていないから差別だ。

②トランスを決断することはお気楽に行われるものではなく、簡単に行ったり来たりできるようなものではない。トランスの現状をわかっていないから差別だ。

③トランスアクティビストを暴力的な存在として例を出しているから差別だ。

というようなものを見かけたが、

①に関しては、トランス女性とシス女性/トランス女性と生物学的女性という偽の対立について論じる時に、それを明記しないで何を話をすればいいのか。同じ女性だとしてもその差異があるわけで、その差異を認めないのは同化主義的ではなかろうか。

②お気楽に行われていると書かれていない。性別二元論、心身二元論を超えることを求めるのなら、性がフィクションであるのならと、自分のボディイメージに合わせた身体の改変はおかしなことではないと言っているのである。私はそう簡単にそんなことにはならないとは思ってるが。ここが決定的に千田さんと異なるところ。

③を忘れてたw③は千田さんはトランスアクティビストがやっている暴力行為だなんて言っていない。女叩きをしたい人たちがしているでしょ。それがトランスアクティビストなのかどうなのかを論考では言及していない。




とりあえず、忘れないために書いておきました。

https://note.com/guriko11/n/ncea4451204bb
現代思想3月増刊号の千田さんの論考から読み取ったもの

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guriko_s

2020年2月27日 19:28 フォローする





 戸籍上の性別変更を可能にする性同一性障害特例法をめぐり、生殖機能を失わせる手術を必要とする要件の違憲性が問われた裁判で、最高裁が「現時点では合憲」とする判断を示しました。ただし、社会状況の変化に応じて判断は変わりうるとし、「不断の検討」を求めたほか、2人の裁判官は「憲法違反の疑いが生じていることは否定できない」という補足意見を述べました。最高裁がこの規定について判断を示すのは初めてのことです。

 

 性同一性障害と診断された岡山県在住の臼井崇来人さんは、戸籍上の性別を女性から男性に変えることを望んでいるFtMトランスジェンダーの方ですが、戸籍上の性別を変更するために生殖腺を取り除く手術を受ける必要があるとする現行法の規定について「体に著しいダメージを伴う手術を求めるのは自己決定権を保障した憲法に違反する」として2016年、手術をしないまま性別を男性に変更できるよう裁判所に申し立てを行いました。

 2017年、岡山家庭裁判所津山支部は「不合理な規定であるとはいえない」として訴えを退け、2018年、広島高等裁判所岡山支部もこの判断を支持し、臼井さんは最高裁判所に特別抗告していました。

 そしてこの1月23日、最高裁判所第2小法廷(三浦守裁判長)は、「現時点では憲法に違反しない」との初判断を示し、申し立てを退けました。裁判官4人全員一致の意見です。一方で、4人の裁判官のうち2人が「手術は憲法で保障された身体を傷つけられない自由を制約する面があり、現時点では憲法に違反しないがその疑いがあることは否定できない。人格と個性の尊重の観点から社会で適切な対応がされることを望む」とする補足意見を述べました。要件の違憲性は「不断の検討を要する」とし、「現時点では」という条件付きで合憲と結論づけました。 

 

 性同一性障害特例法では、「20歳以上」「未婚である」「未成年の子がいない」「生殖腺や生殖機能がないこと」「他方の性別の外性器に似た外観を備えていること」という5つの要件が課されています。2人以上の医師から性同一性障害であると診断され、上記の5つの要件を満たして初めて、家裁の審判で戸籍上の性別を変えられるようになります。今回の訴えで問題とされたのは「生殖腺や生殖機能がないこと」という要件です。卵巣や精巣を摘出する不妊手術を強制するもので、性別を変えたいという一心で望まない「断種」をする人もいるため、人権侵害ではないかという声も上がっていました。裁判では憲法13条(個人の尊重・幸福追求権)や14条(法の下の平等)との整合性が争われました。

 最高裁はこの要件について、審判を受けるために望まない手術をやむなく受けることがあり、「(憲法13条が保障する)意思に反して身体を侵されない自由を制約する面は否定できない」との見解を示しました。

 一方で、要件が定められた背景を検討し、(1)変更前の性別に基づく生殖機能で子どもが生まれれば、親子関係に問題が起き、社会を混乱させかねない(2)生物学的な性別で長年、男女を区別してきており、急激な変化を避ける配慮に基づく――と述べました。

 補足意見を述べた鬼丸かおる、三浦守両裁判官は(1)について「そういう事態が生じること自体が極めてまれで、混乱といっても相当限られている」と指摘しました。性別変更を認められた人がこれまで7000人を超え、学校や企業で性同一性障害に対する理解が進むようになった変化を踏まえ、「違憲の疑いが生じている」と述べました。また「性同一性障害者の苦痛は多様性を包容すべき社会の側の問題でもある」「人格と個性の尊重という観点から適切な対応がされることを望む」とも述べました。





 申し立てを行った臼井さんは24日夜、岡山市で記者会見を開き、「憲法に違反しない」という最高裁判所の判断について、「今の時点ではしかたがないと受け止める。一つの区切りはついた」と述べました。そのうえで、2人の裁判官の補足意見については「裁判官が私の考えを受け止め、共感してくれたと感じた。裁判を続けてきてよかったと思った」「未来につながる内容だと確信している」と語りました。そして、涙を浮かべながら「多くの人が応援してくれて、声を上げれば社会は動くと実感できた。制度のはざまで苦しむ自分たちがいることを今後も訴え続けたい」と語りました。「訴えが退けられたからといって終わるわけではない。社会がこの問題をどう受け止めるのかを見つめていきたい」

 

 臼井さんの代理人を務めた大山知康弁護士(岡山弁護士会)は「違憲の可能性を指摘したことに意義を感じる。立法により解消すべき問題だという主張に後押しがもらえた」と評価しました。

 

 今回の最高裁判断について、FtMトランスジェンダーの活動家・遠藤まめたさんは「体に対する違和感からではなく、社会からの偏見や差別を避けるために戸籍上の性別を変更しようとして、やむを得ずに手術を受ける当事者は多い」と明かし、今回の決定では、当事者に対する適切な対応を求めた補足意見に注目して「手術による体への負担などから性別変更していない当事者も少なくない。今回の決定が社会的な差別に目を向けるきっかけになってほしい」と語りました。



 性的マイノリティ支援に取り組む清水皓貴弁護士(東京弁護士会)は「残念な判断。仮に性別変更前の性の生殖機能によって子が生まれたとしても混乱が生じるとは思えない。当事者の権利より、社会の漠然とした不安感を漫然と認めた決定」と批判しました。補足意見については「適切な内容だが、ここまで言うなら違憲判断に踏み込んでほしかった」と語りました。



 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、生殖能力をなくす手術を義務づけることは「強制不任」に該当すると批判しました。そして、「WHO(世界保健機関)など、健康と人権を扱うさまざまな国際機関が強制不妊を広く批判している」と述べ、最高裁の判断について「国際人権基準に反し、時代に逆行し、重大な人権違反を容認するものであり、極めて残念だ」と批判しました。



 世界の趨勢を見ると、2012年、アルゼンチンで医師や裁判所の同意を得なくても性別を自由に変更できる画期的な法案が可決されたのを皮切りに、欧米の多くの国で手術が不要とされるようになりました(お隣の台湾でもすでにそうなっています)。2014年にはWHO(世界保健機関)が、2017年には欧州人権裁判所が、断種手術を「人権侵害」だとする判断を出しています。

https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2019/1/11.html
性別変更するために不妊手術を必須と定める法律の違憲性を問う裁判で、最高裁が「現時点では合憲」と判断したものの、「憲法違反の疑いが生じていることは否定できない」という補足意見もつきました

DATE:2019/01/25

CATEGORY:内外のLGBT情勢




性別変更にかかる性適合手術、いわゆるLGBT法について


令和4年(2022年)1月18日
性 別 不 合 当 事 者 の 会 
共同代表 河 村 みさき/御 堂 こずえ
森 永 弥 沙/吉 崎 真 琴
                 事務局長 森 永 弥 沙   
  当会サイト  https://note.com/ts_a_tgism
 代表アドレス tsatgism@tukiyo.net


拝啓、
年があけました。寒気の候、貴党におかれてはご健勝のこととお慶び申し上げます。
日頃からのご活動につき、深く敬服いたします。
私たちは、性別不合当事者としてその権利と女性の権利とが共存する社会を目指して昨年12月21日成立しました。
そして、LGBTの内の「T」性自認概念を導入して伸展させる法案には反対する旨、12月22日その趣意書をお送りさせていただきました。
「性自認」という曖昧かつ主観的な概念が導入され進められていることは、女性の権利法益を奪うものであり、反対する趣旨であります。
そして今回、これに関係して「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の手術要件を撤廃することを求めないようにされたいなどとする要望書を、GID学会あてに「要望書」を提出しましたので、今後のご参考までにお送りします。
性別適合手術をせずして性別変更ができることは、性自認による性別変更ができることと、ほとんど同義です。
身分証明書の記載と身体的状況が一致しない状況は、私たちのアイデンティティも社会からの信頼も大きく失われると思います。
私たちにとって、手術要件は決して「過酷な条件」ではなく、それこそ「身を守る盾」だとさえ感じています。
この法律は、強い身体違和を持つ私たちに国内の手術を可能とし戸籍変更の道を開くためにできたものでした。
女性たちはより一層、真剣に女性専用スペースでの性被害について懸念しなければいけないことになり「性自認」という曖昧かつ主観的な概念により性別変更がされてしまうことと似てしまいます。
どうぞ、当会の趣意書(一部修正しました)と、今回のGID学会あての要望書とを参考にされて、貴党の政策・方針を定めて下さるようにお願いします。
また、LGBT法・理解増進法案を推進しようとする方々だけではなく、まさに当事者団体である当会ともとも今後、面談の機会を頂けますようお願い申し上げます。
時期柄、皆様のご自愛と、貴党の益々のご発展を祈願いたします。
敬 具

〒100-8910 千代田区永田町1-11-23
自由民主党 総裁 岸田文雄 殿
〒102-0093 千代田区平河町2-12-4 ふじビル3F
立憲民主党 泉 健太 代表    殿
〒 542-0082 大阪市中央区島之内1-17-16三栄長堀ビル
日本維新の会 代表 松井一郎 殿
〒 160-0012 新宿区南元町17
公明党 代表 山口那津男 殿
〒102-0093 千代田区平河町2-5-3 Nagatacho GRiD 4F
国民民主党 玉木雄一郎代表    殿
〒151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7
日本共産党中央委員会 志位和夫委員長 殿
〒 102-0083 千代田区麹町 2-5-20 押田ビル4階
れいわ新選組党本部 山本太郎代表 殿
〒 104-0043 中央区湊3‐18‐17 マルキ榎本ビル5階
社会民主党党首 福島みずほ 殿








GID(性同一性障害)学会 御中

2022年1月14日

要 望 書



性 別 不 合 当 事 者 の 会
共同代表 河 村 み さ き
共同代表 御 堂 こ ず え
共同代表 森 永 弥 沙
共同代表 吉 崎 真 琴
tsatgism@tukiyo.net

1 私たちは性別不合当事者の会と申します。その名の通り、強い身体違和を持つ性別不合(性同一性障害)を抱える当事者の集まりとして2021年12月21日発足しました。その趣旨は同封の趣意書や、ホームページ(https://note.com/ts_a_tgism/)に代表らの紹介と手記などありますので、ご覧ください。
私たちの多くはいわゆるMtF ですが、FtM の会員もいます。
私たちは、貴学会所属の先生を含め医師らにお世話になっている立場ではありますが、ここにいわゆる「手術要件の撤廃」に反対することを中心に、下記のとおり強く要請します。

2 私たちが新しく団体を作ったのは、強い不安に駆られたからです。
海外では「セルフID」といったかたちで、「性自認」だけで社会的な性別を変えてしまうことができる国もあります。
一時的に「セルフID」は脚光を浴びたようでもありますが、しかし、今では女子トイレでの混乱など弊害も大きいと認識されているという報道を目にします。
また、去年の東京オリンピックでも、体格的に男性的な重量挙げ選手が女子選手として参加する、というのを目にもしました。
アメリカでは男性としての競技実績のある大学水泳選手が「女子選手」として参加し、これらに「スポーツとしてアンフェアではないか?」という疑問の声も上がっています。
「性自認」での性別変更扱いであれば、性別適合手術を受けてさえいない場合を含むのですから、当然だと考えます。
このような声が女性らから強く聞こえるにつれ、FtM、MtF の者として、女性の権利法益、公平性を害することには耐えられず、「性自認」概念を導入することに反対するため、私たちの会は成立しました。

3 ICD-11 が今年発効し、「性同一性障害」から「性別不合」への概念が変わってきました。
日本でもいわゆるLGBT 法の審議や理解増進法案の提出が話題となる中、2021 年5 月21 日、貴学会は 「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の改正に向けた提言を出されました。
そこでは、<提言2>として「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」(いわゆる、「手術要件」)の撤廃を求めます」としています。
しかし、私たちはこれに賛成ではなく、正反対であり、強い危惧の念を抱いています。

4 現在でさえ、GID の医療的サポートは十分であると感じている当事者は少ないです。
ホルモン療法への健康保険適用がないために、国内での性別再判定手術への保険適用も「混合診療」を理由としてなかなか適用されてない状況です。
ここで「脱医療化」を主張したりすれば、どういう根拠で健康保険が適用可能なのか、強い懸念が持たれるは当たり前です。
当事者が求めるのは、「脱医療化」ではなくて、
・「安全な医療」
・「安価な医療」
・「アクセスしやすい医療」
なのです。

5 さらに現状、「一日診断」を謳う一部クリニックも存在し、ガイドラインは形骸化している、と批判の声も上がります。
安全な医療・アクセスしやすい医療とは、「しっかりと標準化された医療」、ということでもあり、それが「ガイドライン」として形になりました。ところが、それが名目化しているという懸念を、ほかならぬ当事者が抱いているのです。
貴学会でも「認定医」制度がありますが、ホームページを見る限り日本中に33人しかいません。
地域的な偏りもありますし、実際にどのような役割を果たしているのか、当事者に見えているわけではありません。
「認定医」は特に性別再判定手術や戸籍変更に際しての診断書の要件であるわけでもありません。
いったい何のための「認定医」なのでしょうか。
それこそが大きな問題です。
これを活用して「医療を標準化し、信頼させる」ような手段はないのでしょうか。
診断の標準化とその信頼性は、私たち当事者の利害に直結します。
実際、手術を受け戸籍も変えたにも関わらず、「自分は性同一性障害ではなかった」と、手術と戸籍変更を後悔した方も何人もいます。
2017 年11 月30 日には家庭裁判所が誤診を認め、性別変更の取り消しを認めた例があると報道されています。
しかし戸籍変更は取り消せても、手術によるダメージは元には戻せません。これは性別の法的変更を求める当事者にとって、見逃せない懸念事項なのです。
後悔するのなら、止めてくれ、と誰もが思います。
診断が信頼できるものであることは、またさらに当事者の社会的な信用にも結び付きます。
「性同一性障害の診断を受けた人は、本気で移行先の性別に馴染もうと努力している人であり、それを医学が保障している」と周囲に信用されるのであれば、どれほどか性別移行の助けになることでしょうか。
口では「自分は女性」あるいは「自分は男性」とでも何とでも言えます。
しかし、ただの自称ではなくて、それを医療が明白にサポートすることを示すこと、そしてその診断に責任を持つことが、当事者が安心して性別移行を試みる条件であり、かつ社会に広く深く受け入れてもらえる条件だと言っても過言ではないでしょう。

6 日本でも年少の頃からの確認・働きかけの動きが始まっています。
すでに海外の事例として、安易に未成年者に性別移行の医学的介入をして悲劇を招来している事例が見つかります。
しかし、幼児の一時的な思い付き、あるいは思春期の女子が体の変化・ジェンダーロールの押し付け・男性からの性的視線への嫌悪などから、「性別移行」というアイデアに飛びついてしまっている可能性はないでしょうか。
そして、それを専門医ですらちゃんと判断しきれずに肯定してしまい、後に「脱トランス」して裁判になるなどのケースも見つかります。
若い頃の一時の気の迷いで人生を狂わされることのないように、「引き返せる道」をちゃんと提示しつつも、医療的介入の開始年齢の引き下げにはより慎重に、人権モデルではなく医学的エビデンスに基づいた決定がなされることを求めます。

7 このようにみてくると、「性同一性」、統一性・一貫性・持続性として語られ、事実上性別移行と性別再判定手術への適性とも理解されるような「性同一性」と、いわゆる「性自認」とは、本当に同じものなのか、という疑問が当然に湧いてきます。
どうも最近LGBT 運動に関して口に出される「性自認」とは、ただ「自分はそう思う」という主観的な意見に過ぎないようにも感じられます。
曖昧かつ主観的な概念であるというほかないのではありませんか。
そしてこの「性自認」を盾にとって女性専用スペースへの侵入を試みて問題になる例が、最近もあとを絶ちません。
中には性同一性障害の診断などまったく受けておらず、身体違和も全くな
いのではないかとみられる、痴漢行為の言い訳に使われているのではないか、と懸念される事件も起きています。

8 このような「性自認」に強く不安を感じるのは、女性だけではありません。
真剣に性別移行をしようとしている私たちMtF・FtM の当事者もまた強く不安を感じています。
私たちの信用が失われ、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」に対する国民からの信頼が失われてしまうのです。
すでに女性らの一部からは、性適合手術を受け法的に「女性」になった人に
ついてまで信用できないという声が上がっているのです。
このようなことでは、女性たちが自らの安全を守るために、女性スペースで少しでも「男性?」と疑われる人を問い詰め、通報するというような事態を招くことになります。
これは私たちの求めることではありません。
たとえば手術済・戸籍変更済であっても、いわゆる「パス度」が低い当事者の場合、女性の警戒心が高まった状況は、針の筵のようなものでしょう。
もちろん、女性専用スペースの利用にあたっては、当事者の側の配慮と自己規制も求められるのは承知の上の話です。
しかし不心得者や偽装を許してしまえば、女性の当事者に対する眼が厳しくなるばかりです。
それでも、現行制度では、戸籍変更の要件として手術要件があります。
戸籍が女性ならば手術済ですから、女性スペースを利用できる筈です。
ですから、この現行の「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が、私たちが性適合手術を受け、MtF が法的に「女性」になった
後には、権利として「女性だ」と言える根拠なのです。

9 しかし、手術要件を撤廃してしまえば、どうなりますか。
それは「性自認」で法的な性別変更ができるということと同義ではありませんか。
身分証明書の記載と身体的状況が一致しない、私たちのアイデンティティも社会からの信頼も、大きく失われると思います。
そして女性たちは、より一層、真剣に女性専用スペースでの性被害について懸念しなければいけないことになります。
このような事態は、私たち当事者にとって、マイナスでこそあれ、プラスになることではありません。
私たちにとっての手術要件は、決して「過酷な条件」ではなく、それこそ「身を守る盾」だとさえ感じています。
この法律は、もともと性別適合手術が日本でも適法であることを示して、強い身体違和を持つ私たちに国内の手術を可能とし、戸籍変更の道を開くためにできたものだったことを思い出してください。
「性自認」の概念には「性別違和があるが身体違和はない人」もいるとされますが、まったく理解できません。
身体違和がない人を、この法律を検討する際に、考慮する必要がどこにあるのでしょうか。

10 ですから貴学会からも対策や知恵を出していただきたいのです。
どうすれば、当事者が社会に信用されるのか、真剣に考えて頂きたいのです。
それは「人権モデル」やらの流行の言葉を使うことではありません。私たちの生存が懸っているのです。
具体的な要望としては、次のことをご検討願いたいと考えています。
(1) 手術要件の撤廃は本当に当事者の利益なのでしょうか?
不安に感じる当事者、それに女性たちがいることを考慮ください。
少なくともその得失について開かれた論議と社会の納得なしに、手術要件を撤廃するのには反対します。
(2) 脱医療化が進むべき道なのでしょうか?
脱医療化が健保適用のさまたげにならないと、保証ができるのでしょうか。あるいは健康保険に相当する別な施策について何か提言することあるのでしょうか?
簡単に「脱医療化」を主張することに、危惧を感じます。
「脱医療化」の前に、ホルモン治療への健保適用を実現して頂きたい。
(3) 診断の標準化と、信頼性の確保に向けて、具体的な施策を求めます。
「一日診断」のような診断の簡易化は決して許さないで下さい。
逆に「診断の厳格化」が当事者にとっての利益だと考えます。
診断に責任を持っていただきたい。
もし、当事者が誤診を主張して脱トランスする、あるいは診断を悪用した性犯罪を起こしたなどの事件があれば、相応の責任を診断した医師に求めるでもしないと、診断自体が社会に信用されなくなります。
(4) MtF、FtM のいずれについても、未成年者の性別移行はもちろん、医学的介入の開始年齢の引き下げについては、「人権モデル」ではなくて「医学的エビデンス」に基づいて議論がなされることを求めます。
(5) 「性自認」というような曖昧で主観的なアイデンティティではなくて、客観的な根拠による診断を求めます。
もちろん理論的な研究などまだまだこの問題には光の当たっていない領域が数多く残っています。
単に「社会的なニーズがあるから」ではなく、科学として真実の究明に取り組んでください。

11 以上の通り、貴学会におかれて、いわゆる「手術要件の撤廃」を求めることのないよう、そして上記の具体的な要望を改めて正面から検討されるよう、強く要望します。

以 上

https://note.com/ts_a_tgism/n/n1a3340e907c3
GID(性同一性障害)学会への性別不合当事者の会からの要望書

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性別不合当事者の会

2022年1月12日 22:27

性別変更にかかる性適合手術、いわゆるLGBT法について