親なんて当てにならないよ。私は、私の事を虐待する親族らから逃げて1人暮らし。生活保護バッシングに思う事

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親なんて当てにならないよ。私の事を虐待する親族らから逃げて私は1人暮らし選択して生活保護受ける事になりました。生活保護受けられなかったら、また路上生活、また路上生活になったら住所ありに復帰出来なさそうだし警察の方に私を、刑務所にいれろというぐらい犯罪者になるように追い詰められる人増えるだけ。治安良くしたい犯罪減らしたいなら生活保護バッシングやめた方が良いと私は思いますよ。


ネット上の「生活保護バッシング」は、なぜ繰り返されるのか。平成は「個人による個人監視」という異様な世界を生み出した。2012年、あるお笑い芸人の母親が生活保護を受けていることが発端となり、国会議員を巻き込む騒動となった。その後もやまないバッシングの連鎖。「ゲスの勘繰り」が行き着く先とは……。【PR】伝わった瞬間の喜びは忘れられない 文字で意思疎通を支援する「要約筆記」

【シリーズ平成炎上史】「スマイリーキクチ中傷被害事件」から「パイ投げCMまで。平成の闇を照らした「炎上」の歴史を振り返る。

2012年に起きた「あの騒動」

「誰かが得をしている」=「自分が損をしている」という短絡的な思考で、特定の他者に敵意を向ける感受性が今ほど先鋭化している時代はないだろう。

昭和の終わり頃にすでに種がまかれていたとはいえ、数多の「炎上」を引き起こす不安の芽は、平成に入って社会全体を覆い尽くすほどに成長した。

2012年にある週刊誌の記事がきっかけとなって、お笑い芸人の河本準一の母親が生活保護受給者であることが報じられ、参議院議員の片山さつきが不正受給疑惑の問題へと発展させた。

これが呼び水となり、ネットではソーシャルメディアなどで河本個人に対する攻撃的な言動を行なうユーザーが拡大し、テレビを中心に「誤報」を交えた扇情的な報道がなされたことも手伝って、「生活保護バッシング」と称されるものが吹き荒れることになった。

以後、生活保護にまつわる問題は、ガソリン級の炎上を誘発しやすい、燃焼性の高い案件として現在に至っている。



1月17日、とても嫌なことが起きた。

 ご存知の通り、小田原市の生活保護担当の職員が「保護なめんな」「不正受給はクズだ」などの言葉が入ったジャンパーを勤務中に着用していたという問題である。各種報道を見ると、10年前の2007年、生活保護の支給が停止された男性が職員を切りつけるという事件が起きたことが「ジャンパー制作」のきっかけだったようだ。現場の空気を盛り立て、連帯感を高めるというような意味で作られ、64人が購入したという話もある。

 もうどこから突っ込んでいいのかわからないが、この国の最後のセーフティネットであり、まさに命の砦を支える現場で働く人が、これほど無神経なことをしていたことが残念でならない。

 まず、「不正受給はクズ」などと書いているわけだが、生活保護の不正受給は2%。額にして0.5%。もちろん、少なくても不正受給は決してあってはならないことだが、98%の人は適正受給なのである。すべての条件を満たして(ということは本当に資産も何も失った状態で)受けているのである。そんな適正受給の人の家庭に訪問する時にも着ていたというジャンパー。

 ちなみに、現在、生活保護を受けている人の半数以上が65歳以上の高齢世帯。次に多いのが障害・傷病世帯で3割近く。高齢や病気、障害を抱えて働けない人で8割近くを占めているのである。また、母子世帯が6%、稼働年齢層である「その他世帯」は16%ほど。それぞれが様々な事情を抱え、働きたくても働けなかったり、どうしても仕事が見つからなかったりで貯金も底を尽き、役所の窓口を訪れるわけである。

 そんな「生活保護という制度がなければ生活できない人たち」が、「保護なめんな」という文言や「悪」という字にバツ印がつけられたジャンパーを見て、どのような気持ちになっただろうか。自分だったら、と想像してほしい。惨めな気持ちになったり、罪悪感に苛まれたり、恐怖を感じるのではないだろうか。それを思うと、「生活保護受給者の自殺率は一般の人々と比較して2倍」という数字が迫ってくる。

 さて、そんなジャンパーが作られたきっかけとなった「支給停止された男性が職員を切りつけた」事件だが、一部報道によると、この支給は「住所不定」になったことで打ち切りとなったらしい。が、生活保護は、住所不定でも受けられる。ホームレス状態でも、その地に住民票がなくたって受けられる。このことは08年末から09年明けの「年越し派遣村」以降、広く知られるようになったわけだが、それ以前は「ホームレスは受けられない」などの間違った言い分で追い返される「水際作戦」がまかり通っていた。どれほど追いつめられたとしても職員を切りつけることなどは決して許されないが、この時の「打ち切り」に違法性がなかったかどうか、職員たちがすべきはそれを徹底的に調査することで、「ジャンパーを作る」ことではないだろう。

 この事件が起きたのは07年だが、この年は、生活保護が大きく注目された年でもあった。北九州市で、生活保護を「辞退」させられた男性が「オニギリ食べたい」という言葉を残して餓死したことが大きく報じられたのだ。その前年には、同じく北九州市で、元タクシー運転手の男性が生活保護を受けられずに餓死するという事件も起きていた。このことによって、「申請に行っても『働け』などと追い返す」水際作戦が大きな批判を浴びたわけだが、小田原市はそんな役所への逆風の中、あのジャンパーを作っていたのである。

 そんな今回の事件、とりわけショックだったのは、小田原市の職員が、生活保護の担当を「誰もやりたがらない人気のない仕事」と言っていたことである。

 貧困問題に10年以上関わる私の周りには、現役のケースワーカーや元ケースワーカーなど、生活保護の現場で奮闘してきた人たちがいる。彼ら彼女らの熱意、そして「自分たちが最後のセーフティネットを支えているのだ」という自負と誇り、また、一人ひとりと丁寧に向き合う姿勢などを日々見ている私は、「生活保護の仕事って、大変だけどものすごくやりがいがある尊い仕事なんだ」と常々思い、プロとしての彼ら彼女らに尊敬の念を抱いていた。しかし、そうやって受給者に優しいまなざしを向け、伴走するように支援する職員がいる一方で、小田原市では「誰もやりたくない仕事」でしかなかったという事実。生活保護については、自治体によってあまりにも対応に格差があることが問題となり続けているが、「命の最後の砦」(ここで追い返されたら、死ぬ確率がもっとも高い窓口である)を守る現場の意識の違いに、愕然としたのだった。

 さて、どうにもフォローのしようもない今回の事件だが、このようなことが起きてしまう背景としてひとつ挙げたいのは、「現場のオーバーワーク」という問題である。

 11年に生活保護受給者が200万人を突破したわけだが、以来、受給者は過去最高を更新し続けているような状態だ。が、受給者は増えているのに、職員は増やされていない。よって一人あたりの担当ケースは増え続け、本来であれば80ケースくらいが標準のところ、一人あたり120〜130ケースを担当しなければならないという地域もある。「誰もやりたがらない」という言葉の背景には、このような事情もあるのだ。

 現場の職員が常に過労状態で、とにかく一人でも受給する人を減らしたいと思うようになれば、申請に来た人を窓口で追い返す水際作戦が横行し、「打ち切り」の誘惑にもかられるだろう。決して許されることではないが、「小田原の職員がひどい」というだけの話ではないのだ。まずは国がちゃんと職員を増員して、現場のオーバーワークに対応すべきなのである。「個人の頑張り」にだけ頼っているから「連帯感を上げる」などとしてこのような馬鹿げたことが起きてしまうのだ。

 と、ここまでいろいろ書いてきたが、このジャンパー問題に対する一連の過熱気味の報道やバッシングの激しさに、若干違和感を覚えている自分もいる。それは、「今回の小田原のことをバッシングしてる人の中に、12年の生活保護バッシングに燃えてた人、いそう…」というものだ。

 今から5年前の2012年、芸能人の家族が生活保護を受けていた問題を受け、嵐のように広がった生活保護バッシング。悪ノリしたテレビ番組の中には「受給者の監視」を呼びかけるものまであり、私のところにも生活保護受給者から「怖くて家から出られない」「買い物に行けない」「日本中から死ねと言われている気がする」という悲鳴のような声が多く寄せられた。このバッシングには片山さつき氏など自民党の政治家も大いに加担し、「生活保護を受けていることを恥と思わないことが問題」などと発言。私が把握しているだけでも、この時期、生活保護受給者が数人自殺している。

 このバッシングが起きた12年、自民党は生活保護プロジェクトチームにて「生活保護費10%削減」を掲げ、12年末、第二次安倍政権が始まってすぐに生活保護費を引き下げている。バッシングが、政策を後押ししたと言えるだろう。これによって、この国でもっとも生活が厳しい層、特に子どものいる生活保護世帯は大打撃を受けた。13年には「子どもの貧困対策法」が成立するわけだが、その前に安倍政権は生活保護世帯の子どもを見捨てるような引き下げを敢行しているのである。

 さて、なぜわざわざ「同じ人が正反対のバッシングに参加してるのでは?」と書いたのかと言えば、「バッシング」に、「祭り」として参加する人も一部いるからだ。が、軽い気持ちのバッシングが、このように政策の変更に繋がるなどの事態を生み出すこともある。

 例えば12年の生活保護バッシングの5年前の07年は、前述したように北九州市の餓死事件が注目され、「役所の水際作戦はひどい!」というバッシングが起きた。「ヤミの北九州方式」なんて言葉も生み出されたわけだが、「役所がこんなにひどい」というバッシングは、どこか形を変えた公務員バッシングに見えた部分もあった。もちろん、北九州の役所は当時、本当にひどかった。しかし、そんな水際作戦や打ち切りが横行した背景にはやはり国による締め付けがあったものの、多くの人には興味のないことだった。そうして嵐のようにバッシングは盛り上がり、すぐに忘れられた。

 それから5年、今度は12年に生活保護バッシングが起きたというわけだ。そうしてそれから5年、今また役所が叩かれている。その間、生活保護の捕捉率(受けられる人がどれだけ受けられているか)は2〜3割と少しも変わっていない。貧困率が16.1%であれば、貧困ライン以下で暮らす人は2000万人ほどいる計算になるが、生活保護を受けている人は216万人。貧困ラインだけで計算すると、1割強しか受けていないことになる(フランスの捕捉率は9割、スウェーデン8割)。

 そのように、根本的なことは何も解決していないこの10年間に、生活保護を巡って実に3度のバッシングが起きているのだ。1度目は「餓死した人可哀想!」、2度目は「生活保護受けてる奴らって甘えて怠けて楽して得してる!」、3度目は「小田原の職員、ひどすぎる!」。そうして一時だけ盛り上がり、ガス抜き作用もあったりして、おそらくすぐに忘れられていく。国が職員を増やすべき、捕捉率を上げるべきという根本に触れられることはなく。

 このような構図は、30年前にもあった。

 1987年、札幌市白石区で、3人の子どもを持つシングルマザー(39歳)が餓死したのだ。この女性は一時期は生活保護を受けていたものの、打ち切られていた。その後、3つも仕事を掛け持ちしながら子どもを育てていたが、体調を崩して働けなくなり、役所を訪れる。が、「若いから働ける」「別れた夫に『扶養できません』と一筆書いてもらえ」などと言われ、申請を阻まれたのだ。ちなみに女性は別れた夫にDVを受けていた。そんな相手に一筆書いてもらうことなど到底無理だろう。結局、生活保護の相談に行ってから2ヶ月後、女性は骨と皮の状態になった遺体で発見される。大柄だった女性の体重は30キロまで減っていたという。3人の子どもたちは、同じ市営住宅の人にお金を借りるなどしてなんとか食事をとっていたらしい。

 30年前のシングルマザー餓死事件の背景にも、生活保護バッシングがあった。この事件が起きる数年前は、第二次石油危機などで少しずつ受給者が増えていた時期だという。そんな頃、暴力団による不正受給問題が発覚し、マスコミで大きく報じられた。それを受けて81年、当時の厚生省は「123号通知」を出す。不正受給をなくすために、審査を厳しくする通知を出したのだ。これによって「水際作戦」が増えることになる。

 受給者の増加、不正受給発覚によるバッシング、そして「締め付け」が始まり、餓死者が出る。そうして役所が日本中からバッシングされる。既に30年前にこのような構図があったのである。

 そうしてシングルマザー餓死事件から25年後の2012年、同じ札幌市白石区では、40代の姉妹が孤立死している。死因は餓死・凍死と見られている。妹には知的障害があり、姉は生前、3度も役所に生活保護の相談に訪れていた。しかし、「若いから働ける」などと追い返され、最後に役所を訪れてから半年後、変わり果てた姿で発見されたのだ。

 今回の小田原市のジャンパー事件。バッシングだけに終わらず、なぜこのようなことが起きたのか、根本的な原因はなんなのか、どこを解決すればいいのか、そんな建設的な議論に繋がることを祈っている。

 バッシングってすっきりするし、なんなら「正義感」も満たされるし、暇つぶしにはもってこいだ。

 だけど、それでは何も変わらないことを見てきたからこそ、冷静に事態を見守り、発信していきたいと思っている。

http://www.magazine9.jp/article/amamiya/31958/
第402回生活保護バッシングと役所バッシングの5年周期〜「保護なめんな」ジャンパー問題に思う〜の巻


ではなぜ加藤さんは、生活保護を受けなくてはいけないのだろうか。

「10代のころから親子関係が悪くて、中学校でもいじめを受けてしまい、その時から不安障害を発症したからです」

と彼女は語る。特に父親との関係が悪く、ケンカや口論になることが多かったそうだ。家には幼いころから安心できる場所がなかった。学校の悩みを両親に打ち明けられる環境ではなかった。自分自身の居場所のなさをずっと感じていたそうだ。無条件で愛してもらえる環境に乏しかった。

加藤さんは、いわゆる不登校の状態を経験し、中学校の途中からフリースクールに居場所を求めた。そこで友人や仲間に巡り合えたそうだ。同じような境遇に身を置き居場所を喪失して出会う仲間とは意気投合することもあり、楽しい経験も多かったという。

居場所を求めてさまよって

それでも彼女が10代のころ、家出をし、友人宅を転々としていた時期もあった。

「家に居場所がない、理解者がいないと思い、居場所を求めてさまよっていました。今なら笑えるけれど、本当にフラフラとしていましたね」

自分勝手で、放蕩をしてきたように思う人がいるかもしれない。しかし、その当時のことを聞いてみると、「好きでフラフラしていたわけじゃない。とてもつらかった。自分の状況を理解してくれる人は本当に少なかった」と言う。

発症してしまった不安障害と付き合い、現在も加藤さんは都内の病院に通って治療を受けている。現在でこそ、不登校を前向きに評価する観点が広がってきたが、当時は学校に通わないことへの無理解のほうが多かったように記憶している。

学校のような強固にできあがった教育システムに対して、「逃げられること」「つらいと言えること」は加藤さんの強みである。若者が一定の規範から「逸脱」することを前向きに評価する観点を、よりいっそう広げていく必要があるのではないだろうか。わたしは加藤さんの話を聞きながら、生き方の多様性を尊重することについて具体的な取り組みを進める必要があることに気づかされた。

現在、加藤さんは「生活保護を、自立するために活用している」と表現している。生活保護制度がなければ、彼女は自殺していたかもしれないし、ホームレス状態になっていたかもしれないという。彼女自身がそんなふうに受け止めている。しかし、生活保護申請をすんなりと受け付けられたわけではなかった。
「『親がいると生活保護は受けられない』と、福祉課職員に言われました。親なんていても助けてくれないし、病気を抱えてどうやって生きていったらいいのか悩みました」

初めてひとりで生活保護の相談に福祉課へ赴いた際、職員から威圧的な対応をされたという印象を持った。そして、生活保護について、「親がいると生活保護は受けられない」という誤った情報を伝えられ、それでも生活が苦しいのであきらめきれずに、再度相談に行き、ようやく生活保護を受給できた。

社会福祉の現状

2回目に福祉課へ行った際は知り合いの民生委員に相談し、保護申請に付き添ってもらったそうである。申請手続き中、不安を覚えたせいで過呼吸も起こしてしまったが、何とか暮らしを立て直す第一歩を踏み出せた。このような若者に対して、生活保護の窓口が冷遇することはいくつも指摘されている。決して珍しい話ではない。

2016年1月15日のインターネット版・読売新聞には、社会福祉制度に詳しく、筆者とも親しい原昌平記者が、若者などの生活困窮者に対して、福祉事務所があまりにも不適切な対応をするため、以下の意見を含む記事を配信した。

「生活に困って生活保護を利用したいと思った場合、原則として福祉事務所に保護を申請する必要があります。そのとき大事なのは、一定の知識と胆力のある人を除いて、いきなり、ひとりで福祉事務所の窓口へ行かないほうがよいということです。親身に手助けしてくれる窓口担当者もいるのですが、一方で、保護を増やさないのが仕事のように勘違いしている職員もいて、間違った説明をされたり、申請できないまま相談だけで帰されたりすることがあるからです。きつい質問や言葉によって、精神的なダメージを受ける場合もあります。支援団体や法律家の協力を得るか、他の福祉関係の機関にまず相談するなどして、なるべく、だれかに同行してもらいましょう」(原記者の「医療・福祉のツボ」貧困と生活保護〔21〕「生活保護の申請は支援者と一緒に行こう」)

長年、さまざまな生活困窮者の取材活動を通じて現場に詳しい記者もそう報道せざるを得ない社会福祉の現状だ。

当然、加藤さんのような若者が生活保護を受けることに対して、厳しい意見や批判がある。たとえば、病気を持っているにしても本当に働けないのかというものだ。

「就労したいというあせりや不安があり、そのために病状が悪化したこともあった。自分なりのこれまでの努力や頑張りを評価してほしい。何とかなるのであればもうとっくに何とかなっている」と彼女は訴える。

実際のところ、生活保護についてインターネットで検索すると、受給者への心ない言葉が平然と飛び交っている。加藤さんもそのような書き込みを見ることがある。

「批判の中には、『生活保護受給者はカップラーメンを食べるのもぜいたくである。カップラーメンは高い。なぜ節約を考えるなら、何食も入っている安い袋麺にしないのか』というものもあります。心が痛みました。ネットの書き込みに恐怖して、病気が悪化してしまうこともある。生活保護を受けたくて受けているわけではなく、早く自立したいと思っているので、なおさらあせってしまう。個別の事情に配慮してほしいんです。
私に限らず、この日本で暮らしているかぎり、生活は苦しい。その中で我慢している人と我慢できずに生活保護を受給している人がいる。だから私と同じように我慢していればいいんだ……そんな恨み節のようなものが、批判される方にはあるのかもしれません」

生活保護受給者とひとくくりにして、批判をすることや攻撃することに意味はあるだろうか。生活保護受給者への怒りや批判という形で、現状へのつらさを吐露しても、問題は根本的には改善しないように、わたしには思える。言うまでもなく、加藤さんは批判を受ければ受けるほど、自立が遠のくとさえ話しているのである。

加藤さんの事例では、幼少期からの孤独、常にストレスにさらされてきた生活環境が生活保護受給や自立を阻害する要因になっていることがわかる。決して本人の怠惰ではない。加藤さんのような環境に置かれたら、大抵の人はつらいであろう。病気を発症するのは彼女だけではないかもしれない。加藤さんと同じ境遇を自身に置き換えてありありと想像することで、彼女の心情になるべく想いを馳せていただきたい。

最後に加藤さんが、過去の自分を冷静に振り返る。

「私は人に対する恐怖心があり、成功した経験や褒められた経験も少ないので、自己肯定感がありません。実家に引きこもって以来、働きたいのに働けないストレスをさらに増やし、精神疾患の悪化も招いて、ますます働けなくなるという負の連鎖が始まったのです」

最近は生活保護を受給したことで、ようやく負の連鎖が止まり、自分の将来を考えられるようになったという。これからは人とかかわる力をさらに身につけていきたいそうだ。

厚生労働省を相手に



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加藤さんは仲間に支えられ、現在、弁護士とともに、首都圏の裁判所でいわゆる生活保護裁判を闘っている。相手は厚生労働省だ。2013年から3回にわたり、生活保護における生活扶助基準が段階的に引き下げられている。2015年7月からは生活保護における住宅扶助基準も引き下げられた。さらに冬季に暖房費などの名目で支給される「冬季加算」も減額された。北海道や東北地方など、寒冷地の生活保護受給世帯は心細い思いをしていることだろう。

生活保護に対するバッシングや批判をきっかけにした、このような引き下げはもう止めてもらいたいと彼女は主張している。自分が将来に希望を見いだせた生活保護制度を「劣化」させることを防ぎたいというのだ。

「私たち若い人の中にも、十分な生活保護を必要としている人たちが沢山いるんです」

生活保護基準の引き下げをきっかけに、政府は年金や介護、医療など幅広く社会保障費を削減する傾向にある。加藤さんは、「同じような人を救うためには、生活保護受給当事者が立ち上がるしかない。おかしいと声を上げるのは大変勇気がいりますが、最後まで弁護士や仲間の皆さんと頑張ります」と決意している。

https://toyokeizai.net/articles/-/144586?page=4
「生活保護バッシング」が的外れな根本理由 食費1日260円で生活する34歳女性の叫び

藤田 孝典 : NPO法人ほっとプラス代表理事




京都市であった。生活保護の利用者と支援者100人が路上から訴えた。「たまには旅行に行きたいぞ」「たまにはオシャレもしたいぞ」「たまにはウナギも食べたいぞ」

 憲法25条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するよう政府に命じている。その政府は生活保護費を大きく削っている。京都では、生活保護を使いながら地域で自立生活をしている障害者が「生活保護改悪に反対する人々の会」(小松満雄代表)をつくり、「全京都生活と健康を守る会連合会」とともに政府を相手に裁判中だ。

 「人々の会」がさらに重大視しているのが「バッシング報道」の後遺症だ。政府による削減方針とおなじころさかんに報じられたのが芸能人の家族の「不正受給」で、実際は不正はなく生活保護への偏見と差別をあおっただけだった。

 そうした報道のせいで生活保護制度はとても使いづらいものへとおとしめられたと「人々の会」は怒っている。対抗手段として2019年にはじめたのが「生存権デモ」で、この日も先頭集団をあるいた。

 下林慶史さん(36)は生活保護を使っていないがデモに参加した。生活保護基準の引き下げはすべての人の生活水準の引き下げにつながると考えるからだ。「いろんな人に関心をもってほしい。これからも声をあげていく」と話した。(下地毅)

     ◇

 デモの実行委員会は、花園大学の吉永純教授(福祉社会学)をまねいて8日に南区で学習会もひらいた。

 吉永さんは、日本には2千万人ちかい貧困者がいるのに、そのうち1割しか生活保護を使っていないという試算を紹介した。原因に①社会が自己責任を基調としている②身内に助けてもらえばいいと考えている自治体が少なくない③利用をおとしめるバッシング報道――をあげた。保護費を下げている政府の姿勢も「権利保障のモノサシを勝手に縮めている」と批判した。

 吉永さんは希望も語った。1957年提訴の朝日訴訟から現在まで、人間としての誇りをないがしろにされたと怒る人々による生活保護裁判が連綿とあることだ。こうした地道な闘いによって生活保護利用世帯の子どもの高校進学が実現したことを例にあげ、「原告のおかげで世の中が崩れないでいる」と話した。(下地毅)

https://www.asahi.com/articles/ASRBL76KNRB2PLZB007.html
京都で生存権を求めるデモ 「たまにはウナギも食べたいぞ」

下地毅2023年10月19日 10時15分