第 4 性同一性障害の診断と治療のガイドラインの策定
上記東京地裁判決も同高裁判決も、その判断内容は妥当なものであり、当時
の被告人の手術に対して違法であるとした判断は正当なものであったと思われ
る。前記東京地裁判決では、性転換手術を適法な医療行為として違法性阻却事
由が認められるための要件を示していたものの、性転換手術を実施した医師が
有罪とされたという事実だけが独り歩きをした結果、その後、そのような手術
16)この判断を妥当とする見解として、高島学司「性転換手術と優生保護法 28 条」医事判
例百選 202 頁、金澤文雄「新判例評釈」判例タイムズ 280 号 89 頁等。
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論説(城・小林)
を実施しようとする医師はいなくなり、我が国では、約 30 数年間にわたって
性別適合手術が実施されないという時代を迎えることとなった。
そのような中で、平成 7 年 5 月 22 日、埼玉医科大学倫理委員会に「性転換
治療の臨床的研究」という申請がなされた。これは、同大学の形成外科の教授
らによるもので、性同一性障害者が性転換を希望してもそれが叶わないという
我が国の現実に疑問を持ったことによるものであった。そして、同大学倫理委
員会の答申では、精神療法、ホルモン療法を経た上で、性別適合手術が選択さ
れるべき場合もあるとの認識の下で、関連する学会や専門家集団による診断基
準の明確化と治療に関するガイドラインを策定することなどを答申した 17)。
そこで、このような答申の結果を受けて、日本精神神経学会は、上記ガイド
ラインの策定に乗り出すこととし、同学会の性同一性障害に関する特別委員会
は、米国でのガイドラインなどを参考にした上、多くの意見を集約して、平成
9 年 5 月 28 日付けの「性同一性障害に関する答申と提言」の中で「性同一性
障害の診断と治療のガイドライン」(初版ガイドライン、以下「治療等ガイドライ
ン」という。)を公表した 18)。この治療等ガイドラインにおいて、性同一性障
害は医療の対象とされ、性別適合手術は、性同一性障害の治療として正当な医
療行為であると位置づけられたのである 19)。
そして、これを受けて、平成 10 年 10 月 16 日、埼玉医科大学において、我
が国で初めて公に性同一性障害の治療として性別適合手術が実施された。これ
以後、治療等ガイドラインに基づいて性別適合手術が実施されるようになった。
17)田中雄喜「『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』の作成と改訂に関する
分析」(2015 年度科学技術インタープリター養成プログラム修了論文)。
18)2018 年(平成 30 年)1 月 18 日付け「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン
(第 4 版改)6 頁。
19)このガイドラインの策定においては、性別適合手術ありきが先行し、それを正当化する
ために策定され、その後、性別特例法につながっていくという批判的な見方をする見解も
ある(前出石嶋1 82 ~ 83 頁)。
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
第 5 ガイドライン一般についての法的性質についての検討
埼玉医科大学の関係者の尽力により、性別適合手術を実施するためのガイド
ラインが策定されたのであるが、そもそも、このガイドラインにどのような法
的効力があるのか、また、これに従った場合には、刑事的にも免責されること
になるのかが問題となる。そこで、ガイドラインの法的性質について検討して
おくこととする。
そもそもガイドラインとは、「政府や団体が指導方針として掲げる大まかな
指針」(大辞林)のことであるが、これは法的には、法律でもなければ、命令
でもない。したがって、それ自体としては法的な効力や効果は何もない 20)。
しかしながら、ここで検討の対象とするガイドラインは、行政官庁や学会な
どが自ら制定した指示・方針にすぎないとしても、誰しもそれに従って行動す
ることが予定されているものである。
それゆえ、「ガイドラインは、直接的な法的拘束力はないものの、それが定
着している場合(これが重要であるが)、それを遵守していれば、一定の法的効
力と同等の効果を有することも期待できる。」21)のであり、したがって、ガイ
ドラインに沿った行動は、時間を要するとはいえ、自ずと医療水準 22)を構成
することとなり、法的な適否の判断に当たって、是認される方向に強く働くと
いう作用を有することとなって、これに沿って行動した場合には、原則的に合
法性、適切性が認められる 23)。有識者等を集めて十分な検討をした上で作成
されたものである以上、その内容の合理性、妥当性などは当然に満たしている
ものと考えられ、そうであるなら、それに従った行動が原則として違法なもの
20)甲斐克則「終末期医療のルール化と法的課題」医事法学 24 号 82 頁。
21)同上。いわば、ソフトローともいえるものであるとしている。
22)医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるが、新規の治療法が普及
するには一定の時間を要し、医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性、医師
の専門分野等によってその普及に要する時間に差異があり、その知見の普及に要する時間
と実施のための技術・設備等の普及に要する時間との間にも差異があるのが通例であると
されている(平成 7 年 6 月 9 日最高裁判決(民集 49 巻 6 号 1499 頁)、平成 8 年 1 月 23 日
最高裁判決(民集 50 巻 1 号 1 頁)等)。
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論説(城・小林)
となるとは考え難いであろう。
さらに、ガイドラインと立法の比較として、ガイドラインは、「その策定の
場面でも適用の場面でも関係者等の合意が取得しやすいだけでなく、個々の事
例に内在する問題に対して柔軟な対応ができる。一方、(中略)ルール化して
いる点で定立した規範が明示され、批判的吟味が可能であるだけに、立法に近
く、公共的な権威がその分、取得しやすいのである。」24)として、その柔軟性
というメリットだけでなく、定立した規範の明示に基づく効果により、立法に
近い性質をも有するとの指摘もなされている 25)。
したがって、それらガイドライン等に従った行為には、適法性が推認される
のであり、その実際上の効果について、以下検討する。
第 6 治療等ガイドラインに従った性別適合手術の適法性
たしかに法的な建前としては、治療等ガイドライン自体はあくまで指針にす
ぎないものであって、それ自体が適法性を担保するものとはなり得ない。しか
しながら、日本精神神経学会において十分に検討され、性同一性障害の治療等
23)阿部泰隆「行政法解釈学I」279 頁では、ガイドラインについて、「当該法律の主務官庁
の見解であるが、裁判所に対して拘束力ある法令ではなく、民間企業を指導するものでも
ない。専門家の見解として、企業としては、これに沿って判断すれば、株主代表訴訟で責
任を問われる可能性が軽減されるものであろう。」として、法的な拘束力はないものの、
一定の法的効果が期待できるものとして捉えている。
24)飯島祥彦「医療現場の臨床倫理問題の解決方法としてのガイドラインの省察」医事法学
31 号 24 頁。また、樋口範雄「医療情報保護ガイドライン」法学教室 291 号 3 頁では、「ガ
イドラインか法律かは、見かけほど大きな違いがない」、「重要なのは形式ではなく、むし
ろ医療分野に適合したルールを盛り込めるかどうかである。」と指摘する。
25)民事法の領域ではあるが、平成 23 年 12 月 9 日東京地裁判決(裁判所ウェブ・医事法学
28 号 151 頁以下)では、子宮脱治療のための手術を受けた女性が、術後に肺血栓栓塞症を
発症し、意識障害に陥り、重篤な後遺障害が残ったという事案において、担当医師が、学
会等の定めた肺血栓栓塞症予防や治療に関するガイドラインに準拠しないで医療を提供し
たとして、当該医師に対して注意義務違反を認めたが、この場合、ガイドラインに従って
いないことが過失の内容となることから、当該ガイドラインは法規に準じた役割を担って
いることになると思われる。
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
の指針として策定されたものであるところ、それが合理的なものであることは、
上記学会において承認され、また、多くの精神科医等からの反対もないという
事実に裏付けられているものと考えられる。
このような合理的な内容として認められるガイドラインに沿った行為である
ということは、それが適切な医療行為であると評価されることとなり、これが
刑法 35 条における「正当業務行為」の内容を構成することになって、違法性
阻却事由となると考えてよいと思われる 26)。
この点について、治療等ガイドライン第 4 版改では、「初版ガイドラインに
従って性別適合手術を行った医師は、当然、刑事責任を問われてはいない。な
ぜなら、性同一性障害に対する性別適合手術は、母体保護法 28 条の『生殖を
不能とすることを目的』にしているのではなく、あくまで性同一性障害に対す
る治療を目的としており、代替えの方法が現在のところ存在しないことから、
母体保護法に違反しないとの考えが法曹界でも趨勢を占めていると思われ
る。」27)としている。
この見解においては、性別適合手術は、そもそも母体保護法 28 条に規定さ
れる構成要件に該当しないと判断しているものと思われる 28)。しかしながら、
26)なお、条文上は、「『故なく』、生殖を不能にすることを目的」とする手術等を禁じてい
ることから、正当な治療目的であれば、「故なく」なされたものではない以上、構成要件
該当性が欠如すると解することも可能なようにも読める。しかしながら、「故なく」との
用語は、例えば、刑法 130 条の住居侵入においても、刑法が口語化される以前は、「『故な
く』人の住居(中略)に侵入し」とされていたところ、この点の解釈として、「『故なく』
とは、正当な理由がなく、すなわち、違法にの意味である。違法な侵入のみが犯罪となり
うることは当然であるから、この語は、語調の上から加えられた修飾語にすぎない。」(大
塚仁「刑法概説(各論)」104 頁)とされており、「故なく」という文言は、実質的な意味
を持たないと解されるところ、この文言については、口語化の際に、「正当な理由がない
のに」と変更され、その後の解釈においても「特に正当な理由がないものだけが本罪を構
成することを注意的に規定したもの解されている。」、「正当性の判断に実質的な利益考量
を伴う場合には、違法性阻却事由の有無の問題として処理すべきである。」(前田雅英ほか
「条解刑法(第 2 版)358 頁」と解されていることに照らしても、違法性阻却事由である刑
法 35 条の問題として、その適法性の判断をすべきこととなる。
27)前出ガイドライン 6 頁。大島俊之「性同一性障害と法」18 頁。
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治療を「目的」29)としているから、「生殖を不能とすることを目的」としてい
ないと解するのは、解釈上無理があるものと思われる。究極の目的は、もちろ
ん性同一性障害に苦しむ患者の治療にあるとはいえ、そのためには、生殖を不
能にすることで達成する性別適合手術をしなければならないのであり、不可避
的に生殖を不能にしなければ治療ができないのである以上、そこに生殖を不能
にする目的は存しないといっても単なる言い換えであるとしか評価し得ないと
ころである。
しかしながら、そのような「目的」が存して構成要件に該当したとしても、
前述したように、正当業務行為として違法性阻却事由が認められるのであるか
ら、なんら不都合はない。
また、刑事責任を問われていないとする点については、治療等ガイドライン
の当初の策定に関与した埼玉医科大学山内俊雄教授が「当時の優生保護法違反
といった過去の判例があるので、司法が何か言うかと思ったんです。この点に
ついては法務省にあらかじめ問い合わせても返事はもらえなかったので、結果
的には、『そういう(ガイドラインで定められた)手続きを踏んでるからいい』っ
28)このような見解と思われるものとして、性転換を目的とする手術は、不妊化を目的とす
るものではないため、本法の対象外であるとする見解(猪田真一「性転換手術の治療行為
性に関する一試論」帝京法学 20 巻 1・2 号 103 頁)もあるが、上述したように、性転換を
するためには不妊化が不可避的に伴うのであり、前者の目的は存するが後者の目的は存し
ないという解釈は無理があるものと思われる。
29)この「目的」は、目的犯のうちで、「客観的に規定されている行為医それ自体が正当な
いしは価値中立であり、客観的行為では違法であると判断することができず、規定の目的
が加わることによって違法性が付与される場合」とするもので、相場操縦罪の目的や、売
春防止法の売春目的での客待ちと同様に扱われる類型に含まれるものと思われるが、「全
くの正当な行為に違法性の要素を付与することによってこれを限定的に解することで、正
当な行為が違法な目的の存在によって違法な行為と判断」されるのであるから、その「目
的」は「目的が実現することの未必的認識認容では足りず、強度の内容が要求されるもの
と解すべきである」(以上、伊藤亮吉「目的犯の目的の内容(2・完)」名城法学 63 巻 4 号
23 ~ 28 頁)としても、ここでの「生殖を不能にする目的」は、性別適合手術における一
連の客観的行為それ自体から明らかになるものであり、どのように厳格に解しても、施術
者において、この「目的」が存在することは否定できないものと思われる。
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
てことだったと思います。そういう司法からのクレームはなかったということ
ですよね。」30)と述べていることに照らしても、治療等ガイドラインについて、
司法関係者も、事実上、法令などと同様の効果を認めていたことを表している
ものといえよう。
なお、性別適合手術が母体保護法違反とならないにしても、傷害罪となるの
ではないかとの問題は残っている。しかしながら、この点については、本来的
に被害者となる患者の同意があること、治療目的という正当な目的でなされる
行為であること、更には、治療等ガイドラインに従った適切な方法でなされて
いることに鑑みれば、これも正当業務行為として違法性が阻却されるものと考
えてよいであろう 31)。
このように、治療等ガイドラインが法令等でなく、単に、学会が策定したに
すぎない手術上等の指針にすぎないものであっても、それが性同一性障害者の
治療上、すぐれて適応性があるものであり、当該医療行為の正当性を基礎付け
るものであることから、司法関係者もこれらの点を重視し、捜査、起訴の対象
としないのであって、事実上、法令等と同様の効果をもたらすものとなったと
評価されるものといえよう。
このような治療等ガイドラインの策定とその実施という既定事実が積み重な
る中で、平成 15 年 7 月 10 日、性別特例法が成立し、同法律による性別変更の
手続き上、性別適合手術がむしろ要件とされることとなり、これが適切かつ必
要な治療として法的にも認められることとなった。
そして、性別適合手術の実施例は、性別特例法の適用を受けた事例だけでも、
平成 16 年から同 30 年までの間において 8,676 件に上っている 32)。
30)前出田中 52 頁。
31)前出ガイドライン 6 頁。もっとも、治療等ガイドラインに従わず、患者の意思確認が不
十分であったり、精神医学的な診断等が不備であったり、医師としての専門性が欠けてい
たりしたような場合には、母体保護法 28 条違反や刑法 204 条の傷害罪として捜査の対象
になるのはもちろんのことである。
32)藤戸敬貴「法的性別変更に関する日本及び諸外国の法制度」レファレンス 830 号 81 頁。
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論説(城・小林)
第 7 手術療法である性別適合手術の概要
事実上、法令等と同様の効果がある治療等ガイドラインに沿った性別適合手
術の概要は、以下のとおりである 33)。
手術の実施に当たっては、形成外科医、泌尿器科医、産婦人科医等が協力し
て実施する。
女性化のためには、精巣摘出術、陰茎切除術、造膣術、外陰部形成術、豊胸
術、甲状軟骨形成術、下肢の脱毛などを行い、また、男性化のためには、1乳
房切除術、2卵巣摘出術、子宮摘出術、尿道延長術、膣閉鎖術、3陰茎形成術、
睾丸形成術などを段階的に実施することになる。
その際の安全性確保のために、性別適合手術を行う者に関する要件として、
「1性別適合手術は、医療チームに属する形成外科医・泌尿器科医・産婦人科
医などが協力して行うことが原則である。医療チームが別の医療機関に性別適
合手術を依頼することもできる。ただし、性別適合手術は麻酔科医が麻酔を担
当し、入院可能な医療機関にて行われるべきである。2性別適合手術に関して
十分な技量を有する者であることはもちろんであるが、同時に性同一性障害に
ついての知識、特にその心性に対する十分な理解と経験を持ち合わせているこ
とが望まれる。従って、原則として執刀医ないし執刀医グループのうち少なく
とも 1 名は、GID 学会 34)認定医を含むことが求められる。」などとして、適
切かつ安全な手術が実施されるように、そのメンバー構成や技量の程度なども
含めてガイドラインが詳細に示されている 35)。
そして、その性別適合手術に関する実施状況についての検討であるが、埼玉
医科大学倫理委員会では、次のとおりの答申をしている 36)。すなわち、
1 手術を受けた者が男性か、女性かによって手術成績に差はない。
33)前出ガイドライン 24 頁以下、前出山内 81 頁以下による。
34)GID(性同一性障害)学会とは、「Japanese Society of. Gender Identity Disorder」の略称で
ある。
35)前出ガイドライン 26 頁
36)前出埼玉医科大学 320 頁
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
2 手術を受けたことを後悔する例は少ない。
3 種々の観点から評価した成績では 60%から 80%近いものが良好もしくは
かなり良好と評価されている。
4 術後、精神病院に入院したり、自殺を企図したもの、うつ状態を呈した
ものが散見される。
との評価がなされている 37)。
なお、現在では、性器に係る手術と乳房切除術は、平成 30 年 4 月 1 日より
保険適用になっている 38)。
III 平成 31 年 1 月 23 日最高裁決定における問題点と検討
第 1 生殖不能要件及び外観具備要件が性別特例法上に設けられた理由及び
問題点
まず、生殖不能要件については、生殖腺の機能を残存させると、元の性別の
生殖機能によって子が生まれることで種々の混乱や問題が生じかねないことや、
生殖腺から元の性別のホルモンが分泌されることで何らかの身体的、精神的な
悪影響が生じる可能性を否定できないからとされている 39)。
また、外観具備要件については、公衆浴場の問題等、社会生活上の混乱が生
じる可能性が考慮されたものであるとされている 40)。
もっとも、これらの要件については、上記のような立法趣旨はもちろん理解
できるものの、その一方で問題がないわけではない。例えば、女性に性別を変
37)ただ、そのような評価に対して否定的意見として、「手術成績でよかったものが 60 ~ 80
%との報告があり、生命に関係しない場合の手術成績としては問題がある。」(同上 322
頁)との指摘もある。
38)この保険適用については、性別適合手術前のホルモン療法への保険適用がないことの問
題点が指摘されている(石嶋舞「生殖能力と登録上の性別が乖離した場合に要される法的
対応に関する一考察(下・完)」(以下「石嶋2」という。)早稲田法学 94 巻 1 号 131 頁)。
39)前出南野 93 頁
40)前出南野 93 ~ 94 頁
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論説(城・小林)
えたいと思う男性であれば、男性機能を有したままでは、性別を変更すること
ができず、あくまで戸籍上の性別を変更したいのであれば、生殖腺を除去し、
外観具備要件に適合するための性別適合手術を受けなければ、これらの要件を
満たさないことになる。つまり、この要件は、戸籍上の性別を変えたいのであ
れば、性別適合手術を受けなさいと言っているに等しいといえるものだからで
ある(もちろん、元々生殖腺の能力がない人や、他の性別に係る身体の性器に係る
部分に近似する外観を備えている人もいることから、必ずしも手術をしなければな
らないというわけでないが。)。
そのため、このような規定は、その意思に反して身体に侵襲を受けることを
受忍させるものであるから、憲法 13 条で保障される幸福追求権などを侵害し
ているものであって無効ではないかとの主張が出されるようになった。そして、
特に、特例法 3 条 1 項 4 号の要件に関して、これが違憲であるとして裁判にな
り、それに対して、平成 31 年 1 月 23 日、最高裁の見解が示された 41)。
第 2 本件最高裁決定の法廷意見
この最高裁決定において、生殖不能を要件とする性別特例法 3 条 1 項 4 号の
規定は、「性同一性障害者が当該審判を受けることを望む場合には一般的には
生殖腺除去手術を受けていなければならないこととなる。本件規定は、性同一
性障害者一般に対して上記手術を受けること自体を強制するものではないが、
性同一性障害者によっては、上記手術まで望まないのに当該審判を受けるため
やむなく上記手術を受けることもあり得るところであって、その意思に反して
身体への侵襲を受けない自由を制約する面もあることは否定できない。」とし
て、前述したように、性別特例法 3 条 1 項 4 号の規定が、憲法上保障されてい
る「意思に反して身体への侵襲を受けない自由」を制約するという問題点を指
41)この判決に対する批評としては、濱口晶子「性同一性障害特例法における性別取扱いの
変更と生殖腺除去要件の合憲性(最高裁決定)」法学セミナー772 号 116 頁、木村草太「性
同一性障害特例法の生殖能力要件の合憲性」法律時報 91 巻 5 号、大島梨沙「性別の取扱
いの変更における生殖腺除去要件の合憲性」民商法雑誌 155 巻 5 号 137 頁などがある。
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
摘した。
その上で、「もっとも、本件規定は、当該審判を受けた者について変更前の
性別の生殖機能により子が生まれることがあれば、親子関係等に関わる問題が
生じ、社会に混乱を生じさせかねないことや、長きにわたって生物学的な性別
に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける等の配慮に基
づくものと解される。これらの配慮の必要性、方法の相当性等は、性自認に
従った性別の取扱いや家族制度の理解に関する社会的状況の変化等に応じて変
わり得るものであり、このような規定の憲法適合性については不断の検討を要
するものというべきであるが、本件規定の目的、上記の制約の態様、現在の社
会的状況等を総合的に較量すると、本件規定は、現時点では、憲法 13 条、14
条 1 項に違反するものとはいえない。」として、この規定は、憲法に違反する
ものではないとして合憲であるとした。
たしかに、審判により性別の変更が認められておりながら、身体的には元の
性のままであった場合、性別変更をしていながら、元の性による生殖行為が行
われる余地がある。そのような場合には、元は男性であった戸籍上の女性が、
他の女性との間で子をもうけることがあり得るのであって、その場合、幼稚園
や小学校に通う児童の父親が、戸籍上は女性ということも生じることになり、
戸籍制度がほとんど破綻することになると思われる。したがって、この最高裁
の法廷意見は納得のできるものといえよう。
第 3 本件最高裁決定の補足意見
もっとも、この最高裁の判断においては、補足意見として、2 名の裁判官は、
前記法廷意見と同様の問題点を指摘した上、憲法 13 条は、その意思に反して
身体への侵襲を受けない自由を保障していると解されるところ、「本件規定は、
この自由を制約する面があるというべきである。」として、法廷意見に比べて
より強い表現で憲法に違反するおそれがあることを述べた。
そこで、そのような自由を制約してしまうことの妥当性に関して検討し、法
廷意見に対し、次のとおり反論した。
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論説(城・小林)
まず、法廷意見による、変更前の性別の生殖機能により子が生まれることに
よる親子関係に関する社会的な混乱を回避するためという理由付けについては、
性同一性障害者の特性に鑑み、
1「性別の取扱いが変更された後に変更前の性別の生殖機能により懐妊・出
産という事態が生ずることは、それ自体極めてまれなことと考えられ、そ
れにより生ずる混乱といっても相当程度限られたものということができ
る。」
として、先に述べたような、元の性による生殖活動による混乱はさほど起きな
いのではないかと想定している。
また、本件補足意見は、法廷意見による、生物学的な性別に基づき男女の区
別がされてきた中での急激な形での変化の回避への配慮という理由付けに対し
ては、
2「上記のような配慮の必要性等は、社会的状況の変化等に応じて変わり得
るもの」
であるとしており、例えば、平成 20 年には、特例法 3 条 1 項 3 号の要件を緩
和して、成人の子を有する者の性別の取扱いの変更を認める法改正が行われ、
成人の子については、母である男性、父である女性の存在があり得ることが法
的に肯定されたことに照らしても、また、性別特例法の施行から 14 年余を経
て、これまで 7,000 人を超える者が性別の取扱いの変更を認められ、さらに、
近年は、学校や企業を始め社会の様々な分野において、性同一性障害者がその
性自認に従った取扱いを受けることができるようにする取組が進められており、
国民の意識や社会の受け止め方にも、相応の変化が生じているものと推察され
ることなどに照らし、「以上の社会的状況等を踏まえ、前記のような本件規定
の目的、当該自由の内容・性質、その制約の態様・程度等の諸事情を総合的に
較量すると、本件規定は、現時点では、憲法 13 条に違反するとまではいえな
いものの、その疑いが生じていることは否定できない。」、「性同一性障害者の
性別に関する苦痛は、性自認の多様性を包容すべき社会の側の問題でもある。
その意味で、本件規定に関する問題を含め、性同一性障害者を取り巻く様々な
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
問題について、更に広く理解が深まるとともに、一人ひとりの人格と個性の尊
重という観点から各所において適切な対応がされることを望むものである。」
などとして、憲法違反とまではいわないものの、その疑いが生じていると指摘
した 42)。
第 4 本件最高裁決定の法廷意見に対する批判
本件決定の法廷意見が、「親子関係等に関わる問題が生じ、社会に混乱を生
じさせかねないこと」と述べていることに関して、次のような批判がなされて
いる。
すなわち、「すでに現行法においても同様の『混乱』は生じうるという。た
とえば、2 号の非婚要件を充足するために婚姻を解消し、性別取扱い変更の審
判を受けた MtF について、婚姻解消の 300 日以内に元配偶者が出産した場合
である。民法 772 条によれば嫡出推定が及ぶはずであるが、これは懐胎の時点
を基準とするから、当時男性であった MtF は女性でありながら父であるとい
うことになる。あるいは、MtF が男性であったときに婚姻関係のない女性との
間にもうけ、認知をしていなかった子について、性別取扱いの変更後に認知を
行うことができるのか、できるとした場合、女性でありながら父ということに
なるのか、あるいは、認知には㴑及効があるから(民法 784 条)、3 号の子なし
要件を満たしていなかったとして性別取扱いの変更が無効になるのか、といっ
た問題がある。さらに、現在の人工生殖技術の発展に鑑みれば、性別取扱い変
更の前に精子や卵子を保存しておき、変更後にそれを用いて子をもうけること
42)さらに、本件補足意見は、生殖不能要件についての世界的な潮流として、「世界的に見
ても、性同一性障害者の法的な性別の取扱いの変更については、特例法の制定当時は、い
わゆる生殖能力喪失を要件とする国が数多く見られたが、(中略)現在はその要件を不要
とする国も増えている。」として、他の諸国での例をもって憲法違反の疑いの根拠として
いるが、それらの国々は同性婚を認めるなど性別選択の自由化が進んだ国々であって、必
ずしも我が国の実情に即したものとは言い難いものを例として挙げているのであって、適
切な理由とは思われない。ただ、この点については、紙数の関係もあるので別の機会に譲
り、本稿ではこれ以上は触れない。
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論説(城・小林)
も可能であり、これは特例法によっては防ぐことはできない。そもそも、補足
意見も認めるように、3 号の子なし要件が 2008 年に改正され、「現に未成年の
子がいないこと」とされた以上、20 歳以上の子については父=法的女性ある
いは母=法的男性であるという事態はすでに生じているはずなのである。」43)
と批判する。
たしかに嫡出推定や認知をめぐる問題については指摘されているとおりであ
ろう。しかし、それは懐胎と出産との間にタイムラグがあることや、同様に、
出産から認知までのタイムラグがあることから生じる問題で、その間に性別変
更手続がなされるという例外的事象には対応できないという問題でしかないは
ずである。また、「現に未成年の子がいないこと」に関する問題は、補足意見
に関して述べられているように、既に、「未成年の子」がいないことを条件か
ら外した段階で起き得る問題であって、このことが生殖不能要件の是非に直結
するものではない。
ただ、これらのことが起きるにしても、女性から男性に性別変更が認められ
た者が、実際に、出産をして子を産むという現実と、上記の例で挙げられてい
る法律の適用によって、かつての性に基づいて親子関係の問題が生じるという
のとは、本質的な違いがあると考えるべきであろう。最高裁の法廷意見も、こ
のような問題を想定して、「社会に混乱をもたらす」といっているのであって、
これを批判するために、些末な例外を挙げて、根本的な問題を否定するのは、
問題のすり替えであるとの批判がなされ得るものと思われる。
第 5 本件最高裁決定の補足意見に対する批判
1 生殖不能要件の設定が違憲であるとする見解からの批判
本件補足意見がかなり踏み込んだ指摘をしたことには好意的に評価しつつも、
「性同一性障害者の性別に関する苦痛は、性自認の多様性を包容すべき社会の
側の問題」とするに止めた点は、権利侵害の問題を最終的には社会的受容の問
43)春山習「性同一性障害者特例法における生殖能力喪失要件の合憲性」早稲田法学 95 巻 1
号 334 頁
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
題として捉えており疑問が残り、社会側の問題・混乱を理由に権利侵害を正当
化することはできず、端的に違憲とすべきであったとする見解 44)などがある。
2 生殖不能要件が合憲であるとする見解からの批判
まず、補足意見で述べられた1の点については、この論理は、確実な根拠に
基づく推定とはいえないものであり、性同一性障害があったのだから、元の性
による生殖活動は起きないだろうといっているにすぎないものである。実際の
ところ、性同一性障害者であっても、その障害の程度には差があるのが当然で
あり、やっぱり元の性のほうがいいと思って戻ろうとする者もいないはずはな
いのであって 45)、上記補足意見のように言い切っていいかはかなり疑問であ
る 46)。
次に、補足意見で述べられた2の点については、たしかに、性同一性障害者
が一定程度社会的に受け入れられていることや、その数が相当多数に上ってい
ることも事実として認められるといえるところだとは思われる。ただ、だから
といって、社会全体が、例えば、5 号要件に関してではあるが、外観と法律上
の性別の違いをそのまま受け入れているかどうかは疑問であるといわざるを得
ない。
すなわち、直ちに、性別適合手術を経ていない、つまり、身体的には全く元
44)前出濱口
45)「神奈川県茅ケ崎市の 40 代元男性は 2006 年、戸籍上の性別を女性に変えた。それをい
ま、強く後悔している。家裁に再変更の申し立てを繰り返すが、『訴えを認める理由がな
い』と退けられ続けている。」平成 29 年 10 月 29 日付け朝日新聞
46)同様に、「性同一性障害の当事者が、確信する性別から見て同性となる者と性交渉を持
ち、子をもうけるという例は少ない。」(渡邊泰彦「性別変更の要件の見直し─性別適合手
術と生殖能力について─」(産大法学 45 巻 1 号 65 頁)との主張もあるが、多いか少ない
かは評価の問題である上、その「少ない」という根拠も示されておらず、このことをもっ
て、「社会に混乱を生じさせかねないこと」に対する反論とはなり得ない。また、「ホルモ
ン治療により(中略)子が生まれるのはごく少数の事例に限られる。」(同上)としている
が、現在は、ホルモン治療を受けることなく性別適合手術を受けることも認められている
ことから、この主張はその前提を欠いているといえよう。
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論説(城・小林)
の性のままであるにも関わらず、戸籍上は異なる性として扱うのであれば、些
末な例であるとは思われるが、公衆トイレや銭湯なども戸籍上の性に従って立
ち入ることが可能であるとしなければ一貫性がないと思われる。
しかしながら、そのようなことまで現在の社会は容認していると見てよいの
か、例えば、女性が女性専用施設である女湯への立ち入りに関して、たとえ精
神的には女性であるにしても、外見上、男性そのままであったような場合に、
我が国の一般的な女性全員がこれを容認し、一緒に入浴するようなことを許容
するのかは疑問を禁じ得ないところである。これはこのような問題に声を上げ
ていない一般女性の人権を侵害することになるのではないかとの観点から問わ
れなければならない事柄である。
もっとも、この点については、性別特例法 3 条 1 項 5 号の外観具備要件に関
するものであり、本件補足意見の射程内の議論ではない。そのため、この点に
ついての問題点は、以下に改めて検討することとしたい。
IV 外観具備要件の撤廃を主張する見解及びその反論
第 1 法的見地からの議論の状況
1 外観具備要件の撤廃を主張する見解の概要
外観具備要件については、これを特例法から撤廃すべきとの意見は多い 47)。
その論拠とするところは、「法的性別取扱変更に動機付けられての病態性の獲
得やホルモン療法・手術を含む身体的介入による生殖能力喪失・外観の変更を
望ましいものとは言えず、特に特例法要件が本来本人の生活状態の向上には不
必要であった可能性のある手術や断種を動機付けてきたことは強く問題視され
なければならない。」48)とする見解や、「特例法は身体処分をした者について
のみ、性の自己決定を認めるものとなっている。このことは場合によっては、
47)前出渡邊 65 頁、國分典子「性同一性障害と憲法」愛知県立大学文学部論集 日本文化
科学編 52 号 9 頁、前出石嶋1 80 頁以下、前出石嶋2 104 頁以下等
48)前出石嶋1 80 頁
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
本来手術まで望んでいなかった者にまで手術を求めさせる傾向を生んでしまう
可能性があるのではないか。」49)との見解や、さらには、性別適合手術等の身
体的治療を要求することは、性別変更を望む性同一性障害者に対して身体的・
経済的負担が大きいといえるのではないか 50)との見解などが挙げられる。
更には、「外観具備要件に関して付言すれば、当要件は、男女別の施設処遇
等に際して、自己の自認する性に従って取り扱われることによる性別取扱変更
者本人の利益と、その周囲で本人に関わる者の利益(私的領域対私的領域)の
調整をはかる意義がある一方、社会秩序に依拠せざるを得ない基準によって性
が外部より判断できることから後者の利益が担保されることから、社会的秩序、
ないし社会的規範意識にある程度の信頼を確保する必要があり、従って外観具
備要件は、性別取扱を変更する本人の利益と当該社会的要請(私的領域対社会
的領域)を調節する働きも持つとされる。ここで留意すべきは、現行の第 5 号
要件が要請するのは外性器にかかる部位のみの外観の具備であり、外性器の形
状でその者が男/女であるかが予見し得ることによって個人の利益が保護され
る場面は極々限られる点である 51)。外性器の形状が社会生活上人の性別を予
見することにあまり寄与しない以上、男/女の別が外性器の形状によるという
社会規範を保護する現行第 5 号要件を維持する必要性は少ない。」52)と主張す
る。
49)前出國分 10 頁
50)大河内美紀「性と制度」法学教室 440 号 49 頁
51)このように言い切ってよいかは甚だ疑問である。温泉好きの女性は多いと思われるが、
令和元年度における温泉宿利用人数は、延べ人数であるが、126,529,082 人であり(令和元
年度温泉利用状況・環境省ホームページ)、このうちの半数が女性だとしても約 6,000 万人
に影響する事柄である。決して些末な問題ではないし、看過してよい問題ではないと思わ
れる。
52)石嶋舞「生殖能力と登録上の性別が乖離した場合に要される法的対応に関する一考察―
性同一性障害者特例法の改正を念頭に─(上)」(以下、「石嶋3」という。)早稲田法学 93
巻 4 号 128 ~ 129 頁。石嶋1 101 頁も同様。
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論説(城・小林)
2 上記見解に対する反論
もっとも、上記の各見解で指摘する問題点は、現行法の制定時においても考
慮されていた事柄であり、それらの不利益を考慮しても、なお現行法による制
約が妥当であるとされて立法化されたものである。そして、それらの主張を現
時点で考慮しても、外観具備要件を満たすことが性別変更の手続上不可欠との
立法過程における判断は、依然として妥当するといわざるを得ないのではない
かと思われる。
すなわち、前述したように、この要件が必要なものとして立法化されたのは、
公衆浴場や女性用トイレなどに関して社会生活上の混乱が生じることを懸念し
たものであり、これは「外性器の形状でその者が男/女であるかが予見し得る
ことによって個人の利益が保護される場面は極々限られる」と軽々に言えるよ
うなものではない。実際にそれらを使用する一般女性にとっては極めて重大な
ものであり、女性としての「個人の利益が保護され」なければならない場面に
他ならないのである。
このような社会生活上の混乱が生じる点に対する反論として、「具体的に、
公衆浴場以外の場で、社会生活上の混乱を生じる場面を想定できるでしょうか。
わたしたちは、社会生活の場面で、相手の性器の形状を問題にすることはまず
ありません。」、「公衆浴場の利用に限って言えば、当事者の利用マナーと周囲
への啓発によって解決するのが本筋であり、仮に国や自治体の判断が必要だと
しても、戸籍や住民票を根拠とするよりも、浴場や利用者に対して、実態に即
した指針を提示するのが筋だといえるでしょう。」53)とする見解や、「性器が
近似していないと、公衆浴場で男湯と女湯のどちらに入るのかという問題が生
じるという反論があるかもしれない。しかし、公衆浴場の入場の問題は、戸籍
上の性別ではなく、性別適合手術前(プレ・オペランティブ)か、手術後(ポス
ト・オペランティブ)かという、現在でも生じる問題である。」54)との見解が
ある。
53)野宮亜紀「プロブレム Q & A 性同一性障害と戸籍」124 頁
54)前出渡邊 67 頁
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
しかしながら、前者の見解は、単なるマナーと啓発で処理できるとして問題
を矮小化しているものとしか思われない。外観具備要件を不要とし、自己の性
自認に従って性別選択ができるのであれば、戸籍上、女性となる者の外観が男
性であっても 55)、自己の性自認が女性であるとする以上、女性用の浴場やト
イレの使用に当たっても、これを女性として扱わなければ、それはまさしく
「差別」に他ならない。これは単なるマナーや啓発で済む問題ではない。そも
そもマナーの内容であるが、男性器が残ったままの法律上の「女性」は、女性
用の施設の利用を差し控えるように指導するというマナーなのであろうか。
自己の性自認が女性であり、法的に「女性」と認められたのであれば、生物
学上の「女性」と全く同様に扱わなければならないのであり、外観の如何にか
かわらず、たとえ男性の外観と同一であっても、これを「女性」として受け入
れなければ、外観による差別を行うことになり、憲法 14 条に違反することは
明らかである。そうなると、そのような外観の法的女性を受け容れることに抵
抗がないという女性ばかりであれば問題はないが、果たして、現在の我が国の
女性一般の認識は、そのようなものであると言い切ってよいのであろうか。こ
の点は、心理学的分析が不可欠であり、後に検討することとする。
また、後者の見解は、その趣旨が不明確であるが、少なくとも、女性用の公
衆浴場に男性器を残したままの法的な女性が立ち入るという問題は、外観具備
要件が存する以上、現在は生じていない。そもそも性別変更の手続の有無と性
別適合手術の有無とは当然に別の事柄である。その主張が、性別適合手術後で
未だ性別変更の手続を経ていない者は、戸籍上は男性であるが外観は女性であ
55)前出石嶋3などでは、「外観変更の済んでいない法的女性」などの表現がまま見られる
が、外観具備要件を撤廃した上で、性別変更をするために自己の性自認以外に、「外観変
更」を要求するのであれば、自己の性自認が女性である男性が、男性機能や髭などの男性
としての外観を残したまま女性として生活するという場合は、「法的女性」として認めら
れないのかという問題を抱えている。少なくとも論者の立場であれば、自己の性自認を保
護する以上、この認識が女性であるなら、男性性器があっても、髭があっても、ホルモン
療法などを受けていなくて外観が男性そのものであっても、そのまま法的な女性として認
めなければ論旨が一貫しないものと思われる。
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り、このような者が女性用の施設を利用することも現時点であるのではないか
ということを意味しているのであれば、その点の問題はないであろう。要は、
戸籍上の性別変更よりも、その外観が重視されて当然の場面だからである。こ
れをもって外観具備要件が不要であるとの結論を導き出せるはずもないことは
明らかである。
第 2 心理学的見地からの問題の提起及び反論
1 心理学上の「恥ずかしい」という意識の位置付け
心理学では、「恥ずかしい」とか、「羞恥心」という一般用語について、無意
図的な、あるいは、自らの望まない苦境や逸脱を意識した際の情緒的な反応で
あるとしている 56)。羞恥心は、「恥ずかしい」、「気恥ずかしい」、「面目ない」、
「気詰まり」など様々な表現がなされる多義的な情動語であり、欧米での社会
心理学分野における羞恥心に関する研究英語では、これらの概念に対応する語
として、「embarrassment」、「shame」、「shyness」などが挙げられている。この
ような感情に関しては、長年、国内外において、その原理、発現状況、羞恥心
の喚起要因などについて、詳細な研究が蓄積されてきている 57)。
そもそも、羞恥心とは、人が他者からの評価により自己を否定される恐怖や
不安に対し、自己を防衛するための心理の表れであり、自己の存在を脅かされ
恐怖を経験させられることに対し、恥ずかしいという気持ちによって、危険を
回避しようとする点にその本質の一側面がある 58)。というのは、一見、恥ず
かしいということは単にそのような気持ちの表れであるかのように思われるか
もしれないが、恥ずかしさの故に、その行為を抑止しようとすることで、その
56)Buss, A. H. “Self-consciousness and social anxiety,” San Francisc: Freeman., 樋口匡貴「恥の構
造に関する研究」社会心理学研究 16 巻 103-113 頁(以下、「樋口1」という。)
57)前出樋口1 103-113 頁、有光興記「罪悪感、羞恥心と共感性の関係」心理学研究 77 巻
2 号 97-104 頁、薊理津子「恥と罪悪感の研究の動向」感情心理学研究 16 巻 1 号 49-64
頁、福田哲也、樋口匡貴「羞恥場面における観察者の行動が羞恥感情に及ぼす影響―公恥
状況における影響およびその影響プロセスの検討―」感情心理学研究 23 巻 3 号 116-122
頁
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
先にある危険を事前に回避しようとすることに意味があるからである。恥ずか
しいというのは、例えば、特に女性が裸体を見られる場合などに顕著に現れる
が、これは、その裸体を見られるということが、その次に発生する余地のある
身体に対する危害が加えられるかもしれないという恐怖心などから、事前の段
階で示す感情反応なのである。したがって、恥ずかしい気持ちが現れるような
場面では、必ず、その後、何らかの危険が生じるような場面が想定できるので
ある。この点について、恥は苦痛を伴い、劣等感、身が縮むような感覚、他者
から見られている感覚、肩身が狭い感覚、無価値感、無力感が付随し、自己を
無価値で非難されるべきものとして捉え、逃避願望が高まるものであることを
実証する調査研究も報告されている 59)。
2 羞恥心がもたらす反応の役割
先にも述べたように、心理学的には、防衛反応が羞恥心の本質にあることか
ら、恥ずかしいと感じる行為を避けるという行動をとる。見られたくない、聞
かれたくない、知られたくないという反応がなされることで、外部との接触を
断つことになる。そのことによって、他人が入り込む余地を減らし、自己がカ
バーしている領域の安全を守ろうという行動に出る。このことについて、気恥
ずかしさを頻繁に経験する人は、対人場面での相互作用を円滑に遂行できず、
視線を避けるなどの対人回避行動を引き起こすことも示されている 60)。
また、身体の性的特徴や性的行動が他者の視線に曝されることに強い羞恥を
58)Kitayama, S., Markus, H. R., & Matsumoto, H. “Culture, self, and emotion”: A cultural
perspective on “self-conscious” emotions. In J. P., Tangney, & K. W. Fischer (Eds.), Self-conscious
emotions: Shame, guilt, embarrassment, and pride. New York: Guilford Press. pp. 439-464, Leary,
M. R. 1983 Understanding social anxiety: Social, personality, clinical perspective. Beverly Hills,
California: Sage Publications., 菅原健介「シャイネスにおける対人不安傾向と対人消極傾向」
性格心理学研究 7 巻 22-32 頁
59)Lewis, H. B. “Shame and guilt in neurosis,” Madison, CT: International Universities Press,
Tangney, J. P. (1993) Shame and guilt. In C. G. Costello (Ed.), Symptoms of depression. New
York: Wiley. pp. 161-180.
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論説(城・小林)
感じてそれらを隠蔽しようとする性的隠蔽は、羞恥という苦痛を感じる状況か
ら自身を防衛するための逃避行動であり、羞恥心の根源的なものであるとされ
る 61)。人間の着衣の発展は、羞恥心によって引き起こされた、性器を隠蔽す
るための行動から発展したものであるという見解も示されている 62)。
したがって、この恥ずかしいという感覚に基づく行為は、頭で考える行動と
は異なり、瞬間的になされ、また、反射的になされるものであるとみなすこと
ができる。要は、理性でコントロールできるようなものではないという性質を
有するものである。
男性用トイレと女性用トイレを分けてほしいと女性が欲するのは、トイレの
中での無防備な姿を見られるのが恥ずかしい、トイレを使用している音を聞か
れるのが恥ずかしい、また、そもそもトイレを使用して排泄行為に及んでいる
ことを知られるのが恥ずかしいといった心理に基づくものであるが、それらは、
いずれも、そのような無防備、無抵抗な状態で襲われることを危惧しての感情
反応なのである。羞恥心を喚起する状況の一つとして性的状況の存在があるこ
と 63)や、男性に比べて女性の方が羞恥心が高いことを示唆 64)する研究もあ
る。
性差に関して、生物学的要因による筋骨格等の身体構成上の相違に起因する
エネルギー系の体力において、女性の筋力は男性の 60 ~ 80%程度であり、速
度要因も加えた筋パワーはではその差はさらに顕著である 65)。また、身体的
暴力や性的暴力に関する言説においては、男性(外見上男性とみられる人)は、
60)前出菅原 22-32 頁、Miller, R. S. “On the nature of embarrassability: Shyness, social evaluation,
and social skill,” Journal of Personality, 63, pp. 1061-1069, Edelmann, R. J. “Individual differences
in embarrassment: Self-consciousness, self-monitoring, and embarrassability,” Personality and
Individual Differences, 6, pp. 223-230.
61)菅原健介「人はなぜ恥ずかしがるのか―羞恥と自己イメージの社会心理学―」、角辻豊
「ヒトの羞恥心と着衣の起源についての一考察(笑いの意味の誤解との関連について)」笑
い学研究 10 巻 55-58 頁
62)前出樋口1 103-113 頁
63)前出樋口1 103-113 頁
64)有光興記「罪悪感、羞恥心と性格特性の関係」性格心理学研究 9 巻 2 号 71-86 頁
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性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律における生殖不能要件及び外観具備要件の合憲性に関し心理学的側面からの検討を含めた考察
女性に対して抑圧的な存在として、すなわち、何らかの少なからぬ脅威を感じ
させる存在として認識される傾向にあることが示されている 66)。つまり、女
性は、男性よりは物理的に弱い存在として、世に存する以上、その生存におけ
る必要性から羞恥心が生まれたものである。そうであるなら、この羞恥心を尊
重し、その感情を包容することで、その後の防衛行動にまで及ぶ必要性をなく
することができるのであって、女性として安全に暮らすことを保証することに
なるのである。
一時期、ジェンダーフリー教育ということで、小学生の男女を同じ部屋で着
替えをさせるなどという教育がなされたことがあった 67)。しかし、この試み
は、小学生の女子児童の強力な抵抗と、それを支える父母らの反対により廃止
されたということがある。女子児童にしてみれば、自己が無防備になる裸体に
近い状態を、男子児童にさらすことがいかに危険なことであるかを事前に察知
していたからこそ、その際に、恥ずかしいという感情が出て、着替えをするこ
とができないという行動に至ったものといえるのである。
このように、羞恥心の持つ役割は、女性が弱者として自己防衛を図る上で、
不可欠の要素なのである。単に、法律でこのようにしますから、恥ずかしいと
いう気持ちを持たないで下さいなどと指示できるようなものではない。女性と
しての生存を賭けた戦いに臨むために、防衛機能として羞恥心が働いているの
である。
たしかに、浴場での男性との混浴は些細な問題であると捉える向きもあろう
かと思われるが、心理学的観点からすれば、軽視することのできない事態であ
り、防衛本能を持つ女性に対する強圧的、人権侵害的な迫害であるといっても
よい事態であると評価できるものと思われる。
65)加賀谷淳子「体力の性差を踏まえた運動・スポーツ」学術の動向 11 巻 11 号 52-53 頁
66)Pain, R. “Social geographies of womenʼs fear of crime,” Transactions, Institute of British
Geographies, 22, pp. 231-244.
67)渡部昇一、新田均、八木秀次「日本を貶める人々―「愛国の徒」を襲う「売国の輩」を
撃つ」、山本彰編「ここがおかしい男女共同参画―暴走する『ジェンダー』と『過激な性
教育』」
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論説(城・小林)
おわりに
性同一性障害をめぐる問題は、性別の変更を希望する者が、それを取り巻く
社会との間でスムーズに生活していくために、医療界においても、また、特例
法の立法などにおいて法律界も尽力してきたものである。
たしかに立法に当たって種々検討したことが、その後における事情の変更に
より、改正が必要になる場合もあるとは思われるが、しかしながら、その一方
で守られるべき人権が存するのであれば、それを蔑ろにするわけにはいかない
であろう。
公衆浴場において、男性器を有したままの法律上の女性が、女性用の浴場で
入浴することを可能にする法改正を主張されている問題についても、多くの一
般女性がそれを容認しているといえるような状況があるのか甚だ疑問である。
前述したように、心理学的な観点からも女性の防衛機能としての羞恥心を侵害
するものに他ならないことなどを考慮すると、そういった女性の人権侵害を無
視し、単に、法律的に外観具備条件を撤廃することこそが人権尊重であるとい
われても、それによって畏怖、困惑する一般女性らの人権に対する配慮が欠け
ているのではないかと懸念されてならない。
実際にも、既に、女装した男性が女湯に入ったという事件が発生しているの
であり 68)、この事件では、当該男性には建造物侵入などの犯罪が成立してい
るが、同様の事態が法律上適法なものとして起き得るのであり、そのようなこ
とを一般女性が受け入れるとは到底思えないのであるが、それは時代遅れと批判されるようなことなのだろうか。