【HUNTER×HUNTER】真の黒幕は◯◯…!? クルタ族虐殺の真相を徹底考察【解説/考察】マンガ考察大学を見たうえで、クルタ族虐殺事件について考察。

クルタ族のルクソ地方が、インドのパンジャブ地方にある可能性指摘して、マフィアにクルタ族が虐殺された可能性と幻影旅団のサラサさんが、殺された話含めた動画の考察良かったよ。カキン帝国のモデルの可能性ある中国、エーイ一家は、関係ありえますね。


クルタとはパキスタンからインド東部に広がるパンジャブ地方で着用されるチュニック型の上衣。パジャマ型のゆったりしたシャルワ、または、膝下がぴったりしたチュリダルスと呼ばれるパンツを合わせる。衿、袖、裾などに鏡をくるんだ独特の美しい刺繍を入れたものなども有り、中近東の民族衣装として知られている。

https://apparelfashionwiki.com/?%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%BF



パジャマヒンディー語: पाजामा [pāy-jāma])とは寝巻の一種で、主に上下に分かれた西洋風のものを指す。英語では「ピージェイズ」(Pj's)ともいう。同じく西洋式の寝巻として、女性用のワンピース式のものにネグリジェがある。

語源

パジャマの語源ヒンディー語ウルドゥー語のパージャーマー(paayjaamaa पायजामा)である。ただし、これは民族服のズボンのみを指す(上衣はクルター英語版ヒンディー語版),kurtaa कुरता)。その語源はさらに遡り、脚用の衣服を意味するペルシア語のپايجامه(Payjama)から来ている。

歴史

インドに駐留していたイギリス人が寝巻として使用したことで、世界中に広まったといわれている[要出典]。

パジャマ出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

チュニックは米英等では婦人服だからクラピカちゃんは女性と思われる部分あるわけですよね、だけどクラピカちゃんは、クロロさんとの会話で女性であることを否定。
クルタ族のいるルクソ地方がインドのパンジャブ地方にある可能性が高いとすれば、クラピカちゃんの性別はヒジュラー「半陰陽両性具有者」と呼ばれる第三の性別である可能性ありますよね。
インドのイスラム教において移住を表すヒジュラと男性でも女性でもない第三の性性別)を表すヒンディー語・ウルドゥー語で「半陰陽両性具有者」を意味するヒジュラーの2つの意味がある。


ヒジュラアラビア語: هِجْرَة‎, hijrah ないしは hijra)は、622年イスラームの預言者であるムハンマドと彼に従うムスリムマッカからマディーナへ移住した出来事である。日本語では聖遷とも呼称される。

マッカでイスラームの布教を行っていたムハンマドと彼に従うムスリムは、クライシュ族などのマッカの住民から迫害を受けていた。一方、マッカの北方にあるヤスリブ(現在のマディーナ)は何十年にも渡る部族間抗争で疲弊しており、強力な調停者を必要としていた。620年に6人のヤスリブの住民がイスラームに改宗したことをきっかけにヤスリブのイスラーム化が進み、武力をもってムハンマドとイスラームを守る誓いも行われた。622年、ムハンマドはヤスリブより調停者として招待を受け、ムハンマドは70人余りのムスリムをヤスリブに移住させた後に、アブー・バクルと共に自らも移住した。

ヒジュラによってイスラーム共同体であるウンマが形成され、これは後のイスラーム社会や国家の原型となった。また、2代目正統カリフであるウマル・イブン・ハッターブによって定められたヒジュラ暦の起点にもなった。

なお、「マディーナ」はヒジュラ後に名付けられた都市名であるため、本稿ではヒジュラが行われて改名されるまでは旧称である「ヤスリブ」と表記する。

語義

ヒジュラとはアラビア語で「移住」「(鳥などの)渡り、移動」他を意味する語で、主に経済的理由や身の安全を求めるといった何らかの事情によりとある地から別の地、とある国から別の国へと移動することを指す[1][2][3]。また、今までの人間関係を断ち切って新たな人間関係に移ることも指す[4]。このほか、イスラーム用語としての意味は、多神教徒などを意味するシルク英語版)の支配にあり、宗教的迫害を受ける恐れのある地から、その心配がない地へ移住することを指す[5]

ヒジュラという単語は一般的には本稿で取り扱うマッカからヤスリブへのムハンマドやムスリムの移住を指すが、615年前後に行われたムスリムのエチオピアへの亡命や、イスラーム教徒の大征服の時代に征服地であるミスルでの戦いに参加することもヒジュラと呼ばれた。また、ムラービト朝においては外部から陣営に加わること、植民地時代のマグリブやインドでは非ムスリムの支配を逃れてムスリム支配地に移住することもヒジュラと呼ばれた[4][6]

ヒジュラ出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



ヒジュラーヒンディー語:हिजड़ा Hijḍā [hidʒɽa:])とは、インドパキスタンバングラデシュなど南アジアにおける、男性でも女性でもない第三の性性別)である。ヒジュラヒジュダとも呼ばれ、ヒンディー語・ウルドゥー語で「半陰陽両性具有者」を意味する。

ヒジュラーは通常女装しており、女性のように振舞っているが、肉体的には男性、もしくは半陰陽のいずれかであることが大部分である。宦官として言及されることもあるが、男性が去勢している例は必ずしも多くない。

歴史的には、古くはヴェーダにも登場し、ヒンドゥー教の歴史にもイスラームの宮廷にも認められる。その総数はインドだけでも5万人とも500万人とも言われるが、実数は不明である。2014年4月、ヒジュラーはインド政府によって第三の性として公認された[1]

アウトカーストな存在であり、聖者としてヒンドゥー教の寺院で宗教的な儀礼に携わったり、一般人の家庭での新生児の誕生の祝福のために招かれたりする一方、カルカッタ(コルカタ)ニューデリーなどの大都会では、男娼として売春を生活の糧にし、不浄のものと軽蔑されている例もある。

用語

ヒンディー語のヒジュラー(hijraの他hijira, hijda, hijada, hijara, hijrahともローマ字転写される)は以前はkinnarと呼ばれており、一部では彼ら自身のフォーマルな自称である。ヒンディー語でのより品のない俗語での呼び方ではchhakkaがある。

インド亜大陸中で同様の集団に対する多様な呼び名があり、それらは地域的な文化の違いから別々のアイデンティティを持つこともある。タミル・ナードゥ州ではaravanni, aravani, またはaruvaniと呼ばれ、パキスタンとインド両方で話されるウルドゥー語ではkhusraが使われる。その他jankhaという呼び方もある。

また、学問領域における「ヒジュラー hijra」という語は便宜上のものであり、19世紀後半から1980年代にかけては、前述のヒジュダ hijdaの他、ヒジャダ hijda、パワヤ pavayaなどの語が同様に用いられていた。なお、文化人類学者の国弘暁子によれば、英語におけるこの表記の定着は、マハーラーシュトラ州におけるヒジュラーの研究を行ったアメリカ人の人類学者セレナ・ナンダ英語版)が"Neither Man Nor Woman: The Hijras of India"(邦題:『ヒジュラ 男でも女でもなく』)を1990年代に発表したことが契機だったようである[2]

南インドでは性別を変える力があるといわれるw:Yellamma女神が信仰される。女装した男性信者をJogappaという。彼らの振舞いはヒジュラーに類似しており、誕生日の祝福や結婚式で踊ったり歌ったりする[3]

コティ(kothi または koti)という語はインド中で共通しているがヒジュラーとは区別されており、男性同士での性行為で女性的な役割をする男/少年を指し、彼らは大抵ヒジュラーたちとはインテンショナル・コミュニティーを違える。この様な人々はdurani (コルカタ)、menaka(コーチン)、[4] meti(ネパール)、zenana(パキスタン)とも呼ばれる。

これらの語は全て英語で"eunuch"(宦官)と呼ぶよりは相応である。

性とジェンダー

現代の西洋のジェンダー性指向の分類におさまりきらない集団であり、実際先天性半陰陽の者もいると言われているが、ほとんどは青年期以降に自らの意思でヒジュラの集団に加入し、そこで完全去勢を行った男性である。彼らは女性とも男性ともみなされず第3の性として扱われる。英語を話し西洋文化に影響された者は自らをトランスジェンダー性転換して女性になったと自認することがある。

殆どが性別適合手術は受けず、「真の」ヒジュラーとなるために去勢を受けることがある。

性行為で女性的な役割をする男性はコティと呼ばれヒジュラーとは区別される。コティは女性として振舞い、女物の服を着て、女言葉を話す。

ヒジュラーの中には男性と関係を持ち、結婚にまで至る者もいる[5]が、通常は法律や宗教により認められない。 性的または精神的に男性のパートナー(例えばバングラデシュではpanthi、デリーではgiriya、コーチンではsridhar)を持つ点で共通する[4]。西洋の受動的な男性同性愛者と性的アイデンティティーが重なるが、ストーンウォールの反乱以前の女性的なジェンダーのアイデンティティーを持った"queens"により近いと考えられる。

ヒジュラーとなる過程

ヒジュラーになる人物は導師たるリーダーグルと弟子たるチェーラの間の関係に特徴づけられる「ヒジュラーの家族」となる過程を通して次第に女性的になっていく。グルはチェーラに自身の姓を与え、自分の娘の様に扱い、構成員はお互いを女性名で呼び合う。チェーラはグルへ自分の収入を施し、通常は3人から15人ほどでひとつの家庭のように生活している。

ヒジュラーとなる過程の最終段階は完全去勢を含む宗教儀式である。ヒジュラーの去勢手術はニルヴァン(転生)と呼ばれ、ヒジュラーの仲間の手により、麻酔、止血、縫合など一切なく、ナイフにより陰茎睾丸を切除するという原始的な方法で行われる。しかし最近では、病院で医師の手により全除精術を受ける場合もあるという。全てのヒジュラーが去勢するとは限らず、去勢を受ける割合は知られていない。

近年では造膣手術が可能となったがヒジュラーではそのようなケースは珍しい。

その他

インドの鉄道女性車両に乗車できる。

脚注

[脚注の使い方]^男性でも女性でもない“X” インドが「第三の性」を公認する理由”. 毎日新聞. 2021年11月1日閲覧。
^ 國弘暁子 (2005). “ヒジュラ--ジェンダーと宗教の境界域”. ジェンダー研究 8: 31-54. ISSN 13450638.
^ Bradford, Nicholas J. 1983. "Transgenderism and the Cult of Yellamma: Heat, Sex, and Sickness in South Indian Ritual." Journal of Anthropological Research 39 (3): 307-22.
^ a b Naz Foundation International, Briefing Paper 3: Developing community-based sexual health services for males who have sex with males in South Asia. August 1999. Paper online アーカイブ 2015年10月18日 - ウェイバックマシン (Microsoft Word file).
^ See, for example, various reports of w:Sonia Ajmeri's marriage. e.g. 'Our relationship is sacred', despardes.com


参考文献石川武志『ヒジュラ―インド第三の性』青弓社、1995年
セレナ・ナンダ著、蔦森樹・カマル・シン訳『ヒジュラ 男でも女でもなく』青土社、1999年


関連項目緊那羅


外部リンク



LGBTポータル
プロジェクト LGBTインド亜大陸におけるヒジュラー(写真) by Takeshi Ishikawa

ヒジュラー出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヒジャダ・サマジ(連合)は南部グジャラー
ト村落の連合を指すとヒジュラ:ジェンダーと宗教の境界域
国弘 暁子さんの論文にあることから、アニメハンターハンターのクルタ族の村はインド南部グジャラート村落にある可能性が高い。

http://www.igs.ocha.ac.jp/igs/IGS_publication/journal/8/journal08031.pdf


1.はじめに
インドのヒジュラ hijra とは、男でも女でもなく、世俗社会の規範を捨ててヒンドゥー女神へ帰依する
人々を指し、独特のパフォーマンス(しぐさ、女装、しゃべり方等)を共通項とする擬似的親族共同体
を構成する人々を指す名称である。何らかの身体的同一性(生まれながらの半陰陽など)を備えておら
ず、そのメンバーの大半が去勢を通じて所与としてのジェンダーの超越を計る。さらに、インド社会に
おける「男性」「女性」というセックス╱ジェンダーカテゴリーとの差異化を企てることにより、女神の
バクト bhakt(帰依者、崇拝者)としてのアイデンティティを構築している。しかし、西洋近代的思쬠の
眼差しにより、ヒジュラはジェンダー化された身体をもつことが前提とされ、その結果、西洋における
性的逸脱者と同様に表象されてきたという歴史をもつ。
ヒジュラ hijra という名称は今日学問領域一般に通用する用語であり、インド全土に存在するものと
して想定されている。しかし、ヒジュラという名称はインド全地域でみられる共通語では決してない。
本研究の対象地域のグジャラート州では、ヒジャダ╱ヒジャド(hijada 複数形/hijado 単数形)、パワイ
31
ヤ╱パワイヨ(paavaiyaa 複数形/paavaiyo 単数形)
ⅰ、ファトダ╱ファトド(faatda 複数形/faatdo
単数形)というヒジュラに相当する三つの民俗語彙が見られ、よって、ヒジュラという名称は学問領域
における便宜的な用語として一人歩きしてしまっているといえる。事実ヒジュラは、19世紀後半から1980
年代にかけての論文、雑誌等においては、ヒジュラ hijra(Russell, Bahadur, Lal 1916; Opler 1960;
Salunke 1976;Kroeber 1989)、ヒジュダ hijda(Faridi 1899;Enthoven 1922)、ヒジャダ hijada(Shah
1961;Patel 1988)、パワヤ pavaya(Bhimbhai 1901;Enthoven 1922)など様々な名称で登場していた。
ヒジュラ hijra という表記が初めて学術論文に登場したのは人類学者モーリス・オプラー(Morris
Opler)の論文(1960)においてであり、90年代に入りアメリカの人類学者セレナ・ナンダ(Serena Nanda)
の民族誌 “Neither Man nor Woman:the Hijras of India”(1990;1999) が出版されて以降、ヒジュラ
hijra という英表記がインド全土の共通語として定着してきた感がある。ナンダはマハラシュトラ州ボン
ベイ市で調査を実施しており、ヒジュラ hijra という表記はその地域の言語に基づいたものとも推測で
きる。しかし、同じマハラシュトラ州におけるヒジュラの歴史を研究したローレンス・プレストン(Laur-
ence Preston)は、ヒジュラ hijra とは音声に基づいた表記であるとしⅱ 、現地語に即したヒジュダ hijda
という英表記を文中で用いている(Preston 1987)。つまりヒジュラ hijra という英表記は、元来はマハ
ラシュトラ州で使用されている語の音声表記であり、後に学問上の公用語と化したと쬠えられる。
グジャラート語彙にはヒジャダ╱ヒジャド、パワイヤ╱パワイヨ、ファトダ╱ファトドという三つの
名称が存在するが、そのうちファトダ╱ファトドは口語としての使用頻度が高く、多少軽蔑の意味合い
も含む。一方、ヒジャダとパワイヤという名称は、一般の人々の間で用いられることもあるが、グジャ
ラートのヒジュラの間では、ヒジュラ・コミュニティー内部を区分するサマジ samaj(連合)の公式名
称として機能している。サマジとはカースト内婚単位を示す場合もあるが、ヒジャダとパワイヤのサマ
ジに関しては連合という意味で捉えるのが適当と思われる。パワイヤ・サマジ(連合)は主として北部、
及び北西部グジャラートの村落に住む者たちの連合、そしてヒジャダ・サマジ(連合)は南部グジャラー
ト村落の連合を指す。居住する村落名称を尋ねることにより所属するサマジ(連合)も自明となるが、
村落名称以外にも、個人名を見ることでどちらのサマジに属するかを見分けることができる。パワイヤ・
サマジ(連合)に所属する者の場合、頭あるいは後ろに paavaiyaa と記し、個人名と師の名を列記す
る。そして両者の名前の語尾としてデ deまたはデヴィdevi(女神)を付ける(e.g.paavaiyaa 名+de 師
の名+de)。ヒジャダの場合も個人名と師の名前を列記するが、両者の名の語尾にはクンワル kunvar(独
身女性を意味する語)を用いる(e.g.名+kunvar 師の名+kunvar)。パワイヤとヒジャダは外見から
も多少区別がつき、どちらもインド女性の様相ではあるが、パワイヤはヒジャダのように口紅をつける
といった華美な格好をしないとパワイヤは言う。またパワイヤの中には、ヒジャダはパワイヤを源とし
て派生し、イスラム教徒となり、それ故自分たちよりも下であると見なす者もいる。本研究は、ヒンドゥー
女神寺院で知り合ったパワイヤと生活を共にした参与観察を実施し、そこから抽出されたデータが研究
の土台を成すものである。そのため筆者は、パワイヤによるヒジャダ・サマジ(連合)の宗教生活に関
する発言を今の段階では検証することはできない。しかし paavaiyaa とはサンスクリット語起源、hi-
jada はアラビア語・ペルシア語起源をもつことからも
ⅲ、ヒジャダとイスラム教との関連は完全に否定で
きないと言える
ⅳ。パワイヤ・サマジ(連合)に属する者とヒジャダ・サマジ(連合)の者は、互いのサ
マジ間を行き来することは通常可能であり、メンバーの中には擬似的親族の絆を結んでいる者もいる。
国弘暁子 ヒジュラ:ジェンダーと宗教の境界域
32
しかし、2003年12月に再度現地を訪れた際、パワイヤ・サマジ(連合)と一部を除いたヒジャダ・サマ
ジ(連合)間の関係悪化のために両サマジ(連合)間の行き来は途絶えていた
ⅴ。
本稿では、ヒジャダ╱ヒジャド、パワイヤ╱パワイヨ、ファトダ╱ファトドというヒジュラに相当す
るグジャラートの民俗語彙が存在する事実を踏まえつつも、これまでの学問領域の中でヒジュラという
名称による表象の歴史的流れをも쬠察対象とするため、今日一般に認知されているヒジュラという用語
を以下は採用することとする。その上で、パワイヤ・サマジ(連合)に属するヒジュラ側の視座と、ヒ
ジュラの存続を支える村落社会側の視座の両方を捉えた参与観察データをもとに、ヒジュラのジェン
ダーと宗教性についての쬠察を行う。ジェンダー規範が及ばない宗教的次元において、男でも女でもな
いヒジュラが、他者との絶え間ない交渉によりヒジュラとしてのアイデンティティを構築していく様を
分析していく。まず第二章では、先行研究におけるヒジュラのジェンダーに関する議論の問題点を指摘
し、そこからヒジュラの宗教性に関する議論へと導く。第三章において調査地の概要を述べた後に、第
四章にて女神のバクト(帰依者)としてのヒジュラが形成するサブカルチャーの存立構造について論じ
る。第五章では、ジェンダーの境界線上に立つヒジュラが、自らの宗教性を前景化することにより、い
かに自らのアイデンティティを構築するかについて쬠察を行う。
しかし、2003年12月に再度現地を訪れた際、パワイヤ・サマジ(連合)と一部を除いたヒジャダ・サマ
ジ(連合)間の関係悪化のために両サマジ(連合)間の行き来は途絶えていた
ⅴ。
本稿では、ヒジャダ╱ヒジャド、パワイヤ╱パワイヨ、ファトダ╱ファトドというヒジュラに相当す
るグジャラートの民俗語彙が存在する事実を踏まえつつも、これまでの学問領域の中でヒジュラという
名称による表象の歴史的流れをも쬠察対象とするため、今日一般に認知されているヒジュラという用語
を以下は採用することとする。その上で、パワイヤ・サマジ(連合)に属するヒジュラ側の視座と、ヒ
ジュラの存続を支える村落社会側の視座の両方を捉えた参与観察データをもとに、ヒジュラのジェン
ダーと宗教性についての쬠察を行う。ジェンダー規範が及ばない宗教的次元において、男でも女でもな
いヒジュラが、他者との絶え間ない交渉によりヒジュラとしてのアイデンティティを構築していく様を
分析していく。まず第二章では、先行研究におけるヒジュラのジェンダーに関する議論の問題点を指摘
し、そこからヒジュラの宗教性に関する議論へと導く。第三章において調査地の概要を述べた後に、第
四章にて女神のバクト(帰依者)としてのヒジュラが形成するサブカルチャーの存立構造について論じ
る。第五章では、ジェンダーの境界線上に立つヒジュラが、自らの宗教性を前景化することにより、い
かに自らのアイデンティティを構築するかについて쬠察を行う。
2.学問領域におけるヒジュラ
2.1.性的逸脱者としてのヒジュライメージ
19世紀の西洋で性科学が誕生し、それにより生み出されたヘテロセクシュアル、ホモセクシュアルと
いった範疇は異常な性を排除することに結びついていたが(Foucault[1976]1990)、そのような西洋近
代的思쬠は、英国植民地支配下のインドにも影響を及ぼしていた。非西洋の他者は西洋の類的言語によ
り範疇化され、その結果として、性的逸脱としてのラベルを宛てがわれたものには、支配者側の道徳的
規範に乗っ取って矯正されるか、あるいは排除される道しか残されていなかった。例えば、インド古典
文学作品の中には同性愛的モチーフを扱ったものが見られたが、英国植民地時代において、それらの作
品は新たにもたらされた基準のもとに書き換えられたという歴史的事実が検証されている(Vanita
2002;Kugle 2002)。ヒジュラに関しても例外ではなく、西洋からの支配者によりヒジュラは性的逸脱者
として捉えられ、排除する手段がヒジュラに対して講じられた。1987年以前のインド西部における徴税
官や商人等が残した資料を取り扱ったローレンス・プレストンは、「公共における礼儀正しさ(public
decency)」という名目の下、東インド会社の役人が、性的に逸脱したヒジュラを公共の場から追放して
いくに至る過程を分析している(Preston 1987)。
植民地時代には様々なカースト研究的な刊行物が編纂されており、その中でヒジュラもコミュニ
ティーの一つとして登場している。それらによれば、ヒジュラとはヒンドゥー教徒、あるいはイスラム
教徒のどちらかであり、去勢をした男性として描かれている(Bhimbhai 1901; Faridi 1899; Russell
1916)。インド独立以降も、ヒジュラが逸脱した存在として主題化される傾向は引き継がれ、主として性
に係わる観点から、制度化された同性愛者 institutionalized homosexuals(Carstairs 1958)、両性具有
者 hermaphrodites(Opler 1960)、去勢者コミュニティthe eunuch community(Mukherjee 1980)、
ジェンダー研究 第8号 2005
33去勢をした異装者eunuch-transvestites(Jani and Rosenberg 1990)などと表象されていた。

2.2.ジェンダー研究に登場するヒジュラ

1980年代後半に入り、アメリカの人類学者セレナ・ナンダ(Serena Nanda)が、ジェンダー研究の領

域においてヒジュラの存在を取り上げる。ナンダは、씗制度化された同性愛者>というヒジュラに負わさ

れた表象を否定し

ⅵ、ヒジュラが男でもなく女でもないというジェンダーの曖昧さに着目した(Nanda

1999, p.12)。ヒジュラ研究に着手する以前のナンダは、文化とジェンダー役割という問題に関心をもち、

1970年代はアメリカのゲイ・レズビアンカップルを対象とした調査を実施していた。文化的多様性への

関心から、インド社会におけるヒジュラの存在にも注目するようになり、1980年代に入り、インド・ボ

ンベイのスラム地域において本格的なヒジュラ研究に取り組むようになった(Nanda 1992, p.9)。そし

て、ヒジュラ側の視座を取り入れた研究を長期に渡って成し遂げた。ナンダの民族誌“NeitherMan nor

Woman:the Hijras of India”(1990;1999)(訳書『ヒジュラ:男でも女でもなく』、1999年)は、人類

学的研究に大きく貢献したとして評価されている(Cohen 1995,p.276;Hall 1995,p.29)。ナンダの民族

誌の特徴は、四人のヒジュラのライフヒストリーがそれぞれ独立した章を成している点で、その最終章

では、インド以外の文化にも存在する씗代替的ジェンダー役割alternativegenderroles>が取り上げら

れ、それにより西洋における二元的ジェンダー枠組みの普遍性に挑戦しようとする。ナンダによれば、

西洋文化は制約を課すキリスト教の影響を受けているために寛容性に欠けるが、一方、インドのヒン

ドゥー教やイスラム教の文化は、씗制度化された第三のジェンダー役割an institutionalized third gen-

der role> をも吸収してしまう受容力をもっている(Nanda 1985,p.50;1999,pp.19-20)。またナンダは、

ヒジュラの去勢がもつ意味を重視し、そのプロセスについて詳細な記述や、去勢の文化的意義の分析も

行っている。ナンダによれば、ヒジュラを真のヒジュラたらしめるものが去勢であり、ヒジュラが女神

の信徒として宗教儀礼を担う上でも去勢が重要なファクターとなっている(Nanda 1999,p.24)。ナンダ

が調査対象としたボンベイのスラム地域に住むヒジュラは、売春を主たる生業としており、ヒジュラが

売春に頼らざるを得ない要因は二つの歴史的背景にあるとナンダは述べている。ナンダは次のように言

う。独立以前のインドにおいて、ヒジュラは地方王権より土地や特別な権利を受け取っており、また、

ムガル宮廷で多くのヒジュラが採用されていたために、次第に確固たるサブカルチャーとして台頭した

(Nanda 1992, p.12)。しかし独立後は地方王権が廃止されたためにパトロンからの収入源がなくなり、

ヒジュラの経済状況は悪化した(Nanda 1985,p.49)。その上、ヒジュラの超自然的な力を否定するよう

な西洋的価値観の普及も進み、また少子化も加速し、生命誕生の祝福儀礼を行うという女神の仲介者と

しての正当な生業も成り立たない状況にある。よってヒジュラは売春に頼らざるを得ない状況に追い込

まれたとナンダは主張する(Nanda 1985, p.49;1996, pp.414-415;1999, pp.48-52)。

ナンダの数々の論文において、씗西洋文化>対씗非西洋文化>という異文化比較の姿勢が一貫して見ら

れるが、おそらくその傾向は、彼女がかつてアメリカ社会のゲイ・レズビアン研究に従事していたとい

う彼女自身の経験に基づくものであると思われる。ナンダはその異文化比較により、西洋文化圏には存

在しないもう一つのジェンダー役割を担うヒジュラを浮かび上がらせ、西洋の二元的ジェンダー枠組み

の普遍性に挑戦しようと試みる。ヒジュラの役割は文化的多様性のモデルを提供するものであり、その

モデルを提示することにより、伝統的に規定されたセックス╱ジェンダーの二元的範疇が文化的構築で

34

国弘暁子ヒジュラ:ジェンダーと宗教の境界域あることが証明され、また、既存の規定カテゴリーに適合しない個人を受け入れるための柔軟性が西洋

人に与えられるであろうと、ナンダは쬠える(Nanda 1996, p.417; 1999, p.149)。ヒジュラに関する具

体的データの開示により、西洋に見られる二元的ジェンダー規範の普遍性を覆そうとするナンダの企て

は一見成功したかのように見える。西洋の二元的ジェンダー規範が文化的構築物であることを証明する

ために、インド以外にも見られる第三的なジェンダー役割を取り上げ、씗代替的ジェンダー役割>という

議論を立ち上げた。しかしナンダは、ヒンドゥーの歴史的神話に立ち返り、ヒジュラの正統性を見極め

ようとするその行為によって、씗第三のジェンダー>としてのヒジュラ像を実体化し、そのためにヒジュ

ラに係る重要な問題をはぐらかしてしまう結果を招いていると思われる。ヒジュラ自身が語る「男でも

女でもない」という表現を、もう一つのジェンダーという概念に安易に結びつけるのではなく、その発

言の意図するところを丹念に汲み取り、インドの社会文化的環境に立ち戻ってその発言を文脈化する必

要があろう。

ナンダの民族誌以降、第三のジェンダーというカテゴリーを用いたヒジュラ理解を踏襲する記述も見

うけられるが(e.g. Lakshmi and Kumar 1994,p.71)、しかし、ヒジュラを第三なるものとする見方に

否定的な議論が登場する。例えばアヌジャ・アグラワル(Anuja Agrawal)は、ヒジュラに関する文献

研究を行うことを通じて、ヒジュラを第三のジェンダーとして確立させる要素を探り出そうと試みるが、

その結論部において、ヒジュラがどこまで第三のジェンダーとして規定できるかという問題に疑問符を

提示している。アグラワルはまず、インド社会が代替的ジェンダーをも吸収してしまう寛容な社会であ

るとする見方に対して否定的な意見を述べる。ヒジュラは去勢により適切な身体を取得するという犠牲

を払うことが要求され、また女性のような外見のヒジュラとして生きる道しか許されない点を쬠慮する

と、はたしてインドが代替的ジェンダーの存在を認める寛容な社会といえるのだろうかと疑問を投げか

けている(Agrawal 1995, p.292)。その上でアグラワルは、第三のジェンダーというものの存在に関し

ても否定的見解を見せる。ヒジュラが取り入れている文化的シンボルは、女性的あるいは男性的女性的

要素の混合であり、その混合によるシンボルからは、ヒジュラが二元的ジェンダー枠組みの外部という

よりもむしろその内部に存在していると言えると主張する(Agrawal 1995, p.292)。ヒジュラの文化的

シンボルに関する指摘により、インド社会におけるジェンダーの複数性そのものを否定するにはいたら

ないかもしれないが、第三のジェンダーが他の2つのジェンダーからどの程度独立したものなのかとい

うことが問われるべきであるとアグラワルは述べている(Agrawal 1995, p.292)。

インドのヴァナラシで調査を行ったローレンス・コーエン(Lawrence Cohen)は、ヒジュラとジャ

ンカJankha、そしてオマーンのトランスセクシュアル・カテゴリーのハンニースxanithの3つのグ

ループを対比させ、性差という問題について論じる。コーエンによれば、インドのジャンカとは広くは

ゼナナzenanasとも称される女装の男性を指す名称で、去勢を行わない点でヒジュラとは異なる。その

ジャンカのアイデンティティを追究することにより、インドが三つのジェンダー・システムをもつ社会

であるという安易な理解を覆すことができるとコーエンは쬠える。ジャンカとヒジュラとは時として対

立することもあり、その際にヒジュラは、去勢をしていない男性のジャンカに対抗して、自らを男でも

なく女でもない第三的なものとして明確にジャンカから区別する(Cohen 1995, pp.286-287)。しかし

コーエンは、ヒジュラを第三なるものとして実体化することに対して批判的な意見をもつ。ヒジュラを

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ジェンダー研究第8号2005単に性的な存在としてとらえるのではなく、性差の問題が、父系、世代、経済といった序列を生み出す

他の社会的差異と関連していることに着目することが重要であると提言する(Cohen 1995, p.295)。

コーエンの提言を引き継ぐ形でヒジュラの研究を行ったのがガヤトリ・レディ(Gayatri Reddy)で、

彼女は南インドのハイデラバード市においてヒジュラの参与観察を実施している。レディは、ヒジュラ

のアイデンティティを様々な観点(例えばセクシュアリティ、ジェンダー、クラス、宗教)から探ろう

と試みるが、それぞれのテーマがある程度独立した形で議論が進められているため、互いの関係性を見

えにくくしてしまっていると言える。ヒジュラのジェンダーに関して論じる章においては、ヒジュラは

男でもなく女でもなく、しかしそのどちらでもあるような中間的な性であるという着地点で終えてし

まっている。レディは씗第三のジェンダー> という概念を否定しているが、しかし、その概念とヒジュ

ラを中間的な性として捉える彼女自身のスタンスとはさほど違いはないと言える。ヒジュラを「男性」

と「女性」から成り立つジェンダー枠組みの内側に据えるか、その二元的ジェンダー枠組みの外脇に据

えるかという僅かな違いでしかないのである。

以上、ヒジュラというテーマは、これまでジェンダーの問題にすべて回収されているために議論の進

展が何ら見られていない。ジェンダー研究の領域でヒジュラを取り上げたナンダは씗第三のジェンダー>

という概念を提唱し、それは後に複数の学者により否定されるが、しかし、ヒジュラが男でもなく女で

もないというナンダの着眼点が追究されることなく、ヒジュラに係る議論は「男性」「女性」という二元

的ジェンダー枠組みの内部に差し戻されてしまっている。本稿中のヒジュラの文化に関する第五章で提

示する擬似的親族関係や、身近な他者と結ぶ擬似的兄妹関係等に関する調査データによれば、ヒジュラ

は「男性」「女性」の両方の役割を担っており、確かに二つのジェンダーにより構成される枠組み内部を

行き来していると言える。しかし、ヒジュラの宗教的実践に着目すると、ヒジュラを二元的ジェンダー

枠組のみで捉えることが難しくなる。つまり、女神への帰依者とされるヒジュラが、宗教的実践により

聖と俗の境界域と切り結ばれる時、ヒジュラは男でもなく女でもなく、人々を二分化するジェンダーの

次元を超越したところで生きられていると言える。よって、ヒジュラに関する研究には、ジェンダー次

元の쬠察だけではなく、あの世とこの世が交わる宗教の場への着目が不可欠であり、ジェンダーの境界

線と聖と俗の境界線との接点において見せるヒジュラの씗両義性> が重要な意味をもつのである。

2.3.名付けの暴力と他性の言語

ヒジュラと称される人々が抱える씗両義性> の問題は、ジェンダーのみが焦点化される研究姿勢が見

えにくくしているのみならず、観察者の言語行為そのものによっても覆い隠されてしまっていると言え

る。つまり、被観察者たちが彼岸において行う日常的実践に関して、観察者が自らの尺度に照らし合わ

せ、自らがもつ近代タクソノミーを用いた安易な理解を提示するために、ヒジュラが未だに性的逸脱者

のイメージを背負い続けなければならないのである。学問領域において、これまでヒジュラという語で

名付けてきた観察者側の言語行為を、今一度検証すべきではないだろうか。

http://www.igs.ocha.ac.jp/igs/IGS_publication/journal/8/journal08031.pdf
ヒジュラ:ジェンダーと宗教の境界域
国弘 暁子