クラインフェルター症候群(XXY-male)のよくある誤解ネクスDSDジャパンネクスDSDジャパン2024年8月18日 19:08. アンドロゲン不応症(AIS)等のXY女性はなぜ女性(female)に生まれ育つのか?ネクスDSDジャパンネクスDSDジャパン2024年4月7日 22:07. DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)の新基礎知識Q&AネクスDSDジャパンネクスDSDジャパン2024年2月8日 21:54等ネクスDSDジャパンネクスDSDジャパンさんの資料PDF魚拓
フェミニズム運動をはじめジェンダー論が盛んに叫ばれている。現代社会において、「性差(gender)」というトピックになると、条件反射的に意見の分断が起きてしまってはいないだろうか。そこで男女観や多様性を考える際の一助となるのが、「性差」について「gender」ではなく「sex」の視点で捉え直すことかもしれない。
「本来の自然に戻る」という観点をもとに、生物学的視点から「性差(sex)」について、令和のいまだからこそ考えてみたい。
世界的ベストセラー『生物と無生物のあいだ』を執筆した生物学者・福岡伸一氏が、社会的に獲得した"ジェンダー"ではなく、生まれ持った"セックス"から問い直した男女の差とは――。
※本稿は月刊誌『Voice』2020年7月号に掲載されたものです。
アダムの骨からイヴができたのではない
巣ごもり生活を強いられるようになって、あらためて男と女の行き違いに直面して戸惑っておられる人たちも多いのではないだろうか。
この論考の結論を先にいえば、男性のアダムがイヴをつくったのではなく、女性のイヴがアダムをつくった。そして、イヴによってつくられたアダムは、イヴにとっては使い走りでしかなく、ツールでしかなかった。しかし……、ということになる。
フランスの哲学者、シモーヌ・ド・ボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」といった。つまり、社会が女という役割を女に押し付けていると指摘したのだが、生物学的にいうと、じつは、これは男のほうにこそあてはまる。「生物は男に生まれるのではない、男にされるのだ」と。
つまり、生物は、女性のほうが基本形であって、男性は付録のようなものである。付録は酷使される。その実例について見てみよう。
コオイムシという小さな昆虫がいる。黒いカメムシみたいな虫で、沼や湖など、水辺に棲息する。鎌型の前脚を使って、他の虫や小さな貝、あるいはメダカみたいな小魚をつかまえて食べてしまう肉食性の昆虫である。
ところがその生活の様子を見ると、とても興味深いことがわかる。お父さんが、逃れられない義務として、必死に子どもを守っている。
人間の家庭なら、イクメンが増えたとはいえ、未だに赤ちゃんのお世話はもっぱらお母さんがしているけれど。コオイムシはそれがお父さんの仕事と決まっているのだ。強制的に。
人間のお父さんなら、ほうっておくと、すぐにちょっとものを買いに行くだとか、友だちと飲み会があるとか、仕事が忙しいとかいって、子育てから逃げてしまいがちである。たぶんコオイムシのお父さんも「できれば子守りなんて面倒なことはしたくないなあ」と思っているはずなのだ。
そこで、コオイムシのお母さんは一計を案じた。お父さんが子育てから絶対に逃げられないようにしてしまったのである。それはこういう方法だった。コオイムシのメスはオスと交尾したあと、卵をたくさん生む。
白い米粒のような卵である。卵を生むときメスはまずオスをつかまえる。そしてオスを押さえつけて、オスの背中に卵を生み付けてしまう。卵をオスの背中に貼り付けてしまうのだ。
このときの接着剤がすごいのである。接着剤は、メスが卵を生むときに、お尻から出す粘液性のタンパク質なのだが、これはおそらく史上最強の瞬間接着剤だ。
この接着剤を卵の一端に塗って、卵を順にオスの背中にしっかり貼り付けていく。ざっと50個くらいもある。オスにしてみたら、たぶん重いし、うっとうしいと思う。でも、いったん貼り付いたら、この接着剤は絶対とれない。背中を振ろうが、石に擦り付けようがびくともしない。
しかたがないので、オスのコオイムシは卵を背負ったまま、つまり、子どもたちを外敵から守りながらそのまま子守り生活をする。もし卵が、そのあたりの水草に生み付けられていたら、ザリガニとか魚がやってきてすぐに食べられてしまうかもしれないが、お父さんの背中に乗っかっていれば安全だ。
敵が来てもほいほい逃げてくれる。こうして数週間ほど卵を守ると、そのうち卵から子どものコオイムシがつぎつぎと生まれてくる。子どものコオイムシは小さいながらもう鎌型の前脚をもっているので、ここから先は、自分で小型のエサをつかまえてすぐに自活するようになる。
そうするとようやくお父さんの役割も終わり。「肩の荷を下ろす」とはまさにこういうこと。すると不思議なことに、このころになると、卵の抜け殻も自然とお父さんの背中から外れるようになる。そしてまた季節が来るとオスはメスに卵を背負わされてしまうのだ。
なので、郊外の田んぼや小川のほとりを注意深く観察すると、卵をたくさん背負ったコオイムシのオスがちょろちょろしているのを見つけることができる。
その姿はユーモラスですらある。背中に白い小荷物をいっぱい背負って、あせあせしている感じである。これが「コオイムシ(子負い虫)」の名の由来だ。地方によっては、子を背負う姿をカエルに見立てて、ケロ、と愛称をつけられているところもある。
さらに驚くことに、メスがオスの背中に産み付けた卵は、かならずしも交尾をしたパートナーのものではない場合があるのだ。
メスは、あたりをうろついている手近なオスをつかまえて卵を貼り付けてしまう。だから、オスは自分の子どもではない子ども(卵)を背負ってあくせくしている場合も多いはず。もちろんオスの側にそれを確かめるすべはなく、拒否する余地もない。
コオイムシのメスにとってオスは子守役でしかない。しかも一方的な強制力をもって有無をいわせない。オスはメスにとって徹底的にツールなのである。
ただし、オスは、もうひとつだけ役割がある。交尾のパートナーとしての役割だ。
つまり、オスには、遺伝子の使い走りとしての役割が残されている。しかし、いつその役割が振られるか、これまたメスの胸先三寸で決まるのである。
単為生殖のアリマキ的人生
アリマキ(アブラムシ)という小さな生物がいる。紡錘形のゴマ粒ほどの大きさで、透き通るような緑色をしている。虫メガネで見ると糸のような細い脚が6本ある。つまり、アリマキは昆虫の一種だ。
アリマキは季節のよい期間は、単為生殖で増殖する。単為生殖とは、メスの個体が、オスの力をまったく借りることなく、どんどん子どもを生むこと。生まれてくる子どももすべてメス。自分のコピーを自分の体内でつくりだす。つまり、クローンがつぎつぎと生まれてくるのだ。
母の身体の中にいる娘の身体の中に、すでに次世代の娘(母から見ると孫)が育っている。まるでマトリョーシカ人形である。こうしてアリマキは爆発的に増殖する。
植物の茎を見ると、無数のアリマキが貼り付いてじっと汁を吸って生きている。この群れはだいたいにおいてクローン集団といってよい。どれも同じ形態だが、大小さまざまな個体がいる。これは世代の違いである。
メスがメスを生み出すクローン生産のシステムは非常に効率がよい。オスなんて必要ない。どんどん増殖することが可能だ。しかし、ひとつだけ欠点がある。遺伝子の構成が、どの個体も同じなので、変化を生み出せないことである。
つまり、多様性をつくりだすことができない。縦糸だけの布は弱い。環境はどのように移り変わるかわからないので、生物にとっては増えることだけでなく(縦糸をつなぐだけでなく)、縦糸と縦糸の情報を交換できるようなしくみ、つまり「横糸」が必要となる。
アリマキはそのための知恵をちゃんと備えている。ここが生物のすごいところだ。夏が終わり、秋風が吹き、朝晩の気温が急に下がるころ、すなわち冬の予感を覚えると、メスは娘でなく、息子をつくり出すのだ。
つまりオスを生む。生殖細胞の内部で遺伝子の配分を変化させ、クローンとしてのメスではなく、自分の遺伝子を半分しかもたない、オスの個体を生産する。
この個体にはメスにはない特徴がある。見るからにしょぼいのだ。メスほどまるまる太っていない。むしろ、やせ細っている。そして翅がある。軽い身体で遠くに飛んでいくためだ。
オスの役割はただひとつ、遺伝子の使い走りである。お母さんの遺伝子を別のメスのところに運ぶ。そこで遺伝子は混ぜ合わされ、シャフリングされる。
これによって新しい変化、新しい可能性が生み出される。これこそが、すべてのオスの本質的な役割といってよい。オスは遺伝子の運び屋として、メスがわざわざつくり出したものである。
それ以上のものでも、それ以下のものでもない。もう一度いおう。生物の基本形はあくまでメスであり、オスはツールにすぎない。アダムがイヴをつくったのではなく、イヴがアダムをつくったのだ。
遺伝子を運び終わると、この時点でアリマキのオスの役割は終わる。細い身体のまま冬を前に野たれ死ぬ。一方、遺伝子を受け取ったメスのほうは冬越しをして、来春、また新しい子どもたちを生む。
そして、ここがまた生物の巧みなところなのだが、こうして次の春、生まれてくる新しいアリマキの個体はまたすべてメスとなる。
メスからメスへの系譜は、太くて強い「縦糸」、生命の基本線をつくる。オスはこの太くて強い縦糸のあいだをときどき橋渡しする、細い「横糸」の役割を果たしているにすぎない。
本来、すべての生物はまずメスとして発生する。なにごともなければメスはメスの王道をまっすぐに進み、立派なメスとなる。このプロセスの中にあって、使い走りのくじを引いたものが、王道を逸れて困難な隘路へと導かれる。それがオスなのである。
ヒトも女が基本形だった
この原理はヒトの場合も基本的に同じである。さすがに、メスに比べて、オスの遺伝子が半分、ということはないが、メスに比べるとオスの遺伝子の量が足りないという事実は残る。
メスの性染色体は、XX型だが、オスはXY型である。Y染色体は、X染色体の五分の一くらいの大きさしかない。情報量も極端にすくない。オスは遺伝子レベルでも足りないのである。
他の生物同様に、すべてのヒトはまず女の子として出発する。精子と卵子が結合し、受精卵ができ、それが細胞分裂を繰り返し、胎児がつくられていくが、受精後7週目くらいまでは、男女の区別はつかない。
すべて女の子に見える。このあとY染色体という貧乏くじ(とあえていっておこう)を引いた個体だけが、特別の枝道に入る。すでに出来つつあった組織や器官があえて壊されて、男につくり変えられる。
男の子のおちんちんの裏側には、左右の皮膚を縫い合わせたような線があるのだが(俗に蟻の戸渡りなどと呼ばれている)、これは本来、女性器になるべき割れ目が閉じ合わされた痕跡である。
卵巣が降りてきて睾丸となり、陰唇が合わさってペニスとなり、クリトリスが乗っかって亀頭となった。なので、ペニスを立たせる海綿体組織は、女性器の陰唇にも存在し、性的に興奮すると充血する。
つまり、男性にだけあるように思われているものは、特別なものではなく、すべて女性にあった原器をつくり変えたものなのだ。このつくり変えのために男の子は胎児期に大量の性ホルモン(ステロイド)を身体中に浴びる。
この性ホルモンは基本的に免疫系を抑制するように働く。それゆえに、男性の免疫系は、女性よりも弱く、だから男性の寿命は女性より短く、感染症にかかりやすく、がんの罹患率も高く、ストレスに弱い、と考えられる。
つまり、「弱き者よ、汝の名は男なり」、というべきなのだ。メスだけでどんどん増える単為生殖に対して、メスとオスという二つの性をつくって次世代を生み出すしくみは有性生殖と呼ばれる。
しかし進化の長い歴史を眺めわたしてみると、このしくみができたのは、かなり新しい出来事なのだ。生命の発生はいまからおよそ38億年前の出来事と考えられている(微小化石の研究によって)。
そしてそのうちの半分以上の年月、基本的に生物は単為生殖でやってきた。つまり、20数億年に渡り、世界にはメスしか存在せず、誰の力を借りることもなく、メスがメスを生み、増やしてきた。単為生殖は、有性生殖のような面倒な手続きを踏む必要は全然ない。なのでこの方法が長い間続いた。
一方、いまから10億年ほど前、ようやく有性生殖の原型がつくられた。単為生殖と有性生殖を切り替えられるアリマキのような存在は、そのときの双方の仕組みを温存している生物である。
現在のヒトのように、有性生殖のみに完全にシステムが切り替わったのは、ここ5,6億年のことである。生命史全体から見ると「かなり新しい」といったのはそういうことである。
オスとメスの協力が多様性を生み出した
単為生殖が現在も存続している事実は、有性生殖が必ずしも生命の存続にとって絶対的に有利である、ということにはならない証拠である。
しかし、現在の地球上では、とくに、ヒトを含む動物、つまり大型の多細胞生物においては、有性生殖が圧倒的に優位にある。なぜ有性生殖が進化上、大勢を占めるようになったのか。
それは、先に書いたとおり、有性生殖が、遺伝子をつねにシャフリングし、混ぜ合わせ、結果として新しい順列組み合わせをつくり出し、個性のバリエーション=多様性を生み出すからだ。
多様性の創出がもっとも有利に働いたのは、おそらく感染症に対する抵抗性の差ができたことだろう。生物は、新手のウイルスや細菌に絶え間なく晒されてきた。
耐性に差があれば、未知の病原体の襲来にも耐え抜くことができる。かくのごとく、生命が有性生殖を編み出したのは、それだけ変化を生み出すことが重要だったからである。
進化の歴史とは、強いもの、優れたものが生き残ったのではない。集団の中で多様性を大切にした種が生き残ったのである。多様性は、その時点では、集団にとって有利か不利なのかわからない。一見、生産性が低く、集団のお荷物に見える場合もあるかもしれない。
しかし、その多様性を包摂することが、長いレンジで生命を考えたとき、もっとも重要な意味をもつことになった。そして、多様性を生み出すものが、メスとオスの協力だった。
最初、オスはメスの縦糸をつなぐためのときどき現れる細い横糸だった。しかし横糸の重要性が高まるにつれ、横糸は縦糸と同じくらい稠密なものとなった。それゆえ、いまや、どちらが縦糸で、どちらが横糸であるか区別がつかなくなった。
つまり、成り立ちの経緯はどうあれ、二つの性は多様性を生み出すうえで、等価となったのである。言い換えれば、男女の両性がなければ、多様性は生まれていなかった。
今回は深く論じなかったが(逆説的ながら)多様性の中には、生まないことを選ぶ多様性も含まれる。つまり、遺伝子の命令(生めよ・増やせよ)から初めて自由になれることを知ったのも、人類の多様性の成果であり、また基本的人権が尊重される基礎となったのである。
この事実をもとに、私たちは、男女の権利は平等であり、男女の義務も平等であると約束した。そして、人類が現代社会をつくりあげたとき、これを理念としたのである。
生物学から男女の「性差」を考える 福岡伸一ハカセによる令和のジェンダー論#昆虫
2020年07月23日 公開
2022年03月29日 更新Twitter
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福岡伸一(生物学者)
御覧の皆様へ
私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。
アンドロゲン不応症をはじめとするDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。
どうか、お間違いのないようにお願い致します。
詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。
https://www.nexdsd.com/dsd
母に、「あれって何?」と聞くと、母は涙を浮かべ泣き始めました…。
あれは小学校5年生、テレビで生理用品のコマーシャルを見ていた時です。ほとんどの10歳の子と同じように、私も生理用品のことなんて聞いたことがありませんでした。でも私の場合、母に、あれって何?と聞くと、母は涙を浮かべ泣き始めたのです。
皆さんは自分の娘に、その子が生理用品を必要とすることがないだろうって、どんな風に言いますか?この子には生理がない、子どもも持てない、そしてこれは、この子が他の女の子と何か違っている、ほんの一部に過ぎないんだということを。
外から見れば、ピッツバーグの郊外でテレビを見ている小さな子どもに、他の女の子と何かが違うところなんてありません。私は昔から女の子ぽかったし、ハロウィンにはキラキラのピンク色のドレスに、フェルト生地のプードルスカートをはいて、かわいいお化粧をすることで頭がいっぱいでした。
外見からは、私がアンドロゲン不応症、つまりAISと呼ばれる稀な体を持っているということは分かりません。私は「普通だったら」男の子の組み合わせのXY染色体でも、女性に生まれたのです。AISでは、XYの胎児は男の子の性器を形成するように伝える重要なホルモンに身体が反応しません。生命の一番最初の段階から、私の体はその信号を受け取れず、女性器を持った女の子に成長したのです。でも、私の体の中のものは普通の女の子とは違いました。
両親がこのことを知ったのは私が6歳のときでした。シャワーを浴びているとき、足の付け根のしこりが痛み、私は叫び声をあげました。両親も医師もこれはヘルニアに違いないと私を病院に連れて行きました。でも、外科医が手術したとき(ヘルニアはX線には映りにくく、手術で固定する必要があるのです)、しこりの後ろに腸のねじれはありませんでした。足の付根にあったのは性腺だったのです。腹部の反対側にももうひとつ性腺が見つかりました。そして私には、膣の上部や子宮頚部、子宮、そして卵管がありませんでした。
私はこの名前は嫌いです。まるで私が全然女じゃないように聞こえるからです。
1990年代、その頃はまだAISは「精巣性女性化症」と呼ばれていました。私はこの名前は嫌いです。まるで私が男の成りそこないで、全然女じゃないように聞こえるからです。1950年代以来、もし女性がこの診断を知ったら、気が狂うかレズビアンになると信じられていました。医師は愕然としている私の両親に、ちゃんと育つし適応もしていく、でもXY染色体や精巣を持っていることを知らせるべきではないと言いました。けれども両親は私に少しずつ話をしていく決意をしていました。
両親は私に解剖学の本を見せ、子宮は女性の中にある巣箱で、その中で赤ちゃんが育つんだと話しました。私にはそれがない、でも赤ちゃんの里親になって、心の巣箱で赤ちゃんを育て、家族の一員にしていくことができると。生理についても教えてもらい、自分にはそれがないだろうということも知りました。でも、私が更に本当のことを知ったのは、16歳になってからでした。
この年、私の妹が学校から生物学の宿題を持って帰ってきました。クラス全員に研究項目が振り分けられていて、妹の担当がAISだったのです。「お母さん、お父さん。これって絶対お姉ちゃんのこと言ってるみたい」。妹はある日の夕食時にそう言いました。「それにサポートグループのウェブサイトにお母さんの名前の人が出てる…」。
両親は顔を見合わせました。ふたりからすれば、私が18歳になるまで待ちたいと思っていたのです。でももう後戻りはできなくなりました。両親は、私と妹弟(私より15ヶ月若い双子)に、すべてを話をしたのです。父は最後に「お前が私たちの娘であることにかわりないよ」と言ってくれましたが、私は、なんで私が女の子じゃないってことになるの?と思うばかりでした。たしか私がその時に言ったのは、「他には誰が知ってるの?」ということだったと思います。
こういう気持ちは思春期という永遠の葛藤から来たものでした。
母が私のような女の子の会に行っていたとは知っていましたが、両親が他に何も言わなかったのは、私には子宮が欠けているだけ、ただそれだけのことだったからだと私は思っていました。でも、そのとき私はもっといろいろあるんだということが分かりました。AISというラベリングも。私の身体は症候群だったのです。そのことはもうみんな知っているようでした。医者も祖母も、おじさんもいとこも。
私はショックで怒りが湧いてきました。両親、それに私自身の身体に裏切られたように感じたのです。今から振り返ると分かるのですが、こういう気持ちは、一体自分の何が悪いのかという恐怖、それに誰か別の人なら自分にベストのことを決めてくれたかもしれないという、思春期という永遠の葛藤から来たものでした。それはまだ未熟な子どもっぽい考えでしたが、私はひたすら自分の不安を何か別のものに向かわせるばかりで、その時はまだ十分には成熟していなかったのです。食卓から走り去って、私は学校の練習チーム用のお気に入りのチアガールの衣装を着ました。プリーツスカートに、白と黒と赤のベスト。シルバーのペレットが入った白のビニール製のカウボーイシューズ・・・。それにたくさんのポンポン。でも、いつしか、ホンダオデッセイミニバンに乗って練習に行く時には、私はまたありきたりのチアガールに戻れていました。
友達については求めても親密になりきれませんでした。
けれども、事はそんなに単純ではありません。高校生活は容赦のないものになりました。私はまだ自分自身について学んでいたことを話すことばを持ち得ていませんでした。私はひどい不眠と、とてつもなく大きな不安にさいなまれ、時に鬱にもなりました。私は取り憑かれたように学校に行き、ずっと勉強ばかりしていました。ピアノを弾いて、クラシックソナタに自分を溶けこませ、私より前にそれを弾いた何千もの人々を想像し、それを慰めにしていました。
だけど友達については求めても親密になりきれませんでした。仲が良かった3人の女の子といても、その関係はぎこちなく一方的なものになっていました。
男性との関係もどうすればいいかよく分かりませんでした。一度ある男性と付き合ったのですが、彼は彼の友だちに、あの子のって指先しか入らないんだよと言っていたのです。噂は学校中に流れ、ある女の子はずけずけと私に「ケイティ、あなたのこと聞いたわ。でも私ができるのは指先分だけだけどね」と言ってもきました。私の人生の中でもっとも屈辱的な出来事のひとつです。
でもサムはただ私を抱きしめて、こう言ったのです。
大学生活は高校よりはいいものになりました。ひとつには、ハヴァーフォード大学1回生の時に、大好きなセラピストと出会えたからです。私は中学校の時から何度かカウンセラーと会っていたのですが、この女性のカウンセラーは空想好きで、私がそれに傷つくと私に怒りを向けていたのです。(訳者注:ケイティさんはこの女性カウンセラーに、「自分は男でも女でもないと認めるべきだ」と散々無理強いされました)。
私は大学のゴスペル部に入りました。ミュージカルが好きだったんです。そしてそこで最高の友達と出会えました。ショーに出ていたヒラリーです。私は自分の身体に少しずつ慣れてきたように感じていました。そうして、2回生のハロウィンパーティーでサムと出会ったのです。
私はディスコボールに扮装し、彼はエスキモーの格好をしていました。私が友達といた部屋に彼が酔っ払った新入生を運んできて、私は彼とそのまま親しく話をしたのです。とても屈託なく。身長6フィートでグリーンブラウンの眼、そして長いまつげ。それにエネルギッシュで、陸上部のスターでした。彼がチョコレートをかけたイチゴをくれて、マリリン・モンローの映画の話をしていたのは、実は私を口説いているんだって気がついたのは、話し始めて少し後になってからでした。
それから1ヵ月後、大学近くの彼の家で私たちは二人で過ごしていました。前のふたりのボーイフレンドには自分のAISのことを言っていたので、私はそのいつもの大げさな話を始めました。話の途中で、サムは私を止めました。彼はもう知っていたのです。陸上部のチームメイトが、練習の後のロッカールームで、彼に声をかけてこう言っていたのです。「お前、ケイティと付き合ってんだってな。彼女本当は男だっていうのマジ?」。サムはそのうち私に心の準備ができたら話してくれるだろうと思っていたのです。
サムの話を聞いて私は取り乱して泣き始めました。私の顔は真っ赤になっていました。陸上のトロフィーとフィラデルフィア・フィリーズの三角旗に囲まれた、彼の子どもの頃の部屋のベッドに腰かけて、「まただ。また他の人が私の知らないところで私のことを知っていたのだ」と思いました。でもサムはただ私を抱きしめて、こう言ったのです。「僕は今まで君ほど女の子にドキドキしたことはなかったよ。この気持ちはそんなことと全然関係ない」。これは最高に完璧なことばでした。
今、私たちが取り組もうとしているのは、ただひとつ。
去年サムがフィラデルフィアの公園でプロポーズし、私たちはニューイヤーズの夜に結婚しました。私はそれまでずっと結婚を夢見ていましたが、それは決して叶うものではありませんでした。でも今、私たちが取り組もうとしているのは、ただひとつ。家族を持つということなのです。
子どもの里親になることも代理母出産をお願いすることもできました。ですが、私の性腺はガンの恐れがあるために、思春期が終わった大学入学前の夏に摘出したので(訳者注:完全型AIS女性の性腺は、実質上女性ホルモンを作る機能を持っているため、思春期が終わるまで温存されることがあります。ただし、思春期が終わって以降はガンになる確率が上がるため摘出されるのが一般的です)、赤ん坊を作るための遺伝子素材を持っていないということが今の私にとっての最大の困難のひとつです。
でも、「自分が欲しいものは自分で分かってるって思ってた。でも僕が欲しいものは君だけなんだって気づいたよ」とサムが言ってくれるように、私が今幸せでいられるのは、そのほとんどがサムのおかげなのです。
私が体験してきた痛みで他の人を支えることができるなんて、信じられないほど素晴らしいことに思えます。
子どもを作ることはできませんが、私たちはセックスもできます。私のような膣を表す専門用語は、頸部や子宮に届いていないことから、「blind pouch(盲嚢)」と言われます。多くのAISの女性のように、大きくなってからセックスが心地いいものになるよう 、私も小さい時から、拡張器(膣を大きくするための医療器具)を使っていました。エストロゲンクリームをそれに塗って、1日に30分膣に押し込んできました。(私は他の女性と同じ量のエストロゲンを生成しているのですが、そのクリームは膣組織を広げてくれるのです)。そうして私は他の人と同じような素晴らしいセックスライフを送っています。
そして、今私はAIS女性のサポートグループに参加しています。私が体験してきた痛みで他の人を支えることができるなんて、信じられないほど素晴らしいことに思えます。大学に入る前の夏にAISサポートグループに入ったのですが、そこではじめて、AISに呑み込まれるのではなく、自分の人生の一部にすることができると思え、それまで感じてきた孤独が鎮まりました。
AISは20,000人に1人が発生しますが、全人口の約0.5%の人になんらかのDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)があるので、このような問題は皆さんが考えている以上に一般的なことなのです。南アフリカの陸上競技選手、キャスター・セメンヤが、去年、性別テストを受けることになり、それがニュースになった時も私たちのサポートグループは彼女に連絡を取りました。
最終的には私は、私のような人の支援者になれればと思っています。お医者さんたちがこのようなケースをどのように扱っていくのか、そのあり方を変えていくことに納得してもらうには、同僚にでもならない限り難しいと思い、私は今医大で生命倫理学の修士を取ろうとしているところです。学位を取ることで、メディカルコミュニティで評価されるような行動が起こせればと思っています。それが私の義務なのだと。
生理用品のことを話すのは、もう、悲しいことではありません。
私は女性です。
XY染色体を持っています。
アンドロゲン不応症(AIS)女性
ケイティさん
そこではじめて、AISに呑み込まれるのではなく、自分の人生の一部にすることができると思え、それまで感じてきた孤独が鎮まりました。
はじめに
DSDs:体の性のさまざまな発達(性分化疾患)で,生まれたときに外性器の形状だけでは性別がわかりにくい赤ちゃんの「性別判定」は現在どのように行われているのでしょうか? それは昔の「性別割り当て」とはどう違うのか?
また,トランスジェンダーやノンバイナリーの皆さんの領域で,「割り当てられた性別」という表現が使われることが多くなっています。
ですが,DSDs:体の性のさまざまな発達(性分化疾患/インターセックス)の領域で使われる「性別割り当て」とはまったく意味が違うのです。
ここではその違いについて解説します。
DSDs:体の性のさまざまな発達とは何か?
最初に簡単に。学者さんでも今でも誤解しているのですが,DSDsは「男女以外の性別」でも「男女両方の特徴を併せ持つ人(両性具有)」でもなく,「生物学的には生まれつき,女性(female)にも男性(male)にもさまざまな体の状態がある」ということです。
「両性具有」は神話上の存在でしかなく,言ってみれば光過敏症や多毛症の人を使って「吸血鬼や狼男の人もいる!」「狼と人両方の特徴を併せ持つ人が存在する!」と言っているようなものです。
「インターセックス」を標榜する当事者団体も「男女以外の第三の性別」は求めていない。
まず前提としてはっきりしておかねばならないのは,実は各種DSDsのそれぞれの患者家族会・サポートグループはもちろん,「インターセックス」を標榜する当事者団体も,最初の最初から男女以外の「第三の性別欄」は求めていない。むしろ自分たちを利用してそういう政策を進めていくことに強く反対しているということです。
ジェンダー学者さんも実はまったく理解していないのですが,「インターセックス」を標榜する当事者団体でさえ,出生時に性別判定が必要な外性器で生まれる赤ちゃんに対しては,エヴィデンスに基づく女性(female)か男性(male)かの「性別判定」を医療に求め続けています。
ジェンダー論の先生でも,DSDsの話を曲解して,「男女以外の中間の子どもが生まれる!」「性自認しか指標はない!」といまだに誤解しているのですが,「出生時の外性器の形状・サイズの違い」についても,ただ単に女性器が大きな状態で生まれる女の子(female)や,男性器が小さく生まれる男の子(male)ということに過ぎません。
そして現在ではありがたいことに,分子生物学の進展などにもより,医療の領域でもエヴィデンスに基づくしかるべき検査によって,外性器の違いを持つ赤ちゃんも女児(female)か男児(male)かが判明するようになっているのです。
DSDsの領域での「性別割り当て」とは
DSDsの領域で問題だったのは,外性器の大きさだけで女性・男性の「割り当て」がされてしまった1950年以降のケースです。
実は当時からつい最近まで,出生時に,外性器を引っ張って2.5センチ未満だと,男児(male)だとわかっている赤ちゃんでも陰茎切除・精巣摘出(つまり「去勢」)の上で,本人にはまったくその事実を言わず,女性ホルモンを打ち,「あなたは女の子だ」と言い続け,無理やり女の子に育てるというケースです。
これで有名なケースがいわゆる『ブレンダと呼ばれた少年』で有名なジョン・マネーという性科学者による「双子の症例」です。
このジョン・マネーによる「治療法」(「マネー・プロトコル」と呼ばれています)は,言ってみれば,男児(male)を去勢して人工的にMtFの性同一性障害にするような狂気の実験だったわけです。
https://note.com/nexdsdjapan/n/nc78b15579040
このマネー・プロトコル(割り当て)で特に被害を受けたのは,DSDsのひとつにもされている「総排泄腔外反症(そうはいせつくうがいはんしょう)」という状態で生まれる男の子(male)の場合でした。
総排泄腔外反症は,胎生期の骨盤形成不全のためにおヘソ以降の腎臓などの器官が外側にはみ出て生まれる状態です。下の画像でお分かりいただけると思うのですが,出生時に見た目だけでは性別がわかりません。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20180713-OYTET50021/
ですが,しかるべき検査の上で,男児(染色体がXYで体内に精巣がある。しかし陰茎は形成されていない)か,女児(染色体がXXで卵巣がある。ただし子宮は二分している場合が多い)かが判明します。
ただ,このような男児(male)の場合,陰茎を作ることが難しいということで,かなりの男の子が精巣を取られ,女性ホルモンを打って無理やり女の子に育てるということが行われ,大変な被害がでました。
DSDsの領域では,こういう昔の無理やり男児を去勢して女児にするようなケースを「割り当て」と表現していて,しかるべき検査の上でのエヴィデンスに基づいた女性(female)・男性(male)の「判定」とは異なるものとしているのです。
もちろん現在では総排泄腔外反症の男の子は,男の子の「性別判定」がされています。ただ生物学的な男児(male)が,男児に生まれ,男児と判定され,男児に育っているというだけです。それはトランスジェンダーの皆さんの世界の「性自認」の話でもなんでもありません。性別判定を思春期まで待つ必要もありません。
マイクロペニスや総排泄腔外反症のペニス欠損で生まれた男の子が,去勢されて無理やり女の子に「割り当て」された背景には,男性器の形成よりも女性期の形成のほうが簡単という外科医側の身勝手な考え(「棒を作るより穴を開ける方が簡単」)と,「ペニスが小さいと男性として認められない,男性としてかわいそうだから女の子にしてやれ」という,病的なほど強迫的な社会的生物学固定観念がありました。
トランスジェンダーの皆さんの世界での「割り当て」の意味
DSDsの領域で起きた「性別割り当て」は,本当はこういう話なのですが,ジェンダー系の学者の人たちや世間で誤解されて,「本当は男でも女でもない中性なのに無理やり性別を決められている!」「性自認が確定する思春期まで性別を決めるな!」というふうに流れていってしまったわけです。
このような曲解と誤解の背景にも,「男性だったらペニスが十分な大きさでなくてはならない」という,強迫的な社会的生物学固定観念と,「DSDs=両性具有」という偏見,さらに「両性具有のようなものにいてほしい,見たい,なりたい」という社会的享楽が働いています。
そしてこのような誤解の上に,トランスジェンダーの皆さんの世界でも「割り当てられた性別」という表現が使われているわけです。
「生まれたときに割り当てられた性別とジェンダー・アイデンティティが食い違っている人たち」
周司あきら・高井ゆと里『トランスジェンダー入門』より
「出生時に割り当てられた性別とは異なる性別の性自認・ジェンダー表現のもとで生きている人々の総称(性同一性障害者を含む)。」
日本学術会議『提言「性的マイノリティの権利保障をめざして(II):トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けて』より
トランスの皆さんの世界で使われる「割り当てられた性別」という表現は,「生まれた時に性別が決められる社会が悪い!」「性自認しかない!」「男女二元論が悪い!」という独自の想い・考えがあるのでしょう。
ですが,このトランスの皆さんの世界で使われる「割り当てられた性別」は,あくまで「性自認」の話であり,DSDsの女性(female)・男性(male)の生物学的な身体の問題,そしてDSDsの領域で起きた昔の「割り当て」の問題とはまったく異なります。
トランスの皆さんの性自認は尊重されるべきであり,独自の意味での「割り当てられた性別」という表現を使われることに問題はないと思いますが,DSDsの領域での昔のひどい「割り当て」との区別はつけていただきたいと思います。
言葉の意味も文化や歴史によってまったく異なってきます。それぞれの違い=多様性を認め合っていければと願います。
ネクスDSDジャパン
2024年2月25日 16:33
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はじめに
「私が猫を殺すのは、その魂を集めるためだ。その集めた猫の魂を使ってとくべつな笛を作るんだ。そしてその笛を吹いて、もっと大きな魂を集める。そのもっと大きな魂を集めて、もっと大きい笛を作る。」ジョニー・ウォーカーは「ハイホー!」を口笛で吹きながら、鋸で猫の首を切り取った。
(村上春樹『海辺のカフカ』より)
男らしさや女らしさは生まれつき? 自分は男である・女であるという性別同一性や、異性を好きになるか同性を好きになるかという性的指向は生まれつき? それとも社会的な要因?
……そういった疑問は、ある人には身を切るほど切実に、ある人にとっては「学術的な興味」や「社会改革の問題」として立ち現れてくることでしょう。それは時に、社会を二分するほどの大論争になるかもしれません。こうした疑問や興味、論争は、昔も今も、そしてこれからも、飽きることなく永遠に続いていくことでしょう。
2004年5月。カナダのひとりの男性が拳銃で自分の頭を撃ち抜き、自殺しました。ジェンダー論や性科学に詳しい方なら『ブレンダと呼ばれた少年」というルポを覚えている方もいるかもしれません。でも、それは彼の名ではありません。彼の名はデイヴィッド・ライマー。自殺時39歳でした。
彼はいわゆるDSDs:体の性のさまざまな発達(性分化疾患/インターセックスの体の状態)で生まれたわけではありません。性器の形や大きさで疑われることもなく双子で誕生した一般的な男の子でしたが、一方の子どもは割礼手術の失敗でペニスを失ってしまいます。親御さんの狼狽と不安はいかばかりのものだったでしょうか。
「ジェンダー」概念の始祖:ジョン・マネー
ここでもう一人の登場人物が現れます。彼の名前はジョン・マネー。1960年当時、特に当時の「半陰陽・インターセックス」(現在では医学的にはこの用語は侮蔑的なため使われず,「DSDs:体の性のさまざまな発達」と呼ばれています。)や「トランスセクシュアル」(後の「性同一性障害」の概念)の研究から、性科学の第一人者と呼ばれていた性心理学者でした。
ジョン・マネー
同性愛・両性愛は決して趣味や好みではないものだということで、「性的嗜好(sexual preference)」を「性的指向(sexual orientation)」に言い換えたのは彼です。
またトランスセクシュアリズム(現在で言う「性同一性障害」の概念)の人々について「体の性=sex」とは別に、言語学で使われていた「ジェンダー(gender)」という用語をはじめて援用したのも彼です。
マネーの理論は「生まれて18カ月以内の子どもの性自認は中立であり、24カ月までに社会的に獲得された性別同一性は不変のものとなる」というものでした。つまりトランスセクシュアリズムの人々に対しては、心(性別同一性)を変えることは不可能で、むしろ身体の方を自認する性別に合わせる方が良いという考えであり、「性別適合手術」を進める上では大きな原動力となりました。
トランスセクシュアルの人々のマネーに対する態度は、このビデオをご覧いただければお分かりいただけるかもしれません。当時欧米のTV業界などで一世を風靡した有名なトランスセクシュアルであるクリスティン・ジョーゲンセンが、マネーの業績を紹介する場面です。
https://youtu.be/fyh8BxPxtnw
ブレンダと呼ばれた少年
デイヴィッドの両親が狼狽と不安の中、TVで見たのがまさにこの場面でした。両親はすぐにマネーのいた大学のジェンダークリニックを訪れます。次の年にはマネーは、ペニスを失った男の子の精巣を摘出する性転換手術を行い、女性ホルモンを打ち続けることで女の子として育て、それを絶対に子どもに秘密にしておくように勧めます。不安しかなかった両親はマネーの指示に従いました。デイヴィッドには、ペニスを失っていない、そのまま男の子の双子がいます。環境因の優位性を謳っていたマネーにとって、デイヴィッドらは自説を証明するための格好の材料だったのです。
マネーはその後、この子どもが順調に女の子として育っていて、「性の分化において、生物学的な要素より環境に優位性があることを証明する揺るぎない証拠」だとする論文を発表します。彼の書いた『性の署名』は海外でも日本でもベストセラーになり、マスコミでもセンセーショナルに、あるいは医学の進歩を表すものとして大々的に喧伝されました。マネーは性科学の権威となり、トランスセクシュアルの人々の身体治療も社会のお墨付きをもらっていくことになります。
性転換され女の子に育てられたデイヴィッドさん
彼は『性の署名」の中で高らかに謳い上げました。
「乳児期にはこの双生児のうち支配的なのは女の子の方だったが、子供たちが4歳になった頃には、どちらが男の子でどちらが女の子か誤解するようなことはなくなった。5歳になると女の子はすでにズボンよりもスカートを好み、髪にリボンを飾ったり、ブレスレットやフリルのついたブラウスを着るのを喜び、パパの小さな恋人であることを嬉しがった」
ジョン・マネー『性の署名』
また当時は、女性解放運動が大きな盛り上がりを見せていた時代です。
“「男らしさ・女らしさ」は生まれつきのもので、女が社会進出するなんてありえない”。そう言われ続けた女性活動家たちは、この症例は「男らしさ・女らしさ」あるいは性自認でさえ決して生まれによって決まるものではなく、社会的に作られていくものだという有力な証左として、マネーが意味したところも越えて繰り返し引用していきました。
生まれや出自を理由とした差別が今以上に横行していた時代です。科学や社会の進歩と解放の物語のように流通したのでしょう。
しかし1980年代になって、性別同一性は生得因と環境因の両方が作用するとする性科学者の追跡調査により、この少年は女の子として扱われることに一度として満足していなかったどころか、いつも抵抗を感じていて、14歳で両親から真実を打ち明けられた日から、デイヴィッドという名で元の男性として生活をしていることが明らかになったのです。
デイビッドさん
この事実は『As Nature Made Him』(邦訳タイトル『ブレンダと呼ばれた少年』)というルポにまとめられました。これもまた社会からセンセーショナルに受け止められ、マネーの権威は失墜しました。(マネーは、この暴露に対するメディアの反応は右翼のメディアの偏見と「反フェミニスト運動」によるものだと主張しました)。
そして、性別同一性は生得的に決定されているという説が優位になりました。性別同一性を決めるのは「足の間の性器の形」ではなく「脳」にあるという考えへの移行です。
トランスジェンダーの人々についての言説では、この少年の話は、性別同一性を変えることは不可能で、むしろ身体の方を自認する性別に合わせる方が良いと「性別適合手術」を進める理由として大々的に取り上げられていました。「性自認の尊重」の始まりです。
ですが「実験の失敗」が明らかになると、今度はなぜか、「性別同一性は後天的に変えられないもので,トランスジェンダーの人の性自認も最初から決まっているものなのだから「性の自己決定権」が必要だ」という証拠として取り上げられるようになったのです。
もともと生物学的な男の子に生まれたのだから、陰茎を失おうと男の子には変わらないはずです。「脳の性別」もなにも、別に彼は女の子に生まれたわけではありません。彼はトランスジェンダーの人ではありません。
僕は、なぜここまで以前自分が言ったことは都合よく忘れて、簡単に掌(てのひら)を返すことができるのか、なぜこれが「性の自己決定」の根拠になるのか、さっぱりわかりませんでした。
そしてその約20年後の2004年5月。彼は拳銃で自分の頭を撃ち抜き、自殺しました。双子の弟の抗うつ薬の大量摂取による死亡、結婚していた奥さんとの生活の破綻、長きに渡る両親との不和の問題がありました。
さらにマネーは,デイヴィッドの女性としての性別同一性を強化するために,次のような「治療」を行っていたとされています。
双子が成長するにつれ、マネーの質問はいっそう露骨になっていった。「あの人はいろんなことを訊かれたよ、『女の人とセックスする夢を見たことをあるかい?』とか、『勃起をすることはあるかい?』とかね」とブライアンは言う。「もちろんブレンダにたいしてもおんなじだった。『こんなことを考えるか、あんなことを考えるかって』ブレンダもいろいろ訊かれたよ」
『ブレンダと呼ばれた少年』より
「あからさまな性描写のあるポルノ写真は」とマネーは『性の署名』のなかで書いている。「子供の性教育の一環として使えるし、実際使われるべきである」ポルノ写真は「男女は問わず、子供の性的自己認識および役割を強化する」とマネーは言う。「あの人は何かにつけて、服を着てない男の子や女の子の写真を見せたよ」とブライアンは言う。デイヴィッドはの記憶では、マネーは性行為をしている大人たちの写真も見せたという。「あの人はこう言ったんだ、『きみたちに見せたいものがある、パパやママがいつもしていることだよ』ってね」
『ブレンダと呼ばれた少年』より
僕にはこれは,ただの性的虐待にしか思えませんでした。
レイプされ続ける身体
彼の自殺直後、僕は日本の著名な性科学者の方にお会いしたときに彼の自殺について訊いたところ、慌てたように「君がどっちなのか分からないけど、自殺原因は彼の性転換とは限らないから」と言われたものです。もちろん自殺の原因というのは本当のところははっきりしないものです。でも、彼が材料とされた実験やその後の騒動が、彼や彼の家族に何の影響も与えなかったとは到底思えませんでしたし、「どっち」という言葉が意味するところもよく分かりませんでした。
ただ、その意味はすぐに明らかになりました。彼は日本で、当時の性教育のあり方についての政治論争に巻き込まれていたのです。彼はその死でさえも利用されていく。そんな風景を僕はただ眺めているしかありませんでした。
僕は、「どっち」でもありませんでした。
性別同一性の環境因優位論の人々のこの「症例」に対する見解は、女の子への割り当てがもっと早ければ、母親の学歴がもっと高く、不安に怯えなければ、「成功」した可能性もあるというものでした。
フェミニスト心理学者の小倉千加子さんの見解は、マネーの理論は失敗とは言えず、もっと手術の時期が早ければ、双子でなければ違っていたかもしれない、「マネーはせっかくジェンダーという概念を採用したにもかかわらず、依然として『中途半端な生物学的決定論者』であったと言えます」というものでした。(小倉千加子『セクシュアリティの心理学』より)
僕は、そもそもこれがそういう話なのかどうかよく分かりませんでした。
小倉千加子さん
「生得か?環境か?」論争の顛末
ちなみに、僕はあまり興味がありませんが、性別同一性の生得因・環境因はどちらが優位なのか、性器なのか脳なのか、参考になるかなりクリアなエビデンスはあります。
DSDsのひとつで、生まれつきペニスや性腺などが露出した状態で生まれてくる男の子がいます(DSDsは「男か女か分けられない体」ではなく、「これが女性・男性の体の作りだとする社会的生物学固定観念とは一部異なる女性(female)・男性(male)の体の状態」です)。欧米ではこのような男の子たちの多くが、マネーの「治療」プロトコルに従ってペニスや性腺を切除の上女児として養育されました(つまり人工的に性同一性障害の状態を作るようなものです)。追跡調査された14「例」中、6「例」が男性自認、2「例」が曖昧な状態、6「例」が女性自認でした。つまり、男の子でも女の子に性転換すれば、43%は「成功」するということです。
男の子だと分かっているこのタイプのDSDsの子どもを、一体何のためにわざわざ女の子に性転換して育てることを勧めたのか、僕にはよく分かりません。こういう「治療」を受けず男の子のまま育てられた人は、全員男性自認だったのです。だって元々ただの男性(male)なのですから。
ですが、実際に起きたことをしっかりと見れば、これは「性別同一性・性自認」の問題でさえなく、ただのマッドサイエンティストによる自説証明のための狂信的な実験により、男の子でも無理やり去勢して「お前は女だお前は女だ」と洗脳を続ければ、約半数は「成功する」というだけの話にしか思えません。
さらに、他のDSDsを持って生まれても男の子(male)だと分かる赤ちゃんにも、ペニスの長さが引っ張って2.5㎝以下であれば、このような強制的な性転換が適応されることが少なくありませんでした。
どうやら、ペニスがない状態では男性として不憫であるという規範が働いていたようです。そして、DSDsで生まれた赤ちゃんに対するこういった話は、世間には「男でも女でもない中性なのに親が勝手に性別を決めている!」という誤解・偏見で流通していきました。
「うつろな人々」の空っぽの言葉に人間を見失わないために
このような誤解もまた、「男性ならばこういう体のはず(ペニスがなければ男性とは言えない)」という社会的生物学固定観念や、中性のようなものにいてほしいという社会的欲望・享楽が働いたのでしょう。
あるいは、男の子と分かっている子どもを無理やり女の子にするという「治療」も、何の苦しみもないようにする「解決策」だったのかもしれません。障害を持って生まれた子どもの親御さんの、自分を責める気持ちはとても激しいものになりえます。子どもを健康に産んであげられなかった。この子の将来はどうなっていくのだろう。親と言えども誰でも同じ弱い人間の私たちです。そんな恐れと不安に苛まれる親御さんは、子どもを助けられると言われれば、なんでもしてあげたいと思うものです。
「男の子を女の子にしてしまえば解決します!」「社会をこう改革すれば解決します!」「いいですか、みなさん!これは!社会の!進歩なんです!!」。
ですが、そういうことを言ってくる人には人間というものに対する如何ともしがたい傲慢さがあるように感じます。僕は、「外からやってくる力に耐え、不公平や不運や悲しみや誤解や無理解に静かに耐えて行く強さ」を持っている当事者家族の方を今ではたくさん知っています。
それ以前に、人間は、統制された実験室の中の魚でも蝶でもマウスでもありません。何かの理念のための材料でもない。自分の体がどうなっているのか、これを訊くと親は傷つくのではないかと不安と恐れの中で問う子どもに、罪責感と恐れをたたえた眼で一瞬言葉を失う親。これは決して統制されるようなものでも、統制されるべきものでもなく、その両者の恐れと不安の眼、それこそが互いに相手を想う心があるというエヴィデンス、証拠なのですから。
想像力なき「うつろな人々」には、それが「進歩と解放を邪魔する阻害要因」にしか見えないのかもしれません。
そしてそういう人々は、これからも猫の首を切り落とし、「大きな笛」を作り続けていくことでしょう。もちろん当事者家族にとって必要な治療法というものはあります。問題は性器をどうするかではありません。人間が切り落とされていることこそが問題なのです。
幸いなことに、リベラルであろうと保守であろうと、伝統論者であろうとフェミニストであろうと、学者であろうとなかろうと、二元論であろうとグラデーションであろうと、そんなことは関係なく、どんな旗を掲げているかは関係なく、いつでも人間を見失わない人はたくさんいるのだということも今では僕も知っています。
死者は決して答えることはありません。ですが、私たちはまだ人間を見失わないようにし続けることだけはできるのです。
DSDsの基礎知識
https://note.com/nexdsdjapan/n/neb24f9eb986a
ジョン・マネーの「性別割り当て」を免れた男性の物語
https://www.nexdsd.com/menstories001
ネクスDSDジャパン
2024年2月3日 22:28
![](https://assets.st-note.com/img/1724076707599-l7cvU0Z6YI.png?width=1200)
総排泄腔外反症(画像の赤ちゃんは男児と判明)
![](https://assets.st-note.com/img/1724076841341-WEF8ZQZhzl.png?width=1200)
「ペニスが2.5センチ未満なら去勢しろ」という当時の「割り当て」を批判した,北米インターセックス協会(ISNA)が作った図「Phall-O-Meter」
産院から私たちの病院へ緊急の電話が入ったのは、日が落ちた夕刻でした。産科の先生は慌てた様子で、「赤ちゃんのお 腹(なか) から腸が飛び出している」と言います。私たちは、「滅菌された布で赤ちゃんを覆って、すぐに救急車で搬送してください」とお願いしました。
腸も膀胱も飛び出した「総排泄腔外反」
新生児集中治療室(NICU)で赤ちゃんの姿をよく観察すると、まず、 臍帯(さいたい) (へその緒)の部分から羊膜に覆われた腸が飛び出ています。大きさは子どもの頭くらいです。これは臍帯ヘルニアという状態です。
【名畑文巨のまなざし】
ポジティブエナジーズ(その5) 世界をめぐり撮影したダウン症の子どもたちはみな、ポジティブなエネルギーにあふれていました。南アフリカの1歳2か月のダウン症の赤ちゃん。ダウン症の成長はゆっくりなので、ようやくお座りができた頃です。でも、弾(はじ)けるような笑顔の本当に 可愛(かわい)い赤ちゃんでした。抱き上げるママの笑顔もとても幸せそうです。南アフリカ共和国プレトリア市にて
そして臍帯ヘルニアのすぐ下方には、赤い粘膜がむき出しになっています。これは 膀胱(ぼうこう) 粘膜です。膀胱が体の外に飛び出し、さらに二つに割れて粘膜面が見えているのです。これを膀胱外反と言います。
さらに、膀胱粘膜の中央には小さな穴が見えており、そこから胎便がにじみ出ています。小腸が膀胱につながっているのです。これは、膀胱腸裂という病名になります。そして、おしりを見ると肛門がありません。これは 鎖肛(さこう) という状態です。外性器も全くありませんから、男女の性別もつきません。
こうした複雑な奇形を全てまとめて「 総排泄腔外反(そうはいせつくうがいはん) 」と言います。
しかしこの赤ちゃんは、総排泄腔外反だけではありませんでした。背中には半透明な色調をした 瘤(こぶ) があります。これは脊髄髄膜瘤です。二分脊椎とも言います。皮膚が裂け、割れた背骨から脊髄神経がはみ出しているのです。
総排泄腔外反は、こうして脊髄髄膜瘤を伴うことが比較的多いのです。
英国では「選択的治療停止」を主張した医師も
外科的に治すことは極めて困難です。臍帯から飛び出ている腸は手術でお腹の中に納めることが可能ですが、尿道を作ったり、肛門を作ったりすることはほぼ不可能です。もし、造ることができても、脊髄髄膜瘤の赤ちゃんは下半身に麻痺が残りますので、自力で排便や排尿をすることは困難です。歩くこともできないかもしれません。男女の区別は染色体検査で決定しますが、外性器を作るのは至難の業です。
このように、脊髄髄膜瘤を伴う総排泄腔外反は、小児外科医にとって最も難しい奇形です。命を救ってもその後の人生があまりに過酷なため、1970年代のイギリスでは、こうした赤ちゃんに対して手術をすべきか、医師同士で激しい議論になりました。議論は平行線をたどり、ある医師は「手術して救命することはあまりにも残酷なので『選択的治療停止』を決断すべきだ」と主張しました。
「この子を育てることに一生を捧げなさい」とベテラン医師
私たちも、この赤ちゃんを目の前にして、いったいどうすべきか迷ってしまいました。父親に赤ちゃんの病状を詳しく説明しましたが、父親は、手術してほしいとも、しないでほしいとも言いませんでした。私たちは、赤ちゃんを保育器に入れ、臍帯ヘルニアで飛び出した腸に感染が起きないように、殺菌効果のある色素液を塗って様子を見守ることにしました。
小児外科医にとって最も重篤であるこの奇形の赤ちゃんは、すぐに手術をしなくても当面の間は生き続けることができます。面会には、やがて母親も現れるようになりました。手術をどうするか、夫婦でよく話し合ってもらいました。
私の意見としては、手術をしないで赤ちゃんを見殺しにするという判断はあり得ませんでした。しかし、重い障害を持った子どもを育てるという決意を夫婦がしない限り、手術はやはりできないとも思いました。
1週間後、夫婦は手術の希望を伝えてきました。それを聞いた小児外科のベテランの医師は、「いいでしょう。手術をしましょう。しかし、あなたたち夫婦は、この子を育てることに一生を 捧(ささ) げなさい」と言いました。私は「そこまで強く言う必要はないのに」と思いましたが、その医師は、夫婦の決意を確かめたかったのでしょう。
手術後はすくすく育ち 今は笑顔で通院
手術は数回に分けて行われました。腸をお腹の中に納め、脊髄神経を体内に戻し、人工肛門を作って、カテーテル(管)で尿を出すようにしました。手術の後も、赤ちゃんは足をバタバタと動かすことはありませんでした。検査の結果、この赤ちゃんは女の子でした。
この子はその後、すくすくと育っていきました。手術をしたことに対して両親は、悔いるような言葉は一切言いませんでした。愛情を持って、この子のケアを続けています。母親はこの子を車いすに乗せ、親子とも、いつも笑顔で外来に通院してきます。たとえ障害が重くても、命はそれ以上に重いものだと改めて感じさせられました。(松永正訓 小児外科医)
2018年8月9日
医療・健康・介護のコラム
膀胱が飛び出し、肛門もない重度の奇形 「手術をしますか?」と問われ、両親が選んだ道は…